第10羽「守られていた私」
その依頼は、王都フォレンティア・ベルクラウンの冒険者ギルドでもひときわ大きな掲示板に貼り出されていた。
『緊急討伐依頼
深緑渓谷に出現した魔獣の討伐。
周辺の街道に甚大な被害あり。
上級冒険者推奨。』
掲示板の前で、フィーネは紙を見上げた。
「ストームグリフォン……」
灰色の耳がぴんと立つ。
「風の魔法を使う、大型の魔獣だ」
ミッツーが腕を組んで説明する。
「正面から突っ込めば、羽ばたきだけで吹き飛ばされる」
「強そう……」
そう言いながらも、フィーネの瞳には恐れよりも闘志が宿っていた。
十年前、森で保護された小さな少女。
剣の持ち方も、魔法の使い方も、何も知らなかった。
そのフィーネは今、上級討伐依頼の前に立っている。
ミッツーはその横顔を見て、小さく笑った。
「どうする?」
フィーネはすぐに答えた。
「やる」
そして力強くうなずく。
「父さんと一緒なら」
そしてもう一言。
「剣も魔法も父さん仕込みだから!」
⸻
翌朝。
二人は深緑渓谷の断崖に立っていた。
下からは絶えず強い風が吹き上がる。
木々の枝が大きく揺れ、鳥たちの姿はない。
「いる」
フィーネが剣の柄に手をかける。
谷の中央。
巨大な岩場に、魔獣はいた。
黄金の眼。
鋭い嘴。
嵐をまとったような青灰色の羽。
翼を広げれば、馬車ほどの大きさがある。
ストームグリフォン。
こちらの気配に気づいたのか、低く唸った。
「ガァァァァァ!」
空気が震えた。
風が一気に荒れ狂う。
「来るぞ!」
⸻
グリフォンが飛び立つ。
巨大な翼が一振りされただけで、暴風が渓谷を駆け抜けた。
「《ウィンドシールド》!」
フィーネが素早く防風の魔法を展開する。
透明な壁が風を受け止め、二人を守った。
「いい判断だ!」
ミッツーは前へ飛び出す。
「《フレイムブレード》!」
剣に炎をまとわせ、一気に懐へ。
鋭い一閃。
だが、グリフォンは素早く身を翻した。
羽ばたきとともに無数の風刃が飛ぶ。
「《ストーンウォール》!」
フィーネが岩の壁を立ち上げる。
風刃が石を削り、火花のように砕け散った。
その隙に、フィーネも前へ出る。
「はぁっ!」
剣が前脚を斬りつける。
グリフォンが咆哮した。
「ギャアアアッ!」
⸻
魔獣の目が赤く光る。
渓谷の上空に黒い雲が集まった。
「まずい、雷だ!」
ミッツーの声が飛ぶ。
「《ライトニングボルト》!」
稲妻が落ちる。
フィーネは横に飛び退き、すれすれで回避した。
だが。
続けざまに振り下ろされた鋭い爪が、ミッツーの肩を深く裂いた。
「ぐっ!」
「父さん!」
鮮血が飛ぶ。
ミッツーは片膝をついた。
左腕がうまく動かない。
それでも立ち上がろうとする。
「まだだ……!」
だが、呼吸は荒い。
フィーネの胸に、冷たい恐怖が走った。
ルナを失った時のような、どうしようもない不安。
失いたくない。
絶対に。
⸻
「父さん!」
フィーネはミッツーの前に立った。
剣を構える。
耳は真っ直ぐに立ち、青い瞳には強い光が宿っていた。
「下がってて」
「フィーネ……」
「ずっと、父さんが守ってくれた」
風の中で、灰色の髪が揺れる。
「今度は、私が守る番!」
グリフォンが急降下してくる。
フィーネは魔力を集中させた。
「《アクセル》!」
身体能力強化。
視界が鮮明になる。
時間がゆっくり流れるように感じた。
さらに詠唱を重ねる。
「《アイスランス》!」
氷の槍が翼を貫く。
バランスを崩したグリフォンの懐へ、一気に飛び込む。
「《サンダーエッジ》!」
剣に雷をまとわせる。
そして全身全霊の一撃。
「はあああああっ!」
閃光。
衝撃。
雷鳴のような音。
グリフォンの胸を深く斬り裂いた。
「ギャアアアアアッ!」
魔獣は大きくよろめき、断末魔を上げて地面に倒れ込んだ。
やがて、その巨体は静かになった。
⸻
渓谷に静寂が戻る。
フィーネは肩で息をしながら、すぐに振り返った。
「父さん!」
駆け寄り、膝をつく。
「《ヒール》!」
淡い緑の光が傷口を包む。
深い傷はゆっくりと塞がっていった。
ミッツーは苦笑した。
「……見事だった」
フィーネの目には涙が浮かんでいた。
「怖かった……」
声が震える。
「父さんに、何かあったらって……」
ミッツーは右手を伸ばし、優しく頭を撫でた。
昔と同じ、大きくて温かい手。
「強くなったな」
フィーネはぽろぽろと涙をこぼした。
「父さんが、育ててくれたから」
⸻
帰り道。
夕陽に染まる街道を、二人はゆっくり歩いていた。
ミッツーの肩にはまだ包帯が巻かれている。
フィーネはいつもより少しだけ近くを歩いていた。
「今日、わかったの」
胸元のロケットペンダントに触れながら、フィーネは言う。
「私はずっと、父さんに守られてた」
ミッツーは静かに耳を傾ける。
「でも、これからは私も父さんを守る」
フィーネはまっすぐ前を向いていた。
「ずっと、一緒に旅するために」
ミッツーは少し目を細めた。
頼もしくなった背中。
それでもまだ、自分を見上げて笑う大切な娘のような存在。
誇らしくて、少しだけ胸が熱くなる。
「頼りにしてる」
その言葉に、フィーネの耳がぴんっと立った。
「まかせて!」
夕暮れの風が二人の間を吹き抜ける。
十年前、森で出会った小さな少女は、もう立派な冒険者になっていた。
それでも。
振り返った笑顔は、あの頃と変わらない。
青い瞳をきらきらと輝かせて。
「父さん、次はどこ行く?」




