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瑠李が家族になってからというもの、滝夜叉姫はとても心が穏やかな日々を過ごしていた。弥和に悪意持つものは、近づいただけでモーリーのお守りによって弾かれて吹っ飛ばされる。弾かれなくても、あまりよろしくない存在は、瑠李が大猫又に変化したりして守っているからだ。
ただ、昔から気になっているのは対人間だ。そもそも弥和以外の人間に、滝夜叉姫やひかりは見えていないのだ。つまり、そばに居ても気付かれないから守ろうにも守れない。二十歳をすぎて、大人と分類される年頃だが何年経ってもそこが気がかりだ。
『なら、僕に任せてよ』
『……何をする気だ?』
『まあまあ。任せておいてって』
どうにかできないものかとため息を少しついただけで、瑠李は任せろ任せろと姫に言ってくる。なんだか少し嫌な予感がするが、胸を叩きながら言うものだから試しに任せてみた。
結果はそんな会話をした数ヶ月後に判明する。
「瑠李、なんでキッチンカーなんてやっちょるの?」
滝夜叉姫は飲んでいた珈琲を吹き出した。服装こそ、平安装束を身につけてはいるが長年弥和と行動を共にしている。キッチンカーがどんなものでどんなことをするのか、分かっているのである。
なんと瑠李は、人間の若い男性に化けて弥和の職場近くの公園でクレープ屋のキッチンカーを始めた。なんでも江戸の頃、人間に化けて団子屋を切り盛りしていた事があるんだとか。弥和は当時の話を聞きたがったが、今そんなことはどうでもいい。瑠李が最近昼間に居なくなっていたのは、キッチンカーで働いていたからだったのだ。
『僕が弥和の近くに居れば、弥和に害を及ぼしそうなやつが事前にわかるでしょ?』
キッチンカーで働きながら、悪意ある人間を見つけて実害があれば対処するつもりらしい。
「そんな心配しなくても、職場の人たち皆優しいから大丈夫やと思うよ?」
呑気にご飯の後のおやつを食べながら弥和は呟いたが、そうだねなどの返答は瑠李から出てくることはなかった。美味しい本日のおやつに夢中な弥和はそんなことにも気が付かなかった。
弥和の職場は、図書館である。昔から本が好きだった弥和は、大学を卒業してから見事幼いころからの夢を叶えたのだった。図書館という場所も伴っているからか、同僚たちにはとても恵まれている。しかし、弥和が知らなくても周りが大変なときだってある。
「来たな……」
「堂上さん、聞こえますか? 少しおつかいを頼みたいので、閉架書庫で待っていてください」
見目がいい方の弥和を狙ってやってくる不届き者が、実は後をたたないのである。弥和が自分への視線に気が付かないのをいい事に同僚たちはブラックリストを作成している。そして、リストに入っている人物が来ると今のように弥和を避難させているのである。
滝夜叉姫やひかりは、たまに彼らを激励しに来ているのである。もっとも、二人の事は同僚たちには見えないのであるが。
本日弥和を狙って襲来したのは、一番厄介な人物だ。色んな意味でたちが悪い、と思われている。
「ねえ、今日は堂上さん居ないの?」
「僕はシフトの関係で今来たので分かりませんね。それに、知っていたからといって同僚のことを利用者の方に簡単にお話できません」
同僚のひとりーー林は自分の体格の良さと顔の良さを武器にして弥和の情報を渡さなかった。シフトなんて、真っ赤な嘘。昼には、弥和を含めた休憩が被ったメンバーで食堂に行っている。
「林くん、僕はね親父の部下である堂上さんとも仲良くしたいだけなんだよ。人の恋路の邪魔をしないでくれないか?」
「本当に知らないだけですよ」
たちが悪い原因は、館長の息子だからである。あと無駄に顔がいい。口が達者なようなのでホストなんて向いてそうだ、と林は分析しているが。
林はこの男が苦手である。興味もないくせにわざわざ絶妙にレア度の高い本を女性職員に探させて、時間を独占するのだ。彼の恋人もその被害に合ったことがあるので、弥和の事は他人事ではないのである。林にとって弥和は、初めての後輩なので。
彼の父親である館長は、とても良い人で息子対策としてインカムを全職員に持たせてくれたのである。息子が襲来したらこれで避難したりさせたりしてくれと。別に、館長も館長の奥様も特に息子を猫可愛がりしていないので不思議なのだ。
「まあ……堂上さんおらんし、帰ろうかな」
帰れ帰れー。
心の中で職員たちは大合唱した。館長もである。息子が来ると職員たちの士気が下がるし、他の利用者もなぜか減るのだ。迷惑でしかないから来るなと再三言ってるが伝わらない。
「林さん、館長さんお待ちどうさまです!」
息子に疲れた彼らを癒すのは、最近来るようになった移動販売のクレープ屋だ。風になびく黒髪は猫っ毛でふわふわしていて、中性的な人懐こいクレープ屋を彼らは気に入って可愛がっていた。
「瑠李くんありがとう……」
「……館長さん、大丈夫すか? 元気ないですね」
「瑠李くんが息子だったらなあ……」
柔らかい瑠李の声に、館長の目から涙がほろり。こんな息子だったら、職員にも利用者にも迷惑をかけないだろうと思った。まだ知り合って数ヶ月しか経っていないが、彼が誠実な男なのは二人とも理解していた。
思わず涙が出た館長に、林は慣れた手つきでハンカチを差し出した。瑠李が来るようになってから館長が涙脆くなったのだ。厳格だが子どもに好かれる館長は、林の憧れである。
館長の読み聞かせ会は、子どもたちだけではなく親達にも人気でいつも整理券を配布して対応するくらいなのだ。
「なんかあったんですか?」
「ああ……。息子さんが堂上さんに付きまといちっくだからね」
「そうなんすか? あ、もしかしてあの人かな? 一度だけクレープ買ってくれたけどすぐ後ろにいた女性にあげてました」
「ソレ、うちのだね……」
遠い目をして、館長が答える。実の息子に対して、ソレ呼ばわりとは……。女性に対して良いところを見せようとして、何かを突然奢ったりするのは学生時代から変わらない。
今のところ、弥和にそのアプローチが一切効いてないのが唯一の救いだ。
「そういえば、瑠李くんって堂上さんの従兄弟なんやろ? 時間ある時とか行き帰り一緒にとかできんかな?」
「えー、ねえちゃんと一緒?! おれ、息子さんに睨まれません?」
恨まれたくないー! と苦い顔をして瑠李が言う。今日クレープを買いに来たのは癒しを補充するためと、このお願いをするためだったりするのだ。
「大丈夫やって。聞かれたら従兄弟だって本当の事言えばええんやから」
「そうそう。変なことはしてないんやからさ」
「じゃあ、ねえちゃんに聞いてみてから決めます……」
少ししょんぼりしてしまった彼には悪いが、これが今は一番いい方法なのである。実は、館長と林だけの考えではない。瑠李が二人に一番懐いていて仲が良いから伝える役を任命されただけで、職員全員の総意だったのだ。
女性と一緒にいると舐めているのか、他のブラックリスト入りの者たちも寄ってくる。職員の男性陣と歩く訳にはいかない。しかし、従兄弟であれば一緒に出勤してもおかしくない。瑠李はここでクレープを売っているのだから、一緒に来たと言うだけでも牽制になるだろう。というのが、他の職員たちの考えである。
「あ、もう休憩時間終わる! またね、瑠李くん!」
「午後も頑張ってください!」
慌てて館内に戻る二人を見送る瑠李の目の奥が、一瞬だけ《猫目》に変化する。戻った二人も、並んでいるお客さん達も、誰もそんな事には気づかなかった。
『ふーん……。アイツが、ねえ?』
呟いた言葉は優しい風に乗って、どこかへ飛ばされていく。ここでは無い、どこか遠くへ。
「あ……。あの、五番のクレープ下さい」
「はい! いつも、ありがとうございます!」
《猫目》も一瞬すぎて、いつもの可愛くて人懐こいクレープ屋に戻った瑠李はニコリと笑っていた。




