7
キツネの呪い事件から数ヶ月が経って、ようやく弥和の聴力が普通レベルに戻ってきた。下関に戻ってしばらくは遠くの人が話している会話がクリアに聞こえてしまい、仕事にも支障をきたしてしまっていた。仕方がないので、ライブ会場などで重宝される耳栓を買って対応することにしていた。
職場の人たちはなぜか、弥和の不思議体験を容認している。どういう事に巻き込まれたのか聞いてくる人もいるくらいだ。
なんでもかんでも聞こえすぎてしまうので、耳栓はちょうどよかったようだ。モーリーがくれたお守りは効果てきめんで、以前のように良からぬ存在から弥和を守ってくれていた。
滝夜叉姫は、モーリー達にお礼の手紙と下関の名物お菓子を届けたくらいである。
モーリー達、九尾の一族も灯音の郷から少し離れたところに新たな郷を作って暮らし始めたようだ。もちろん、あの時の末の子もそこで眠っている。
しかし、一難去ってまた一難。弥和はまた、問題を連れてきた。いや、今回は連れて帰ってきたという表現が正しいかもしれない。
「姫、私この猫飼いたい」
仕事から帰ってくるなり、弥和は一匹の黒猫を滝夜叉姫に会わせた。姫は猫を見るなりとても嫌な顔をして、黙り込んでいる。いつもだったら怒ってくるのに、予想と違う反応である。
「あれ? 姫、猫好きやろ?」
『ああ、嫌いではないぞ』
「じゃあ、この子飼ってもええやろ?」
『……だめだ』
弥和はとても不思議だった。弥和の知っている滝夜叉姫は、猫や犬だけではなく色んな動物たちに好かれるヒトだった。彼女も寄ってくる動物たちに優しい眼差しを注ぎ、頭などを撫でてやるようなヒトなのだ。
それなのに、何故か今回は許してくれない。元の場所に戻してこいの一点張りである。
『ただいま』
猫を囲んでいると、座敷わらしが蒼葉や灯音たちの郷から帰ってきた。彼女は滝夜叉姫からのお礼の手紙を持っていってくれていたのだ。
「あ、おかえり。ねえ、この猫飼いたいんやけどさ……」
『もう妖怪はだめです』
「え?」
この黒猫のどこが妖怪なのだろうか。仕事終わりにこの子を見つけた時だって、ちゃんと猫の鳴き声だった。それに、モーリーから貰ったお守りにこの猫が嫌な雰囲気を出すこともなかったのだ。だから普通の猫だと思って連れ帰ってきた。
『それ、猫又よ。しかも弥和に対してというか、人間に悪意がないけどね。だから、別に九尾のお守りが効かなかっただけでしょ』
今まで大人しく弥和の膝に乗っていた黒猫は、ため息を着くと宙を舞った。すると、今まで一本だったしっぽは二本になった。
『せっかく、普通の猫として飼ってくれそうな人間に逢えたのに……。座敷わらしと滝夜叉姫さまがいるなんて聞いてないよ!』
幼い男の子ような声をして、黒猫がぷんぷん拗ねる。かわいい、とっても可愛い。
『それで、なんで姫は猫又に突っ込まなかったのよ。気づいていたでよ? 分からないわけ、ないでしょ?』
『だって……。かわいかったから』
「『ああ……』」
二人は納得した。つまり、弥和に対して悪意を持っていないし可愛いしで見逃してやろうと思っていたのだ。なんとも動物好きの滝夜叉姫らしい思考回路である。
『ひめさま、僕を姫様の猫にしてください。きっとお役に立てますから』
流石は、長年生きている猫又というべきだろう。標的を弥和から滝夜叉姫に変更したのである。
結果として、猫又のその判断はとても正しかった。心を掴まれた姫は、猫又に尋ねた。
『お前も察しているだろうが、弥和は普通の人間とは違う。見えざる存在が見えるし、話もできる。わらわは弥和を生涯守っていかねばならんのだ。そなた、着いてこれるのか?』
『ああ、九尾の気配がするのは、そのせいなのか。大丈夫だよ、ひめさま。僕これでも変化は得意だから情報収集もできるし、一時期は神として祀られてたこともあるから戦いにも向いてるよ』
なんて素敵な戦闘要員だろうか。反対派だったはずの座敷わらしも心を掴まれた。彼女はもっぱら情報収集要員なので、滝夜叉姫だけが戦う事になるのがずっと心苦しかったのだ。しかも、目の前の猫又は元・神様と言うではないか
「元・神様ってことは、良くないモノを祓うとかできるん?」
『当たり前だろ、神さまだったんだから』
『『採用!』』
弥和の問いに答えた猫又は、家族になることを許された。しかし、自分の持っている力にしか魅力を感じられていないような。なんとも複雑な気持ちになった。
猫又は、普段は滝夜叉姫と行動を共にすることにしたようだ。戦闘要員兼祓い屋の扱いである。猫又、だと呼びずらいので瑠李と名付けられた。本人も喜んでいるのでいいか、と弥和は思った。
しかし、瑠李の呼び名で異議を唱えた者が一人いた。座敷わらしである。
『こんなに協力してずっと一緒にいるのに、娘呼ばわりは気に食わない! 瑠李がそう呼んで貰えるなら私もちゃんと呼んでよ!?』
ずっと溜め込んできていた不満だったのだろう、涙目になりながら姫と弥和に訴えている。そんな可哀想な座敷わらしに、同情した瑠李は二人に懇願した。
『僕も、ねことかって呼ばれて複雑なことが多かったよ。だから、このヒトの事もちゃんと呼んであげて欲しいです』
滝夜叉姫も弥和も、何も悪気があって「娘」と呼んでいた訳ではない。そもそも、元々妖怪である座敷わらしは真名、本当の名前をむやみに知られてはならないのだ。妖怪だけではない。神という存在にもそれは適応されるのだ。
古来からの、暗黙の了解というものだった。だからこそ、複雑な気持ちになりながらもここまで我慢してきたのだ。滝夜叉姫や晋作たちは元は人間であり、そもそも真名が適用されなかっただけなのだ。
「分かった。でも流石に真名を聞く訳にもいかないし、呼ぶ訳にもいかないから勝手に考えていい? 嫌だったらその都度言ってよ」
『ありがとう!』
座敷わらしは相当嬉しかったのだろう、まだ呼び名を決めてもないのに飛び跳ねている。飛び跳ねるたびに、本棚から本が出てくるポスターガイスト現象が起きている。嬉しさゆえの行動なので、放っておくことにする。
「決めた、ひかりはどう?」
しばらく黙り込んで考えていた弥和が口を開いた。着物が太陽の光に照らされると柔らかく輝くから、ひかり。
『ありがとう、気に入ったわ』
座敷わらし、もといひかりは嬉しそうに笑った。ひかりを祝福するように、庭の木がさらさらと風になびいた。
『あ! これからは、弥和だけじゃなくて姫も私をひかりって呼ぶんだからね! 絶対よ』
『分かってる、分かってる。ちゃんと呼ぶから着物を引っ張らないでくれ。布が痛むだろう』
初めて滝夜叉姫と会った時に名乗ってすらいないうちから「娘」と呼ばれることが暗黙の了解になった事を言っているのだろう。自分だって三回呼んだ辺りから普通に返事をしてきていた癖に。
この事を言えば、また文句が倍になって飛んで来そうなので滝夜叉姫は沈黙を選んだ。
「あんなに喜んでくれるなら、もう少し早く呼び名をあげれば良かったかな」
ひかりは早速、座敷わらしの郷や、全国各地を回ってくると言って消えた。おそらく、名前を貰ったことをみんなに自慢しにいったんだろう。今回は、一週間は戻って来ないかもしれない。
『まあ、今回は本人が欲しいと言ったからな。何も言われていないのに勝手に名付けるのも考えものだ。誰でも簡単に名付けたりするなよ』
『それはひめさまが正しいぞ、弥和。中には名付けられると、力を増すモノだっているんだ。これっきりにした方がいい』
姫の膝の上で寛ぎながら、瑠李が姫に加勢する。拾ってきたのは弥和なのに、滝夜叉姫と長年を共にしてきた相棒みたいだ。
「名前が着いて力が増したら、なんでダメなん?」
『本人が悪いことに力を使う訳じゃないんだ。妖力があることを知った人間が力を使わせるかもしれない。力を使いたくない、人間を傷つけたくないモノが可哀想だろう』
我が家の元・神様は心優しい黒猫だ。案の定、当日中にはひかりは帰宅しなかったのでそれぞれ布団で寝ることになった。
しかし、滝夜叉姫と弥和のどちらと瑠李が一緒に寝るかで一悶着あった。
勝者は、滝夜叉姫である。これからは、瑠李が二人と交互に寝ることで決着がついた。




