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狐の郷に着くと、灯音とは顔つきも毛の色も違う狐が走ってきた。そのキツネはよく見ればしっぽが九尾ある。おそらく彼女が九尾の長なんだろう。
本当に急いできたのだろう、勢い余ってしまい目の前で転けてしまった。長を追いかけてきたお付きのキツネたちが、甲斐甲斐しく立たせている。
『灯音……!! 私を置いていかないで……!』
『あー、ごめんごめん。モーリーったら、全然起きないんだもの』
『当たり前でしょ?! 郷に着いたの何時だと思ってるのよ!』
『確か……2時?』
それはモーリーとやらが遅い訳じゃないだろうに……。やっとの思いで逃げてきてゆっくりもさせて貰えないのは流石に可哀想である。お付きのキツネたちの表情を見るに、止める間もなく松蔭神社に来たことが分かる。4時に来たことは、だまっておこうか。
『蒼葉』
『滝夜叉姫さま、なんでしょうか?』
『……もしかして、灯音はせっかちなのか?』
『本人は無自覚です』
『……そうか』
朝の4時に訪ねて来た理由が、今分かった。狐とはみんなせっかちなのだろうか?
『滝夜叉姫さま、せっかちな狐は灯音だけです。他の者たちは、モーリーと同じく普通ですから大丈夫です。安心してください』
『私は他の狐も知っているけれど、あれほどではないわね』
心の声が聞こえたのか、蒼葉と娘が親切に教えてくれる。そんな話をしている中でもモーリーと灯音はまだ騒いでいた。
……灯音の背に、弥和を乗せたまま。
弥和も弥和で、2人の言い争いをずっと静かに聞いている。余程、灯音の背中が居心地いいらしい。時折、顔を毛並みに埋めてフガフガと匂いを嗅いでいる。それが分かっているだろう灯音は、ニヤつきが止まらないようだ。
蒼葉の背中も居心地がいいので、姫もまた、蒼葉の背に乗ったままであるのだが。蒼葉も何も言ってこないし、無理に降ろすこもないのでしれっとそのままである。
『灯音! モーリー! もうその辺にしておけ。灯音は弥和さまをとりあえず降ろせ。弥和さまが困るだろうが』
『ん?! あれ?! 蒼葉じゃないか?! ……その方は?』
『モーリーと言ったか。滝夜叉姫と言う、弥和の世話係のようなものだ。今日は時間を取ってしまい申しわけない』
蒼葉が仲裁に入ったことで、弥和は灯音の背中から降ろして貰えることに成功した。呼び捨てのところを見ると、蒼葉とモーリーもまた幼馴染なのだろうと推測する。
姫を見ると、モーリーは慌てて居住まいを正して挨拶を始める。
『滝夜叉姫さまですね。お初にお目にかかります。九尾の長でモーリーと申します。この度は我が一族の者が本当に騒がせ致しました。弥和さまに関しましては申し訳ございません』
『こちらこそ、勝手に埋葬して勝手に呪われてしまい申し訳ない。手を煩わせたな』
なんだか弥和から不満そうな視線を感じる気がするが、気の所為だろう。だって姫は今、事実を言っただけなのだから。
『まあ、挨拶も済んだみたいだし中に入りましょう。呪いをここで解く訳にもいかんでしょ?』
灯音の一言で、灯音が住んでいるという屋敷に案内される。他の狐たちは予め話を聞いていたのだろう、弥和を痛ましいものを見るような視線を送っている。彼らからすれば、何もしていないのに呪いを受けてしまった可哀想な人の子という認識なのだろう。
彼らには悪いが、本人が悲観を一切せず楽しんでいるので気にするなと言ってやりたい。
『さて、モーリー。弥和さまの呪いを早く解いて』
『あ、灯音……。わらわ達は怒っているわけではないぞ……』
灯音の部屋に着くやいなや、灯音はモーリーを急かした。弥和さまが可哀想だ、これでは家に帰れないではないかだのとそれはもうネチネチと。
モーリーの耳が垂れて可哀想なことになってしまっている。
『……蒼葉』
なんとかできないものかと、座敷わらしは蒼葉に助けてやれと視線を送ったのだが。
『申し訳ありません。ここの部分に関しては私も灯音と同意見ですので助けられないのです』
『そ、そうか』
獣の世界にも、人間社会と同じくルールがあるという。主には、人間に悪さをしては行けないとか、他の種族に対して迷惑を掛けてはいけないとか。特に罰せられるとかはないものの、とにかく細かく古来から付け足しながら存在しているのだという。
蒼葉から説明を受けている間も、モーリーはまだ灯音に責め続けられている。
『まあ、今回は不可抗力であっても、ルール違反にはなるからあれは仕方ないわね』
つまり、灯音の気が済むまで言わせておこうということだ。娘からしても、悪意はなくても実害が出ているのだから仕方ない。むしろ、これだけで済んでいるだけマシなんだとか。
『灯音、そろそろいいだろうか?』
『滝夜叉姫さま、すみません。お待たせ致しまして』
『いや、そなたが弥和のためを思って言ってくれているのは充分に分かっている。ありがとう、礼を言う』
『あの……。そろそろ、呪いを解かせて頂いてもいいのでしょうか?』
モーリーが恐る恐る聞くと、元気な声で弥和は言い放った。
「この姿が終わっちゃう前に誰か私の今の姿を撮っといてほしい!」
『はいはい、撮るわよ』
深く聞かずに記念撮影を始める座敷わらし、そうですね記念になりますねとデレデレする灯音、もし弥和が悲観していたらと心配していたが楽観的なのを見てポカンとするモーリー。
そして、彼らを見ながら揃って遠い目をする姫と蒼葉の図が出来上がった。
お茶と菓子のお代りを持ってきた、お手伝いをしている狐はその様子を見なかったことにした。流石、仕事ができる者は違う。
弥和が満足して、モーリーは何処からか出した御札を弥和に貼った。すると、徐々にケモ耳、しっぽ、手の順で元に戻っていく。
『弥和さま、どこかおかしな所はありませんか? 気分が悪いとかあれば教えてください』
「んー。すごく悪いわけじゃないけど、なんか遠くの音がまだ聞こえるかも?」
『……呪いの後遺症かもしれませんね。予備の御札がありますから、お渡ししておきます。何かあればこれを1枚、おかしいと思うところに貼ってください』
モーリーは、予備だと言って十数枚はあるだろう御札を姫に持たせてきた。弥和に渡したらダメだと既に判断したようだ。その判断は大当たりである。弥和に管理させようものなら、気付いたらどこかに落としてしまう事になりかねないのだから。
「ねえ、モーリーさん。聞いてもいい?」
『はい、弥和さま。なんでしょうか?』
「モーリーさんたちの一族って、日本のキツネじゃないんでしょ? ても今私たちは普通に話せてる。動物にも人間みたいに国ごとに言語が違うとかはないの?」
『ああ! ここの郷の食べ物や水を飲んだのでその影響ですね。国によって言語は違いますが、私たちも妖怪。その妖怪の住む郷にはさまざまな言語が通じるようになる力が宿っているのです』
その話なら、姫は以前晴明に教わったことがある。険しい表情で、そんな力を持たなくてもいいのにとボヤいていた。姫は純粋に、そんな事があるなんてと目を輝かせたが、晴明には食べてはいけないと言われ続けたため食べた事はない。
少し食べてみたいが、着物の裾を娘に掴まれてしまったので叶わないようである。座敷わらしとは、晴明とも通じているのだろうか。今度くわしく聞いてみたいものである。答えてくれるかは、別として。
「それ、私みたいにみんなと話せない人間が食べたらどうなるん?」
『あー……。前例がないので、私もなんとも言えませんね。蒼葉は知っちょる?』
『いや、さすがに聞いたことがないな』
弥和は、良からぬことを企んだ人間が食べてしまった最悪の事態を心配したようだ。
『それなら、私聞いたことあるわよ。各地に派遣される前に、座敷わらしの長老に色々と叩き込まれるの。まあ、人間で言うところの研修かしらね』
妖怪、特に狐や狸といったような集団で【郷】を作って生活している者たちには他の国にも仲間がいることが多々ある。人間社会と同じく、国が違えば言語も異なってくる。古来から異なる国でも助け合えるようにと、とある神様の計らいでその郷の食べ物に不思議な力が与えられた。それが、今回のような言語の力なんだそうだ。
食べ物だけではなく、郷の湧水にもそういう力があるのは怪我や病に倒れた者でも大丈夫なようにされているとか。
随分と妖怪に心優しい神様がいたものである。陰陽師たちのように祓おうとする人間が多いのに。
『そこは、長老にもよく分かっていないと言われたわね。ただ、神様の作られたものだからむやみに獣だからと危害を加えてはならないって。獣たちにだってネットワークがあるから、本当に困った時は種族関係なく協力させるのが目的なのかもね』
今回のことなんてまさに典型的な協力だもの、と出されたお菓子を食べながら説明する。協力できたからこそ、弥和は聴力こそ少し怪しいが人間の姿に戻れた。もしかしたら、そういうことにしたという神はこういう事態が起きても大丈夫なようにしていたのかもしれない。
獣化を解くという当初の目的も達成し、萩から下関に帰ってきた。今度はモーリーと灯音も一緒である。弥和が埋葬した森の中に、一行はやってきた。末の子を連れ帰る為である。
埋葬した、とされる場所には可愛らしい花が供えられていた。身近にあって可愛かったからと言った弥和に、モーリーは泣きながらお礼を言った。
「ねえ、モーリーさん。一個お願いがあるんやけど」
『なんでしょう? 私に出来ることでしたらなんでも言ってください』
「あのね。モーリーさんや、九尾の一族しかできないことなの。その末っ子ちゃんって、どんな子やったか教えてくれる?」
モーリーは、ハッとしたように涙ぐんだ。本来であれば、末の子が亡くなって悲しんでよかったのだ。そもそも、最初から弥和はモーリー達一族や自分に呪いを掛けた末の子に怒ってすらないのだから。
モーリーは、ポツポツと末の子について話し始めた。その間、弥和はモーリーの背中を擦りながら優しく相槌を打っていく。
長である自分にもビビらないで話してくれた事。郷にある学校で何を習ったか、テストでとても良い点数を取れたことなどなど。笑顔がとても、可愛らしく賢く郷のみんなに愛されていた事。
本当は自分の跡継ぎにしたかったとモーリーが泣くと、灯音は顔を逸らした。彼女も同じ長だ。きっと、痛いほど気持ちが分かるのだろう。
『弥和さま、本当にありがとうございました。また、落ち着いたら遊びにいらしてください。今度は子供たちと遊んでやってください』
「うん、灯音さんありがとう。今度行くね」
灯音とモーリーが郷に帰る際、モーリーは弥和に何かが入っている巾着を手渡してきた。中から九尾の気配がする。
『弥和さま、これは私の毛を入れ込んだお守りを入れております。どうか肌身離さずお持ちください。今回のように、よくない存在から守る為のものです』
『モーリー、いいのか?』
『これくらいしかできませんが……。弥和さまに何かあった時、これを
通じて滝夜叉姫さまが察知できるようになっています』
『ありがとう、恩にきる』
なんて素敵な代物をくれたんだろうか。女神とはこういう存在の事を指すのだろう。
「これ、普通にいつも使うカバンとかに入れるだけでいいの?」
『いえ、中身を首から下げてください。ネックレスになっていて、他の人間たちには視認できないようになっていますから。ただ、弥和さまに対して悪意を持って近づく妖怪にだけ効きますよ』
「ありがとう!」
姫たちを見て、他にも仲のいい、見えざる存在がいると思ったのだろう。良からぬモノだけを遠ざけてくれるのは、とても助かる。
灯音とモーリーは、仲良くキツネに変化して森の中に消えていった。
とある森の奥深く。
寝殿造の屋敷では美しい十二単姿の女性と本に出てくるような陰陽師の格好の男性が、鏡の中を覗いている。鏡の中では、弥和が滝夜叉姫や平家一族たちと笑いあっている映像が流れている。
『……我が出るまでもなかったか』
女性は、少し拗ねたような声色で呟いた。鏡を文机に起き、彼女は御簾を上げて部屋を出る。小さくため息を付きながら、夜空を見上げる。
満月が優しく、そして悲しく輝いている。
『あの子にも会いに行かねばな……』
夜空に輝く月は、彼女の呟きを聞いていた。
『母上、あの子の事は姫に託したのではありませんでしたか?』
男性は、彼女の隣に立ちながら問いかける。
『託したのと心配するのとは、種類が違うではないか』
『それはそうですが。九尾にも気にいられたようですし、護りは万全になりつつありますよ』
そうだけど〜と、まだ拗ねている様子の女性に男性が言う。
『今度、姫に手紙を出して会わせて貰えばいいのですよ』
『そうする!』
女性は早速、姫ーー滝夜叉姫に向けて手紙を書き始めた。




