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流石、というべきだろう。考えていたよりずいぶん早く萩に到着した。
『すまぬな。話している間はここにいてくれ。帰りはもう少しゆっくり帰ろう』
頑張ってくれた馬を撫でてやれば、嬉しそうに目を細めている。この子に乗っている時は、弥和のことも周りの生きている人間たちには見えないようで騒がれなくて助かった。
「あれ……。ねえ姫、ここどこ?」
結局、萩に着くまで起きなかった弥和が、やっと起きた。本当に、一度も起きなかった。なのに、馬から落ちる様子は一度もなかった。実は起きているんじゃないかと、馬と一緒に疑っていたのだが、大きな寝言で疑いがすぐに晴れた。
『萩に着いた。早く降りないと置いていってしまうぞ』
「待って、降りる。降りるから置いていかないで」
弥和は何故か幼いころから、吉田さまのいる松蔭神社が苦手だ。いつも顔を引き攣らせながら参拝する。自分でも理由が分からない、松蔭先生は優しいのになんだか苦手なのと泣いていた事だってあるのだ。
もしかしたら、前世でなにか因縁があったのかもしれないと"あの方"に聞きに信太の森に行ってみたがお会いできなかったのだ。お会い出来なかったということは「聞くな」という意思表示だったのかもしれない。
『待っておりました。滝夜叉姫、弥和』
『ああ。急に申し訳ないな、吉田さま』
『いえ、いつでも来てくださって構いません。それで、どうされたのですかその獣の手は?』
笑っているが、目が笑っていない吉田さまを見て弥和が後ろに隠れてしまった。気持ちは分からなくもないのだが……。
『弥和、貴方を責めているのではありません。その手にした良からぬモノに対して憤りを感じているのです』
「でもね、先生。あの子も可哀想だったんよ。車に轢かれて……」
何があったのか、弥和は語り始めた。せめて弔ってやりたかっただけなのだと。気持ちは分からなくもないのだが。
『貴方のその心はとても優しく聡明です。貴方の長所でもありますね。しかし、だからといって取り憑かれたままという訳にはいかないでしょう。その手で生活、できるのですか?』
「できません」
『でしょうね』
流石は吉田さまだ。弥和も苦手と言いつついつも吉田さまの言うことは聞くのである。弥和の中で、吉田さまの言うことは正しいとなっているようなのだ。苦手なのは、そういう思いからなのではないか、と少しだけ滝夜叉姫は考えている。
『吉田さま、コレが祓えるか?』
『いいえ、私にそんな力はありません』
『晋作がここを指定してきた。祓えなくても、貴方なら何か策があったりするのではないか?』
何も検討がつかないのに、晋作がここを指定するとはどうしても思えなかったのだ。きっと自分の師に策がある、もしくは祓える知り合いがいることを晋作は知っているのだ。
でないと、あんなに早く事態を把握した上で指示など出せないだろう。
『滝夜叉姫、祓えるかどうかはその力がある者がこれを見ないと判断できませんよ。私は今から知っている存在に弥和のコレについて連絡してきます。少し時間がかかりますからお菓子でも食べながら待っていてください』
『有難う、吉田さま』
『2人にお菓子とお茶を』
吉田さまと入れ違いに入ってきたのは、狸の子供だった。まだ上手く人間に化けられないのだろう。耳としっぽがそのままだ。
『狸、有難う』
声を掛けると顔を赤く染めてどこかに走っていってしまった。上手く化けているつもりで自信があったのかもしれない。悪い事をしてしまったと少し反省する。後で吉田さまに謝っておこうと心に決めた。
お茶が急須から無くなりかけた頃、吉田さまは戻ってきた。心做しか着物が乱れているように見えた。弥和のために奔走してくれたようだ。苦手意識を持たれているのが可哀想に思えてくる。
『遅くなってしまい、大変申し訳ありません。色んな方に聞いてきたのですが、皆さん何故かやりたくないというもので……』
『は? 何故じゃ?』
「私、ずっとこのままなの?」
『一応どういうものを祓ったらいいか分かればと、弥和の手の毛を数本抜いて持って行ったのですよ。禍々しいと思っていたのですが、皆嫌な顔をして話もろくに聞いてくれずこんな時間になってしまい……』
そんなに力のあるモノに気にいられてしまったのか。自分が側にいながらなんて事になってしまったのか。"あの方"にも合わせる顔がない。
俯いてしまった滝夜叉姫を見て、弥和は自分が埋葬したキツネの事を思い出していた。どこか懐かしい気持ちになって、「きちんと埋葬しなければならない」と思ってしまったのだ。
今から考えればその時点でおかしかったのだ。
「松蔭先生、昨日の埋葬したキツネなんやけど」
『うん? 何かあったのですか?』
弥和は、思い返して感じることを二人に伝える。吉田さまにとっても、滝夜叉姫にとってもこんな事は初めてでどうしたらいいかわからないのだ。
『あの、自分にも見せてもらえませんか?』
『おや、りん。長老を連れてきてくれていたのですか』
『はい、同じ獣のようですし何かわかるかもしれないと思って……。余計なことだったら申しわけありません』
『そんな事はない。そなたの気持ちが我らはとても嬉しい。ありがとう、りん』
褒めてやると、お茶を持ってきてくれていた狸ーーりんは長老だろう高齢の男性の影に隠れてしまった。恥ずかしがり屋な子のようだ。
『わたしは、この地域に根城を構えている狸一族の者です。娘が今日帰ってきたかと思えばキツネの気配に纏われて困っている人がいると騒ぐので、代表してやってきました』
長老は深々と頭を下げ挨拶してくれる。昔から狸は人を化かすというが、人に好意的な者も多いのだ。"あの方"のようだと思った。
『弥和さま、ですね。獣に触れられるのは嫌かもしれませんが少し手を見せて頂けませんか?』
「長老さん、あのね? 私こういう体質やからこそ言うんやけど……。長老さんとりんさん達の一族は大好きなの。昔ここに来て迷子になった時に、助けてくれたの長老さんじゃない?声が変わってないから分かるよ。いつもありがとう」
笑顔でお礼を言われた長老は、ハッとしたように驚いた顔をした。この一族は本当に人をも自分達の家族同然に思っていて迷子を見つけると、そっと助けてやるのだ。
『……覚えて、いたのですか?』
吉田さまは、あの時必死で弥和を探していて、弥和が迷子になったのは自分がきちんと見ていなかったせいだと悔やんでいたのだ。
だからこそ、弥和を見つけてくれた狸一族の長老の娘に勉強を教えたりしているのである。
「松蔭先生もごめんなさい。忘れてたわけじゃないの」
『分かっていますよ、弥和。こちらこそ、目を離して怖い想いをさせてしまい申し訳ありませんでした』
吉田さまは、今までもずっと弥和に謝りたかったんだろう。それを止めていたのは姫とこの狸の長老だったのだ。狸一族には怖い想いをした人の子の迷子の時の記憶を消すのが習わしがあったからだ。記憶もないのに、謝ってこられても困るだろうと言うことで。
『なぜ……。覚えて……?』
『恐らくは、弥和の体質もあるのかもしれぬな。そこはきちんとわらわが"あの方"に聞いておこう。良ければそなたも聞く時に行くか? 直接の方が良かろう?』
『良いのでしょうか?』
『"あの方"の事だ。種族の違いを気にされる方ではない』
「ねえ、姫?」
自分を放置して進んでゆく話を見守っていた弥和が、口を開く。
『どうした?』
「……みんながいつも言っちょる"あの方"って誰?」
みなの纏っている空気が凍る音がミシッと鳴る。ピリついたのを察した弥和が慌てて空気を変えようとする。本当はずっと聞きたかったんだろう。自分を遠くから見守る存在なのだから当然といえば当然だ。
『話していいかお聞きしてくる。許可が出たら教える』
少し俯いた弥和の頭を優しく撫でてやる。
『あの……。お取り込みの所申し訳ないのですが、本題を……』
りんがそっと申し訳なさそうに口を開く。長老も忙しい身だし、長く一族の村を空ける訳にもいかないから当然の主張である。流石は、長老の娘だ。
『重ね重ねありがとう』
そう言うと、遠くでヒヒーンと晋作の馬が鳴いた。外はもう、夕陽が海に傾いて空が茜色と紫色の綺麗なグラデーションに変わっていた。




