19
弥和は体の奥底から何か大きな力が湧き出てくる感覚に陥っていた。それは暖かくて、葛の葉や晴明から感じるものにとてもよく似ていた。
騰蛇や晴明たちは弥和の異変には気がついたが、もうそれはすでに誰にも止められない状態になっていた。
弥和の頭にはふさふさの狐耳、おしりには立派なしっぽが生えていて瞳の色も琥珀色に変化していたからだ。弥和のその姿は若かりし頃の葛の葉にそっくりだった。違うのは、髪の色と長さと服装くらいか。
『ほお……。ここで真の力を発揮するか、狐の姫よ』
何故か愉快そうに微笑む道満が御札を取り出すと、弥和は素早い動きでその御札目掛けて無意識に術を繰り出した。ジュッという音を立てて、御札と道満の衣の一部が焼け焦げる。晴明は驚いていた。修行も何もさせてはいないのに、復讐心だけでここまでの高度な術を弥和が繰り出してきたからだ。
『姫! 一旦やめろ!』
騰蛇と朱雀が二柱がかりで止めることに成功したが、本当に声が届いているかは微妙なところだった。まだ、弥和の瞳が琥珀色で狐耳も狐のしっぽもそのままだ。
『落ち着きなさい、姫よ。怒りのままに術を使ってはいけませんよ』
「……せいめい、さん? わたし……」
晴明が御札を弥和に持たせると、瞳の色が琥珀色からいつもの焦げ茶色に戻る。耳やしっぽはまだ生えたままだが、滝夜叉姫や蒼葉たちは、ホッと息をついた。あのまま、弥和が弥和で無くなるような気がしたのだ。実際に、弥和は高度な術を道満に向けて繰り出した。
『いいですか、姫。しばらくこれを握っておくのです。そして絶対に騰蛇たちから離れてはいけません』
まるで父親が幼子を諭すように、晴明は弥和に言い聞かせた。晴明は密かに決意した。この戦いが終わったら、この子に一から自分の持つ全ての力を教えこもうと。そうしなければ、またこんな事が起こった時にこの子自身が傷ついてしまう。それだけは、避けなければならない。
『おい、晴明。そちらの姫さんに力の使い方などを教えておらんのか? なあ、姫さん。今なら特別に、この蘆屋道満さまが直々に教えてやってもよいぞ?』
「いい。なんか嫌だ」
正気を取り戻した弥和は、道満を一蹴した。まさかそんなに強気で断ってくるとは思わなかった道満はなにやらグサリときたらしい。顔が引き攣っている。
『なっ……?! 俺は晴明とやり合えるほどの人間だぞ?! そんなあっさりと断るのか?!』
「なんかさっきから嫌な匂いしかしないから嫌。晴明さんや騰蛇さん達はいい匂いなのに」
晴明は当時から、衣に香木を炊いていたからいい香りがするかもしれないが、十二天将達は神の端くれ。人間たちのように香木を炊く必要がないし、騰蛇達自身そんな事をした覚えもない。一体、弥和の体にどんな変化が起きているのだろうか。
『姫さん、あんた今自分がどんな姿してんのか分かってんのか?』
少し弥和を挑発するようにして、道満が問いかける。今の晴明の大事なモノはこの姫さんだ。この子をなんとか自分の陣地に率いれたら道満の勝利は確実なものとなる。晴明に大して不信感を持たせれば簡単だと高を括っていた。
「キツネになってるんやろ? それくらい自分の体なんやからわかっちちょるよ。なんでこんな姿になっちょるんかは、今度晴明さんに詳しく聞くから」
否、とは言わせないような黒い笑顔で言い放った弥和を見て、晴明は腹を括ってきちんと彼女に包み隠さず話そうと心に決めた。
道満は焦ってきた。どうしてか、何を言ってもこの狐の姫さんは晴明の事を嫌いになったりしないらしい。そんなに絆が深いのか、この二人は。
死んでしまって霊体になってから、道満は時折気配を気づかれないように晴明の事を監視していた。だからこそ、今回の玉藻前を復活させて自分の駒にするのも簡単だったのだ。彼女は殺生石になって毒を吐きながら晴明への恨み言を言っていたので仲間に引き入れた。全ては、いつの日か自分が復活して晴明に勝つために。霊体なので、生前のような術は使えなかったが殺生石の近くに千年ほどいると霊体でも御札が作れた。その御札が玉藻前が持っていたモノである。霊体のまま作ったので、道満が出てきた時に御札は切れ切れになって使い物にならなくなったが。
月日は流れて、晴明が葛の葉と共に信太の森に隠居してからは、結界の力が物凄くてなかなか近づくことができなかったのだ。だから、【最後の狐の姫】が生まれたという事実しか彼は知らない。その【姫】が今まで誰と、どこで、どんな風に生きてきたのかを全く知らないのだった。
そんな少しだけ勘違いをしている道満を無視したままの弥和と晴明を、一同は少し遠い目をして眺めていた。自分たちは、一体何の為に誰を助ける為に来たのだったか?
みんなのそんな心の声が聞こえてきて、がしゃどくろは非常に闇の国に帰りたい気持ちでいっぱいになった。滝夜叉姫が自分の骨をがっしり掴んでいるのでそれは叶わなかったが。




