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『モーリーよ。楽しいのう』
『はい』
モーリーと見知らぬ美しい女性は、とある部屋で若い九尾達の舞を鑑賞していた。モーリーや舞っている九尾たちの目には光が灯っていないように見える。そんなモーリー達を知ってか知らずか、女性は楽しそうに微笑んでいた。
今モーリーの郷には、頑丈な結界が張られていた。結界を張ったのはモーリーではない。紅音と狐のおやじが、【あるモノ】を郷ごと結界を張り、一時的な封印としたのだ。【あるモノ】の目を盗んで、モーリーが彼に頼んだ。他の誰も、傷つけられないようにしたいのだと。しかし、自分がやるとバレてしまう。どうしたものかと考えていたら、狐のおやじが様子を見に来てくれた。【あるモノ】に対してもおやじは刺激しないでくれた。
結界を張ってもらえないか頼んでいたら、紅音と晋作がおやじを探して郷にやってきた。郷ではおやじが滞在して一日も経っていなかったのだが、どうやら【あるモノ】が何かしたらしい。浦島太郎状態になっていたようだった。そのことにさえ、気がつけなかった。
モーリーは何が起こっているのかを三人に説明した。
新しく郷を作ってしばらくしてからだった。突然、ソレは郷に現れたのだ。日本の十二単衣という平安貴族の装いをした美しい【九尾の狐】。国が違っても同胞であることに変わりはない。モーリー達は彼女を郷に招き入れた。
それが全ての間違いだったのだ。
彼女は長い旅の中で自らの名前を忘れてしまったというので、長であるモーリーが新しく『茉莉』と名付けた。はじめの頃は彼女も他の九尾たちと仲良く過ごしていたのだ。茉莉が郷に来て一ヶ月くらいした時のことだった。茉莉の家に様子を見に行くと、どこから来たのか人間の男性がいたのだ。彼はどうしてだか、目は虚ろでモーリーがいくら呼びかけても全く反応しない。生きた屍のようだった。
『郷の入口で行き倒れていたんですもの。保護したんだわ』
男性の事を問い詰めると、茉莉はあっけらかんとそう答えた。わざと人間が間違っても入って来られない場所に郷を作ったのに行き倒れとはどういうことだろうか。
郷の者たちに聞いてみると、みんな揃って首を傾げた。モーリーもそうだが、人間の気配を感じなかったので。気配を感じなかったこともそうだが、何よりあの虚ろな瞳が気にかかる。少し探ってみようと思っていた。
国から逃れて来た時に持ってきた、先祖代々の巻物が突然怪しく輝き始めたのだ。すると、茉莉が急にモーリーの部屋に入ってきた。
『茉莉、ここは私の部屋です。許可なく立ち入ることは許しませんよ、自分の家に戻りなさい』
『あら、祖先のわたくしにそんな事を言ってもいのかしら?』
『祖先……?』
『あら、聞いた事はないのかしら。大昔にこの国で遊んでいたら、陰陽師とかいうやつに封印されて石になっていたのだけど』
『……玉藻前?!』
玉藻前の事は、代々長から長へ語り継がれてきた悪女だった。彼女が次々と様々な国を滅亡に導いてきたので、人間たちのイメージが『九尾の狐=良くない悪』と認識されてしまったからである。彼女は誇らしげに語っているが、もし見かけたら一族で滅ぼせと言われている存在である。
殺生石という石に封印されているので、出てこられるはずはないと思っていたのに。そんなモーリーの疑問に彼女は聞かれてもいないのに答えていく。
『あら、その顔は何故石から出てきたのだろうって顔? あの安倍晴明とかいう陰陽師にやられて眠っていたら、話しかけられたのよ。蘆屋道満と名乗った者にね。狐の子である晴明と違って人間だったから、霊体だったけれどね。彼は言った、時が経ったら出れるように呪いを掛けてやるって』
安倍晴明という陰陽師の名前はモーリーも知っていた。言い伝えに出てくる日本の陰陽師で、狐が産んだ子供だと記憶している。狐の血が影響したのか、とても長寿で占星術も長けていて十二神将を味方にしていたとか。
しかし、蘆屋道満のことは知らない。日本の人間なのだろうか。
『ねえ、モーリー。わたくし、この郷が気に入ったわ。わたくしの方が年上だし妖力だって誰よりも多い。わたくしに、郷を譲りなさい』
茉莉ーー玉藻前が微笑んで【命令】すると、モーリーは自分の意識がどこか遠くに行ってしまうような感覚になった。
『姫様にお譲りいたします』
次の瞬間には、自分の意思とは関係なくそんな言葉を口にしてしまっていた。
長が変更すると告げられた郷の九尾たちは戸惑いながらも、それを受け入れた。自分たちの知っている茉莉とモーリーではなかったので。
異議を唱えようとした者もいたが、次の日には茉莉の世話役を志願するほど彼女に魅了されていた。そんな感じだったので、茉莉に対して反旗を翻したりする者はいなかった。
紅音たちへの手紙は、モーリーが代筆していた。茉莉は未だに晴明に居場所を知られたくないくらいに恐れているのだろう。判別されやすい手紙は全てモーリーに任せていた。しかし、モーリーが自分の事を書いたりしないように自分に魅了されている九尾を監視に付けて書かせるのだ。
だからこそ、急に手紙の様子が変わったのだ。書いているのはモーリー本人であっても、内容を指示して書かせている者が他にいたのだから。
『モーリーさん、この件は早急に五月姫さまにお伝えした方がいいと思います。姫さまから"あの方"に連絡してもらう方がいいでしょう。玉藻前もなんとかしてくれるはずです』
晋作は、姫の後ろ盾を頼ることを提案したがモーリーは首を横に振った。
『本音を言うと、三人ともここにいたら危ないのよ。今は運良く、人間の男性を探しに行ったからいないけど……。でもこんな話をすることすらも危ないのよ、魅了を掛けられたらそれは治してあげられないから……』
弥和に渡したお守りは、モーリーの得意分野であるのだが茉莉が九尾たちや男性にかけた魅了までは解けない。もし、三人の誰かが魅了されても助けてあげられない。
『だからこそ、玉藻前がこの郷に帰ってきたら結界を張って外部との接触を絶ってほしいの。三人のことは私が責任を持ってちゃんと転移させるから。そしたら、晋作さんのいうように助けを呼んできて欲しい』
『……わかった、モーリー。あなたの言う通りにする。じい、一緒に強力な結界を張って。玉藻前じゃ破れなくて、滝夜叉姫さまや弥和さまには破れるような強くて優しい結界よ』
『難しい注文をされますな、我が長は。よし、じいは頑張ります』
『晋作さま、一つお願いがあります』
『なんだ?』
紅音は何かを覚悟したような顔をして晋作を見て言った。晋作はそんな紅音を見て生前の自分たちと同じような事をしようとしていると思った。自らも昔、自分の命が尽きることを覚悟していたから。
『私とじいは、今自分たちが持っているだけの妖力全てをこの郷の結界に費やします。その後に、モーリーが私たちをどこかへ帰してくれるでしょう。でも、帰ったときに普通のただの狐になっているかもしれません。だから……』
『私は"転移の影響を受けてここにいた前後の記憶がなくなる"かもしれないということですね』
後継者見習いや他のキツネたちが妖力を使い切った自分達を見ても、どうしてそんなことになったのか知られたくない。そんな二人の思いを晋作は汲み取ることにした。
『では、ヤツが帰ってきて油断した隙に行うとする』
玉藻前は割とすぐに帰ってきた。めぼしい男性がなかなかいなかったと愚痴を零しながら帰宅してきたのだ。
外部からの訪問者が二人も増えたことで一同は内心どんな反応をするのかドキドキしていた。結果として、茉莉は上機嫌で晋作を傍に置いて宴会を始めたのである。
晋作の容姿は彼女の好みだったようである。一応は、ホッと一安心である。
『晋作さま、このお酒も美味しいですわよ』
『申し訳ありません、姫。私は生前からお酒に弱くて飲めないのですよ。私が姫についであげますね』
この後の段取りの事を考えて、いくら勧められても晋作は一滴もお酒を飲まなかった。魅了に掛けられている九尾たちから感じる視線にも気が付かないフリをしていた。
紅音とおやじもまた、宴会の席でこれからのことを悟られないように飲み食いに専念していた。ただ一つ、三人が我慢できなかったのは、茉莉がモーリーに給仕をさせていたことだ。
『姫、今宵は宴です。あの九尾も一緒に飲み食いしたほうが楽しさは増します。末席に座らせてあげてくれませんか?』
『おお、そうじゃな。モーリー、そなたも座って飲みなさい』
『はい、茉莉さま』
顔が好みの晋作に指摘されて、茉莉はモーリーを末席に座らせた。すでに末席に座っていた若い九尾たちは、なるべく料理の美味しい所をこっそりモーリーに取り分けた。
その様子を見て、紅音はイライラし始めた。祖先だからといって、自分の子孫にこんな扱いをしてもいい理由にはならない。おやじは紅音の肩にそっと手を置いた。
三時間くらい経ったころ、茉莉はその場で横になって寝始めてしまった。魅了に掛けられている九尾が、どこかへ茉莉を運んでいった。残された他の九尾たちは一斉にモーリーに頭を垂れて謝り始めた。きっと、茉莉がいないときはこんな風に変わらず長として見ているのだろう。
『では、お願いします』
『転移先は、我が師匠・吉田松陰のいる松蔭神社にしてください』
モーリーに謝っていた九尾たちにも、結界の事は話した。急なことだし不便な事だってあるはずなのに、みんな結界を張ることに同意した。
紅音とおやじが結界を張っていく。結界は茉莉くらいの大きな妖怪でも簡単に破れなくて、でも助けにきてくれるはずの滝夜叉姫や弥和には簡単に敗れてしまうような不思議なものだ。
結界張り終えると、二人はぐったりして瞳が虚ろになってしまった。晋作は二人を慌てて抱きしめる。その様子を見て、モーリーは急いで三人を転移させた。三人同時に転移させるのは、割と至難の業なのだが転移が得意な九尾たちが手伝った。
三人が去ったあと、晋作の気配が消えた事に怒った茉莉は転移に関わった九尾たち全てに魅了をかけた。もちろん、その対象にはモーリーも入っていた。




