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まず、息子は家を出た瞬間に二匹の猫に襲われた。門を出てすぐの事だったので避けられず、顔を思いっきり引っかかれた。そのまま出勤する訳にもいかなかったから、家の中に戻って簡単に消毒して傷が隠れるくらい大きい絆創膏を貼った。
猫が嫌いなわけでもない、むしろ近所の野良猫たちに餌をやるくらいには猫好きだった。突然だったが、いつも自分が餌をやっている猫たちだった。二匹に嫌われるような事をした覚えはないのだが。
いつもと違うことは、それからも続いた。
職場に着くまでに、計三回鳥にフンを落とされた。着替えなんて持ってないし、買いにいけるような店はまだどこも空いていない。仕方ないからネットでフンの落とし方を検索して、職場のトイレで実践した。こんな時、堂上さんみたいな恋人がいたらいいのに。
フンを落としたところで、仲間からさっそく今日の画像が送られてきた。弥和のストーカーは、他に何人もいて彼らはみなこのグループチャットに所属しているのである。毎日、街中に誰かしらが潜んでいて弥和を盗撮しては目撃情報が出回っているのだ。
弥和と瑠李が、一緒に図書館に行くようになったこともこのチャットで情報を得ていたのだ。
「今日の髪型も服もかわいいなあ」
弥和の今日の髪型は、お下げの三つ編みだった。以前自分が褒めたからだろうか、と彼はニヤけた。他のチャット仲間たちよりは、自分が一番弥和に近しいと勝手に思っているのだが……。
窓際でニヤついていると、少しだけ空いていた窓から鳩が飛んできて彼のスーツにフンを落とした。
「うわ! またかよ?!」
慌ててトイレに駆け込もうとすると、チャットがポコポコと騒がしくなった。いつもなら、弥和の画像が送信されてもそんなに通知が来る事はない。
駆け込んでフンを落としている最中もずっと通知は収まらない。もしかして、また弥和に近づく不届き者が出たのだろうか。なんとか、フンを落としてチャットを確認する。
『撮影しようとすると、スマホにフンを落とされてできなかった』
『俺は撮影して確認したら、弥和さんだけが映ってなかった』
『画像保存できないし、今までのものも全部消えてる』
他にも似たような報告で溢れていた。さっきの自分みたいに、皆今日はやけに鳥にフンを落とされているようだ。撮影したはずなのに本人が写っていないというのはどういうことだ。まるで、それ系の怪談話じゃないか。
「おーい、もう朝礼が始まるぞ。お前さっきからトイレで何やってんだ?」
「先輩……。今日はなんだか鳥にフンを落とされてて……」
「はあ? もう始まるから、急げよ」
言いたい事だけ言って先輩は先に行ってしまった。あの先輩はいつもあんな感じなのだ。でも、イケメンで仕事ができると言って女性社員にはモテている。
まだ騒がしいチャットに少し嫌気がさして、通知音を切った。会社用スマホがあるからプライベート用は通知を切っても問題はない。
しかし、彼の厄日は止まらない。
外に出れば鳥にフンを落とされるか、通りすがりの猫に引っかかれるかを繰り返したからだ。猫たちの恨みを買うような事をした覚えが本当にないので戸惑っている。
「……お前、今日どうした?」
「わ、わかりません……」
一緒にいる先輩にはフンは落とされないし、引っかかれる事もない。明らかに自分だけが【狙われている】。さすがに先輩もおかしいと思い始めたようで、早退してもいいと言われた。
しかし、今日は早退するわけにはいかない。お昼休憩に、弥和の所に行きたい。こういう日は特に癒しが欲しい。
「まあ、無理すんな」
先輩の優しい言葉も、今の彼には届かない。今、彼の心を救えるのは弥和だけなのである。
昼休憩もそこそこに、彼は急いで弥和のいる図書館へと走る。父親が館長というだけで、そこまで仲がいいわけじゃないが嫌われてはいないと思っている。実際には、なんとも思われていないのだが。
図書館に向かっている最中も、絶えず鳥にフンを落とされる。父の部屋に匿って貰ってスーツを貸してもらおうと思っていた。
「なんで堂上さんに会えないんだよっ!」
苛立ちながらも、フンだらけで可哀想に思われて館長室に通された。不運な事に、弥和は別の館に手伝いに行っているらしいじゃないか。チャットすら役に立っていない。誰も部屋に来ない事を確認してから、彼はチャットを開いた。遡っていくと、目撃情報がまったく見当たらない。こんなこと、今までなかった。画像だけではなく、目撃情報を入力しようとすると送信できなくなっているようだ。
他のみんなと同じく今まで保存していた画像も消えてるし、新しく保存することもできない。バグっている、というにはおかしな現象だ。恐ろしさしかない。背筋も凍ってきている。先輩の言うとおり、早く早退して帰ったほうがいいかもしれない。
スーツを着替えると、どこからか猫の声が聞こえた。猫の鳴き声なのに、人間の言葉が混じっているような不思議な声だ。
「な、なんだ?」
『おまえか……? あの娘を盗撮とやらをして、困らせているのは?』
この部屋には、自分一人しかいないのに猫の鳴き声と人の声がしている。
「なんの話しだよ」
『ふん……。とぼけるのか。人間のくせにいい度胸をしておるな』
声の主は、ククッと笑った。なんだか、バカにされているような気分だ。とても不愉快だ。
「おい! お前がどこの誰だか知らんけど、出てこい!」
『ほお……。出てもいいらしいぞ。どうする?』
『こいつ、腰を抜かさないか? 大丈夫なのか?』
まるで複数で相談しているようだ。しかし、声は一種類しか聞こえてこない。自分のことを心配するような声もある。脅かしているのはそちらなのにどういうことなのだろうか。
『では、そちらに向かうとする』
話がまとまったようで、声が頭の中を木霊する。辺りが眩しくなったと思うと、スーツを着た大きな黒猫の獣人がそこにはいた。人間でいうと175センチはあるかもしれない。これが声の主なのだろう。
「な、なんだよ。妖怪とかそういう類か?!」
『我か? 妖怪であって妖怪ではない。神であって、神ではない。そんな存在だ』
結局どういう存在なのか分からない。しかも、なぜ自分が狙われているのかも見当がつかないのだ。
獣人はポケットから何かを取り出した。よく見ると、それは古い写真のようだった。
『これが気になるのか? お前には関係のないものだが、特別に見せてやろう』
獣人は彼の目の前に音もなく近づいて写真を見せてくる。小さい着物姿の女の子が写っている。どこかで見た事があるような気がした。
『この子と似ている人の子を探している。お前はその子を知っているはずだ。毎日盗撮とかいう下世話な事をしているだろう』
「えっ……」
よく見れば、その女の子は弥和によく似ている。本人の子供の頃の写真だと言われたら本当だと思うだろう。その写真が時代を感じるものでなければ。
『この子は我の主人でな。先の戦争で生を終えた。しかし最近やっと思いで主人の魂を見つけたのだよ。それでこっそり見守ろうとしていたら、お前たちはなんだ。主人に良からぬことをしよって』
「あ、ああ……」
獣人の声に怒りが入ると、また部屋の温度が冷たくなった。なぜ、この獣人が自分に対して怒っているのかがやっと分かったからである。そして、今日の自分や仲間たちが厄日である理由も。
『この子から、手を引いてくれるな?』
笑って問いかけてきた獣人に、彼は頷くしかできなかった。それからの彼の行動は素早かった。仲間たちに詳しくは言わなかったものの弥和をストーカーするのは辞めようと。リーダー格から言われた上に幹部クラスはみんなさっきの獣人に釘を刺されていた。
チャットは閉鎖され、図書館にも平穏が訪れた。




