捏造される追憶、あるいは真実の露呈
ヘルメットを通じて、フランソア喫茶室の漆喰の壁に、ふたりの過去が滲み出した。 プロジェクションマッピングのように投影される記憶は、連続した映像ではなく、光の粒となって浮遊していた。正確であるはずの追憶が、編集点を持った「上映物」へと変質していく。
最初の光。
八坂の塔を背景にした、高台寺近くのフレンチレストラン。イシコの誕生日。 低い天井、古い梁。窓の外には何百年も同じ場所に立ち続ける塔。 「おめでとう」 映像の中のヤスオは、完璧なタイミングでワイングラスを掲げ、完璧な微笑みを浮かべていた。しかし、壁面に映し出されたその「瞳」を拡大した瞬間、店内の空気が凍りついた。 ヤスオの瞳に映っているのは、喜ぶイシコの顔ではなく、窓ガラスに反射して「完璧なエスコートをこなしている自分」のシルエットだった。 祝う言葉より先に、自己愛という名の時間が同席していた夜。
次の光。 過労で入院したイシコの、静まり返った病室。 ヤスオは仕事帰りのスーツ姿のまま、肩を揺らして現れる。手には彼女が欲しがっていたブランドの限定バッグ。 迷いのない献身。 「間に合ってよかった」 記憶の中のヤスオは、そう言って彼女の手を握ったはずだった。 だが、現実に壁へ映し出されたのは、あまりに無機質な動作の連続だった。 ヤスオはバッグを差し出した直後、病床で青白く痩せたイシコの顔を見るよりも先に、無意識に左手首の時計へ目を落としていた。 「予定通りの時間に、最高級の誠意を届けた」というミッションを完遂した男の、事務的な視線の動き。 彼の「安堵」は彼女の回復への祈りではなく、自分の義務を果たしたことへの自己満足に過ぎなかったことが、スローモーションで暴かれていく。
「……また、自己満足の押し付け」 イシコの声は、映像よりも重く、現実だった。 感情を乗せない、死刑宣告のような口調。 「あなたは私を見ていない。私を愛している自分を、手入れの行き届いた庭のように眺めて、うっとりしているだけ」
ヤスオが何か言おうとするたび、映像は残酷に次へ進む。 説明はカットされ、意図は省略され、 彼が「純愛」だと信じていた行為の積み重ねが、彼女の視点を通すことで「所有物のメンテナンス」へと書き換えられていく。
ここで上映されているのは、もはや過去ではない。 彼女の中で完全に「相殺」され、廃棄が決まったガラクタの山だった。 フランソア喫茶室の古い壁に、捏造された――あるいは、暴かれた――追憶が静かに定着していく。
誰も声を荒げない。 京都では、こうして心の骨格が静かに折られ、関係が終わることがある。




