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第87話 声質調律用魔術具――異常なし、のはずだった


聖具師により術規に持ち込まれた祈祷具は、

すぐさま鑑定された。


しかし拍子抜けするほど、何の異常もなかった。


術式は古典的で、拍子抜けするほど安定していた。

魔力の流れに、歪みも偏りもない。


「……普通、ですね」

鑑定を終えたユフィが首を傾げる。

「少なくとも、ここで倒れる人が出るような

代物とは思えない」


聖具師は落ち着かない様子で、

何度も頷いた。



「父から贈られた、大切な聖具なんです。

礼拝堂で祈る時も……一人の時も。

こうして握っていると、不思議と胸の中が静かになるんです」


ツィグナトを指名して現れた教会の聖具師は、

祈祷具に埋め込まれた石を大切そうに撫でていた。


その表情にエリセはふと、かつて《灯》を

心のよりどころにしていた自分を重ねた。

――あの時、ツィグナトは何て言っただろう。


だが――

感傷に浸っている余裕はなかった。


街でも倒れる人の数は、増え続けている。

なのに原因になりそうなものが、どこにも見つからない。


それでも――


胸の奥で。

あの言葉を、どうしても無視できない気がしてならなかった。



 ◇


それが何を意味するのか分からないまま、

別の可能性を探るため、

彼女と共に教会へ向かうことになった。


同行したのは、術規の上級職員レジットと、

魔術具鑑定士ユフィ。

そして一応、相談を持ち掛けられた

ツィグナトの代理として、名を連ねることになったエリセ。


教会に到着してから、

調査は半日がかりになった。


祈祷台。

聖水盤。

聖書を収める箱――聖浄匣セラ・アルカ

……いずれも、祈りを集めるための器だ。

一つひとつ、丁寧に確認していく。


精神の疲弊を鈍らせる作用があると、

ツィグナトが話していた燭台も、こっそりユフィに見てもらった。


「問題なし。

 ……ただし、“過剰反応”もない」

「つまり、壊れてすらいない、か」


夕方近くになっても、結果は変わらなかった。

どれも正しく機能している。

何一つ問題はない。


――そういえば、と。

展示会の光景が脳裏をよぎった。


ミリオネス神聖教国の展示区画で先生が、

あのペンダント型祈祷具を異様なほど凝視していたこと。


理由もなく、あの人が立ち止まるはずがない。

――後になって、そう思う。


調査がひと区切りついたころ、

エリセは、聖具師に向き直った。

「……あの」

言葉を選びながら、声をかける。

「その祈祷具、少しだけ……

首にかけて起動してもらってもいいですか?」


一瞬の沈黙の後。


聖具師が戸惑いながらも、ゆっくりと首にかけ、

祈りの言葉を口にした――その瞬間だった。



誰かが、息を詰めた。


きぃん――

 金属を爪でなぞったような、細く、頼りない音。


耳の奥に直接引っかかる感覚に、眉をひそめる。

祈りの言葉の合間に、

ほんの一拍だけ差し込まれる異物。


「こ、この音です……」

聖具師が、青ざめた顔で呟く。


「何日か前から、急に鳴るようになって……

礼拝に来られていた方が、突然倒れることも増えて……」


空気が、

重くなる。


湿り気を帯びた膜が、礼拝堂全体に下ろされたようだった。

エリセのローブの裾で、ぱちり、と小さな火花が散る。


一度。


間を置いて、

もう一度。


弾いている。

目に見えない何かを。


いつの間にか、鞄の口が開いていた。


黒蛇が床へ滑り出る。

白蛇は、エリセの首元に強く巻きつき、守るように締める。


(……重い)


「……レジット?」

ユフィが声をかける。

レジットはぼんやりとした目で、エリセを見つめていた。

次の瞬間、表情が緩む。


「君は……」

熱を帯びた声。


——しかし視線は合わず、目はエリセの顔を通り越し、

胸元あたりで止まったまま言葉だけが零れる。

「こんな場所にいるべきじゃない。

もっと、大切にされるべきだ」


「は?」

エリセが一歩引く。

「ちょっと、レジット!」

慌ててユフィが割って入る。

「そのローブも似合ってるけど、

君にはもっと――」


その言葉を最後まで言わせず、黒蛇が跳んだ。


影のように伸び、

エリセへと伸ばされていたレジットの腕へ噛みつく。

呻き声とともに、彼は膝をついた。


その隙に白蛇が離れ、

躊躇なく一直線に聖具師の胸元へ跳んだ。


尾で留め具を引っかけ、祈祷具を床へ落とす。



次の瞬間、

黒蛇の尾が容赦なく振り下ろされる。


バリン


乾いた音とともに、石が粉々に砕け散った。


黒蛇は、人差し指ほどの細さしかない。

両掌を広げた程度の長さしかない。


それなのに──

目の前の光景に、思わず一同は息を呑んだ。

目と口を大きく開け、眉を寄せて、声も出せない。


「「「え!?」」」




砕けた石の中から、淡い光が溢れ出す。

いくつもの微光をまとい、姿を現したのは――



人差し指ほどの大きさの、小さな少女。

蝶のような羽を持ち、色彩は淡く揺らいでいる。


その背後には、

手のひらほどの大きさの、黒い靄。

形は曖昧で、輪郭を持たず、ただ影のように漂っていた。

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