第32話 サンドイッチの厄災(後偏)
剣にかかったイリディアの手は、わずかも揺れない。
「ま、待ってくれ!」
その緊張を裂くように、別の騎士が前へ飛び出した。
吹き飛ばされた男と同じ紋章を胸に戴きながらも、その動きには節度があった。
少し年嵩で、どこか叩き上げの風格を感じさせる。
彼はイリディアと倒れた騎士のあいだに割って入り、膝をついて両手を広げた。
「彼がやったことは、我々の不始末だ。深くお詫びする……だが――」
深く息を吐き、顔を上げた目に、必死の火が宿る。
「彼の行動は……彼一人の意志ではない。
我々は、背後の確認を急いでいた……。
だが、それがあなた方の逆鱗に触れるとは、
思い至れなかった……本当に、悪意があったわけではない」
その言葉は、表面上は“謝罪”だった。
だが、その語尾の濁しには明らかに――「事情がある」と言外に告げる響きがあった。
泳がせていたのだろう。
イリディアはその騎士の目を見つめたまま、わずかに首を傾けた。
視線はするどく、どこまでも冷たい。
「ふん」
吐息のような短い声が、鋭く空気を切る。
騎士はわずかに身を震わせ、――ただ、視線を落としたまま沈黙を守った。
「……そいつの身柄はひとまずこちらで預かる、証拠品もだ。用が終わればそちらに返してやろう」
そう言って、イリディアは剣から手を離した。
その場に張りつめていた空気がふっと緩んだ――その直後。
後方で、積まれていた魔術具の箱がどさどさっと崩れ落ちる音が響く。
「わっ、呪具接触したらまずいって――!!」
「封印札! 封印札早く持ってきて!!」
スタッフたちが絶叫し、各所の結界がばちばちと起動する。
展示棚は傾き、いくつかの魔術具が床を転がりながら光を放ち始めていた。
警報めいた光が走り、周囲はもう――ちょっとした地獄絵図だ。
展示台の傍で結界札を貼っていたスタッフが、呆れたようにため息をついた。
(……こうなるの、もう何度目だよ
どうせこれもネイムさんが原因なんだ――知らんけど!)
また予定がぐちゃぐちゃになって、
またフォーン嬢が誰かを吹き飛ばしてる。
そう、まただ。何度目かもわからない。
「ちくしょう……“あの人”が現場にいると、必ずこうなるんだ……!」
叫んだのは別のスタッフだ。
叫んでから結界札が逆向きだったことに気づいて、さらに叫ぶ羽目になるのだった。
――だが、その混乱の真っ只中。
ベンチに座る白衣の男は、肩をすくめながらサンドイッチを片手に、小さくぼやく。
「……あーあ。ほんと、昼休みくらい静かに食べさせてくれないかなぁ」
火種を投げた本人とは思えないほど、どこまでもマイペース。
サンドイッチの中身だけ先に食べ終え、残されたパンを紙皿の上に見つめ――
しょんぼりと、そっと戻した。
(……ほんとに、すごい人なんだよね?)
エリセは内心で問いかけた。
(たしかに高位魔術具開発局のトップマイスターって聞くし……)
「えっ、この騒ぎってラゼル=ネイムが原因!? うわぁ、間近で見られるなんて運いい……!」
隣で興奮気味に声をあげた技師が、エリセに身を寄せてくる。
「なぁ、お前『燃える水源事件』って知ってる?
魔術具が暴走して、水源がまるごと火を噴いたやつ。
誰も近づけなかったのに、ラゼル=ネイム一人で収めたんだって!」
「あぁ……叙勲した時の話ね。レジットから百回は聞いたわ、その話」
小さくため息をつきながら、エリセは眉をひそめた。
「工房にこもってるだけの技術者って思われがちだけど、現場でもめっぽう強いらしいよ?
だから宰相閣下も騎士隊を何度も送り込むんだって。呼べたらそれだけで“国の顔”になるってさ」
(でも……その“国の顔”が、サンドイッチの具だけ先に食べて、
パン余らせてしょげてるって、どうなの)
エリセは一拍置いて、静かに視線を逸らした。
(もうやだ)
「……見なかったことにしよう」




