第29話 あたしの冤罪と先生の証跡 (後編)
術規の建物に入ると、さきほどの騒ぎが嘘のように静かだった。
いつもと変わらぬ、整然とした空気が流れている。
「こっちは騒ぎになってないね……?」
ぽつりと呟くと、ラゼルがさらりと答えた。
「うん? さっき《煌霊炉》を見に来たときに、周辺の精神汚染は中和しておいたからじゃないかな」
エリセが「は?」と反応する間もなく――
奥の廊下から、バタバタと誰かが駆けてくる足音がした。
その直後だった。
「ラゼル=ネイム!! お前また、何しに来たっ!」
廊下に怒鳴り声が響き渡った。
(え……えぇっ!?)
通路の向こうから駆けてきたのは、雪色のローブ風白衣。
上級職らしく、襟元には深紅の縁飾りが入っている。
レジットだった。
憤然とした顔、剣幕、勢い。
とても尊敬している相手に向けた態度には見えない。
エリセは思わず目を瞬かせた。
(あれ……? レジットって、ラゼル=ネイムの筋金入りのファンじゃなかったっけ……?)
(論文をバイブルみたいに読み込んで、いつか会ってみたいって言ってたのに……なんで、第一声がそれ……?)
「えっ、知り合い……?」
混乱のまま尋ねると、ユフィが肩をすくめた。
「さっきね。ラゼルさんが一回来たの。
で、第一声が『くだらないガラクタ』って言ったもんだから……」
「……ガラクタだからガラクタだと言ったんだよ?」
言い返すように、ラゼルがさらりと口を挟む。
そしてレジットを見やって、静かに言い放った。
「君、いろいろ足りてないようだから、もっと勉強した方がいい」
それは、さっきもレジットに向けて言ったセリフ――
そして今もなお、悪びれる様子もなく口にしている。
「……あー、なんかもうわかった、うん」
エリセは思わず目を逸らして、ユフィに言った。
二人の間に漂う空気は、まるで火薬庫の中で火花が散っているようだった。
「荘厳な装飾に、古代由来の術式に加えて、内部回路があれほど美しく複雑な、
あれのどこがガラクタだ! オレが何年かけて見つけたって思って……!」
止まらずあふれ出すレジットの熱弁を、
ラゼルはふわりと片手を上げ、口元に指先を立てた。
「……静かに」
ただ、それだけだった。
――空気が変わった。
さっきまで軽口ばかり叩いていたラゼルとは思えない、冷たい表情。
声音も、温度も違っていた。
「魔術具にはどれも不要なものばかりだ。インテリアじゃない。
手に入れるのにかかった時間なんか、何より無関係だ」
「このっ……!」
レジットがラゼルにつかみかかろうとした瞬間――
「やめな、野蛮人」
イリディアが、いつの間にか背後に現れ、レジットの腕をひねり上げていた。
「こと魔術具に関して、ウチの坊ちゃんのいうことに間違いは存在しない」
「……よし、じゃあ三十分経ったことだし、
脳みそがジャガイモな君にもわかりやすいように見せてあげよう」
ラゼルは、楽しげに指を鳴らし、振り返ってエリセを指さした。
「おいで、エリセ」
「へ? あたし??」
「君も知ってるだろ? S級魔術具だけが持っている固有結界のこと。
敵意ある魔力が接触すると、どうなるか――」
そのまま、彼はエリセの腕を取った。
そこには、紅蓮の牙の腕輪が鈍く光っている。
「ちょっと!? 勝手に――」
言い終わる前に、ラゼルはそれを、テーブルの上に置かれていた《煌霊炉》へと近づけた。
バチッ、と火花が跳ねる。
直後、《煌霊炉》から勢いよく火が噴き出した。
「う、うわあああああああっ!!」
レジットが頭を抱えて叫び、研究員たちがどよめく。
「し、消火っっ!!」
ユフィの声が飛び、スタッフたちは火消しの術具を慌てて起動した。
その騒動をラゼルは無表情で見下ろし、ちらりとエリセに目を向ける。
「……ほらね」
エリセは呆然と、炎を上げ続ける《煌霊炉》を見つめていた。
*
その後の調査と実験で、事故の全容が明らかになった。
レジットが持ち込んだ《煌霊炉》には、
“未精製の霊素”から「精神性を持つもの」を分けて処理する機能がなかった。
本来、《煌霊炉》は――
精霊の痕跡、土地の神聖エネルギー、死者の名残などが混じった未精製の霊素から、
純粋な魔力だけを取り出して再生成するための魔術具だった。
分離された感情や記憶といった情報霊素は、
小型の結晶体に集めて浄化装置へ送られる仕組みになっている。
だが、今回発見された《煌霊炉》はそれがうまくできず、
情報霊素をただまとめて圧縮・排出してしまった。
その結果――
圧縮された“感情のカス”のような魔力が外にあふれ、
周囲の人や魔獣に精神干渉を与え、錯乱や暴走を引き起こしたのだった。
見た目だけは荘厳で立派でも、中身はずさん。
精神性を扱うにはあまりにも雑な、見かけ倒しの魔術具が起こした事故。
しかも、それを持ち込んだのが術規の研究員という、恥ずかしい失態だった。
術規の支部長は今、魔術監察局に連日呼び出されているらしい。
「……はぁ。世間体、悪っ」
エリセは小声でつぶやき、天を仰いだ。
――報告書を受け取りに来た補佐官たちが、慌ただしく資料を抱えて出入りしていた。
奥の応接室では、別の担当補佐官が事件の当事者たちから事情を聞き取り中で、
扉の向こうから時折、誰かの押し殺した声が漏れてくる。
壁際には、鑑定士のひとりが分厚い書類束を抱えて座り込み、
顔色ひとつ変えずに魔術具の構造図と睨み合っていた。
小さく舌打ちしながら、誰にともなくぼそりと呟く。
「……これ、誰が通したんだよ、こんな設計。寝ぼけてたのか?」
支部長の姿はなかったが、その席の背もたれには疲労の残り香が漂っているようだった。
その隣の書類棚には、読みかけの報告書と、水の減ったカップが無造作に置かれていた。
そんな中、廊下を横切るエリセの前に、ふらりと立ち塞がるように現れたのがレジットだった。
彼の顔は青ざめており、誰よりもこの場から逃げ出したそうな気配を滲ませていた。
けれど、エリセは立ち止まり、あえてその視線をまっすぐ受け止める。
「ねぇ、レジット」
その声に、彼の肩がびくりと揺れた。
「人にぬれぎぬ着せるような、裏づけのない言いがかり――やめた方がいいよ」
エリセは、淡々とした口調のまま続けた。
「事故が起きたのは、あの《煌霊炉》の設計ミスかもしれない。でもね」
少しだけ目を伏せ、息を整えてから、静かに言う。
「私を拘束した騎士様も、牢番のおっちゃんも、死にそうな顔で謝りにきたんだよ」
「捕まえた人も、捕まえられたあたしも、どっちも死にたいくらい情けなかった。
……こんなやり方で誰かを巻き込んでも、後味が悪いだけだよ」
「だから、もう二度とやらないで。
軽く言ったことが、誰かの人生をひっくり返すかもしれないって――それだけは、忘れないで」
レジットは言葉を失い、ただ、俯いたまま拳を握りしめるしかなかった。




