第27話 あたしの冤罪と先生の証跡 (前編)
一方その頃、エリセは自宅に戻るため、路地を歩いていた。
玄関の鍵を思い出し、鞄を探ろうとした、そのとき――
「エリセ・ノアリスか」
突然、背後から声をかけられる。
振り向く間もなく、硬質な何かが肩を押さえつけてきた。
「え、なに――う、うそ、ちょっ、痛っ!」
背中に何かが突きつけられ、両腕が乱暴にねじ上げられる。
足元がぐらりと揺れ、地面が迫った。
無様なほどに崩れ落ちた拍子に、鞄の中身が路地に散らばる。
「ちょ、ちょっと待って、私なんにも――!」
「術式技術規正機構への提出命令に従わなかった容疑、および町全域に広がる精神攪乱の首謀者として、貴殿を拘束する」
「はあ!? 何それ、意味わかんない!! 誰がそんな――」
「告発者は、レジット・カーウェルド氏だ」
その名前を聞いた瞬間、頭の中で何かがガチンと音を立ててひび割れた。
「……え、レジット……? あの……あいつが……?」
嘘であってほしかった。
けれど、目の前の騎士たちの瞳は、最初から犯罪者を見る目だった。
手加減も情けもない。
「でも言ったのに……あたし、町にいなかったって、何度も、何回も……!」
唇を噛みしめる。
地面に散らばった私物のひとつ、《灯》の金属の筐体が、ころりと転がっていた。
冷たく、何の反応も示さない。まるで他人のふりをしているように。
「ふざけないでよ……なんで、こんな……!」
誰も聞いちゃいない。
町の住民たちは物陰からこっそり顔を出し、勝手に噂話を始めている。
「やっぱり、あの子が原因だったのね」
「最近やけに静かだったから、おかしいと思ってたのよ」
「でも、あの子って昔からどこか浮いてたよね」
――なんなの? あんたたち、本当に何も知らないくせに。
声に出そうとして、飲み込んだ。
叫んだところで、今の自分の言葉なんて何の効力もないと、もう知っていたから。
唇を震わせながら、エリセは押し込められるまま、拘束具の冷たい魔力が手首を覆う感触を味わっていた。
誰にも信じてもらえない。
声を上げれば上げるほど、「逆ギレ」扱いされる。
悔しさが胸の奥でぐるぐると回り、熱に変わって涙になりそうになる。
だけど泣いたら負けだ。こんな場所で、泣いてたまるか。
ぎり、と歯を食いしばって前を睨むと――
その視線の先に、倒れた鞄からわずかにこぼれた《灯》があった。
無力な光の道具。ただの金属。
誰も知らない、小さな、誰にも知られたくない感情の詰まったもの。
けれど今は――
「こいつが精神干渉を起こした疑いがあるとのことです。専門部署で精査します」
何の躊躇いもなく、その手が《灯》を拾い上げた。
まるで粗末な証拠品のように。
「やめて!! 《灯》に触らないで――!」
ようやく絞り出した声も、誰にも止められなかった。
――結局、《灯》はそのまま回収され、
エリセは「魔術具による精神干渉の疑い」で身柄を拘束された。
有無を言わせぬ対応に、彼女の声も力をなくしたままだった。
* * *
どれくらいの時間が経ったのか、わからない。
魔力封じの枷と冷たい石壁。ここが牢であることだけが確かだった。
何もすることのないまま、ただぼんやりと時間をやり過ごす。
(……あたし、ほんとに、捕まったんだ)
意識が沈みかけたそのとき、
鉄板を軋ませて、誰かの足音が近づいてくる。
「おい、立て。術規から鑑定士が来たぞ」
エリセははっとして顔を上げた。
鉄格子の向こうには、見慣れた魔術具鑑定士――ユフィ。
あたしとは仲もいい。
……だけど、どこか様子がおかしい。
目の下には深い隈、やつれた頬、口元だけが妙にゆるんでいる。
「よかった……ユフィが来てくれたんだ……!」
感情がこみ上げる。だがユフィはそれを受け止めることなく、乾いた声で言った。
「はいはい。精神干渉型の魔術具があるとかないとか。そのへん、調べに来ただけなんで~」
軽い口調。まるで他人事だった。
ユフィは、床に転がっていた《灯》に目を留めると、何の迷いもなく拾い上げた。
その手つきは、まるで証拠品を扱うように無機質で、ぞんざいだった。
「……それ、やめて……! 触らないで!!」
エリセは鉄格子の中で叫ぶ。
指の骨が軋むほど格子を握りしめ、目の前で起こることに必死に抗う。
だが、ユフィの手は止まらなかった。
《灯》は何も言わない。ただ、彼女の掌の中で沈黙していた。
――調査は、あっけないほど早く終わった。
《灯》からは精神干渉型の痕跡も、精神魔術の残滓も検出されなかった。
「問題なし。……釈放ね」
ユフィが無表情にそう告げると、牢番が渋々と鍵を回した。
ギィ……と金属音を立て、扉が開かれる。
「当ったり前でしょーーーーーっ!!
展覧会前で、みんな余裕がなかったのかもしんないけど……
それが理由になるって思うなよ――っっ!!!」
エリセは牢から転がり出るようにして叫んだ。
「そもそも! この町がおかしくなりはじめたとき、あたしここにいなかったから!!
って何回も言ったのに!」
だが、その必死な声を遮るように、ユフィがぽつりとつぶやいた。
「……てかさぁ、ラゼル=ネイムって、見た?」
その声には、いつもの明るさも、毒気もなかった。代わりに――妙な静けさがあった。
「……あの顔。なんであんな造形で生きてるの? 法に触れてない?
てか……レジットも術規の連中も……並べて見たら、
ただの……芽が出たジャガイモじゃん……」
最初は冗談かと思った。
だが、ユフィの目は笑っていなかった。
エリセは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「ちょっと、ユフィ……? あんた……、どうしたの――」
彼女の肩に触れた瞬間、気づいた。
ユフィの肌が、ほんのりと、ありえないほど冷たい。
……っ!?
腕の《紅蓮の牙》が灼熱を帯びた。
――まるで、敵意に応じて目覚めたかのように。
視線を落とすと、《紅蓮の牙》に埋め込まれたボルドーの魔石が、ゆっくりと脈打っている。
「……なに、これ……」
その瞬間、先生の声が脳裏をかすめた。
『敵意ある魔力の接触に共鳴して、強制展開を起こす術式を加筆しておいた』
敵意ある……魔力の、接触……?
――まさか。
エリセは目の前のユフィを見つめた。
笑っていない目。無表情の仮面。冷えた肌。
いつもより軽くて、どこか他人のような言葉たち。
(……これが……)
(ユフィを襲った“何か”……)
魔力による――精神汚染。
ゾクリ、と背筋が凍る。
エリセの中で、ようやく言葉になった確信が生まれた。
ユフィはもう、いつもの彼女ではない。
ゆっくりと、確実に内側を蝕まれてる――侵食。
一体何が――いや、何から始まった?
きっかけは、何?
それがわからない限り、何も守れない。何も戻せない。
(……原因を突き止めなきゃ。魔術具か、術式か、それとも……)
かすかに眉を寄せ、ユフィの腕をとった。
この症状が魔力由来であるなら、術規の資料庫――
そこに記録された、最近持ち込まれた魔術具の中に何かがあるはず。
そう思い至った、その時――
「きゃああああああっ!!」
甲高い悲鳴が、空気を切り裂いた。
「わあああああっっっ!!」
別の方向からも叫び声。
ざわつきが次々と重なり、悲鳴の濁流になって街を覆っていく。
エリセは目を見開き、隣のユフィと視線を交わす。




