第26話 事件です「疑心都市ルザリオ」は修羅場中 (後編)
雪色のローブ風白衣。
その襟元には、上級職員の証である深紅の縁飾り――。
きちんと着こなしているあたりも、変わっていない。
レジット。
かつての恋人。
エリセにとって、過去最大級の「棘」だった男だ。
久々に顔を合わせたレジット。
頭がよくて、将来を期待されている若手のエース。
その理屈っぽささえ、当時は頼もしさに見えた。
……本当に、恋をしてると、
目って曇る。
そして開口一番、嫌な笑みを浮かべて言った。
「お前、魂を素材にしたって
噂の魔術具持ってたよな?
あれって――最近町で起きてる、
精神汚染の原因じゃないのか?」
周囲の空気がぴりつく。
「魂を閉じ込めた魔術具が、
町に住んでる人たちの魂を
壊してるんじゃないのかって話だよ。
……オレ、前からその魔術具危険だって言ってただろ?」
エリセは何も言わずに立っていた。
ただ、心臓の奥で何かがひやりとした。
「実際お前、《灯》に話しかけてたよな?
ちょっとおかしかったもんな。
……絶対に、オレが証拠、掴んでやるからな」
レジットの声は、どこか勝ち誇った響きを含んでいた。
ざわっ……と、ロビーの空気が揺れる。
ヒソヒソという音が、耳の端に引っかかる。
「……あの人じゃない?
例の魔術具、持ってたって」
「魂に関係するって聞いたけど……マジなの?」
「こわ……魔術具に話しかけてたって、ほんと?」
「ちょっと前から、様子おかしかったよね」
「やっぱり関係あるんじゃ……
そういうの、好きそうだし」
「なんで普通にここにいられるの?
信じられない」
エリセは、笑った。
心臓の奥で何かがひやりとしたものの。
「――それ、あんた達の“仕事”として言ってるの?
それとも、ただケンカ売ってるの?」
完璧な営業スマイルを浮かべて、エリセは静かに言った。
その瞳にはもう情の色などなく、氷のように澄んでいる。
あまりにも堂々としたその姿に、
一瞬だけ、ロビーの空気が凍った。
レジットは口を開けたまま
黙りこくり、誰もが何も言えずにいる。
エリセはくるりと背を向け、振り返らずにギルドを出た。
その足取りは軽やかで、
でも胸の奥には確かな棘を抱えていた。
街の喧騒は、いつもと変わらない。
けれど――
エリセには、まるで
自分だけが異質な存在になったような気がした。
(……《灯》は、そんなこと、しない)
そう信じてる。
けれど、それを証明するには、足りないことが多すぎる。
(……それに、レジット。
ほんと、最後まで最低)
ため息混じりに、小さく苦笑がこぼれた。
でも――
そんな男の言葉一つで、自分の全部を否定される
筋合いなんて、どこにもない。
(……さて、やるべきこと、やろう)
エリセはもう一度、歩き出す。
《灯》を信じて。
自分の感覚を信じて。
こうなったら――
誰がなんと言おうと、真実を見つけてみせる。
…だが、歩きながら、ふと足が止まった。
(……町の人たちの様子。
やっぱり、術規でも、確かにおかしいのよね……)
王都ルザリオは、目に見えぬ病に侵されていた。
◇◇◆◇
八百屋の前で男が怒鳴る。
「このリンゴは毒入りだ!
お前がオレを狙ってることは知ってる!」
「知ってて売ったのね!?
毒殺未遂よ!?」
客と店主が叫び合い、リンゴを投げ合う騒ぎに。
広場では、子どもたちが叫び、言われた母親が膝をついた。
「うちのママがあなたのこと嫌いだって言ってたー!」
「……うちは好かれてるつもりだったのに……ッ」
テラス席では、恋人たちが破局し、怒鳴り合い、
椅子が飛び、クッションが裂ける。
「何よその沈黙!
本当は私が重いって思ってたんでしょ!?」
「そっちこそ俺を馬鹿にしてたくせに……!」
唯一、平然としているのはカフェの店主だけだった。
無言で立て札を掲げる。
《コーヒー二杯目からは自己責任でお願いします》
路地裏では、
「誰が町に一番貢献しているか」を巡って、
住民たちが唾を飛ばして罵り合い、
回覧板は十秒と経たずに拒否される。
役所の掲示板には――
「誰かが私を陥れようとしています!」
と大書された張り紙が百枚以上、
狂ったように重ね貼られていた。
この町では、誰もが被害者で、
誰もが加害者になりうる。
他者に「裏がある」と信じて疑わず、
想像だけで裏切りや嘘が現実になっていく。
目が合えば怒鳴られる。
言葉を選んでも怒鳴られる。
黙っていても怒鳴られる。
そして、
「一人だけ冷静な者」には、
集団の視線が無遠慮に突き刺さる。
「なにあいつ、空気読めてない」
「わざと私たちを煽ってるのかも」
――沈黙すら罪になる街。
怒りも、哀れみも、同調だけが正義だった。
そんな狂騒に歪んだ街に、二人の訪問者が降り立った。
まるで音を立ててひび割れた鏡の上に、
異質な色を落としたように。
「……これはまた、酷いな」
街の混沌を眺めるように、
鉄灰色のロングコートを纏った青年が足を止めた。
肩から腰にかけて流れるような縫製は、
魔術具の回路を思わせる繊細さ。
手には、使い込まれた墨黒の手袋。
さらさらと風に流れる、明るい金の短髪。
その下にのぞく、氷を溶かす前のような冷たい碧の瞳が、
喧騒に包まれた街を、どこか退屈そうに見下ろしていた。
――ラゼル=ネイム。
その隣では、
ディープ・スカーレットの外套に身を包んだ女、
イリディア・フォーンが顔をしかめる。
腰まで届く、くせのないカメリア色の髪が、風に揺れた。
白磁のような肌には、
紅の刺青のような文様が浮かび、
その眼差しは、まるで刃物のように鋭かった。
■ 八百屋前にて
【市民男A】
「なあお前、
今笑ったよな!?
オレがリンゴ選んでるの見て、
腹の中で笑ってたんだろ!」
突然怒鳴られたラゼルは、静かに首を傾げる。
「その首の傾げ方は――“お前のリンゴの選び方、
くっそセンスないな”って言ってる顔だろ!!」
次の瞬間、イリディアが無言で男の首根っこを掴み、
地面に突き伏せた。
「うちの坊ちゃんは笑ってもいないし、
しゃべってもいない。
ただ立ってるだけだ」
「勝手に燃えて、勝手に殴られたくなったら言え。
次は顔面だ」
■ 街の広場にて
【主婦グループB】
「あいつ、見た!?
うちらのことジロジロ見てた!」
「見下してたわよ、絶対。
うちのエプロンがダサいとか思ってる顔だった!」
だがラゼルは、まるで別世界を見ていた。
視線の先にあるのは、魔術具型の水飲み場。
イリディアは主婦たちの間に
ずいっと割って入り、低く言い放つ。
「エプロンを馬鹿にするほど、
うちの坊ちゃんは他人に興味がない」
「どうしても煽られたいなら、
せめて“魔力変換効率120%”って札でもぶら下げときな」
■ カフェテラスにて
【カップル女D】
「あの男、私の彼をうらやましそうに見てた!
その目、嫉妬よ!
絶対私の彼に気があるのよ!」
ラゼルは眉ひとつ動かさず、さらりと呟く。
「人間関係の情熱とやらは、精神を蝕む熱病だな」
イリディアはメニュー表で女の顔面をスパーンと叩く。
「うちの坊ちゃんは魔術具としか恋をしない。
ごめんな、“三角関係”にすら入れてもらえない」
「……一番ひどいのはお前だな、イリディア」
ラゼルは軽く額に手を当て、視線だけを遠くに流した。
それにしても、随分と賑やかな町だな――
と、ラゼルがつぶやいたその裏で、
同じ町の片隅では、別の喧騒が密やかに始まっていた。




