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第101話 三割の確率と庇護者

最短は——三割だった。


ラゼル=ネイムを贄にすれば、

即座に座標は掴めただろう。


仕掛けた場所は一致。

時間の誤差は僅少。

魔術の気配、術式の残渣も整合。


ただし成功率、三割。


描いた術式を、消すことに迷いはなかった。


三割は低い。

それだけだ。


ネビュリスの工房で

座標を捕捉するのに三か月。


時間軸が歪んでいると判明した瞬間、

ネクレオスが息を呑む。


「ああ」


向こう側の時間は、

まだほとんど進んでいない。


「踏み越えたんかいな」


彼女がネクレオスのローブを持っていたため、

思ったより容易に掴めた位相。


だが、魔術師排斥のあの時代。

魔術師ではないが、

彼女が所持する幾つもの魔術具から

魔術師と誤認されるだろう。


「いやな時代やけど、

まず無事に着地できたんは幸運やな」


そこからは、削る作業だった。

エリセの自宅で。


床を術式で埋め尽くしても

世界の拒絶率は八割以上。

位相誤差、〇・三 ——高い。


組んでは壊し、

また、組む。


世界は

強制転移を“異物”と認識する。

奪還も侵入と判定する。


理を錯覚させなければならなかった。


“帰還”だと。

自然回帰だと。


壁には術符が増え、


机の段差を演算路として組み替え、

本棚の凹凸を補正値へ読み替え、

ベッドを空間錨へ固定する。


チョークの音だけが続く。


「どこまで寄せるつもりじゃ、ナト」

セラフィスが腕を組む。


「まさかとは思うが……おぬし、

自分を式に落とすなどと考えてはおらぬよな?

余を置いて」


鼻で笑う。


ツィグナトは答えずに、ただ線を引く。


「あの小娘は……愛らしいな」

わざとらしく言う。


「必死になって拾いに行くほどには」

チョークは止まらない。


「じゃがな」

声が落ちる。


「余の前で、他の女にそこまで熱を上げるな」

空気が軋む。


「贄が必要か否かなど、どうでもよい」


「余はな、ナト」

一歩近づく。


「おぬしが“誰かの生死”にそこまで執着するのが、

気に入らぬのじゃ」


静寂。


「熱を上げるなら、余にせよ」


ツィグナトは視線を上げることなく、

粛々と観葉植物の葉脈に沿って、

数々の数式と刻印を入れていく。


変数係数を落とし込むのにちょうどよいと気付き、

部屋の術式に修正を加える。

拒絶率、二割。


唐突に、しゅわり……と観葉植物の葉先が萎れる。


「聞け、ナト!」

セラフィスから漏れる神力に

床の術式が一瞬、歪む。


「位相が乱れる……暴れるな」


——ダンッッ!


セラフィスが力まかせに、床を足で叩く。


「余を無視するなと言うておる!」


突然の迸る神力に術式が悲鳴を上げ、

ツィグナトは、ようやく視線を上げた。


「拒絶率が戻る」


冷たい目で一言放つと、

ツィグナトは一歩、

セラフィスへ近づき腕を取る。


細い腕を思いがけず強い力で引かれ、

セラフィスの小さな身体は宙を滑り、

ツィグナトの胸元へ引き寄せられていた。


布越しに伝わる体温。

呼吸が頬を掠める。

近すぎる。


「……な、」

喉が震えた。


視線を上げれば、

無機質な横顔がすぐそこにある。


赤みが頬から耳へと広がる。

鼓動が速いのは

自分のものか、彼のものか。

判別がつかない。


(ち、近いのじゃ……!)


「べ、別に余は動揺など――」


言い終える前に、

冷たい指先が額へ触れた。


そこから走る、

精密で容赦のない軌跡。


刻印は一瞬で完成する。


「封」


短い宣告と同時に、

身体の輪郭が崩れ、柔らかく縮まっていく。


細い腕も、

小さな足も、

白銀の蛇の曲線へと変わり、


意識が細く絞られる。


視界が反転する直前、

自分の顔が盛大に赤いことだけは分かった。


次に世界を包んだのは、

いつもの革の匂いと転移層のざらつき。

腰に下げた革袋の通じる転移口だ。


ツィグナトは腰に下げた革袋の口を閉じながら、

いつもの声音で言い放った。


「邪魔をするならネビュリスに帰っていろ」


ネクレオスは肩をすくめた。


床に残る歪んだ術式を一瞥してから、

小さく息を吐く。


「……いつもこうなるって分かっとるのにな。

なんで毎回、あいつは期待するんやろなぁ」


机に肘をつく。


「驚くほどこりん奴やで、ほんま」


袋から——、

というには遠くから聞こえてくる喚き声。


「聞こえておるぞネ—クレオ—ス———ゥ!」


ツィグナトは視線も寄越さない。


「拒絶率、一・七か。まだ削れるな」


チョークの音がピタリと止み、

ネクレオスはツィグナトを見た。


彼はエリセの机に置かれた

奇妙な形の茄子を見ていた。


限りなく黒に近い、深い紫。

艶やかな曲線。


それは、くるりと

とぐろを巻くような形をしている。


ネクレオスはそれを見て、慌てて声を上げた。


「……触ったらあかん!」


まるで血を分けた兄弟を守るように

机の前で両手を広げ、

ツィグナトの視界からソレを隠す。


「磁界を利用できるな、誘導効率が高そうだ」


「効率の問題ちゃう」


手を伸ばすツィグナトから庇うように、

ネクレオスはさっと抱え込んだ。


「あ、せやけど腐敗防止の術式やったら

書いてもええで」


「貸せ」


硝子ペンが走る。

保護色の魔術式。


その後も、

彼は部屋全体に魔術式を書き込み続ける。

ネクレオスが見守る中。


最後に天井の照明の硝子カバーの裏面に

逆位相の符を書いていく。


局面に沿わせ、歪ませ、

明かりの強さを調整した。

光が透過して壁に、床に、机に、

文字が重なって映る。


二重三重に干渉する式。

光量を一段落とし、位相が揃った時、

――部屋が鳴った。


コツ。


それはノックする音に似ていた。


位相を固定するため。

同期を確かめるように。


コツ。


空間の“向こう側”へ向けて。

ツィグナトの魔力が鳴らす振動音は、

”扉をノックする音”だった。


拒絶率は、限りなく零へ近づく。


エリセが強制転移に呑まれてから、

——一年が経っていた。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

ちなみに、エリセの強制転移後のお話は短編としてすでに公開しています。 「500年前に飛ばされたんだけど、帰ってきたら先生が本気すぎた」というタイトルです。

先生の出番が少なくて物足りないな……と思って、勢いのまま書いて公開してしまった短編でした。 もしご興味があれば、息抜きがてら覗いていただけたら嬉しいです。

本編も残すところあと2話。 最後までがんばって更新していきますね。

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