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第100話 対価と肩越しの温度

塔の外壁が裂けた音が、

まだ石壁の内側で震えている。


低く鈍い振動が、

床から足裏へ伝わった。



「エリセがどうした?」


ラゼルは、乾いた笑いを漏らした。

「いや、えっと……

 来るはずだったんだけど……、あれ?

 君が何かしたんじゃないの?参ったな」


喉がひくりと鳴る。


「いや、ほら。

 僕、前に言ったよね、気に入ったって。

 展示会が終わったらエリセをオルディアへ

 連れていくって。

 だから、ルクスの塔で正規雇用を――」



「……転移陣を使ったな」



彼は慌てて頷いた。

「うん。昔、賭けで君から貰ったやつ。

 絶対安全だし、間違いないって思ったんだけど」


ツィグナトの瞳が細くなる。


その視線が足元の陣を射抜いた。


言い訳が、凍る。


「問題が起きている、だろう?」


静かすぎる声だった。


その瞬間、

背中を冷たいものが走る。


ラゼル=ネイムは、

自分が冷や汗を流していることに、遅れて気づいた。


「ん″っ!ん″っ!」


隣でカンガルーが必死そうに跳ね、

ツィグナトを指差すように前脚を動かしていた。


――見つけた。

――連れてきた。


そんな仕草。


ラゼルは泣きそうな顔で叫んだ。


「ほら!!カンカンも頑張った!!

 だからね、ナト、これ相談案件で――」


ツィグナトが、カンカンを一瞥すると、

カンカンの動きはぴたりと止まる。

彼は見た目に似合わず、空気を読むことに長けていた。


そのまま、すっとラゼルを見る。


「……手遅れだな」


抑揚はない。

一歩、踏み込む。


「お前は、術式を書けるか」

「え?」

「座標誤差の補正を、自分で計算できるか」


ラゼルの喉が鳴る。


「転移は魔術陣の問題じゃない。

 術者の問題だ」


声は低いが、荒れない。


「魔術師でもないお前が、

 他人の身体を座標に載せた」


一拍。


「なぜ、成功すると思った」


逃げ場がない問い。



「……エリセは転移中に弾かれた」


淡々と告げる。


「……え」


「座標は歪み、術式は裂けた。

 今も落下している可能性が高い」


言葉が、重い。


「ナトなら助けられるんだろ?」


震える声で問うラゼルに、

ツィグナトは即答する。


「三割だ」


「三割って――」


「生存三割。欠損と記憶障害で三割。不明二割」


選別する側の声音だった。


「どれになるかは、あいつの資質次第だ」


ラゼルの顔色が消える。


「何が干渉したかは知らん。

 だが痕跡の一つは沈香だ」


ラゼルは青ざめ、

わずかに恨めしそうにツィグナトを見る。


「沈香……もしかしてセリオス?」


ラゼルは反射的に、顔を背けた。


「うわ、嫌だ。

 僕、あの変態ほんと無理」


ツィグナトは、笑わない。


転移陣の前に膝をつき、

静かに文字を書き変えていた。


「——対価を払う時間だ」


立ち上がると、

ラゼルの胸元を無造作に掴む。


逃げる間はない。


掴まれた衣服が白く凍りついていく。


「——二割は消滅だ」


囁くような声だった。


いつの間にか、ラゼルの足元の転移陣の上に

別の魔術陣が出現していた。


二つの魔術陣が重なった途端――


頭が、くらりとした。


全身から力が抜けていく。


転移術式だった魔術陣は、

いつの間にか別のものになっていた。


ラゼルの鼓動が術式と同期する。

生命力が、術式に流れていく。



ラゼルは——



“贄”だった。




「逆位相の補助陣だ。

 三割で次元の扉をこじ開けれる計算だ」


「待っ、ナト、それ洒落になら――」


「洒落にした覚えはない」



いつも通りの、見慣れた表情だった。



だが、その顔は──氷晶のように透き通り、

凍てつく光を放っていた。


美しく整った輪郭。

冷たく輝く瞳。



容赦がない。




意識の隅まで冷たさが染み渡る。




「代価は、近い方が効率がいい」


視線はもはや、友人を見るものではない。

素材を測る位置にあった。



無慈悲さの奥に、

眩いほどの美が潜む。



「この状態でもお前の星座は無事だと思うか?

 好きだったよな?検証の時間だ」


ラゼルは、息を飲んだ。


声にならない、止まった時間の中で、

全身が拘束され、思考まで縛られる感覚が押し寄せる。


未来の選択肢も、逃げ道も、

すべて一瞬で閉ざされたようだった。



「——確率は同じだ」


ツィグナトがさらにつま先で補助式を刻む。

陣が完成しかける。


カンカンが悲鳴のように鳴く。


部屋の片隅ではネクレオスが、

拘束されたセラフィスの両手を握りしめ、

二人で肩を寄せ合って震えていた。




魔術陣から迸る無数の光条が空間を裂く。

残像が浮かぶ。

裂けた空間に夜空が透け、


一つの星座

——「造星の徒」が、


激しく揺らぎ始める。



足元の魔術陣が脈打つたび、

内側を削られる感覚。


視界が白く滲み、

ラゼルは息が詰まるのを感じた。


これは、——危うい。


理解している。


それでも。


離れる気はなかった。


これは、ツィグナトの手だ。



膝が持たず、ぐらりと身体が傾く。

力は既に奪われている。



それでも。


額が、硬い肩に触れる。

氷のような布越しの冷たさ。


削られる鼓動より、

肩越しの温度の方が確かだった。



拒む理由が、どこにもない。



ツィグナトは動かない。

避けもしない。

受け止めもしない。





ラゼルの視線は足元の魔術陣に落ちた。


光の粒が、ほんのわずかに揺れた。


――彼の計算が狂うはずがない。


だが、目の端に映ったその揺らぎに、

ラゼルは勝手に“迷い”を読み取ってしまう。



ただの希望がそう見せるのか、それとも——。






「オレは工房で座標を特定する」


そう言って、ツィグナトはラゼルの拘束を解いた。




支えを失った身体が、そのままくずれ落ちる。


床に手をつく余裕もない。


目の前で、完成しかけた陣が溶ける。

光が消え、室内は静まり返る。



そう、ラゼルの命は――


今は――、


まだ留保されているだけだ。

と、彼の目が静かに語っている。



「呼び戻しの陣はあいつの自宅に描く。

 慣れた空間の方が、世界の拒絶が弱いからな」


そして、ラゼルを見る。


「お前はしばらく顔を見せるな」


断言。



次の言葉は、

わずかに低く落ちた。


「次に見かけたら、今度こそ魔術の贄にしてやる」


脅しではない。

宣言でもない。

ただの、選択肢。



「命一つで足りるかは知らんがな」


「ネクレオス」

名を呼ぶ。


部屋の隅で、肩が跳ねた。


「ローブの所在を追え。

 そっちからも座標が知れるかもしれん」

声は、すでに平常だった。


「……お、おぉ」


「セラフィス、術規の後片付けをしろ。

 一切痕跡を残すな」


「なんで余が!!」


「嫌なのか?」


一言。


否。


当たり前だ。


セラフィスにとって、

彼からもらえるものを一つとして取りこぼせるわけがなかった。


ツィグナトは星辰環を起動する。

光輪が解け、粒子が舞う。

彼の工房への橋だ。


最後まで、ラゼルへ視線は向けられなかった。


そして。


消えた。


残されたのは、半壊し凍りついた残骸。

床に横たわるセラフィス。

動かないカンカン。


ラゼル=ネイムは、まだ立ち上がれない。


座り込んでいるのではない。

立てないだけだ。


肩が、ゆっくりと落ちた。


「しばらく顔を見せるな」


その一言だけが、何度も胸の奥で反響する。




目の前に残っているのは、冷えた床だけだ。




「……はぁ」


ため息が、静かな私室に落ちた。



手元の何もかもが、色を失ったように映る。



目を閉じる。




絶望を飲み下せないまま、沈める。

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