17
赤い。
突然現れたその色は、床に滴り、赤い水溜まりとなり広がっていく。
なんだろう…これは。
どこか遠くで自分が答える。
これは、人に流れていたものだ。
「ヴァリエ…」
振り返るのは、父だった。
幼い頃に病死した母に代わって、男手一つで育ててくれた。
熱く燃える刀を鍛える、父の背中が誇りだ。
昔は剣士だったという父に剣を教わる時間が楽しい。
上手く剣を扱えたときに、ヴァリエの頭を撫でる、父の大きな手が好きだ。
その父の背中に銀に光るものが生えている。
あれは剣だ。そこから、赤いものが滴っている。
あの赤は、父の中に流れていた…血だ。
それを理解すると、ヴァリエは息が苦しくなった。
なぜ。
父は膝をつき、赤い血の中へ倒れた。
あんなに強くて、負けることなんて無いと思っていた父が。
「お父さん!!」
父の向こうからこちらを見るのは少女だ。
彼女は、ヴァリエの魔法の師であり、親しい友人でもあった。
雪のように白い長い髪をなびかせ、ヴァリエを見つめる。
桜色の唇が、薄く笑みを作った。
何故、彼女が。
赤と彼女の白い肌のコントラストに、自分の呼吸が、鼓動が、やけにうるさく反応する。
少女が手を伸ばすと、体が電気が走ったように貫かれる。
痺れがじわじわと体を侵食し、体が自分のものでないようだ。
分かったのは、ここから離れないと行けないということ。
重い体を引きずるように、ヴァリエは駆け出した。
この赤と白の闇から、逃げ出すように。
「…っ…」
全身を伝う異様な汗で、ヴァリエは目を覚ました。
嫌な夢を見てしまった。
彼女の気配が、最近近くに感じるからか。
逃げ出したあの頃から、何も変わっていない気がする。
いっそ受け入れてしまえば、彼女を恨むことができ、楽に慣れるだろうか。
だが結局、父の死も、少女の裏切りも受け入れられず、今も逃げ続けている。
あの赤と白の闇から逃げ出したというのに、彼女から教わった魔法で、魔法屋になった。
他に生きる術など無かった。どんなに酷い依頼だってこなしたし、裏切りだってした。
自身も闇に足を浸すうちに、誰も信じられなくなった。
ため息をつき、銀龍の牙を握る。
少し夜風にあたろうか。
廊下へ出ると、わずかに扉が空いていた。
その向こうには、カレンが眠りについていた。
彼女を見つめると、暖かなものが胸に宿り、あの夢が遠ざかっていく気がする。
今まで誰も信じられなかった自分が、彼女を守ろうと決めたのは何故だろか。
周りを否定し、逃げ続けるたび、仕方がないと思ったが、耐えきれなかったのかもしれない。
「そうか…僕は」
孤独だったのか。
*
闇夜が部屋を包む中、カレンは物音で目を覚ました。
目を擦りながら起き上がると、開いた扉の向こうに誰かが歩いていくのが見えた。
「あれ、ヴァリエだよね・・・?」
こんな夜中にどうしたんだろう。
「ついていく・・・?いや、でも・・・」
目が覚めて、散歩したくなっただけかもしれない。
でも、夜だし、危ないかも。
「あーも、ついて行っちゃお」
悩んだ末に、カレンは部屋を抜け出した。
外の空気は、染み込むようにカレンを冷やしていく。
それでも肩をさすりながらついていく。
闇夜の中で見失ってしまいそうなヴァリエの姿をなんとか追う。
「どこに行くのかな・・・あっ!」
ヴァリエの姿が消えた。
そう思ったが、木々の中に入って行ったのだと気づく。
森に何の用なのだろう?
その時、アンナの言葉が蘇る。
森は危険だから、近づいてはいけない。
獣や君の見たことがない恐ろしいものが潜んでいるからな。
その忠告にカレンの動きが一瞬止まる。
でも、それでも行きかった。
「ヴァリエだってそれは同じだし・・・それにヴァリエが朝になったら帰ってきませんでしたなんて嫌だもの」
唇を噛みしめて、カレンは落ち葉を踏んで進んだ。
「寒い・・・」
肩をさすったその時、背後でなにか鳴き声がした。
キーキー。
「な、なに」
振り向くと、それはただの鼠だった。
振り向いたカレンに驚き、草むらに逃げていった。
「良かった・・・」
前を向くと、ヴァリエの姿がない。
ただ闇夜が広がるだけだ。
今度こそ、見失ってしまった。
そう分かると、言いようもない恐怖がカレンの全身を支配する。
暗闇から何が出てくるか分からない緊張感。
帰り道のない不安。
なにより、ヴァリエという唯一の灯火を見失ってしまった。
「う、嘘・・・」
周りを見渡すがただ延々と闇が広がるばかり。
「と、とりあえず出口探さなきゃ」
震える足で闇雲に歩き回るが、さらに迷い込むばかりだ。
こんなに迷ったのは初めてだ。
延々と続く迷路に泣きたくなる。
「朝まで待つしかないかな・・・?」
そうしてカレンは足を止めた。
だがそこにひんやりとした何かが絡み付いた。
怖気がはしる。




