酒の上の不埒 其之弐
ちょうど永倉たちのところへ配膳に戻ってきた一之は、気をそらそうと原田に水を向ける。
「うちは、河童てほんまに居る思うわあ」
「カッパじゃなくて猿猴ね」
原田が訂正すると、ここで新顔の越後三郎が話に加わった。
「わたしの故郷にも河童の話が伝わってますよ」
「えーなになに?聞かせて聞かせて」
一之・松原・河合が声を揃えて催促する。
「むかし、長い日照りが続いて、大変な飢饉があった年に、偉い法師様が雨乞いをすることになったんです」
「ほうほう!」
例によってオカルト好きの松原と河合が身を乗り出して相槌を打つ。
「けど、それを悪い河童が邪魔しようとするんですよ」
「え?なんで?雨が降らなきゃ河童だって困るでしょ?」
河合が突っ込むも、越後は軽くいなした。
「まあ、それまでにいろいろ紆余曲折があるんですが、ここでは割愛します」
「あ、そうなんですね」
「けどね、その法師様の真剣さに胸を打たれた河童は、考えを改めて弟子入りを志願するんです」
「ハー、なんか土方家のカッパ話とちがってやさしー!」と沖田。
「土方さんの話みたく殺伐としてねー!」と藤堂。
ふたりはしみじみ一息つくと、
「てめえら、聴こえてんだぞ!」という土方の怒声を無視して、
さらに続きを促した。
「それで?」
「でね、二人の祈願が成就して、ついに大雨が降ったんですけど」
河合が目を輝かせながら、両手を握り合わせた。
「おお!人類と河童の共存、和を以て貴しとなす、ですな!……え?けど?」
「けど、法師様は天に願いを聞き届けられたってことで、自分の命を捧げるために、えーと、青梅川に身を投げてしまいます」
「えええええええ!!」
悲嘆とも落胆ともつかないオーディエンスの叫びが響く。
「だから!俺が言ってんのは、河童じゃねえんだって!」
ここまで我慢して聞いていた原田が割って入るも、
「うるさい!!それでそれで?」
一之、沖田、藤堂、松原、河合はその抗議を阻み、続きを催促した。
「そこで、河童は法師様を救うべく…!」
話がクライマックスに差し掛かったタイミングで、芹沢の怒りが爆発した。
「うるっせーぞ!!てめえら!!おれぁ、お行儀よくつったよなあ!」
騒ぎ立てる隊士たちの声に、芹沢はさらに怒りを募らせていた。
とうとう沸点に達した芹沢は、例の大鉄扇で目の前に置かれた膳を叩き割った。
凄まじい勢いで皿の破片が飛び散り、土方の手にした盃にもその一つが音を立てて沈んだ。
水口の藩士たちは蒼ざめている。
土方は伏し目がちに薄く笑い、その欠片を手にした盃から器用に摘み出すと、残った酒を飲み干した。
永倉が土方を横眼で見ながらニヤリと口の端を吊り上げる。
「気障な野郎だ」
土方は懐紙を取り出して皿の欠片を包み、再び懐に戻すと、
「御厨が立て込んでるのかもしれませんな。階下を見てきましょう」
と立ち上がった。
「いやいや、土方副長のお手を煩わすには及ばんよ」
芹沢はそう言うと、千鳥足で廊下に出ていった。
仕出し屋が持ってきた料理の配膳に追われていた琴は、ちょうど近藤の前に揚げ物の皿を置いたところで、思わず腰を浮かせた。
立ちあがろうとする琴の手首を、近藤はグッと押さえつけた。
「よせ」
「けど…!」
「今手を出せば、相手は芹沢一人じゃすまない…」
芹沢、近藤両派入り乱れての乱戦になって、この揚屋は阿鼻叫喚の地獄絵図と化すだろう。
「くっ」
琴は歯噛みして、近藤の手を振り解いた。
すると、廊下からメキメキとすごい音が響いてきて、
慌てた平間重助が部屋を出て見ると、芹沢が階段の手摺を力任せに引き抜いている。
平間は額の汗をぬぐった。
「…手が付けられん」
バキッという音がして、手摺は根元だけを残して跡形もなくなってしまった。
土方は平間の背中越しにその様子を眺めて、ふっと一息ついた。
「やらせておけ。こうなっちゃ、後は金で手を打つしかあるまい」
「そんな金がどこに…‼」
「行きがかり上、水口藩が持ってくれるでしょ。ま、今は嵐が過ぎ去るのを待つことにしましょうや」
土方は平間の肩をポンと叩くと席に戻って、また酒を飲み始めた。
「不愉快だ。失礼する」
戸田一心斎は、憮然として立ち上がった。
「あ、先生。そう言わはらんと」
天神の糸里が必死で止めようとするも、戸田はそれを振り切って出て行ってしまった。
それを合図に恐れを成した水口藩士たちも、次々席を立ち、我先に逃げ出してゆく。
「おーいおい。まだまだ、宴もたけなわだってのに、何処行っちまうんだよ、戸田先生ー!?」
芹沢は引きちぎった手摺を階下に殺到する水口藩士たちめがけて投げつけると、おぼつかない足取りで、ドスドスと階段を降りて行った。
徐々に近づいてくる足音は、階下の使用人たちにとっても恐怖だったらしい。
琴たちのいる二階の座敷まで、悲鳴と、逃げ惑うような足音が届いてきた。
「おーい!誰か!」
芹沢は階段の下に落ちていた手摺の破片を拾いあげると、大声で店の者を呼ばわりながら厨房に乗り込んで行った。
「んだよ。ここも蛻の殻ってか?ふざけんな!使用人はどこで油売ってやがる」
芹沢は、手にした手摺の棒きれで棚に並べられた瀬戸物を、片っ端からたたき割っていった。
気の済むまで暴れ終えたところで、芹沢は、厨房の片隅に年老いた使用人がへたり込んでいるのに気づいた。
そして、逃げ遅れたと思しきその老人に顔をしかめて忠告した。
「よお、主人。見ろよ、この有様を。えらい散らかり様だ。客商売なんだから、部屋の掃除を欠かさぬよう、仲居によく言った方がいい」
老人を、この店の主人徳衛門と勘違いしているようだ。
老人は、陶器の破片を全身に被ったまま、土間に打ち捨てられた手摺の残骸を茫然と眺めた。
「ああ、悪い。そいつは俺のせいだ。少々飲み過ぎたらしく、階段でつまずいちまってな。ま、七日も店を閉めりゃ、元通りになるだろ」
そう言い置いて、フラフラと部屋を出て行ったかと思うと、すぐに戻ってきて、
「おい」
とまた老人に声をかけた。
「ひっ!」
老人はすくみ上った。
「なんだか、外が騒ぎになってるようだが、なんかあったのか?まあいいや。どうやらこの店は人手が足りてないようだから、俺が代わって奉行所に届けといてやろう」
芹沢は、口をパクパクしている老人に微笑みかけた。
「なに、気を使わなくていいよ、帰り道だ。んじゃ、邪魔したな」
嵐の過ぎ去った後。
土方は、明里(琴)を残してひとまず遊妓たちを帰らせ、てきぱきと事後処理の指示を与えた。
「山南さん、黒谷の本陣に付き合ってくれるか。ひとます事の顛末を報告しておこうと思う」
「要(武田観柳斎)と尾形、おまえたちは水口藩の様子を見てきてくれ。これ以上関係を拗らせないように上手く謝っとけ」
「島田さんと安藤さんは、すまんが河原町の道場に行って戸田先生のご機嫌取りを頼む。一応、町の名士だからな」
「あと、総司と平助と愛次郎と柳太郎と河合と金吾、と蟻通?だっけ?おまえらはこのグッチャグチャの店の片づけを手伝ってやれ」
「えーーーーーーーーっ!!!」
一斉に不満の声が上がるも、土方のひと睨みで、若手たちは口をつぐんだ。
「主人には改めて俺から詫びを入れるが、このまま帰るわけにもいくまい」
腕組みをしながら土方の差配に感心していた近藤が、小さく手を挙げた。
「俺はどうすればいい」
土方は、疲れた表情で近藤を流し見て、小さくため息をついた。
「あの芹沢がこれ以上問題を起こさないよう、屯所まで見張っててくれ。手に余るようなら、永倉と原田と松原…」
土方はそこで言葉を区切って、近藤の耳元に囁いた。
「それでも足りなきゃお琴も加えて、力づくでも連れ帰るんだ」
なぜか居残りを命じられていた琴は、ようやくその訳を理解した。
「要するに、わたしは荒事担当ってこと?」
「ほかに使い道があるのか?さっさと着替えて来い」
土方と琴が小声で言い争っていると、山南敬介が口を添えた。
「いや。その心配はあるまい」
「なぜそう思う?」
土方が鋭く問い返す。
「芹沢さんも馬鹿じゃない。今夜のあれは意趣返しさ。芹沢さんの友人、仏生寺弥助が斬られたあの日、彼は直前まで角屋で飲んでいたという。つまり、この店の誰かが仏生寺を売ったのかもしれん」
(それは違う)
言いかけて、琴は異議を飲み込んだ。
しかし、山南は琴の表情に何かを察したのか、さらに言葉を付け足した。
「そうだという確証はない。が、少なくとも芹沢さんはそう信じてるということだ」
後片付け部隊が持ち場に散っていくと、武田観柳斎がめずらしく難しい顔をして、ある懸念を表明した。
「私もちょっと気になることがあるんだけど」
武田に対して余計な先入観を持たない、新入りの尾形俊太郎が興味を示す。
「なんでしょうか?」
「越後三郎の河童の話なんだけどさ」
「いま、河童の話かよ!」
土方歳三と永倉新八が、同時に武田の肩を小突いた。
「ええ。確か彼、糸魚川の産れとか言ってたじゃない?」
潮が引くように皆の興味が失せたあとも、琴だけは、武田という男が意味もなくこんな話をする訳がないと身構えた。
「そうだった?」
「あの話にあった青梅川は、たしかに越後(地方)を流れてるんだけどさ。あれって、話の大半は『禅師河童』といって長州の言い伝えだったはずよ?ほら、わたしも、出雲の方だから」
その言葉に、琴たちは一気に酔いの醒める心地だった。
そして、今も阿部十郎にべったりと張り付く越後の後姿を疑いの目で見つめた。




