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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
暗雲之章
429/430

酒の上の不埒 其之壱

その夜。

島原遊郭、角屋すみや

「ここです」

水口藩士が案内した店の揚屋あげやの前で、

浪士組筆頭局長ろうしぐみひっとうきょくちょう、芹沢鴨の目つきが一瞬変わったことに、その時は誰も気づかなかった。


芹沢は門の前で、隊士たちを振り返り、

「いいかあ、おまえら?!今日はお行儀ぎょうぎよくだ。水口藩みなくちはんのお歴々(れきれき)もいらっしゃるんだから、壬生浪士組の品位に関わるような真似まね方々慎(かたがたつつし)んでくれよ?」

そう命じて、不自然なほど大笑した。


一行は角屋の奥座敷おくざしき松の間に案内された。

「おお、いつ見ても見事な臥龍松がりょうのまつよ」

上機嫌の芹沢鴨と、仲裁役ちゅうさいやく戸田一心斎とだいっしんさい上座かみざに置き、近藤ら幹部と水口藩士が差し向いに座る。

当然といえば当然ながら、気まずい対面だった。


しかし、輪違屋わちがいやの美女たちがやってくると、雰囲気も多少はやわらいだ。

水口藩側がおびの席を設けるといった体裁ていさいなので、呼ばれたのは浪士組の酒席しゅせきでお馴染なじみの顔ぶれである。

華麗ゴージャスな花香太夫、妖艶ようえんな花君太夫、可憐かれんな糸里天神、御侠おきゃん一之天神いちのてんじん

ここに、不機嫌な明里天神(中沢琴)が加わって、ごく穏やかに酒宴しゅえんは始まった。

これが悪夢のような夜になろうとは、このとき、芹沢以外の誰もが想像していなかった。


芹沢が真っ先に目を付けたのは、目新しい明里天神(琴)だった。

もちろん、芹沢ら水戸派は、琴の完璧なメイクにあざむかれて、それが新入り隊士の楠小十郎くすのきこじゅうろうと同一人物とはつゆほども気づいていない。

「なあ、あんたみたいのを、こっちじゃ別嬪べっぴんさんっていうんだよな?」

琴は目を細め、口のはしを少しだけ持ち上げて、巧妙こうみょうに笑顔を作った。

「嬉しい。先生みたいなのを、こちらじゃ世之介(女たらしの意)って呼ぶんです」

「ハ、喜ばせてくれるじゃねえか。こっちに来て飲め」

「光栄ですけど、よろしいんですか?わたし、別嬪べっぴんどころか、廓じゃ嘉志久女郎かしくじょろうなんて綽名あだなされてるんですよ?」

琴は、しゃくを迫る芹沢をけむに巻いた。

嘉志久かしく?」

「そう。飯炊めしたき専門で、客とは寝ないって意味」


独りで杯を傾けていた新見錦は、聞き覚えのある声の主に思い当たり、ハッと顔を上げた。

関門海峡かんもんかいきょうおもむく前、最後に酒を飲んだ女だ。

目が合った瞬間、琴が小さくウインクすると、新見は何かを察したように、黙って視線を外した。

琴の恋人、山南敬介が、そんな二人の合図に目敏めざとく気づいて、顔をしかめる。


芹沢は、お気に入りの大鉄扇だいてっせんで、ポンと自分のひざを打った。

「なるほど、『かしく』ってわけか。岡場所じゃあるまいし、そんな天神など聞いたこともねえが」

「それでも、今日みたいに手が足りないときなんか、こうしてお誘いがかかるんです」

「ふん…そういえば仲居の姿が見えんな」

芹沢は面白くもなさそうに鼻を鳴らすと、座敷を見渡した。

相変わらず場の空気を読まない沖田が、話題に乗じて軽口をたたく。

「芹沢さんが、尽忠報国じんちゅうほうこくの士なんて名乗るのもどうかと思いますよ」

芹沢は、それを受けて明里にニヤリと笑いかけた。

「お聞きの通り、俺はならず者でな。抱けないと言われれば、余計抱きたくなる」

「では、口説いてごらんになれば?」

琴は、はぐらかすように挑発した。

新見がコトリと盃を置き、

「なにも飯盛女めしもりおんなしゃくで飲むこともないでしょう」

さりげなく口を添えると、花香太夫がすかさず芹沢せりざわはべった。

「そうどすえ。芹沢先生せりざわせんせは今日の主賓しゅひんなんやし」


二人のフォローで琴は上手く芹沢をあしらって、山南のかたわらに避難した。

「ずいぶん新見さんと息が合ってるじゃないか」

さかずきを一口であおった山南が皮肉ると、琴は少し嬉しそうな顔で銚子ちょうしに手を添えた。

「あら、こんなに放ったらかしといて、ヤキモチ?」

「バカ」

「けどこの調子じゃ、貴方あなただけにかまってあげる訳にも…」


酒宴しゅえんもようやく興がのってきたという頃合いで、

芹沢が立ち上がり、上座から皆に問題の書状をひらひらと振ってみせた。

「おう、みんな!このび状の件だがな。こんな手形を振り出したことが世間様せけんさまに知れちゃあ、水口のお歴々にとって非常に都合が悪いそうなんだ。だから、ここは酒とさかなと綺麗どころに免じて、こいつをつつしんでお返ししようと思うが、どうかね?」

隊士たちは、口々に感想を述べたが、そのほとんどが下世話げせわな冗談か、口汚くちぎたな野次やじだった。

芹沢の動議どうぎはパフォーマンスで、もとより誰の許可を求める気もなかったが、ただ新見にだけは念を押した。

「新見、いいな?」

「ええ。別によろしいのでは」

新見の声には、以前の冷たさはなく、むしろ何の温度も感じられなかった。


間を取り持った剣豪けんごう戸田一心斎は、すっかり面目めんもくつぶされて終始しゅうし不機嫌だ。


佐伯がパンと手を打ち鳴らした。

「よっしゃ!ほな、これにて手打ちでんな。おい!戸田先生と局長の酒が切れとるやないかい!なにしとんねん、早よ持ってこんかい」


山南は店の対応に渋面じゅうめんを作った。

不味まずいな。どうなってる?」

琴が肩を寄せてささやく。

「ここの主人ね、以前、芹沢との間に色々あってヘソを曲げてるみたいなの。『色々』のところは省くけど、店の仲居に接客させるつもりはないって」

「経緯は、だいたい想像はつくからいい…え?じゃあ、君たちだけ?」

「そうみたいね。行ってくる」

琴は席を立って、階下に追加の酒を頼みに行った。


一方。

そうした緊迫感を察しない原田左之助は、無頓着むとんちゃくに残された酒を胃袋に流し込んでいく。

「なあ聞いてくれよ、傾城けいせい。こいつら、俺の話を信じないんでやんの」

しゃくをする一之天神いちのてんじんの肩を抱き寄せながら、座った眼で仲間たちを見渡す。

「なんどす?」

一之いちのが小首をかしげると、永倉が、

「またその話かよ!猿猴えんこうだかいうものがいるとかいないとか。いーのいーの、どうせ退屈な話なんだから放っとけば」

そう言って、一之いちのの腕を引き寄せる。

聞き上手の一之天神いちのてんじんは、永倉の盃と原田の承認欲求の両方を満たした。

「へええ。うち、聞きとおす」

原田は、自分から一之いちのい寄って熱っぽく語り出した。

「だから、河童かっぱに毛が生えたみたいなバケモンでね…」

「お!嵐山の話しの続きか?」「それは興味深い」

信じやすい松原忠治と河合耆三郎は、焼いた鮎をくわえながら身を乗り出した。


「…だから猿猴えんこうはホントにいるのよ。なあ?」

原田は、水口藩士と話していた藤堂平助の肩を揺すって同意を求めると、

「は?あ、あー。ええ」

藤堂は迷惑そうに、おざなりな相槌あいづちを打った。

「あれ?なに?おまえひょっとして信じてないでしょ?あんな、土方さんのインチキカッパ話は信じたくせに!」

「いえ、あれも別に信じちゃいないっす」

「だよなあ」

阿部が深々と頷いた。


戻ってきた琴が上座かみざに酒を給仕きゅうじしている最中に、

仕出し屋の料理が届いて、廊下ろうかには重ねられたぜんが渋滞し始めた。


「どうした?!酒がねえぞお!」

「料理が遅すぎねえか?」

平山五郎や野口健司も騒ぎ始め、とうとう一之天神や糸里天神も配膳はいぜんに追われることになった。


仏生寺を売ったという女中どころか、この店の女中がひとりもいない。

酒が進むほどに、芹沢の目も座ってきて、

「なるほど、そうきたか」

と薄気味の悪い笑みを浮かべ、だんだんと口数も少なくなってくる。

平間のいう「危険信号」である。


「おい!仲居はどうした?!」

また誰かが叫んだ。


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