全員集合
すみません、長女の話はこちらに書くのを諦めました。
なんとなく雰囲気でご理解いただけるとありがたいです。
紅子と樹
「あ、あのさ…」
ずっと大人しかった彼女がすり寄って来たことに気をよくして、樹は機嫌良く首を傾げる。
「うん、どうした?紅子ちゃん」
「いや…どうしたっていうか、さ…」
言い淀んでぐるりと周囲を見回した彼女は、一民家のさして広くもないリビングとしては、人が多すぎるんじゃないかという言葉を、結局飲み込んだ。
その視線の困惑に気付いた彼は、ああっと言外の問いを理解して、慣れてねなんて気軽に笑う、けれど。
正月に強制連行された樹の実家、佐久間家は…びっくりするくらい大人数だったのだ。
いつだったか話しのついでに5人兄姉だと聞いた気もするが、まさか彼を除く兄姉全員が結婚しているとは知らなかったし、こうして一同に会してみると圧巻だとも知らない。
揃いも揃った家族が伴侶と、子供も連れていたりして、20畳足らずのリビングはまさしく足の踏み場もないほど混雑していた。
取りあえず身内でないのは自分1人だと思うと、果てしない疎外感を感じてしまう。できるなら逃げ帰りたいとさえ思っているのに、慣れろとは無茶を言うではないか。
「や、誰が誰だかわらんないし、ま、ここまでくると、それでもいいような気もするし…」
すっかりできあがった宴会に途中参加した紅子は、出迎えてくれた樹の母親以外、見知った顔がない。
血縁者か婿か嫁か、いっそ清々しいほど判別不能の混乱状態の中、樹も両親と短い挨拶をした後話し込み、所在なげな彼女を周囲の人々も伺えど声をかけない数分を過ごせばそんな気分にもなる。
好意を感じるとか悪意を感じるとか言う前に、好奇心を感じる。それもあからさまなヤツ。観察されている空気がありありなのだ。かといって、
「ごめん、ほったらかして。機嫌悪くした?この家にいるのもいや?」
こう心配そうに聞かれると、頷くほど気分を害したわけでもないのだ。
ただ、これから樹に紹介でもされて回った日には、質問攻めにされるか構い倒されるか…どことなくウキウキ浮かれた視線を感じるにつけ不安になるんであって。
「その手の心配はしなくて大丈夫。見てる分には楽しいよ、見てる分にはね…」
美しい男女を鑑賞するのが好きな面食い紅子としては、垂涎ものの光景だとこっそり思ったりもする次第。
そう、ここには美人がたくさん、なのだ。
さすが樹の身内というか、もしや皆さん面食いなのか疑うというか、ああ、鑑賞専用ならここは天国みたいなのに。
けれど、そんな勝手は通るわけもなく、やっぱりいってしまうらしい挨拶回り。
「見るより知り合った方が絶対楽しいから。最初は一番落ち着いてるとこから行こう」
気乗りしないなぁなどと、不届きなことを考えている紅子を引っ張って、さあ樹の家族紹介が始まる。
理事長と文
そこだけ、異空間だった。
庶民的でわいわい楽しそうに盛り上がってる佐久間家の居間で、なぜかこの夫婦だけ纏う空気が違う。
文は物腰柔らかで大人しそうな美人妻だし、夫の会社・学校経営をしているという男も物静かに落ち着いてゆったり微笑みを浮かべているという、普通の人物のようだが、さて。
お金持ちというのがにじみ出て、一般人とは線を引いて見えるのだろうか?それとも別の要因が?
「あのマンションは、義兄さんの持ち物なんだよ」
樹の説明に納得だと大げさに頷いて、失礼だったかと紅子は焦った。
人が住むには硬質すぎる雰囲気の家の持ち主だと聞いて、納得したらまずいのではないだろうか。
冷たい人だって暗に匂わせてるとか、とられてはいないだろうか?
しまったと慌てて理事長を見上げるけれど、彼の人は涼しい顔で鷹揚に見下してる。
違う見てる、だ。ミクダシテなんて、ないない。断じてない。
どうしたものか。何故かこの男にに対して妙に卑屈になるってしまうことに首を傾げた紅子は、尚も下手に出ようとする自分を鼓舞して無理矢理微笑みを作った。
「ずっと使ってくれて構わなかったんだが、やはり2人で住むには手狭だったか?」
「とんでもない!広すぎですよあそこは」
樹が大仰に否定するのは、もっともだ。
…ずれてる、どこかおかしい、その感覚。
無駄に空間が余ってるあの部屋の、どこが狭いというのだ。むしろ広い。広いからこそ部屋数の少なさがもったいない。
これが正しい庶民感覚というものである。
などと、一般人とエグゼクティブの金銭感覚のギャップに思いを馳せていたものだから、危うく紅子は聞き逃してはならない単語をスルーしてしまうところだった。
「え?2人で、住む?」
なにを突然言い出すのか。
(住まないし。っていうか、どうして身内が同棲を勧めちゃうの!大人でしょ、止める立場じゃん、子供|(?)の暴走を!)
どうにも腑に落ちないのだと男2人に抗議しようと顔を上げて、開いた口は何故か理事長の薄ら笑いにびたっと凍る。
「住むだろう?樹君がそう望んでいるんだから」
「え、や…」
「住むんだ」
「あ…う…は、いぃぃ…」
(決して、決してこれは本音で言ったんではない!)
と、負け犬紅子が胸の内で拳を固めたとて、口にした言葉は戻らない。
目に見えない強大な力に強制された気がするが、そんなものは見えないし、もちろん認められない訳で。
全く以て本意とはほど遠い承諾に、だけど至極満足そうな理事長は優しく優しく微笑んだのだ。
「いい子だ」
なんだろう、このギャップ。そして、この充足感。
まずい、まずい気がする。これにはまると抜き差しならない事態に陥る、そんな恐ろしい予感がひしひしと。
次の挨拶もあるからと、混乱中の紅子を彼らの前から引き離してくれた樹は、正体不明の恐怖に怯える彼女に哀れみの視線を送りつつ、そっと耳打ちした。
「同棲の話は本気じゃないんでしょ。大丈夫、わかってるから」
縋るような彼女にうんうん頷いて、彼はしょうがないんだよね、とつぶやく。
「義兄さんには、逆らえないよね。うまいっていうか、あれはコアな性癖だけど、紅子ちゃんみたく素直な子は抵抗力ないから簡単に誘導されちゃうってか。うっかりすると文姉さんみたく、嵌るかな…」
「嵌るって、なににっ?!」
あんな恐ろしいものに関わるの、もうごめんなんだけど!
泣きそうになってガッと腕に縋る彼女は、相当本気で戦いている。下手したら、泣き出さんばかりの恐慌ぶりだ。
「はは、落ち着いて。人間、初めて出会うものには恐怖を感じるものだからさ。それが快楽に直結してると思うと、罪悪感もあって余計恐いよね。オレは至ってノーマルなつもりだから、倦怠期になったらまあ、多少は考えるかも知れないけど、今の所心配ないから平気、平気」
だーかーらーっ!なにが平気なんだい!
声をひそめながら、がうがう叫ぶ紅子のもう半壊してる思考回路に、だから小声の呟きはあんまり理解できなかった。
「首輪はねぇ、あんまりにもあからさまだよね。チョーカーに見せかけるにもあんだけ使い込んでると無理があるって、わかってやってんのかな?…計算の内か。だって義兄さんだもんな…」
げに恐ろしきは、大人の事情。
聡介と優
陽気なダンナさんだなぁと、じゃれる男2人を眺めていた紅子は、うって変わった明るさにホッと胸をなで下ろしていた。
なにしろ、さっきは危険で妖しい空気が垂れ流しで、不可抗力とはいえそのただ中にいなければならないという試練に遭っていたのだ。にこにこ楽しそうな夫婦といるのは、心が安まる。
「落ちつかん男や思うとったら、ロリコンやったんか」
「ちがっ!へんなこと言わないでよ、聡介さん!紅子ちゃんが誤解したらどうするの」
「いちいち教えてもらわんかて、十分お前の性癖わかって付き合うてくれてんのやろ。九つ違うなんて、犯罪や」
「その発言、世の年の差カップルに刺されるよ」
「心配ない。英兄は優秀な外科医やからな」
「論点ずれてるし」
ヘッドロックをかました男と、かまされた男。声を潜めるでもなくやりとりされる言葉は、冗談と愛情がいい具合に混ざり合っていて耳に心地よかった。
そんで、いい男同士がもつれ合うのを見学するのは、目に心地よい。
生暖かく見守っていると、隣で樹のお姉さんだそうな優が柔らかな笑みをこぼした。
「聡介さん末っ子で、いつもはお兄さん達にいいように構われてるものだから、樹で憂さ晴らししてる感じね」
呼吸困難になりかけている弟の心配は、しないんですか?
…なんて疑問は、紅子に湧いたりしなかった。そんな些末な事より、この美人なお姉さんが、重大な情報を漏らしたからだ。
ぐるっとすごい勢いで優を振り返った紅子は、恐いくらい真剣な目で詰め寄る。
「え、お兄さん達って、あの綺麗な顔があと2つもあるんですか?!」
聡介は、芸能人バリに格好いい。
30も半ばを越えている計算のはずだが、見た目年齢は30そこそこで、ラフな格好がちょい悪系、ついでにお医者さんだというから、ステータスバッチリ。
ちょっとその辺には、落ちていない物件なのだ。その上、お家はおっきい病院でさっきの会話から察するに、家族中医療関係者である可能性が高い。
美人でドラマになりそうな家族構成なんて、見たい!
「あるわよ~ご両親も美男美女だし、そのお嫁さん達は可愛いし、同じ敷地にみんな住んでるから、揃うと壮観」
卑しい欲求丸出しの彼女に返ったのは、煽るような内容といたずらっぽい表情だったものだから。
「あの、遊びに行ったらダメですか?いえ、是非行かせて下さい。日帰りで構いません。垣間見るだけでも構いません。あたし、綺麗な人たち見るの生き甲斐なんですっ!」
思わず本気で頼んで、大笑いされてしまった。
怒るでなく咎められることもなく、ただ本気で笑っている。笑われている。
「ん?どうしたんや、優」
そのあまりのはっちゃけぶりに自分の妻を気遣った聡介は、理由を聞いて途端、眉をひそめた。
まずいことを言ってしまっただろうかと身を固くする紅子を上から下まで眺めて、首を振っている。
「あ、あのっ!冗談です。そんな図々しこと、本気じゃないです!」
誰だって自分の家族が鑑賞対象にされたらいやだよなぁ…。
そんな至極当然の反省を込めて、言ったのに。
「着替え、一週間分は用意してな。凪子が子供生むまでの暇つぶしに絶対捕まるから。姉さんは実家に避難中やし、優は病院あるからなぁ…助けてあげられへんけど、おかんも悪気はないし」
「孫が、全員男の子なのが、悪かったわよね」
「早よ凪子が生んだらええねん。あれは女やってわかってんのやろ」
「…着せ替え人形、決定ね…」
「紅子ちゃん、オレもついてくから、安心して。ね?」
「男は役に立たんぞ」
「うん。出し抜かれるよ、絶対」
「え?ええ?!」
なんだか、あずかり知らないトコで話しがずんずん進んでいくのを止めることもできず。
とんでもなく面倒な事になりそうな予感だけを抱いて、紅子はただ狼狽えることしかできなかった。
大阪には、どんな厄介ごとがあるんだろう…?というか、大阪旅行決定なの?!
宝と慧子
「…いやだわ、身内に3人目の犯罪者」
樹の顔を見るなり嫌そうに呟いたお姉さんに、紅子はがちっと固まった。
彼女の冷たい表情に、ではない。美人が冷徹に振る舞うのはむしろ好きなんで問題はない。そうではなく、犯罪者って言葉にだ。
誰のことだろう?文さんのダンナさんだろうか(いかにもそれくさい)、それとも聡介さんが脱税してるとか?
などと余計なことを考えてぐるぐるしていると。
「あはは、慧子てばおかしな言い回しするから紅子ちゃんが固まっちゃったでしょ。犯罪って、年の差のことだから気にしないでね?ほら、文姉さんトコも、蜜のトコも随分年齢差があるんだ。もちろん樹と君もね」
さり気なくフローしてくれた彼女の夫である宝の言葉に、紅子は安堵して慌てた。
「あのっ!淫行じゃないです。19なんで犯罪じゃありません。でも最近、安売りは良くないんじゃないかって思ってたとこなんで、この先は交わせる限り交わしてみます!」
図らずも力説だ。
樹といると絶えず身の危険にさらされている気がする紅子は密かにこんな決意を抱いていて、初対面の佐久間家の面々に悪印象を与えるのは嫌だって気持ちと相まって、思わず宣言口調になってしまった。
もちろん、それを聞いて黙っている相手ではなく。
「えっ?紅子ちゃんそんな良くないこと考えてたの?オレずーっと我慢?それ無理だろ。つーか襲うから、そんなら」
「やめなさい、この犯罪者」
当然とばかりよろしくない宣言をした樹を、当たり前のようにつっこみを入れた慧子がすかさず止めた。
「なんで?オレ達愛しあってんだから大丈夫だって」
請け合う弟の後頭部を軽く叩いて、今度は兄が止める。
「合意がなかったら、大丈夫じゃない。男なら相手がその気になるようスマートに誘導しろよ。数こなすばっかりでちっともスキルアップしないから、そういうみっともない発言が出るの。いいか、女の子をその気にさせるにはな…」
がちっと肩を組んだ兄弟が始めた、よろしくない密談を紅子は聞いてみたかったのだけれど、
「はいは~い、あなたはこっち」
両頬を挟まれて、慧子にくるりと振り向かされてしまった。
口角を上げていたずらっぽく笑った綺麗なお姉さんは、耳元に唇を寄せて大人の女のルールをちょっとだけ少女に教えてくれる。
「男の子の舞台裏はね、覗いちゃダメ。例え聞こえても、知ってたとしても、黙ってのせられてあげるのがいい女なのよ」
微笑む彼女にほんのり甘い香水がまとわりついていて、間近に見えるルージュの赤がとっても綺麗で。
「あの、あたし、樹よりお姉さんが好きかもデス」
うっかりのぼせ上がった紅子が抱きつかんばかりに慧子にしなだれかかるのを、
「わぁっ、慧子さん!それオレの、オレの!」
慌てて樹が取り戻したとかなんとか。
やっぱり美人は大好きだと、再認識した紅子だった。
秋夜と蜜
ここ数時間、未知との遭遇の連続だった紅子だが、末っ子の蜜夫婦に出会った衝撃は群を抜いていた。
「あ、あの、ファンです。本、めちゃめちゃ読んでます。友達も読んでます。頑張って下さい…じゃなかったサイン下さい…でもなかった、はじめました」
なんのことやら。
混乱と驚愕で色々取り乱し満載な挨拶をした紅子は、写真嫌いで有名なベストセラー作家と彼のエッセイやインタビューに度々登場する愛妻を間近で見られた興奮で、少々壊れ気味であった。
そんじょそこらのモデルより余程見目麗しい夫婦は、常人と明らかに違うオーラを纏って優雅に微笑んでいる。
夢を見ているいるようで現実が飲み込めない紅子の耳に”読んでくれてるんだ、ありがとう”とか、”今度家にもいらして下さい”とか、ありがたい言葉が届けられるのに、あんまり舞い上がりすぎた彼女は全く聞き止められずに自分の世界へトリップしていた。
「あの空気…凡人とは違いすぎるよね。清廉で純粋な…まるで天界の住人そのもの。雲上の人とはよく言ったもんだわ。最早、同じ空気を吸うのさえ恐れ多い…」
「はいはいはい、勘違いはそこまで。あの人達はちょっと浮世離れしてて、オレ達と違うペースで生きてるだけの同じ人間だって。んとに君は、すぐおかしな妄想して暴走するんだから」
帰っておいでと、樹が現実復帰を促しても紅子の目にかかったフィルターは外れなかった。
「そんなことない!あ~んな面白い話が書ける人が同じ人間とか有り得ない!神よ、神!」
ファンとはそんなものだ。基本、夢見がちで想像力がたくましい。いや、彼女は逞しすぎる。
「ふふふ、秋夜さんが神様…なんか、格好いいですね」
「そう?僕が神様なら奥さんの蜜さんは女神様、かな。すごく豪華な夫婦だね」
でも、くすくすと笑い合う不思議な空気を醸した2人を見ていれば、そんな妄想を抱いても仕方ないのかも知れない。
なんて、世の理から離れた連中なのだろう。
「紅子ちゃん、毒されないでくれよ~。オレは悲しいくらい平凡な男なんだからさ」
映画でも見る気分できゃっきゃっと騒ぐ恋人を、指をくわえて眺める樹はとっても憐れだった。