見たかったなぁって
出会って二日目のお話です。
毎週木曜更新予定です。
「かずきー! 遅刻するよー!」
「……」
「かずき?」
「……」
「おーい」
「……あ」
「どうしたの? 昨日からずっとぼーっとしてるよ?」
「え?」
「いつものかずきじゃない」
「……あぁ」
昨日のことが、頭から離れない。
初めて本音を言えた。
初めて出来立ての夕飯を、誰かと食べた。
初めて名前を褒められた。
恋と呼ぶには浅はかで、
思い出と呼ぶには、まだ現実味がなかった。
*
授業もまともに頭に入らない。
黒板の文字は写しているのに、先生が何を話していたのかは覚えていなかった。
午後にはプール掃除があるらしい。
うちのプールはK高との共用だ。
夏になれば、向こうの生徒もこの学校にやって来る。
でも、プール掃除には来ないだろう。
K高は進学校だ。
プール掃除なんてしている時間はないはずだから。
「ひどいよな! プール掃除はこっちだけなんてさ!」
「まぁ……あっちは進学校だし」
「それにプールの授業も合同じゃないんだぜ?」
「それは関係なくない?」
「はぁ……無駄にデカくて深いの腹立つ……」
「やんないと終わんないよ」
一年放置されたプールは、底にも壁にも藻がこびりついていた。
ブラシで擦っても、なかなか落ちない。
こんな田舎の学校じゃ、高圧洗浄機なんてあるはずもなく、頼れるのはブラシ一本だ。
やらないと終わらない。
終わらなければ、泳げない。
泳ぐのは嫌いじゃない。
水に身を預けている時間だけは、何も考えなくていい気がした。
「かずき! 危ない!」
視界がぐらりと揺れた。
*
シャーッ。
目を開けても、しばらく現実感がなかった。
このまま、ずっと目を覚まさなくてもよかったのかもしれない。
「あ、起きた?」
保健室のカーテンが開く。
白衣姿の先生がこちらを覗き込んだ。
「男子の一人がね、悪ふざけでブラシを投げちゃって、頭に当たったみたい」
「お友達がここまで運んでくれたのよ」
「軽い脳震とうだと思うけど、今日は無理しないでね」
「そうですか……」
「一応、お母さんに迎えに来てもらおうか?」
「……いえ、大丈夫です」
呼んでも、母さんは仕事だ。
「本当に歩ける?」
「はい」
「じゃあ、今日はまっすぐ帰ること。何かあったらすぐ病院だからね」
「はい、さようなら…」
「うん、さようなら」
保健室を出る前に鏡を見る。
額には白いガーゼが貼られていた。
思ったより目立つな。
窓から吹くぬるい風が少しだけ頭を冷やしてくれた。
「疲れたな……」
みんな、もう掃除終わっただろうか。
遠くから運動部の声が聞こえる。
たぶん、何事もなく終わったんだろうな。
ブラシで脳震盪か……
ちょっと恥ずかしいな。
友達にも心配かけただろうし。
「……あれ?」
聞き覚えのある声。
振り向く。
「かずみくん?」
「あ……」
「え!? その頭どうしたの!?」
「あ、えっと…ブラシが当たって」
「ブラシ!?」
「投げたの!?」
「いや、僕は投げてなくて…」
「そっか…危ないから投げちゃダメだよ」
「あれ……」
「てか、なんでかずみくんいるの?」
「いや、ここ僕の学校……」
「え? そうなの?」
「なんで桐生さんこそ…」
「苑乃でいいよ」
「苑乃さん…」
「苑乃でいいよ」
「苑乃…」
そう呼ぶと、彼女は嬉しそうに笑った。
その笑顔が、なぜか少しだけ眩しく見えた。
「なんかね、人数が足りないとかなんとかで、プール掃除しに来たの」
「なんとかって……」
「いやー、かずみくんがここの高校だとは思わなかったよ!」
「昨日、制服着てたのに気づかなかった…?」
「あー、それは、あんまり周り見てなかったから…」
「今から帰り?」
「先にプール見たい」
「え?」
「途中で抜けたから……どうなったか気になって」
「鍵貰ってこようか?」
「いや、見るだけだから……」
まだ掃除の途中だった場所を、少し確認したかっただけだ。
*
「僕が倒れる前より綺麗になってる…」
「そりゃ頑張りましたから」
「ありがと」
「……さて、どこでかずみくんは倒れたのかな?」
「そんなの確認してどうするんだよ」
「見たかったなぁって」
彼女は、当たり前みたいにそう言った。
でも、目だけは少し、いつもより真剣だった気がした。
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