海に一
優しくないと壊れてしまう少年と、頑張ることでしか自分を保てない少女の、一夏の物語。
読んでくださる方の心に、少しでも残るものがあれば嬉しいです。
「お詫びも兼ねてご馳走しないと!」
「ちょっ…」
「なに?どうしたの?」
「いや、いきなりすぎるし」
「いや、だってご飯ダメにしちゃったし…」
「名前も知らない人の家でご飯は食べれないよ…」
「桐生苑乃」
「え?」
「苑に乃って書いてその!」
「あ、はい」
「かずみくんはどういう字書くの?」
僕、かずみじゃないしな…どうしよ…
「海に一って書いてかずみ」
思えば、人生で初めて嘘をついたかもしれない。
親からもらった名前を、自分で書き換えた。
「へー、綺麗だね」
「そうかな…」
苑乃は特に気にした様子もなく、廊下の奥へ歩いていく。
嘘なのに。
どうして少しだけ嬉しかったんだろう。
……よくないな。
母さんがつけてくれた名前を否定してるみたいで。
でも、この名前を名乗るのは今日だけだ。
「ついたよ、ここが私の家!」
なんてことのない平屋の家。
新しくも古くもない。
ところどころに、人が暮らしている跡が残っていた。
「入って入って」
「……本当にいいの?」
「いいの!ほら!」
返事を待たずに腕を引かれる。
「いや!でもご両親とかに申し訳ないし!」
「多分今日は帰ってこないし……」
「あ…」
「だから大丈夫!私が作る!」
さっきの沈黙が、嘘みたいな笑顔だった。
「座ってて!作ってくるから!」
そう言って彼女は廊下に出ていってしまった。
初めて入った女の子の家。
どこにでもあるような家のはずなのに、どこか落ち着かなかった。
女の子だからっていうのもある。
けど…それより…もっと…
「ねぇ、嫌いな食べ物ってある?」
「うわっ!」
「うわっ!びっくりしたぁ…」
「すみません…」
「食べれないものある?」
「蕎麦がダメです」
「良かった、うちに今蕎麦ないよ」
*
「できたよー!」
制服のままの彼女がお盆を持って部屋に入ってきた。
「なんだと思う?」
「カレーですか?」
「ううん、カレーうどん」
器から湯気が立ちのぼる。
誰かと一緒にご飯を食べること自体、久しぶりだった。
そして、ふと気づく。
僕は今から、制服のままカレーうどんを食べるらしい。
*
「美味しかった?」
「はい、ありがとうございます」
「美味しかったか聞いてるのに…」
「あ、美味しかったです」
「良かった」
「……」
「私ね久しぶりに人とご飯一緒に食べた」
「…僕もです」
「そっか…」
「あっ!」
「あ!こんな時間!帰ろっか!」
「あ、長居してすみません」
「いやいやいや!あ!送るよ!」
「え、近いから大丈夫です」
「私が送りたいの!」
夜の道はいつもの道とは違って見えて、なんだかすごく怖くて、静かだった。
「変だったでしょ……」
「……家?」
「うん」
苑乃は少し先を歩きながら、僕の方を見ずに言葉を選んでいるようだった。
「ごめんね。ちょっと普通じゃないから」
「…」
コンビニから出た時のベタつく暑さは日が沈んでぬるい風に変わった。
勝手かも知らないけどなんとなく、彼女が公園で泣いてた理由が分かったような気がする。
「お父さんが…借金残したまま夜逃げしちゃって…」
「どのくらい?」
「わかんない…でも私も働かないとダメなくらいで…」
「……そっか」
「今日は一緒にご飯食べてくれてありがとうね…」
「うん」
「また誘ってもいい?」
「…うん」
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