あやまち。
知ってるよ。
あたしは、あなたのこと知ってるよ。
教室の蛍光灯が切れると、背の高い彼は必ず頼まれるの。
だから、あたしは高いところが好きなフリ。
蛍光灯を付け替えてみたいってワガママ言って
みんなを押しのけ机の上に椅子を乗っけて よじ登るの。
本当は高いところなんてあんまり好きじゃない。
でも、すっごく楽しそうにしてれば、みんな ため息ひとつで許してくれる。
そのため息に混じって、彼が安堵のため息をついているじゃない。
知ってるよ。
高いところが苦手なんでしょう?
大きい身体は椅子の高さですらバランスが取りにくいんでしょう?
知ってるの。
あたし、ずっと見てきたから知ってるの。
見事、蛍光灯を付け終えてヒラリと着地すると
古い蛍光灯を持って、用務員室へ駆け出す。
そして、ひとりになってから うずくまるんだ。
だってヒザがふるえてる。本当はすごくこわかった。
でも、彼の助けになれたなら すっごくうれしい。
そう思ってにやにやしてたあたしに声がかかった。
彼だ。
追いかけてきた彼は、ひと言『ありがとう。』って。
あなたの為だったのはバレてるんだ…。
別に、高いトコがどんなものか見たかっただけだって
つい、そんなことをうそぶく。
あぁ、恥ずかしいなぁ。
早く向こうに行ってほしいのに
いつも無口な彼が珍しく話を続ける。
念願の高いとこは、どんな気分だったかって。
すねるようにそっぽを向いたあたしの口からは
あんなグラグラする椅子の上からじゃ観察するヒマなんて無かったと
すねた口調も合わさって最高潮に かわいくない答え。
今日は何だか最悪だ。ちょっと泣きそうになってヒザを抱える。
次の瞬間、あたしは宙に浮いてた。
どう?って聞く彼の顔が凄く近くにある。
抱っこされてる…!?
きゃあきゃあ叫んでジタバタすれば
彼は慌ててあたしを降ろしてくれた。
八歳年下の妹がいるんだって。
だからつい、妹にする感覚で抱き上げちゃったって。
大きな身体を精一杯ちぢこませて彼は謝罪する。
妹かぁ。
意識しすぎたあたしがバカだった。
別に気にしてないと、急だったからビックリしただけだって伝えれば
目線を合わせるため折り曲げてた背中を安心したように伸ばす。
その空いた距離がちょっと悲しくて
ちゃんと見れなかったから、もういっかいと腕を広げてみる。
蛍光灯をあたしの代わりに持っていこうとしていた彼が驚いたように振り返って
微笑ましいものでも見たかのように、あたしの頭をなでた。
そんな、いかにも子供を相手にするような行動が なんだか嬉しくて
妹も良いかもしれないと甘い疼きを胸に抱えたんだ。
ふっ と、目を開ける。
頬に感じる上等なシーツの感触、仄かに室内を照らす間接照明の明かり
頭を撫でる心地よい温かさに、また うとうとと霧散していく思考回路をどうにかこうにかかき集めて、自分が過去の光景を夢見ていたことに気付いた。
「んー、いま何時?」
「…21時……」
既に服を着たタカちゃんが布団を引っ張り上げ、身じろぎしたせいで剥き出しになったあたしの肩を覆う。ついでにポンポンと布団を叩く様は子供をあやす父親のようだ。
「……車出す…まだ寝てればいい…。」
「いいよ。まだ電車あるじゃん。」
「………」
あ。うつろな瞳。不機嫌になっちゃった。
「あー、でも面倒だから、やっぱり送ってもらおうかな。」
甘えるように見上げれば、タカちゃんに光を帯びた瞳が戻って、あたしの頭をひと撫でする。こうやって思い通りにならないと不機嫌になったりして、タカちゃんは意外に子供っぽい。誰もその不機嫌さに気付かないから知られていない、あたしだけが知るタカちゃんの顔だ。
あたしだけが知る…
あたしだけのタカちゃんの……
「……?…どうした?…」
じぃっと見つめていたら、タカちゃんが気付いて見つめ返してくる。
その瞳には確かに好意が見える。
それもそうだ。じゃなきゃ5年も彼女なんかやれない。
「べっつにー。ちょっと、昔の夢みちゃっただけー。」
両手を広げて、抱っこ とせがむとタカちゃんは躊躇せずにあたしを抱き上げた。
5年前と変わらない腕。5年前と同じ力強さ。
そして5年前から変化の見られない…瞳。
好意は確かにある。
こうして、夜を共にしてくれるぐらいの。
それだけの…。
「ふふ…。妹さん13歳になったんだっけ?そろそろ、こうやって抱っこするのも難しい年頃だねぇ。タカちゃん、さびしいでしょ。」
「…べつに……」
あ、不機嫌になっちゃったかな と慌ててタカちゃんの瞳を仰ぎ見ると、言いたいことがある時の瞬く瞳。
え…、抱っこで…?なにが言いたいの??
もしかして…あたしのこと、もう抱っこするのも嫌なの…?
ぎゅっとしがみつく。
ききたくないききたくないききたくない!
「あの時はビックリしたなぁ!ほ、ほら覚えてる?高校生のとき、急にタカちゃんがあたしのこと抱っこしてさ!!」
ピクリとタカちゃんが身じろぐ。
「妹さんが居てクセになってるからしょうがないとはいえ、許可なく女性を抱きかかえるなんて…っ」
そうだよ。タカちゃんが抱きかかえたんだよっ
タカちゃんが…っ
タカちゃんから……――
「妹さんも、もう抱っこを卒業する時期でしょ…これからは、あたしが抱っこさせてあげる。妹さんの代わりに…」
妹でいいから…
贅沢は言わないから…
ただ、そばにいて…
そう願いを込めて、タカちゃんのシャツを握り締める。
瞳は見れない。
でも、ふぅっと もれた ため息に諦めがにじんでいて、彼が沈黙を選んだことを悟った。
これで、いい…
これでまだ一緒に居られる…
これで……――
ピンポーン と
静寂をやぶるようにインターフォンが鳴った。
「こんな時間に…?」
見上げれば、タカちゃんも首をかしげている。しかし、間違いではないように、もう一度、更にもう一回とインターフォンが鳴り続け、タカちゃんは、あたしをベッドに降ろすとリビングへ向かう。
インターフォンのカメラ越しにボソボソとしゃべるタカちゃんの声が聞こえたあと、そのまま足早に玄関へ向かう気配がして、あたしは胸騒ぎを抑え服を着るとコッソリ玄関を覗き見た。
「 タカ…! 」
なん…で…?
――― ふふ、タカってば大人気ない。 ―――
そうタカちゃんに親しげに話しかけた彼女が、
深刻そうな面持ちでタカちゃんにすがりついている。
「タカ…っ わ、私には、やっぱり無理…!」
「アヤコ…落ち着け」
でも、問題は 彼女がタカちゃんにすがりついていることじゃない。
「ねぇタカっお願いだから、諦めてよ…っカリンさんは明るい人でしょ?きっと…きっと、良い女将になると思うの…っっ私じゃダメだよ…ダメなんだよ……」
「アヤコ…」
タカちゃんは、意外と子供っぽい人だ。
思い通りにならないとすぐに不機嫌になるし、あたしを見つめる瞳は確かに好意的だけど、どこか子供染みた未完成の愛って感じ。
なのに…
「アヤコ。…お前なら大丈夫だ…絶対に良い女将になれる。」
そう言って、彼女を抱きしめるタカちゃんの瞳は愛にあふれてた。
すべてを許すような
すべてを慈しむような
絶対的な
愛に。
ふるえるヒザを叱咤して、ゆっくりあとずさりする。
ベッドにもどろう。
それで、なにも見ていないフリをして、なかったことにしちゃうの。
そうしたら、いままでと同じ。
いままでと…同じ。
ガッとリビングの大きな棚に足を取られ、その場にへたり込む。
足に力が入らない。
玄関の二人は、じきにリビングへやってくるだろう。
そして、あたしとタカちゃんは終わりを迎えるんだ。
(女将って……タカちゃん、その人とお店を継ぐの…?)
何かが、はらり と目の前に落ちる。
棚の上に置いてあったのだろう。呆然となったあたしは、それを無意識に拾った。
婚姻届
の文字が見えて、ぼやけていた未来が現実味を帯びて襲い掛かってくる。
夫の欄はタカちゃんの字で全部埋められていた。
本気だ。
タカちゃんは本当に結婚するんだ。
あたしを、捨てて。
満たされていく。
心が
ぐつぐつとした怒りに。
さっきまで力の入らなかった足が嘘のように力強くフローリングの床を蹴った。
ペンをとる。
バカだ。
こんなことして何になるんだろう。
でも5年。
5年間もずっと好きだった。
いつか
いつかタカちゃんも振り向いてくれるって
それだけを信じて…
「…花梨…?」
顔を上げるとタカちゃんがリビングに入ってすぐのところで立ち尽くしている。
きっと、あたしの異様な雰囲気を察しているんだろう。
「ねぇ、タカちゃん…女将になるのは、あたしでしょ?」
きょとん としたタカちゃんの瞳が、次の瞬間どす黒く怒りに染まる。
わぁ、タカちゃんって怒りすぎるとそんな瞳をするんだぁ
なんて
場違いなことに感心しながら静かにその瞳を見つめた。
だめだよタカちゃん。
怒ろうがあたしには関係ないもん。
タカちゃんが手に入らないなら嫌われたって何したって関係ないんだ。
「花梨…女将になるのはアヤコだ。」
「ふーん。でもほら、コレ出しちゃったら終わりだよねぇ。」
ピラリと婚姻届を見せるとタカちゃんが怯む。
こんな棚に置いておくなんてバカみたい。アヤコさんにさっさと渡せば良かったのに。
「…花梨…、名前が…書いてあるんだが……」
「うん。名前だけじゃないでしょ。妻の欄は全部記入しちゃった。あとハンコ押して出せば終わり。」
「…ハン…ハンコは…?…」
「家だけど…。まぁ、コレって1人でも出せるんでしょ?勝手に押して出しちゃうもん。」
「………」
タカちゃんが無言で近づいてくる。
あー…、黙って持って帰って勝手に出せば良かった。これじゃ奪われたら終わりじゃない。
無駄な抵抗かもしれないけれど、婚姻届をぎゅっと胸に抱きガードする。
ぐいっと持ち上げられる感覚がして、気がつけばタカちゃんに抱っこされてる体勢。
「ちょ、やだ!離して!!こんな時まで妹扱いしないでよ…!」
「……してない。」
「してる!抱っこなんて、もうヤダ!!おろして…っ」
「…だめだ。」
そういうタカちゃんの瞳は、いつもどおり子供みたいな瞳。
5年前と何も変わらない、ただの好きという気持ちしかない瞳。
くやしい。
かなしい。
くるしい。
なんであたしの言うことは聞いてくれないの?
なんであたしのこと愛してくれないの?
「花梨……どうした?」
ぼろぼろと、こぼれるあたしの涙にタカちゃんが戸惑った声をあげる。
なのに、一向におろしてくれはしない。
「タカ…とりあえず、降ろしてあげれば…?」
呆れるような顔をして入口に佇むアヤコさんがそう言うと、さっきまで頑なに、あたしのことを降ろそうとしなかったタカちゃんが、アヤコさんの言うことは聞いて素直にあたしを降ろそうとする。
あたしの言うことは聞かないくせに何であの女の言うことは聞くの!?
「や、やだ!降ろしちゃやだ!!」
「カリンさん…、そのままじゃ冷静に話し合うこともできないと思うけど…」
「話し合うことなんてないもん!あたしがタカちゃんと結婚して女将になるの!!」
「花梨…っ女将になるのはアヤコだ…っっ」
「……っっ やだ!あたしが女将になるの!!」
「…! 名前を書いただろう花梨…俺は絶対に花梨を女将になんて…――」
「 あぁもう! ちょっと、お兄ちゃんは黙ってて!!! 」
大きな声が、室内に こだました。
声の主をピタリと見据える。
背が高くて大人っぽくて綺麗な女性が肩で息をして
黙ったあたしたちを見て満足気に鼻を鳴らした。
その、ちょっと怒った顔をよくよく見れば
そこかしこに見知った顔が見え隠れしていて
あたしは、今世紀最大の過ちを犯したことを自覚したのだった。
という、タカちゃんとアヤコさんの関係でした!
ドロドロ?なにそれおいしいの??と言わんばかりの展開。
まぁ、定番ですよね…
とりあえず、あと一話で完結です…!