第65話 悔しさと、眩しい背中と、甘すぎる言葉【マーティナ視点】
【マーティナ視点】
遠足事件から一週間が過ぎた。
だが、私の中ではまだ終わっていなかった。
朝。まだ空が薄暗いうちから走る。走って、走って、走り続ける。呼吸が苦しくなっても止まらない。足が重くなっても止まらない。それでも足りない。全然足りない。
「はぁ……はぁ……」
額から汗が流れる。それでも木剣を握る。何度も振る。何百回も振る。腕が痺れても。肩が痛くても。手の皮が剥けても。
止められなかった。
なぜなら――あの日の光景が何度も頭に浮かぶからだ。
魔狼。悲鳴。血。絶望。そして。私を庇ったブルーノくんの背中。深く裂けた傷。真っ赤な血。倒れる姿。
「私のせいで……」
その言葉が何度も心を刺した。
もし私がもっと強かったら。もし私がもっと早く気付いていたら。もし私が守れる側だったなら。あんな怪我はさせなかった。
そう思うたび胸が苦しくなる。
女性騎士団に入る。それが私の夢だった。小さい頃から憧れていた。誰かを守れる騎士。困っている人を助ける騎士。強くて優しい騎士。
だけど現実の私は――守られる側だった。
それが悔しかった。悔しくてたまらなかった。
木剣を振るたびに思い出す。自分の無力さを。あの日の恐怖を。そしてブルーノくんが倒れた瞬間を。
全部、自分の力が足りなかったせいだ。
★
今日はブルーノくんのお見舞いの日だった。病院へ向かう足取りは重い。病室の前まで来ても、なかなか扉を開けられなかった。
怖かったのだ。
どんな顔をすればいいのか分からない。謝罪?感謝?どちらも違う気がした。
それでも勇気を出して扉を開く。
「あれ?」
聞き慣れた声。
「マーティナさん」
ブルーノくんだった。しかも笑顔だった。怪我をした本人が。私なんかよりずっと明るい顔をしていた。
「来てくれたんだ」
その瞬間、胸が締め付けられる。
「ごめんなさい……」
気付けば頭を下げていた。
「私が弱かったから……」
「違うよ」
即答だった。
「でも――」
「違う」
ブルーノくんは優しく笑う。
「俺が勝手に守りたかっただけだから」
その言葉が余計に辛かった。
「本当に気にしなくていいよ」
そう言いながら背中を軽く叩く。
「騎士を目指してるんだからさ。傷なんて増えるよ」
笑う。その笑顔が眩しかった。
だから余計に思う。本当に格好いい人だな、と。
(傷が増えるなんて当然みたいに言えるのか)
羨ましかった。怖さより覚悟が上回っている人間の強さが。
★
自然と話題はレイくんになった。
「レイくんって凄いですよね」
「ああ」
ブルーノくんは苦笑する。
「俺、一回戦ったけど何も出来なかった」
「え?」
思わず声が出た。ブルーノくんは強い。クラスでも上位だ。そんな人が?
「見えない攻撃なんだ」
「見えない?」
「しかも数が多い」
意味が分からない。
レイくんは不思議だ。本人はいつも自信なさそうなのに。周りから見れば十分天才なのに。それでも努力を続けている。
エレナちゃんも。ブラットくんも。レイくんも。みんな前を向いている。
(私だけ立ち止まっていたのかもしれない)
その考えが頭に浮かんだ時、初めて気付いた。
悔しいと思うなら走ればいい。泣くより動けばいい。
当たり前のことだったけど、ずっと見えていなかった。
★
将来の話になった。
「私、女性騎士団に入りたいんです」
「本当?」
ブルーノくんが嬉しそうな顔をする。
「実は俺も騎士団志望なんだ」
「えっ!?」
同じ夢。それだけで嬉しかった。
そしてブルーノくんは少し笑った。
「やっと笑ったね」
「え?」
「マーティナさんは笑った方が可愛いよ」
心臓が止まるかと思った。顔が熱い。絶対に赤い。
「ど、どうしたの?」
「な、何でもないです!」
天然だ。絶対天然だ。ずるい。本当にずるい。
(こういうことを自然に言える人間が一番たちが悪い)
でも嫌いになれなかった。
★
退院前日。病室にはもう一人いた。
白銀の髪。金色の瞳。凛とした雰囲気。王国女性騎士団所属。ブルーノくんの姉。アリエルさんだった。
「女性騎士団に興味があるの?」
「はい!」
「なら今度遊びに来る?」
憧れの騎士団。憧れの現役騎士。断る理由なんて無かった。
「ぜひ行きたいです!」
気付けば満面の笑みになっていた。
(こんな顔、いつぶりだろう)
遠足事件以来、笑えていなかった気がした。
★
帰り道。私は久しぶりに少しだけ気分が良かった。
未来を想像していた。もっと強くなって。騎士になって。みんなと肩を並べて。そんな未来を。
だから――。
「ちょっといいかしら?」
知らない女性に声を掛けられた時、私は警戒を忘れていた。
黒い服。優しい笑顔。柔らかな声。
「あなた、とても才能があるわね」
「え?」
才能。私が?そんな言葉を言われたのは初めてだった。
女性は微笑む。
「私が見てきた中でも特別よ」
胸が揺れる。嬉しかった。認められた気がした。ほんの少しだけ。だけどその言葉は確かに心へ刺さった。
足りないと思っていた。弱いと思っていた。だから誰かに認めてもらえたこと自体が、あれほど嬉しかったのだ。
「私はマグナ・ドローチ」
女性は名乗る。
「人材開発総合企業【バベル】の調査員よ」
聞いたことのない名前だった。
「私達は才能ある人を支援しているの」
「支援……ですか?」
「ええ」
マグナは微笑む。
「強くなりたいのでしょう?」
その言葉に心臓が跳ねた。
「騎士になりたいのでしょう?」
なぜ知っているのだろう。
「もっと才能を伸ばしたいのでしょう?」
全部見透かされている気がした。
「費用は不要。危険もない。少しだけ協力してくれればいいの」
甘すぎる言葉だった。
だからこそ。本能が警鐘を鳴らした。
「先生に相談しても……」
そう言った瞬間だった。
マグナの笑顔が少しだけ変わる。ほんの一瞬。本当に一瞬だけ。冷たい何かが見えた。
「それは困るの」
優しい声のまま。なのに背筋が寒くなる。
「これは特別な話だから」
その言葉に、なぜか恐怖を感じた。
そして――。
「マーティナ!」
聞き慣れた声が響いた。振り向く。そこにはエレナちゃんがいた。
その瞬間、マグナの表情が再び変わった。一瞬だけ。本当に一瞬だけ。獲物を逃した捕食者のような目に。
エレナちゃんは何も気付いていないように笑っている。だがあの目が見えた私には分かった。
(今ので助かった?)
理由は分からない。でもそれだけは確かだった。
★
その日の夜。バベル支部。マグナ・ドローチは静かに報告書を書いていた。
【被験者候補番号 M-17】
【精神状態:不安定】
【勧誘成功率:高】
【継続観察対象】
ペンが止まる。そして薄く笑った。
「絶対に逃がさないわ」
窓の外では夜風が吹いていた。
誰も知らない場所で。静かに。新たな陰謀が動き始めていた。




