第63話 圧縮魔導砲と、崖の上の決戦と、黒幕の影
クラスメイト達と別れてから、自分は森の中を全力で駆け続けていた。
背後から響く無数の足音。木々をなぎ倒すような勢いで迫る殺意。振り返るまでもない。分かっている。大量の魔狼が追って来ているのだ。
「多すぎるだろ……!」
思わず叫ぶ。ちらりと後ろを見ただけで寒気がした。十匹や二十匹ではない。軽く見積もっても八十匹以上。しかも先頭集団の後ろにもまだ続いている。
山頂付近にしかいないはずの魔狼が、どうしてこんな場所まで降りて来ているのか。先生達ですら想定していなかった異常事態だった。
「絶対おかしいだろ……!」
誰かが誘導した。そう疑いたくなるほど不自然だった。だが今は考えている余裕がない。生き残る方が先だ。
★
幸いにも足だけは止まらない。原因は足元の魔導具だった。
【脱兎のブーツ】
自分が悪ふざけ半分で作った問題作。逃走時だけ異常性能を発揮する謎の靴である。今も身体は軽い。疲労感がない。呼吸も乱れない。全力疾走しているのに平地を歩いているような感覚だった。
「これ考えた奴、頭おかしいだろ……」
自分だけど。
だが万能ではない。足元から不穏な音が聞こえていた。
バキッ。ミシッ。
嫌な音である。明らかに耐久限界が近い。
「頼むからもう少しだけ持ってくれ……」
半ば祈るように呟く。
その時だった。
『ますたー……』
頭の中に声が響いた。セシリアだった。
『だいじょうぶですか……?』
『大丈夫じゃないけど生きてるよ』
『おおかみがたくさんいます……』
『うん』
視界共有をしているのでセシリアも現状を把握している。声が少し震えていた。
『こわいです……』
『僕も怖い』
正直に答える。強がる意味はない。
『でもまだ諦めてない』
『ますたー……』
『店も完成してないしさ』
森を駆け抜けながら笑う。
『セシリアに海も見せてない』
『うみ……』
『だから死ねない』
少しだけ沈黙。そして。
『しなないでくださいね』
小さな声だった。
『約束する』
その返事をした瞬間。森が途切れた。目の前が開ける。
「……ここか」
思わず足を止める。崖だった。巨大な崖。下には深い谷が広がっている。普通なら追い詰められた状況だ。
だが自分は逆に笑った。
「最高じゃないか」
迎撃には理想的だった。
★
魔狼達が飛び出してくる。木々の隙間を縫うように。牙を剥き。血走った目で。一斉に。自分へ殺意を向けながら。
「よし」
逃げながらずっと準備していた。普通なら不可能な作業。だが自分には【パラレル思考】がある。走りながら別思考で構築する。それが可能だった。
右手の先に巨大な砲身が現れる。透明な魔導砲。何十メートルもの長さを持つ巨大構造体。内部では雷属性魔導弾が極限まで圧縮されていた。
ギィィィィィィィィィン――
空気が悲鳴を上げる。大気そのものが震え始めた。青白い雷光が砲身内部を走る。
魔狼達も異変を察したのか動きが僅かに鈍る。だが。もう遅い。射線上には全ての魔狼がいる。逃がさない。仲間を傷付けた代償は払ってもらう。
(ブルーノ。持ってくれ)
「――圧縮魔導砲」
魔狼達が飛び掛かった。その瞬間。
「発射!!」
ズドォォォォォォォォォォォォォン!!
世界が白に染まった。
雷鳴。轟音。閃光。衝撃波。全てが同時に襲い掛かる。視界が消える。耳も聞こえない。身体が吹き飛ばされそうになる。
慌てて多重魔導壁を展開する。一枚。二枚。三枚。四枚。それでも衝撃が貫いてくる。
「ぐっ……!」
歯を食いしばる。
そして数秒後。ようやく世界が戻ってきた。砂煙がゆっくり晴れていく。耳鳴りだけが残っている。
自分は警戒を解かない。魔導壁を維持したまま周囲を見る。一秒。二秒。三秒。何も来ない。
やがて完全に砂煙が消えた。
「……は?」
言葉を失った。
魔狼がいない。一匹も。本当に一匹も残っていなかった。
それだけではない。自分の正面から遥か彼方まで巨大な破壊痕が伸びている。森が消えていた。木々が存在していた痕跡すらない。一直線に大地が抉れている。
「……やりすぎた」
素直な感想だった。想像していた十倍くらい威力が出ている。これ本当に人間が使う魔導具か?自分で作っておいて何だが怖い。
全身から力が抜ける。その場へ倒れ込んだ。青空が見える。雲が流れている。
「あー……」
生きてる。本当に生きている。
『ますたー』
セシリアが呼ぶ。
『うん』
『ぶじです』
『そうだね』
思わず笑った。
『何とかなった』
『おつかれさまです』
『ありがとう』
その言葉が妙に嬉しかった。
★
数時間後。自分は捜索隊と合流した。
そして――。
「レイィィィィィ!!」
ロナルド先生に捕まった。
「はい!」
「単独行動するな!!」
「はい!」
「囮になるな!!」
「はい!」
「生徒が英雄みたいな真似するな!!」
「はい!」
怒涛の説教だった。しかも全部正論。反論できない。その後も十分以上怒られ続けた。
やがて先生は大きなため息を吐く。
「本当はもっと怒りたい」
「はい」
「だが」
先生の表情が少しだけ柔らかくなった。
「お前のおかげで全員助かった」
そして大きな手が頭に乗る。ぐしゃぐしゃと撫でられた。
「よくやった」
胸が少し熱くなる。
「ありがとうございます」
「だが保護者説明会は確定だ」
「……はい?」
「お前の両親にも当然連絡が行く」
終わった。本当に終わった。父さんに怒られる。母さんにも怒られる。絶対怒られる。
「先生」
「なんだ」
「今から行方不明になったことに出来ませんか?」
「俺がクビになるわ!!」
「ですよね……」
周囲の先生達が笑った。全然笑えない。
(ソウルイーターに怒られる未来が見える)
魔狼八十匹より怖いかもしれなかった。
こうして自分は生還した代償として、恐怖の保護者面談を受けることになったのだった。
★
その頃――薄暗い地下室。二人の男が向かい合っていた。
「例の件はどうなった」
低い声が響く。対面の男は苦々しい顔で答えた。
「失敗した」
「……失敗?」
「魔狼の群れは全滅した」
沈黙。そして。
「学園の教師がやったのか?」
「違う」
「なら誰だ」
男は答えない。数秒後、ようやく口を開く。
「調査中だ」
「ふざけるな!」
机が叩かれる。
「用意した百匹以上の魔狼が消えたんだぞ!」
「分かっている」
「監視役は?」
「行方不明」
「何人が行方不明なんだ?」
「七人全員だよ」
空気が凍った。
「七人全員だと……?」
「近付くと消える」
「意味が分からん」
「こちらも分からん」
男は額を押さえる。そして低く呟いた。
「だから今回も直接監視はしていない。魔狼を誘導しただけだ」
再び沈黙。やがてもう一人の男が言った。
「なら次は魔竜でもぶつけろ」
「お前は馬鹿なのか?」
即答だった。
「そんな事をしたらアイツラの親が出てくるだろ」
「そこまで危険なのか?」
「危険どころじゃない。組織ごと消されるぞ……関連組織も全てな。お前も知っているだろう、雷帝と最恐を怒らせた巨大組織の末路を……」
「ああ、山脈が一つ丸ごと消えたからな」
静寂。重い沈黙が続いた。やがて。
「……次の機会を待つしかないか」
「そうだな」
二人はまだ知らない。雷帝と最恐の息子が魔狼八十匹以上を単独で消し飛ばしたことを。
そしてその少年自身が、彼らの想像を遥かに超える危険な存在へ成長し始めていることを。




