第62話 魔狼の群れと、挑発の仮面と、たった一人の囮作戦
楽しかった昼食の時間は、突然終わりを告げた。
「あっちから魔獣の気配がするにゃ!」
エレナの叫び声が山に響く。その瞬間だった。
ロナルド先生の表情が一変する。
「全員荷物をまとめろ! 撤収するぞ!」
普段は余裕のある先生の声に焦りが混じっていた。それだけで状況の深刻さが伝わってくる。
「先生、魔獣ですか?」
「恐らくな。急げ!」
先生達も武器を抜き始める。嫌な予感しかしない。
そして数分後――その予感は最悪の形で的中した。
「くそっ……魔狼か!」
ロナルド先生が舌打ちする。木々の隙間から見えたのは灰色の大型狼。しかも一匹ではない。
二匹。三匹。四匹。次々と姿を現す。
鋭い牙。獰猛な眼光。明らかに普通の獣ではない。
「なんでこんな場所にいるんだよ……!」
本来なら山頂付近にしか生息しないはずだ。遠足コースに現れるなど聞いていない。先生達の顔色を見ても想定外なのが分かった。
(まずい。本当にまずい)
前世でも現場で予想外の事態は何度も経験した。だがそれは工期の話だ。命がかかっていなかった。
「俺達が足止めする! 生徒達は避難だ!」
剣士の先生と魔法師の先生が前に出る。さすが大人だ。魔狼相手でも全く怯まない。
だが――数が多い。あまりにも多すぎた。
★
「先生達について行くんだ!」
生徒達は誘導されながら下山を開始する。しかし後方からは戦闘音が聞こえ続けていた。
金属音。咆哮。爆発音。嫌な音ばかりだ。
一時間ほど逃げ続けた頃、みんなの疲労が限界に近づいていた。特にシンシアさん、コーデリアさん、クライブ。顔色がかなり悪い。自分も正直きつい。
すると軽装の先生が立ち止まった。
「少し休むぞ!」
短い休憩が許される。その隙に自分は先生へ声を掛けた。
「先生、ポーションがあります」
「ポーション?」
ストレージから取り出す。
【回復ポーション小】 【強化ポーション小】 【解毒ポーション小】
先生の目が見開かれた。
「……お前、本当に用意が良いな」
「念のためです」
「よし、後で全部買い取る。今は配るぞ」
生徒全員に配布された。少しだけ空気が和らぐ。
(準備だけは怠らない。それだけが前世から続く自分の数少ない長所だ)
だがそれも長くは続かなかった。
★
再び歩き始めて三十分ほど。先生が突然立ち止まる。
「囲まれた……」
空気が凍った。
前方。右。左。森の中に赤い瞳が見える。魔狼だ。完全に包囲されている。
「戦いながら突破する!」
逃げるしかない。戦闘が始まった。
ブラットが剣を振るう。アランが前線を支える。ブルーノも必死に防ぐ。エレナは俊敏に動き回りながら援護。先生達が次々と魔狼を倒していく。
だが数が減らない。むしろ増えている気がした。
『ますたー』
セシリアの声が頭に響く。
『きけんです』
『分かってる』
考えながら走る。【パラレル思考】を起動。複数の思考が同時に動く。
戦況の把握。ポーションの残量。仲間の位置。自分に出来ること。
全部同時に処理する。
(まだ手はある。使いたくないけど)
その時だった。
「くっ!」
アランの剣が折れた。疲労が限界なのだ。その隙だった。一匹の魔狼が突破する。
「マーティナさん!」
危ない。そう思った瞬間。
「ぐあっ!!」
ブルーノだった。マーティナさんを突き飛ばし、自ら盾になる。魔狼の爪が背中を切り裂いた。血が飛ぶ。背中が大きく抉れる。
「ブルーノ!!」
自分は駆け寄る。酷い。骨が見えている。これはまずい。本当にまずい。
「コーデリアさん!」
「は、はい!」
「治せますか!?」
コーデリアさんは傷を見る。そして絶望した顔になる。
「無理です……!」
その言葉が全てだった。
回復ポーション中級を全部渡す。それでも状況は変わらない。命を繋ぐのが精一杯。移動も出来ない。このままでは全員が危ない。
どうする?考えろ。考えろ。考えろ。
ストレージ。魔導具。今ある物で。突破口は――
「あっ」
あった。最悪の方法だが。出来る。
ストレージから取り出す。封印していた問題作。
【挑発し過ぎる仮面】
敵対心を異常に引き上げる魔導具。完全な悪ふざけ作品。ある日の深夜に作って「これは使い道がない」とストレージの奥底へ封印していた代物だ。
だが今だけは。これしかない。
『ますたー』
「分かってる」
『とってもきけんです』
「分かってるって」
『やめてください』
「……ごめん、やる」
★
「先生!」
「なんだ!」
「僕が魔狼を引き付けます!」
「はぁ!?」
「ブルーノを助けてください!」
「馬鹿言うな!!」
当然怒鳴られる。でも時間がない。
「説教なら後で受けます!」
仮面を装着。同時に魔導弾を乱射する。森中の魔狼へ。挑発するように。喧嘩を売るように。
全ての敵意が自分へ向いた。
背筋が凍る。怖い。もの凄く怖い。帰り道の馬車で魔犬に囲まれた時とは比べ物にならない数だ。
だが。ここで逃げなければもっと後悔する。
「行くぞ……!」
脱兎のブーツを発動。全力疾走。
そして魔狼達も一斉に動いた。十数匹。いや、もっといる。
「多すぎるだろ!?」
森が揺れる。魔狼の群れが自分を追ってくる。まるで暴走列車だ。
後ろから聞こえる。
「レイくーーーん!!」
「レイさん!!」
コーデリアさんとシンシアさんの悲鳴。ブラットの「レイ!」という叫び。エレナの「レイにゃ!」という声。
だけど振り返らない。振り返れば足が止まる。
自分は魔狼の大群を引き連れながら笑った。
(笑える状況じゃないけど、なぜか笑える)
「さて……」
「ここからが本番だな……」
『ますたー』
「なに?」
『ぜったいにかえってきてください』
「分かった。約束する」
セシリアの声は少し震えていた。
こうして自分は――大量の魔狼を引き連れ、たった一人で森の奥へと走り出したのだった。




