第59話 敗北と才能と、シーフの進む道【バリー視点】
【バリー視点】
夏の暑さが本格的になり始めた頃。
学園の授業が終わり、クラスメイト達がそれぞれ帰宅や部活動へ向かう中、一人の少年が廊下を歩いていた。
バリーだった。
額には汗。腕には小さな擦り傷。膝にも打撲の跡がある。最近では毎日のようにこんな状態だった。
「はぁ……」
ため息を吐く。疲れていない訳ではない。むしろ疲れていた。だが、それでも修練をやめる気にはなれなかった。
理由は単純だ。負けたからだ。しかも完膚なきまでに。
★
バリーの職種は【シーフ】。鍵開け、索敵、隠密、探索。そういった分野に特化した職種だった。
身体能力も悪くない。特に身軽さには自信があった。だから入学当初は思っていた。アスレチックなら負けないと。
障害物競走。立体移動。細い足場。跳躍。そういう競技は自分の独壇場だと信じていた。
そして現実は――。
「完敗だったんだよな……」
苦笑する。
相手はエレナだった。猫獣人。小柄。可愛い。そして意味不明。
初めて勝負した時の光景を今でも覚えている。スタート直後、エレナは障害物を飛び越えた。飛び越えたというか、走りながら飛んだ。そのまま壁を蹴った。丸太を蹴った。ロープを蹴った。気付けばゴールしていた。
意味が分からなかった。本当に意味が分からなかった。同じ生き物なのか疑った。
その日から挑戦が始まった。勝ちたい。追い付きたい。少しでも近付きたい。そんな気持ちで修練所へ通い続けた。
結果、全敗だった。それでも諦めきれない。
だから今日も修練へ向かうか悩んでいた。
そんな時だった。
「最近のバリー、生傷が増えてない?」
声を掛けてきたのはレイだった。
★
正直に言えば。バリーはレイという存在がよく分からなかった。
身体能力は普通。いや、むしろ低め。剣術も最初はそれほど目立っていなかった。なのに。いつの間にか強い。気付けばブラットと渡り合う。気付けばエレナに勝つ。気付けば色々な問題を解決している。
派手な天才ではない。だが確実に異常だった。
「今日は修練へ行くか迷ってるんだ」
そう言うとレイが首を傾げる。
「何か悩み?」
「まあな」
少し迷った。だが何故か話してもいい気がした。
「俺さ」
「うん」
「エレナさんに勝ちたいんだ」
レイは少しだけ苦笑した。
「ああ……」
「その反応は何だよ」
「いや、分かるなって。僕なんて幼なじみだからね」
「……それは大変そうだな」
「大変なんてもんじゃないよ」
レイが遠い目をした。何かあったらしい。
★
それから二人は修練所の外にあるベンチへ腰掛けた。話題は自然とエレナになった。
「最初はさ」
バリーは苦笑する。
「アスレチックだけは負けないと思ってたんだ。同じ職種系統の奴らには勝ってたし」
「それでエレナに挑んだ?」
「そう」
そして惨敗。しかも一度や二度ではない。何度挑んでも負ける。何度やっても差が縮まらない。
「でもさ」
バリーは空を見上げた。
「不思議なんだよ」
「何が?」
「エレナさんと競争すると強くなれる気がする」
レイが少し笑った。
「それも分かる」
「だろ?」
「あれだけ規格外だと目標にはなるよね」
「そうなんだ」
強い。速い。上手い。だから追い掛けたくなる。
(でも追い掛けるだけじゃ意味がないのかもしれない)
そんな考えが頭の端に引っ掛かった。
★
しばらく話した後。レイがふと思い付いたように言った。
「だったらさ」
「ん?」
「勝負じゃなくて教われば?」
「……は?」
予想外の提案だった。
「教わる?」
「うん。勝つための練習を一人で続けるより、本人に聞いた方が早くない?」
その発想は無かった。確かにそうだ。勝負しているだけでは分からない。だが本人なら分かるかもしれない。
「でもエレナさんが付き合ってくれるかな?」
「聞いてみる」
レイは立ち上がった。本当に聞きに行った。そして数分後。
「たまになら良いにゃ」
エレナ本人がやって来た。
(こいつは本当に行動が早いな……)
バリーは密かに感心した。
★
こうして特訓が始まった。
最初の一週間、バリーは驚いた。エレナの指導は意外と分かりやすかったからだ。
「そこは飛ぶ前に見るにゃ」
「見る?」
「足場にゃ」
「なるほど」
「あと肩に力入りすぎにゃ」
「え?」
「力みすぎると遅くなるにゃ」
的確だった。感覚だけで動いていると思っていたが違った。ちゃんと見ている。ちゃんと分析している。そして説明できる。
驚くほど優秀だった。
(本人は天才肌だから説明できないかと思っていたが、意外と言語化できるんだな)
その発見がバリーには新鮮だった。
エレナの指摘は毎回鋭かった。「そこで着地するにゃ」「もう少し手前から踏み切るにゃ」。感覚の話ではなく、場所と動作の話をしてくれた。それがバリーには合っていた。
★
一ヶ月後。バリーは確実に成長していた。障害物突破速度は上がった。足場の見極めも上達した。移動も滑らかになった。
だが。ある日。エレナが少し困った顔をした。
「バリーに聞きたい事があるにゃ」
「何だ?」
「身体強化系のスキルは無いのかにゃ?」
「無いな。シーフ系統のスキルばかりだ」
「そうにゃか……」
エレナは難しい顔になる。そしてしばらく悩んだ後。
「言いづらいにゃけど」
「構わない」
「本当かにゃ?」
「ああ」
するとエレナは真剣な表情になった。
「バリーの才能はスピードじゃないにゃ」
その言葉は衝撃だった。
★
「……は?」
思考が止まる。
今までずっと速くなろうとしていた。速くなるために努力してきた。なのに。
「一ヶ月見てきたにゃ」
エレナが続ける。
「技術は伸びてるにゃ。でも移動速度そのものの伸びは小さいにゃ」
後ろで聞いていたレイが口を挟む。
「それで?」
「運動苦手なレイより伸び幅が小さいにゃ」
「おい!」
レイが抗議した。
「比較対象に僕を使うな!」
「事実にゃ」
「ひどい!」
だがバリーはそれどころではなかった。頭の中で色々な事が繋がっていく。
確かに。速くはなっている。だが劇的ではない。その代わり、別の部分は伸びていた。
★
「私は【レンジャー】にゃ」
エレナが言う。
「追跡とか狩りが得意にゃ。でもバリーは違うにゃ」
そして。エレナは真っ直ぐバリーを見た。
「バリーは先に進む人にゃ」
「先に進む?」
「危険を探すにゃ」
その瞬間、思い出した。
アスレチックでも、探索でも、いつもそうだった。罠を見付ける。危険を察知する。安全な道を探す。それは昔から得意だった。
「索敵……」
「そうにゃ」
「罠解除……」
「そうにゃ」
「探索……」
「全部得意にゃ」
エレナが笑った。
「そっちを伸ばした方が強い気がするにゃ」
バリーは少し黙った。
(速くなりたかった。エレナさんに追い付きたかった。でも違ったのか)
悔しいとは思わなかった。むしろ、霧が晴れるような感覚があった。
一ヶ月間、エレナが見ていたのは速度だけではなかった。バリーの動き全体を見ていた。そしてバリー自身よりも先に気付いていた。
(こいつ、本当に凄いな)
速さとは別の意味で、バリーはエレナを尊敬した。
★
その日の帰り道。バリーは空を見上げた。
負けた事は悔しい。今でも悔しい。だが不思議と心は軽かった。進む方向が見えたからだ。
「ありがとう」
そう言うと、エレナが手を振る。
「頑張るにゃ」
「おう」
一ヶ月。ずっと付き合ってくれた。そのおかげで気付けた。
シーフにはシーフの戦い方がある。レンジャーにはレンジャーの戦い方がある。誰かの真似をする必要はない。自分の才能を伸ばせばいい。そう思えた。
(エレナさんに勝てなかった。でもそれで良かったのかもしれない)
もし勝てていたら、今でも速さだけを追い求めていただろう。負け続けたからこそ、別の可能性に気付けた。
そしてバリーは歩き出す。
アスレチック最速ではなく、最高の探索者を目指して。新しい目標と共に――。




