第30話 チェスガンの喧騒と、学園一日目と、時計塔の影
自分達を乗せた馬車は、《モロット》を出発してから半日ほどで《チェスガン》へ到着した。
「ふぅ……」
城門をくぐった瞬間、自分は思わず大きな息を吐いた。
解放感。それが一番近い。
正直に言おう。馬車は辛かった。
(ケツが痛い……)
ガタガタ。ゴトゴト。道の小さな段差ひとつで全身が揺れる。しかも半日。前世の自動車や新幹線がどれだけ快適だったのか、改めて思い知らされた。
(科学って偉大だったんだなぁ……)
この世界には魔法がある。空を飛ぶ魔道具もある。怪我だって治せる。それなのに道路事情はあまり良くない。妙なところで不便なのだ。たぶん魔法文明特有の発展の仕方なのだろう。便利な部分と不便な部分の差が激しい。前世でも似たようなことはあった。IT化が進んだのに、なぜかFAXだけ現役だったあの感じに近い。
★
「おおおおおっ!」
真っ先に叫んだのはブラットだった。
「でっけぇぇぇ!!」
「大きいにゃ!」
エレナの耳がぴんと立つ。尻尾も忙しなく左右へ揺れていた。
自分も思わず立ち止まる。
目の前に広がっていたのは、今まで見たこともない光景だった。巨大な城壁。広い石畳の道路。何階建てか分からない建物。絶えず行き交う人々。馬車。商人。冒険者。巡回する衛兵達。どこを見ても人がいる。
(これが……チェスガン)
モロットとは比較にならない。前世の東京ほどではない。それでも、この世界で見た街としては圧倒的だった。音の密度が違う。空気の重さが違う。人の多さが醸し出す熱量が、全身にじわじわと伝わってくる。
「人が多すぎるにゃ……」
エレナが少しだけ袖を掴む。普段は堂々としている彼女も、流石に圧倒されたらしい。
「モロットの二十倍くらい居るんじゃないか?」
「もっといるかもしれないよ」
視界に入る人数だけでも凄い。祭りの日のモロットが何十個も集まったような賑わいだった。
「こんなに人を見るの初めてだぜ!」
ブラットは逆に楽しそうだった。目を輝かせながら辺りを見回している。この違いはどこから来るのだろう。おそらく戦士の本能だ。人が多いほど戦う相手も増える、という計算が無意識に働いているに違いない。
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しばらく歩く。すると様々な店が見えてきた。食堂。宿屋。鍛冶屋。服屋。雑貨屋。見慣れた店も多い。だが、それだけではなかった。
(本屋だ……!)
思わず足を止めそうになる。さらにその隣には魔道具屋。薬師ギルド。聖教会。見たことのない看板がいくつも並んでいる。
(寄り道したい……)
もの凄くしたい。今すぐ本屋へ飛び込みたい。図書館の場所も調べたい。魔道具屋も見たい。
だが今日は我慢だった。まずは寮へ向かわなければならない。
(落ち着け。これから四年間ここに住むんだ)
焦る必要はない。じっくり楽しめばいい。前世の自分に言い聞かせるように、心の中で繰り返した。
★
チェスガン学園へ到着すると、自分達は受付がある事務棟へ向かった。
「すみません。今年から入学する者です」
「おう、よく来たな」
受付にいた中年男性が笑う。日に焼けた顔からして元冒険者かもしれない。
「子供だけで来たのか?」
「はい」
「立派じゃねぇか」
感心したように頷く。そして机の上の装置を指差した。
「認証指輪をここへ」
自分達は順番に指輪をかざした。淡い光が浮かび上がる。名前。年齢。出身地。職種。様々な情報が表示された。
(便利だなぁ)
前世なら身分証明書やら何やら必要だっただろう。だがこの世界では指輪ひとつ。偽装も難しい。犯罪者が嫌がる訳だ。
「よし、確認終了」
職員は数枚の書類を渡してくる。
「制服は一週間後」
「はい」
「入学式は二週間後」
「分かりました」
「寮は学園の裏手だ」
さらに厚い冊子を手渡された。
「これは学園案内書」
「ありがとうございます」
「読めなかったら聞きに来い」
そう言った後。職員は急に真顔になった。
「あと寮は男女別だからな」
そして何故かブラットを見る。
「間違って女子寮へ入るなよ?」
「なんでオレを見るんだよ!?」
ブラットが即座に抗議した。事務員は大笑いしている。
(これ絶対フラグだよね……)
そんな予感しかしなかった。ブラットの行動力は時として方向性を間違える。今後が少し心配だった。
★
学園から少し歩く。やがて二つの建物が見えてきた。男子寮。女子寮。左右に分かれて建っている。
「じゃあまた明日だにゃ」
エレナが手を振る。
「うん」
「またな!」
ブラットも元気よく手を振り返した。こうして初めて別行動になる。
少しだけ寂しい気もした。六年間、ほとんど毎日のように顔を合わせていたのだから当然かもしれない。エレナが角を曲がって見えなくなるまで、自分は無意識に目で追っていた。
★
男子寮へ入る。管理人から鍵を受け取り、自分の部屋へ向かった。部屋番号を確認しながら廊下を進む。
そして扉を開ける。
「おお……」
思わず声が漏れた。一人部屋だった。
広さは四畳半ほど。決して広くはない。だが十分だった。ベッド。机。本棚。椅子。洗面台。必要な物は一通り揃っている。共同浴場もあるらしい。共同トイレもある。簡易キッチンまで設置されていた。
(思ったより良いな)
前世でも寮生活の経験は無い。だから少し不安だった。だが実際に見ると悪くない。むしろ秘密基地みたいで少し楽しい。
荷物を整理する。神木の小太刀。着替え。本。日用品。一つずつ片付けていく。前世でも引っ越しの荷物整理は早かった。この世界でも変わらない。
作業が終わる頃には外も少し暗くなり始めていた。
★
窓を開ける。夕風が心地良い。
そして遠くに学園の時計塔が見えた。学園の中心に建つ巨大な塔。おそらくこの街の象徴なのだろう。
その最上階。一瞬だけ。誰かがこちらを見ていたような気がした。
「……?」
思わず目を細める。だが次の瞬間には誰も居なかった。風が吹くだけ。
(気のせいかな)
少し疲れているのかもしれない。長旅だったし。そう思いながら窓を閉める。
だが何故だろう。胸の奥にわずかな引っ掛かりが残った。前世でも、こういう微妙な違和感を無視した時には大体後で後悔した。
(まあ今日は疲れた)
考えすぎだ。そう結論づけてベッドへ腰を下ろす。
★
静かな部屋。家族の声は聞こえない。フローラも居ない。父さんも母さんも居ない。
少しだけ寂しい。
けれど、それ以上に胸が高鳴っていた。
明日から始まる新生活。新しい友人。新しい先生。新しい知識。そして知らない世界。
(楽しみだな……)
そう思いながら天井を見上げる。
この時の自分はまだ知らなかった。
自分の【ジョブホッパー】が学園中を巻き込む大騒動を引き起こすことを。そして時計塔からこちらを見つめていた存在が、近い未来に自分の運命へ深く関わることになるのを――。




