第29話 旅立ちの馬車と、チェスガンへ
自分は今、ブラットとエレナと共に、いつもモロットへ来てくれている行商人の馬車に揺られていた。
車輪がガタゴトと音を立てる。窓の外には見慣れた草原が広がり、遠くには森の緑が見えていた。
けれど――その景色も今日でしばらく見納めだ。
「オレは《モロット》から出るの初めてだぜ!」
ブラットは朝からずっと興奮しっぱなしだった。落ち着きなく窓から顔を出そうとしては、御者のおじさんに怒られている。
「私もそうだにゃ~」
エレナも尻尾を揺らしながら笑う。
「森には入ったことあるけど、こんな遠くまで来たことないにゃ」
「僕もだよ」
思わず苦笑した。
「学校に通うために町を出るなんて、少し前までは想像もしなかったな」
そう。今日から自分達は新しい生活を始める。六歳から通う全寮制の学校。《チェスガン学園》。その学園がある学園都市へ向かっているのだ。
窓の向こうに広がる草原を眺めながら、自分は胸の奥でひっそりと実感していた。
本当に旅立つのだな、と。
★
「モロットは小さい町だから仕方ないにゃ~」
エレナが耳をぴこぴこと動かした。
「学校って言っても、塾のおじいちゃんしか居なかったしにゃ」
「オヤジ達はちゃんと学校へ行けってうるせぇんだよな」
ブラットが頭を掻く。
「正直、おれは勉強より剣振ってる方が好きなんだけどな……」
「ブラット」
「なんだ?」
「これから行く学校には成績表っていうのがあるらしいよ」
「……は?」
ブラットの動きが止まった。まるで時間が止まったようだった。
「成績が悪いと親に見せるらしい」
「マジかよ……」
一瞬で顔色が悪くなる。ガインさんは豪快な鍛冶屋だが、意外と頭も切れる。店の経営もしっかりしているし、数字にも強い。成績が悪かったら普通に怒られる。しかもかなり怖そうだ。
「うちらの中で成績を心配するのって、未だに文字を書けないブラットだけだよね」
「なんだと!?」
「でも事実だにゃ」
エレナが容赦なく頷いた。
「私はもう文字を書けるにゃ」
「えっ!?」
今度はブラットが固まる番だった。
「いつの間に!?」
「ちなみにエレナには僕が教えたよ」
「そうにゃ」
エレナは胸を張る。
「レイは教えるの上手だったにゃ」
「おい!」
ブラットが身を乗り出した。
「なんでオレには教えてくれなかったんだよ!」
「ブラットは勉強始めると五分で逃げるじゃん」
「うっ……」
図星だったらしい。表情が雄弁に語っていた。
「だから向こうに着いたら教えてあげるよ」
「おう!」
ブラットは拳を握った。
「今度こそ覚えるぜ!」
(絶対途中で剣振りたくなるだろうな……)
そう思ったけれど、口には出さないでおいた。友人の夢を壊すのは良くない。
★
これから通う《チェスガン学園》は一般市民から貴族も入学している全寮制学園だ。期間は四年間。近隣の町や村から多くの子供達が集まるらしい。自分達のように半日程度の距離から来る子もいれば、二日以上かけてやって来る子もいる。中には海を越えて来る者も居るそうだ。
(普通に凄いよな……)
前世の感覚でもかなり恵まれている。食事無料。個室完備。さらに教材も一部支給。聖教会の支援があるから実現できるらしい。
この世界では六歳を過ぎれば立派な労働力だ。家庭によっては学校へ行かず働く子供も少なくない。だから学園へ通えるだけでも十分幸運なのだろう。
そして個人的に一番楽しみなのは――図書館だった。
(本が読みたい……)
転生してから六年。読んだ本の大半は実用書だった。農業。薬草。魔物図鑑。どれも役には立った。でも今読みたいのはそういう本じゃない。
冒険譚。英雄伝説。魔法書。歴史書。神話。そういう物語だ。
(そろそろ活字不足で死ぬ……)
前世でラノベを読み漁っていた身としては深刻な問題だった。この世界にラノベは無いだろうけど、せめて面白い冒険譚くらいは期待したい。
★
ただ。少しだけ不安もあった。
モロットでは家族と幼なじみ達しか知らない。同年代との付き合いも限られていた。
(ちゃんと友達できるかな……)
前世も今世も、どちらかと言えば人見知りだ。知らない人だらけの環境は少し緊張する。しかも学園には色々な職種の子供達が集まる。戦士。魔法師。生産職。商人。今まで出会ったことのない人達ばかりだ。
高学年になればさらにコース分けされるらしい。冒険者コース。商人コース。生産職コース。魔法研究コース。他にも色々ある。ブラットは間違いなく冒険者コースだろう。エレナもたぶん同じだ。
だが自分は迷っていた。
(本音を言えば生産職も楽しそうなんだよな……)
前世でも生産職が好きだった。武器を作る。料理をする。アイテムを量産する。そういう地味な作業が結構好きだった。
だけど問題がある。自分には【素材の極み】がある。何か作るたびに騒ぎになる可能性が高い。あのプリン事件を思い出すだけで胃が痛い。
(平穏に生きたいんだけどなぁ……)
父さんも母さんも化け物級の実力者だ。そんな人達に目を付けられる人生は遠慮したい。静かに。穏やかに。スローライフが理想だ。
(まあジョブホッパー持ちが平穏に生きられる気はしないけど)
それでも諦めたくはない。この四年間で将来をゆっくり考えよう。そう決めていた。
★
「おーい! 坊主達!」
御者のおじさんの大声が響いた。
「見えてきたぞー!」
その言葉に三人同時に顔を上げる。
そして――。
「おおおおおっ!!」
最初に叫んだのはブラットだった。
「でっけぇぇぇ!!」
「大きいにゃ!」
エレナの耳がぴんと立つ。
自分も思わず息を呑んだ。
地平線の先。そこには巨大な城壁がそびえていた。無数の建物。立ち並ぶ塔。行き交う馬車。人、人、人。今まで見たこともない規模の都市。モロットとは比べ物にならない。
(あれが……チェスガン)
胸が高鳴る。期待。不安。興奮。色々な感情が入り混じる。
ここから新しい人生が始まる。学園生活。新しい友人。新しい知識。新しい出会い。そして――まだ見ぬ未来。
馬車はゆっくりとチェスガンへ向かって進んでいく。
この時の自分はまだ知らなかった。
チェスガン学園で出会う天才達のことも。学園中を巻き込む騒動のことも。そして【ジョブホッパー】が想像以上の波乱を呼ぶことも。
学園生活編。ここに開幕する。




