第21話 息子のスープと、料理の怪物【ソフィア視点】
【ソフィア視点】
最近、ソフィアは人生で一番と言っていいほど衝撃を受けていた。
魔獣の暴走でもない。もちろん秘密結社からの襲撃でもない。
今まで様々なトラブルがあったが、それらが霞むほどの衝撃。
それは、私の息子――レイの料理である。
正直に言おう。私は料理が苦手だった。昔から、ずっと苦手だった。
焼けば焦がす。煮れば煮崩れる。味付けは濃すぎるか薄すぎるかの二択。しかも私は途中まで気付かない。そんな感じである。
冒険者時代は何度も仲間達を沈黙させてきた。食事のたびに笑顔が消える。自分では美味しいと思っていた。だが今思えばあの沈黙は称賛ではなかった気がする。
唯一。レオンだけは違った。
『美味いぞ』
そう言って全部食べてくれた。今思えば半分以上は愛情補正だった気もする。だがその優しさに惚れたのだから、人生は不思議なものだ。
……まあ、それは良い。
問題は息子である。
★
レイは昔から料理に興味を示していた。四歳になったら手伝いたいと言っていたので、私も軽い気持ちで許可した。どうせ野菜を洗うとか、その程度だろうと思っていた。
その結果。
私は人生で初めて戦慄することになる。
その日。レイは台所へ入るなり腕を組んだ。
「ふむ……」
四歳児とは思えない顔だった。何というか。職人の顔だった。しかも何やら独り言まで言っている。
「まずは出汁だな……」
(だし?)
ソフィアは首を傾げた。聞いたことはある。だが詳しくは知らない。
するとレイは戸棚から煮干しに似た魚を取り出した。鍋へ水を張る。魚を入れる。
(あら、意外と普通ね)
そう思った。だが全然違った。
レイは鍋の前に立ったまま動かない。じっと見ている。ひたすら見ている。まるで鍋と会話でもしているようだった。
「待つの大事なんだよな……」
(何が!?)
思わず聞きたくなった。その後も謎の工程が続く。火加減を変える。香りを確認する。泡を取る。味を見る。また香りを確認する。そして頷く。
「よし」
(何がよしなの!?)
ソフィアは内心で叫んでいた。
しかも包丁の扱いが異常だった。危なっかしくない。むしろ綺麗。野菜を切る音まで心地良い。
トントントントン。
一定のリズム。無駄がない。
完全に自分より上手い。
(えっ……)
ソフィアは真顔になった。
(私、本当に母親よね?)
少し不安になった。いや、かなり不安になった。自分が料理を教えた記憶はない。レオンが教えた様子もない。では一体どこで覚えたのか。
謎だった。本当に謎だった。
★
そして完成した。
見た目は普通の野菜スープ。どこにでもあるスープだった。だが香りが違う。台所いっぱいに優しい香りが広がる。野菜の甘み。ベーコンの旨味。そして今まで嗅いだことのない深い香り。
思わず唾を飲み込んだ。
(なにこれ……)
少し怖かった。これは四歳児が出していい香りではない。
そんなことを考えながら食卓についた。そして一口。スープを飲む。
瞬間。
衝撃が走った。
「――っ!!」
身体が震える。思わず立ち上がりそうになった。
美味しい。とんでもなく美味しい。優しい。温かい。なのに旨味が濃い。スープが身体へ染み込んでいく。胃が喜んでいる。心までほぐれていく。
そして何より――もう一口飲みたい。次を飲みたい。もっと飲みたい。そんな気持ちになる。
「レイ! このスープ凄く美味しいわ!!」
気付けば叫んでいた。フローラがびくっと震える。
「ふぇっ」
「あっ!」
ソフィアは慌てて抱き上げた。
「ご、ごめんなさいねぇ~」
幸い泣かなかった。良かった。本当に良かった。
だが興奮は収まらない。
「もしかしたらシーラの料理より美味しいかもしれないわ!」
するとレイが慌てる。
「それは言い過ぎだよ!」
「そうかしら?」
「絶対そうだよ!」
必死だった。なぜか必死だった。その様子が少し面白い。
だがスープは本当に美味しい。もう一口。さらにもう一口。止まらない。
(待って)
ソフィアは気付いた。身体がぽかぽかしている。疲れも軽い。気分も良い。幸福感まである。
(えっ……何これ?)
怖い。凄く怖い。
スープを見る。普通のスープである。怪しい材料は入っていない。ちゃんと見ていた。間違いない。なのに。
(これ本当にスープよね……?)
少しだけ恐怖を覚えた。
★
それからというもの。昼のスープ担当はレイになった。ソフィアは大歓迎だった。だって美味しい。本当に美味しいのだから。
そして恐ろしいことに。
三日。五日。一週間。
気付けば――レイのスープがないと少し物足りなくなっていた。
(待って)
ソフィアは真顔になった。
(これ危なくない?)
もちろん禁断症状などない。ないはずだ。たぶん。きっと。
……ない。
だが食べたくなる。もの凄く食べたくなる。
そしてフローラも同じだった。レイがスープを持ってくると笑顔になる。抱っこされると嬉しそうにする。前から懐いていた。だが最近は明らかにレベルが違う。
(兄妹だからよね?)
そう思った。そう思いたかった。
しかし。冷静に考えると、フローラはソフィアの手料理にはここまでの反応を示さない。同じスープなのに、明らかに差がある。
(おかしいわよね。絶対おかしいわよね)
ソフィアは誰かに相談したくなった。
★
数日後。ソフィアは親友のシーラへ相談していた。
「ねえシーラ」
「なに?」
「レイのスープが怖いの」
シーラは無言になった。数秒後。吹き出した。
「親馬鹿じゃないかしら?」
「私も最初はそう思ったのよ!」
だが違う。絶対に違う。
「だってね、飲むと身体が温かくなるの」
「うんうん」
「元気になるの」
「へえ」
「幸せな気持ちになるの」
「ほう」
「しかももっと飲みたくなるの」
「……」
シーラの表情が少し変わった。
「それ、本当にスープ?」
「私もそう思うのよ!!」
ソフィアは思わず身を乗り出した。
シーラは少し考え込む。そして声を潜めた。
「噂だけどね」
「ええ」
「料理系の上位職には特殊効果が付くものもあるらしいわ」
「特殊効果?」
「食欲増進」
「うん」
「精神安定」
「うん」
「魅了」
「…………」
ソフィアは固まった。思考停止した。
頭の中で単語が並ぶ。魅了。四歳児。息子。スープ。魅了。スープ。四歳児。魅了。
(待って)
(もし本当にそうだったらどうなるの!?)
想像が暴走する。
レイが料理人になる。町中の人が集まる。女性達がファンになる。男性達も通う。王都から貴族が来る。気付けば大行列。
世界征服。
(世界征服できるんじゃないかしら!?)
そこまで考えてしまった。
我に返る。さすがに飛躍しすぎた。
でも。
でも、完全に否定できない自分がいる。
「シーラ」
「……なに?」
「五歳の体験学習、あなたの食堂でお願いできる?」
「え?」
「早めに専門家へ預けた方が良い気がするの」
「何が?」
「レイのことよ」
一瞬の沈黙。
そして。シーラは大爆笑した。腹を抱えて笑った。
「ソフィア、あなた本気で言ってる?」
「本気よ」
笑い声が止まる。ソフィアの顔を見て、シーラはようやく理解したらしい。
「……本当に本気なのね」
「ええ」
沈黙。
シーラはため息を一つついた。
「分かったわ。話だけでも聞いてみる」
「ありがとう」
ソフィアは小さく頭を下げた。
だがソフィアは笑えなかった。母の勘が告げている。
あの子はたぶん普通じゃない。
剣の才能は無い。戦士にも向いていない。体力も同年代より少ない。
でも――。
もしかしたら。
料理の世界では、化け物かもしれない。
どんな世界にも、その道で突き抜ける人間がいる。ソフィアは冒険者時代にそういう人間を何人か見てきた。魔法に生きた者。剣に生きた者。交渉に生きた者。
そしてもしかしたら、自分の息子は料理に生きる者なのかもしれない。
そんなことを考えながら。ソフィアは今日もレイの作ったスープを飲むのだった。
温かかった。優しかった。やっぱりもう一杯飲みたくなった。
そして本人はまだ知らない。その料理が持つ本当の価値も。息子が秘める才能の正体も。
まだ誰も、知らないのだった。




