第18話 食事革命と、素材の極みと、小さな台所の原点
四歳になった自分は、最近ある問題に頭を悩ませていた。
それは――食事である。
もちろん食べられないわけではない。むしろ毎日しっかり食べている。問題は味だった。
(うーん……)
食卓に並ぶスープを見ながら、内心で唸る。
決して不味くはない。いや、正確には素材そのものは良い。野菜も肉も新鮮だ。宿場町であるモロットには様々な食材が集まるし、お金にもそれほど困っていない。だから材料自体は恵まれている。
問題は――調理する人だった。
(もったいない……)
心の中で何度目か分からない感想を漏らす。
母さんは優しい。綺麗だし天然で可愛い。家族想いでもある。だが。
料理だけは別問題だった。
塩……のみ、以上。
基本的に味付けはそれだけ。しかも火加減が豪快。野菜も肉も大体同じタイミングで鍋に入る。結果として素材達が迷子になる。たまに本当にどこへ行ったのか分からなくなる。不思議である。
父さんが普通に食べているのも謎だった。きっと愛の力なのだろう。自分にはまだ理解できない。
そんなわけで。父さんから台所への立ち入り許可が出た今年。自分はついに動くことにした。
目標は一つ。
食事革命である。
★
最初に取り掛かったのはスープだった。
理由は単純。失敗しても誤魔化しやすいからだ。それに毎日食卓に並ぶ。改善効果が一番分かりやすい。
まず台所にあった魚の干物を取り出す。見た目は前世の煮干しによく似ていた。
「まずは頭と内臓だな」
小さな手で丁寧に処理していく。面倒だが大切な工程だ。ここを手抜きすると雑味が出る。前世で様々な仕事をした経験が役立っている。まさか異世界で使うことになるとは思わなかったが。
下処理を終えた魚を水へ浸す。本来ならもっと時間を掛けたい。だが昼食まで時間が無い。今日は妥協だ。
鍋を火に掛ける。ゆっくり。ゆっくり。焦らず温度を上げる。
そして。
魚の香りが立ち始めた。
(来た)
思わず頬が緩む。この瞬間が好きだ。料理をしている実感が湧く。前世でラーメンの出汁を取っていた頃の感覚が蘇る。あの頃は仕事終わりに一人でキッチンに立って、ぼんやり鍋を眺めていた。それが唯一の息抜きだった。
沸騰直前で火加減を調整し、浮いてきた灰汁を丁寧に取り除く。透明感のある出汁が出来上がった。
それだけで、少し感動した。
四歳の自分でも、それなりの物が作れる。そのことが単純に嬉しかった。
そこへ細切りにしたベーコンを加える。脂が溶け出し、香りが一気に豊かになった。続いて野菜。硬い物から順番に。根菜。葉物。火の通りを考えながら投入していく。鍋の中で野菜が踊る。甘い香りが立ち上る。さらに灰汁を取る。丁寧に。丁寧に。料理は積み重ねだ。
(味噌が欲しいなぁ……)
ふと思う。醤油も欲しい。だが無いものは仕方ない。塩と胡椒で味を整える。
最後に味見。
そして――。
「……え?」
思わず固まった。
美味い。
想像以上に美味い。野菜の甘み。魚の旨味。ベーコンのコク。全てが綺麗にまとまっていた。塩と胡椒しか使っていないのに、なぜこれほど複雑な味になるのか。
(なんだこれ)
前世知識を使った自覚はある。だがそれだけでは説明できない。食材の味が異様に引き出されている。まるで一つ一つの素材が本来持つ力を何倍にも増幅しているようだった。
★
そこでふと、自分のスキルを思い出した。
【料理】
【素材の極み】
料理スキルは分かる。転生時に神様からもらったスキルだ。だが。
【素材の極み】は何だろう。
今までよく分からなかった。使っている実感もなかった。ただ存在だけ確認して、そのまま放置していたスキルだ。
木材も素材。石材も素材。鉱石も素材。そして食材も素材だ。
(もしかして……)
嫌な予感がした。
もし本当に素材全般へ作用するスキルだったら。範囲が広すぎる。
料理。鍛冶。建築。土木。ものづくり全般。何にでも影響することになる。
(いやいや)
流石に考え過ぎだろう。そう自分へ言い聞かせた。
だが胸の奥には小さな違和感が残った。
このスキル、自分が思っている以上に危険かもしれない。
今は料理に作用しているだけだ。だがもし他の分野でも同じように働いているとしたら。
少しだけ怖くなった。
前世では「仕事が出来すぎる」と逆に仕事を増やされた。このスキルが同じような状況を招かないとも限らない。
(まあ今は関係ないか)
まずは昼食だ。余計な心配は後回しにする。
★
「お母さん、スープできたよー」
「ありがとうレイ。助かるわぁ」
母さんはいつも通りふわふわしていた。本当に大丈夫だろうか。たまに心配になる。でも可愛いので許される。
家族全員が席につく。
自分はフローラ専用の小皿を用意した。
「ほらフローラ」
「うー!」
可愛い。とても可愛い。異論は認めない。世界一可愛い。兄の評価なので間違いない。
細かく刻んだ野菜をスプーンで口へ運ぶ。もぐもぐ。もぐもぐ。そして。
ぱぁっと笑顔になった。
(よしっ!)
内心でガッツポーズ。兄として完全勝利だった。
そんな様子を見ていた母さんもスープを口にする。一口。二口。三口。そして。
「レイ!」
突然大声を出した。
「このスープ凄く美味しいわ!!」
その瞬間。フローラがびくっと震えた。
「ふぇ……」
「あっ!」
母さんが慌てて抱き上げる。
「ご、ごめんなさいねぇ〜」
「うー」
泣かなかった。偉い。可愛い。天才。将来絶対に美人。兄は知っている。
「もしかしたらシーラの料理より美味しいかもしれないわ!」
(それは言い過ぎ!)
思わず心の中で叫ぶ。シーラさんに聞かれたら怒られる。というか本当に聞こえていないか不安になった。
「そんなことないよー」
「そうかしら?」
「初めてだから美味しく感じるだけだと思う」
「そう言われるとそんな気もするわねぇ」
よし。誤魔化せた。たぶん。母さんだから誤魔化せた。相手が父さんだったら危なかったかもしれない。父さんは目が鋭い。
すると母さんが首を傾げた。
「じゃあ明日から全部レイにお願いしようかしら?」
「ダメだよ」
「えぇ〜?」
「お母さんも覚えないと」
「あらぁ……」
少し残念そうな顔をする。本当に残念そうだった。全力で残念そうだった。
その姿を見て、自分は改めて確信した。
やはり母さんは料理が苦手どころか、覚える気もあまり無い。
(でもまあ、それはそれで可愛いか)
そう思ったら不思議と腹も立たなかった。
★
その日から。自分は昼食のスープ担当になった。
家族のために料理をする。それは不思議と嫌ではなかった。むしろ楽しい。前世では仕事終わりに一人でキッチンに立っていた。誰かに食べてもらう料理ではなかった。自分だけが食べる、自分だけのための料理だった。
今は違う。
フローラが笑顔になる。母さんが驚く。父さんが「うまいな」と一言だけ言う。それだけで十分だった。
そして、この時の自分はまだ知らない。
料理。素材。生活。ものづくり。それら全てに繋がる才能が、既に静かに芽吹き始めていたことを。
後に数多くの職業を渡り歩くことになるレイ。その長い旅路の原点の一つは、間違いなくこの小さな台所だった。




