第10話 世界は思ったより広くて、自分は思ったより弱かった
この世界に転生してから、二年が経過した。
気が付けば自分は二歳になっていた。
二年。
前世では当たり前のように過ぎていく時間だ。だがここでの二年は、前世の二年とはまったく密度が違う。言葉を覚えた。スキルを鍛えた。魔力を感じ、操り、少しずつ形にしてきた。
そしてこの二年間で、最も大きく変わったことがある。
言葉が話せるようになったことだ。
★
「おかあさん、おはよう」
「レイ、おはよう」
朝、目を覚ますとソフィアがいつもの優しい笑顔を向けてくれる。今では当たり前になった光景だ。
けれど最初に会話が成立した日のことは、今でもよく覚えている。
自分が普通に受け答えをした瞬間、ソフィアは固まった。驚愕。困惑。そして少しだけ警戒。二歳児とは思えない返答をしたのだから当然だろう。自分でも逆の立場なら絶対に警戒する。
しかし親というのは凄い。
数日後には、『うちの子は賢い』という結論に到達していた。
愛情は時として常識を超えるらしい。
「ごはんまで、おそといくー」
「わかったわ。でも遠くへ行っちゃ駄目よ?」
「はーい」
元気よく返事をして庭へ向かう。これも最近の日課だった。
★
ようやく家の外へ出られるようになったとはいえ、許可されている範囲は庭だけだ。転生して二年。村の外どころか、未だに村全体すら見たことがない。ある意味では監禁生活と言ってもいい。
だが外に出るようになったことで分かったこともあった。
自分の身体が、思ったより弱いということだ。
庭を走る。走る。走る。そして転ぶ。
「はぁ……はぁ……」
たったそれだけで息が切れた。胸が苦しい。足も重い。最近仲良くなった近所の子供達と比べても、自分の体力は明らかに低かった。
原因には心当たりがある。
離乳食だ。
正確には――離乳食を十分に食べられなかったことによる、長期間の栄養不足。前世の記憶を持つ自分の味覚は、どう考えても赤ん坊のそれではなかった。塩だけの野菜スープ。獣臭さの残る肉。味付けの薄い煮込み料理。決して食べられないわけではない。だが前世の料理を知っている自分には、どうしても量が食べられなかった。
結果として身体は少し細くなった。病弱というほどではないが、同年代より体力が少ない。
(前世では過労死、転生後は虚弱体質か)
我ながら人生がハードモードすぎる。
転生したらチート身体を少し期待していた。しかし現実は甘くなかった。
「うーん……」
自分の小さな手を見る。細い。力も弱い。
だがそれより気になっていることがあった。
★
昼食後。表向きは昼寝の時間。しかし実際は違う。
目を閉じる。意識を身体の内側へ向ける。体内を流れる魔力。今では以前より遥かに鮮明に感じ取れるようになっていた。二年間、毎日欠かさず続けてきた成果だった。
現在使える魔法達。
【クリーン】【ボックス】【ボール】【シールド】【ハンド】【ストレージ】
派手な攻撃魔法はまだない。ドラゴンを倒せるわけでも、空を飛べるわけでもない。ラノベだったら二歳で最強になっている頃かもしれない。
だけど現実は違う。
それでも不思議と楽しかった。
魔力を感じる精度。操作技術。維持時間。魔眼の扱い。少しずつ、本当に少しずつだが成長している実感がある。努力した分だけ結果が返ってくる。前世ではなかなか味わえなかった感覚だった。
「もっと上手くなりたいな……」
自然とそんな言葉が漏れる。魔法を知れば知るほど、この世界への興味は大きくなっていった。
★
そんな時だった。
右目の奥が、じわりと熱くなる。
「……っ?」
最近たまに起こる現象だ。【鑑定の魔眼】を長時間使った時に発生する違和感。
気になって窓の外へ視線を向ける。
そして――息を呑んだ。
「え……?」
世界が、違って見えた。
木々の周囲。草花の上。大地の隙間。空気の流れ。あらゆる場所に、淡い光が漂っている。
ふわり。ゆらり。きらきらと輝きながら流れていく。まるで無数の蛍が昼間の世界を舞っているようだった。
だが違う。これは生物の魔力ではない。もっと巨大で、もっと自然で、もっと根源的な力。木々から溢れ、風に乗り、大地へ還っていく。
世界そのものが、呼吸しているようだった。
「これって……」
胸が高鳴る。知っている。ソフィアから聞いたことがある。生き物が取り込み、体内で魔力へ変換する力。世界に満ちる根源エネルギー。
――魔素。
その存在を、自分の【鑑定の魔眼】が捉え始めていた。
(今まで見ていた世界は、ほんの一部に過ぎなかったのか)
じわりと、何か大きなものに触れた気がした。
★
今まで知っていた世界と、今見えている世界は、まるで違った。
木が、ただの木ではない。魔素を吸い上げ、溜め込み、また放出している。川の水も、吹き抜ける風も、踏みしめる大地も、全部が繋がっている。巨大な循環の中に、自分も存在している。
(きっと、この世界には、まだ知らないものが無数にある)
魔法。魔獣。竜。冒険者。職種。
世界は思っていたより遥かに広い。そして今の自分は思っていたより遥かに弱い。
だがそれが、逆に嬉しかった。
弱いということは、伸びしろがあるということだ。知らないということは、まだ発見があるということだ。前世では先が見えない閉塞感が怖かった。でも今感じているのはそれとは違う。先が見えないから、楽しい。
(強くなりたい)
自由に旅をするために。父のような強さを手に入れるために。この世界の全てを自分の目で見て回るために。
その第一歩として、今日も魔力を操る。
まだ小さな一歩でいい。確実に前へ進むために。
二歳の小さな手のひらに魔力を集めながら、レイは静かに空を見上げた。
窓の向こうに、青空が広がっている。
今はまだ庭までしか行けない。だがいつか、あの空の下をどこまでも歩いていける日が来る。
そう信じていた。
――この時のレイはまだ知らない。
自らの固有能力【ジョブホッパー】が、やがて世界の常識そのものを覆す力になることを。そして、その力によって世界中の運命に関わることになる未来を。
今はまだ、誰も知らない。




