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ジョブホッパーの魔導譚 〜幾多の職を越えて紡ぐ、魔眼使いの英雄譚~  作者: フェアリーP
乳児編

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第9話  九ヶ月と、虚弱体質と、美味い飯への誓い

 【クリーン】を覚えてからというもの、自分は毎日のようにスキルの研究を続けていた。


 【魔力操作】。


 【鑑定】。


 【ボックス】。


 そして新しい魔法やスキルの研究。


 気付けばかなりの時間が経っている。


 おそらく転生して九ヶ月ほどだろう。


 ……たぶん。


 


 赤ん坊生活というのは、思った以上に変化が少ないのである。


 寝る。起きる。食べる。スキルを鍛える。また寝る。


 その繰り返しだ。


(現場監督時代より単調かもしれん……)


 前世では毎日何かしら事件が起きていた。職人が来ない。資材が届かない。工程が遅れる。クレームが飛んでくる。胃が痛い。胃薬が減る。さらに胃が痛い。休日も電話が鳴る。


 今思えばなかなか酷い環境だった。


 それに比べれば今は平和そのものだ。ただし刺激は圧倒的に少ない。


 最近は首も完全にすわった。寝返りも自由自在。さらに壁や家具に掴まれば、ふらふらしながらも立つことができるようになった。


「あうっ!」


 数秒だけだ。だが、それでも十分感動だった。半年以上寝転がるしかなかった身からすれば革命である。


 活動範囲も大きく広がった。今では寝室の中を自由に這い回れる。ベッドの下。机の周囲。壁際。以前なら見ることすら出来なかった景色だ。


 精神年齢三十八歳のおっさんが部屋を這い回って感動しているのだから、我ながら複雑な気分でもある。


 しかし――。


(早く外に出たいな……)


 まだ家の外を見たことがなかった。窓はある。だが半透明の素材で景色は見えない。光だけが差し込んでくる。青空なのか曇り空なのか、それすら分からない。


 この世界の森はどんな姿をしているのだろう。街は。冒険者は。魔獣は。


 最近の自分の夢は、外へ出ることだった。





 そんな中、自分には深刻な悩みがあった。


 食事である。


 離乳食が始まってから三ヶ月。ずっと続いている問題だった。


 味が薄い。それも問題だ。だが本当の問題はそこではない。


 食べられないのだ。


 数口食べるだけで満腹になる。無理に食べると気持ち悪くなる。胃が受け付けない。最近はソフィアも心配しているらしく、食事のたびに顔を覗き込んでくるようになった。


「○△×○……?」


 優しい声だった。言葉はまだ完全には理解できない。それでも心配していることだけは分かる。母親というのは世界が違っても同じらしい。


(ごめん、母さん)


(自分ももっと食べたいんだ)


 だが身体が受け付けない。どうにもならなかった。


 そこで試しに自分へ【鑑定】を使ってみた。


【レイ】


【状態:栄養不足・軽度虚弱】


「……あう?」


 思わず固まった。


 まさかの虚弱判定である。


 最近疲れやすいとは思っていた。立つ練習をしていてもすぐ息切れする。身体も重い。少し動いただけで疲れる。全部気のせいではなかったらしい。


(前世では過労)


(転生後は虚弱体質)


(人生なかなかハードモードだな……)


 思わず遠い目になった。せっかく異世界転生したのに病弱スタートとは予想外にもほどがある。





 しかし不思議なこともあった。


 身体は弱い。食事量も少ない。それなのに――魔力だけは順調に増えているのだ。


 【魔力操作】は以前より遥かに安定した。微細な制御も可能になっている。【鑑定】も成長し、状態確認まで出来るようになった。【ボックス】も取得した。さらに最近は【ボール】という新しいスキルまで覚えている。


 魔力で球体を作り出すスキルらしい。普通の人には見えない。だが【魔眼】を通せばはっきり見える。


 球体を作る。潰す。小さくする。大きくする。複数同時に作る。


 気付けば夢中になって訓練していた。


(これ絶対何かの基礎スキルだろ)


 そんな予感がする。そして一つの仮説が浮かんだ。


(もしかして……)


(自分の身体、栄養を魔力に変換してないか?)


 根拠はない。だが可能性はある。身体能力は伸びにくい。魔力だけが異常な速度で成長している。もしそうなら、自分は典型的な魔法職タイプなのかもしれない。筋肉より魔力。体力より魔力。そういう身体なのだろう。


(いや、もう少しバランス良く成長してくれ……)


 切実な願いだった。





 言葉の理解も少しずつ進んでいた。


 まだ話せない。だが聞き取りはできる。おかげで両親の会話から様々な情報を得られるようになっていた。


 そして知った。


 この世界には冒険者がいる。魔獣がいる。ダンジョンらしきものもある。竜がいる。エルフやドワーフもいる。


 そして――魔王までいるらしい。


(本当にファンタジー世界だった)


 今さらながら感動した。同時に少し怖くなる。今の自分では魔獣どころか大型犬にも勝てる気がしない。


 だから焦らない。今は基礎を積み重ねる時期だ。【魔力操作】、【鑑定】、【ボックス】、【ボール】。毎日少しずつ鍛えていく。前世の仕事でも基礎が一番大事だった。異世界でもきっと同じだろう。





 父親――レオンも相変わらずだった。


 月に一度ほど帰ってくる。そして帰ってきた瞬間。


「○△○△!!」


 抱き上げる。頬ずりする。高い高いをする。抱き上げる。頬ずりする。高い高いをする。


 無限ループである。


(親バカが重い)


 しかもレオンは金髪碧眼の超イケメンだ。だから許されている。前世のおっさん上司が同じことをしたら通報案件だった。


 ソフィアも慣れているのか、苦笑するだけで止めない。完全に手遅れだった。


 それでも悪い気はしなかった。この人が自分を大切に思っているのは、言葉が分からなくても全身から伝わってくる。鎧越しでも、距離が離れていても、それだけははっきりと感じた。





 そして夕食の時間。


 今日も野菜スープだった。


 以前よりは改善されている。野菜は小さい。固さも多少マシ。飲み込みやすくなった。ソフィアなりに工夫してくれているのだろう。


 だが――美味しくない。これは変わらない。


 さらに時々入っている肉も問題だった。


(獣くさい……)


 とにかく獣くさい。野性味が強すぎる。前世で食べた鹿肉以上だった。最初は吐きそうになったほどである。今は慣れた。だが好きにはなれない。


(豚肉食いてぇ……)


(唐揚げ食いてぇ……)


(ラーメン食いてぇ……)


(カレー食いてぇ……)


(焼肉食いてぇ……)


 切実だった。本当に切実だった。


 この世界の食文化には改善の余地がありすぎる。いや、改善の余地しかない。出汁文化がない。香辛料も少ない。調理技術も発展していない。素材を煮て塩を入れたら完成。そんなレベルだ。前世でラーメン作りが趣味だった自分からすると、衝撃以外の何物でもなかった。





 魔法の勉強? もちろん大事だ。


 冒険者の訓練? それも大事だ。強くならなければ生き残れないだろう。


 だが今の自分には、それ以上に重要な目標があった。


 料理改革である。


 美味い飯は正義だ。これは世界が変わっても変わらない。


 言葉を話せるようになったら絶対に改善する。出汁を広める。香辛料を探す。保存食も研究する。発酵食品も作る。前世の知識を総動員してやる。


 そう心に誓いながら、自分は味気ない野菜スープを飲み込んだ。


 異世界転生後、初めてできた人生目標。


 それは――世界最強の魔法使いになることでも。伝説の冒険者になることでも。魔王を倒す勇者になることでもない。


(まずは美味い飯だ)


 人生において最も大切なもの。それは案外、身近なところにあるのかもしれない。


 少なくとも今の自分にとっては、そうだった。

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