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ジョブホッパーの魔導譚 〜幾多の職を越えて紡ぐ、魔眼使いの英雄譚~  作者: フェアリーP
乳児編

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第8話 半年と、離乳食の洗礼

 【クリーン】を覚えてからというもの、自分は毎日のようにスキルの研究を続けていた。


 【魔力操作】


 【鑑定】


 そして新しい魔法の開発。


 起きている時間の大半を、それらに費やしていると言っても過言ではない。


 気付けば半年ほど経っていた。


 ……たぶん。


 なぜ曖昧かといえば、この世界にカレンダーらしきものが見当たらないからだ。最初の頃は真面目に日数を数えていた。一日、二日、三日、十日、二十日、三十日――そして五十日を過ぎたあたりで、静かに挫折した。


 理由は単純だ。


 赤ん坊生活が、思った以上に単調だったのである。


 寝る。起きる。ミルクを飲む。スキルを鍛える。眠くなる。また寝る。起きる。


 その繰り返し。


(現場監督時代より単調かもしれん……)


 前世では毎日何かしら事件が起きていた。職人が来ない。資材が届かない。図面が違う。工程が遅れる。上司から電話が来る。胃が痛くなる。


 今は平和だ。驚くほど平和だ。


 だが平和すぎて、暇だった。


 最近では首もしっかり座った。寝返りも出来る。うつ伏せにもなれる。それでも活動範囲はベッドの上だけだ。


 精神年齢三十八歳。肉体年齢推定六ヶ月。


(早く歩きたい……)


 ベッドの上でごろごろ転がりながら、本気でそう思っていた。





 半年も経つと、家族のことも少しずつ分かってくる。


 特に父親。レオンについてだ。


 彼は月に一度ほど帰ってくる。仕事が忙しいらしい。それは理解できる。問題は、帰ってきてからだった。


「おおっ! レイ!」


 抱き上げる。


「大きくなったな!」


 頬ずりする。


「可愛いぞ!」


 また抱き上げる。


「父さんのことを覚えているか!」


 また頬ずりする。


「よし、もう一回だ!」


 さらに抱き上げる。


(親バカが重い)


 非常に重い。愛情が。物理的にも、精神的にも。


 レオンはイケメンだ。高身長。金髪。整った顔立ち。爽やかな笑顔。前世の現場仲間に見せたら全員黙るくらいには整っている。だから許されている部分がある。もし前世の上司が同じことをやったら、翌朝には労基に電話していた。


 それでも悪い気はしなかった。


 この人が自分を好きなのは、全身から伝わってくる。鎧越しでも、言葉が分からなくても、それだけははっきりと分かった。





 そんなある日。


 口の中に、微かな違和感を覚えた。


 舌で触る。


 硬い。少し尖っている。


(おっ)


 歯だ。乳歯が生え始めた。


 まだ一本。ほんの少し顔を出したばかり。噛むどころか触れるだけで痛い、そんな段階だ。


 だが自分の頭の中では、それで十分だった。


(離乳食だ!)


 半年以上、ミルク生活だった。さすがに飽きていた。どれだけ栄養があっても、毎日同じものを飲み続ければ飽きる。それは前世でも異世界でも変わらない。


 ラーメン。チャーハン。ハンバーガー。焼肉。唐揚げ。ポテトチップス。


 前世の味が、じわじわと恋しくなっていた。


「あうー!」


 思わず声が出る。興奮しすぎた。


 だが冷静になって考える。この世界の文明レベルは中世ヨーロッパ風だ。香辛料は高そう。調味料も種類が少なそう。出汁の文化があるかどうかも分からない。


(嫌な予感がするな……)


 少しだけ、不安になった。





 一方その頃、スキルにも新しい動きがあった。


 ある日の朝、突然頭の中に情報が流れ込んできた。


【ボックスを取得しました】


(ボックス?)


 試しに意識を向けてみる。すると目の前に透明な箱が現れた。


(おおっ!?)


 普通の目では見えない。だが【魔眼】ではっきり確認できる。半透明の立方体。それだけなら地味だが、触れてみると感覚が全く違った。


 形が変えられる。


 大きくも小さくもできる。板にも、柱にも、壁にも。魔力を流し込むことで、自在に形を変えられるのだ。


(これ……凄くないか?)


 気付いたら夢中になっていた。立方体。三角柱。階段。家。橋。塔。前世で使っていたCADソフトを思い出す。設計図を頭の中で立体化していた、あの感覚に近かった。


 何時間でも遊べる。いや、研究できる。


(絶対に当たりスキルだろ、これ)


 用途はまだ分からない。だが将来必ず役立つ。そんな確信だけがあった。





 【鑑定】も地道に進化していた。


 新しく増えた項目。


【状態】


 これが地味に、しかし確実に便利だった。人なら健康状態。物なら破損状況。食材なら鮮度。特に食べ物との相性が良い。異世界で食中毒になっても笑えない。


 そのせいで最近は食事を見るたびに反射的に鑑定してしまう。完全に職業病だった。前世でも現場の資材を見るたびに品質確認をしていた。あの頃から何も変わっていない気がして、少しだけ笑えた。





 そして――運命の日がやってきた。


 ソフィアが木の器を持って部屋へ入ってきたのだ。


 湯気が立っている。温かそうだ。器の中にはスープらしきものが入っていた。野菜が見える。肉らしき欠片も少し浮いている。


(来たか……)


 半年待った。本当に長かった。


 異世界初の料理だ。期待しない方がおかしい。


(頼むぞ異世界グルメ)


 期待を込めて口を開く。ソフィアが優しくスプーンを運んでくる。


 ぱくり。


 もぐ。


 ごくん。


 そして――。


(まずい)


 衝撃だった。


 いや、まずいというより――味がない。正確には塩味しかない。出汁がない。旨味がない。香辛料がない。深みがない。感動がない。ただひたすらに、塩だけが全力で主張していた。


(待て待て待て)


(この世界の料理どうなってるんだ!?)


 前世ではラーメン作りが趣味だった。塩ラーメン一杯のために何時間も出汁を取っていたこともある。だからこそ分かる。これは塩味の料理ではない。塩スープである。塩スープそのものだ。


 試しに鑑定する。


【野菜スープ】【状態・良好】【説明・野菜を煮込み塩で味付けした料理】


(そのまんまかよ!!)


 心の中で叫んだ。良好って何が良好なんだ。塩が良好なのか。健康状態が良好なのか。どちらにしても旨さとは無関係だった。





 だが問題は味だけではなかった。


 野菜が、大きい。


 そして、固い。


(いや待て)


(自分まだ歯が生えたてなんだが!?)


 乳歯が一本、ようやく顔を出したばかりだ。噛むどころか触れるだけで痛い。こんな状態で挑む相手ではない。どう見ても硬さが段違いだった。


 しかしソフィアは満面の笑顔だ。逃げられない。


 ぱくり。


 もぐ……もぐ……。


(噛めない!!)


 当たり前だった。歯がないのだから。ぐちゃぐちゃとした感触だけが口に広がる。喉に詰まっては危険なので、固形物はそのまま押し返すしかない。舌で潰せるほど柔らかくもない。完全なる八方塞がりだった。


 数分後、自分は静かに敗北した。


 汁だけを飲み込む。それが精一杯だった。


 異世界転生後、初めての敗北だった。





 食事が終わった後も、自分はしばらく考え込んでいた。


 味が薄い。野菜が固い。そもそも歯で噛めない。三重苦どころか三重壁だ。


(これは将来、料理改革が必要だな……)


 本気でそう思った。


 そしてふと、一つのことに気付く。


 神様が与えてくれたスキル一覧の中に、【料理】があった。最初は意味が分からなかった。魔法でも戦闘でも生産でもなく、なぜ料理なのか。


 だが今なら分かる気がした。


(この世界の食文化を見越して渡してくれたのか?)


 もしそうなら、あれは必須スキルだ。むしろ最優先スキルと言ってもいいかもしれない。魔法よりも先に鍛えるべきだったかもしれない。


「あぅ……」


 しょっぱい。


「あうー……」


 味が単調。


「あぅぅ……」


 野菜が固くて噛めない。


 必死に訴える。だが当然、伝わらない。


 ソフィアは嬉しそうに微笑むだけだった。息子が初めて離乳食を食べた。それだけで幸せそうだった。その顔を見ていると、文句を言う気も少し薄れてくる。


(違うんだ、母さん)


(愛情は伝わってる)


(でも料理は改善の余地しかない)


 そうして自分は、新たな目標を定めた。


 魔法の研究も大事。スキル育成も大事。強くなることも大事。


 だが。


(いつか絶対に、美味い料理を作る)


 ラーメン。カレー。唐揚げ。餃子。チャーハン。前世の味を、この世界で再現する。


 それが異世界転生後、新たに生まれた人生目標だった。


 そしてその決意が、後にレイの人生を大きく変えることになるとは――この時の自分は、まだ知る由もなかった。

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