第6話 言葉にする前に
熱はだいぶ下がっていた。
身体のだるさはまだ残っているが、昨日のように起き上がれないほどではない。
窓の外はいつも通りの朝なのに、部屋の中だけ時間が遅れているような感覚があった。
優作はソファに座りながら、ぼんやりとスマホを見ていた。
桃華からのメッセージは、昨日から途切れていない。
今日はちゃんと横になっててくださいね
水飲んでますか?
おかゆ食べました?
まるで生活そのものを見張られているようで、少しおかしくなる。
でも、不思議と嫌じゃなかった。
『もうだいぶ大丈夫です』
そう送ると、すぐに返事が来る。
よかったです
でも油断禁止です!
『了解です』
短いやり取りなのに、部屋の空気が少し明るくなる。
優作はスマホを置いて、天井を見上げた。
昨日までの自分とは、何かが違っている気がした。
桃華が来た夜。
あの部屋の温度。
段取りのように並べられた薬。
心配そうな顔。
「ちゃんと食べたら飲んでください」
あの言葉。
ただの優しさじゃない。
生活の中に入ってくる優しさだった。
優作は立ち上がって、キッチンに向かう。
冷蔵庫を開けると、昨日桃華が買ってきたポカリがまだ残っている。
それを見た瞬間、少しだけ笑ってしまった。
もう一人の生活に、別の人の気配が混ざっている。
昼過ぎ。
桃華から電話が来た。
「優作さん、起きてます?」
「起きてますよ」
「ちゃんと食べました?」
「さっきおかゆ食べました」
「えらいです」
褒められるような年齢じゃない、と心のどこかで思いながらも、悪い気はしなかった。
「もうだいぶ元気です」
「よかった……」
少し安心したような声。
その“安心”が、なぜか胸に残る。
通話が終わったあと、優作はしばらくスマホを握ったままだった。
治りかけの身体は、少しだけ正常に戻ってきているはずなのに。
頭の中だけが妙に静かじゃない。
考えてしまう。
この関係は何なのか。
恋人ではない。
でも、もうただの知り合いでもない。
一番近いのに、一番曖昧な距離。
夜。
完全に熱が引いた頃、優作は一人でソファに座っていた。
部屋はいつも通り静かだ。
でも、少しだけ違う。
静けさの中に、記憶が残っている。
桃華の声。
あの手際。
あの心配の仕方。
そして、自然に入ってきた存在感。
スマホが震える。
ほんとにもう大丈夫ですか?
優作は少しだけ間を置いてから、画面を見つめた。
指が勝手に動く。
『もう大丈夫です。ありがとう』
送信してから、しばらく画面を見つめる。
そして。
もう一行、打つ。
少しだけ、呼吸を整えてから。
『今度、ちゃんと話したいことがあります』
送信。
既読はすぐについた。
しかし返信は来ない。
それなのに、不思議と落ち着いていた。
怖さではなく、静かな決意に近い感覚。
夜の部屋で、優作は小さく息を吐く。
離婚してから、ずっと一人で完結していた日常。
そこに、もう一人が入り込んできた。
そして今、その入り込んだ存在に向かって、自分の意思を差し出そうとしている。
「付き合おう」
まだ言葉にしていないのに。
もう心の中では、ほぼ答えは出ていた。




