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カルロスの災難  作者: 岸野果絵
独立
5/6

資金難

 執務室の窓からは大きな月が見えていた。机には書類の山が月光に淡く照らされている。

 

「独立の準備は滞りなく進んでいるか?」

 静まりかえった室内に、低く落ち着いた声が響く。

 「まぁ、なんとか……」

 クレメンスの問いに、カルロスは気まずそうに視線を落とした。

 

 準備は順調だった。

 ただ、ひとつだけ大きな問題があった。

 資金だ。

 独立には、想像以上の金が要る。

 貯めていた蓄えなど、あっけなく消えた。

 借り入れには担保が必要だが、親の土地を差し出すことはできない。

 これ以上、親に負担をかけるわけにはいかなかった。

 

 クレメンスは静かな紫の瞳で、しばらくの間、カルロスをじっと見つめていたが、やがて背後の棚から文箱を取り出し、机に置いた。

 視線で促され、カルロスは蓋を開けた。

 中には通帳と保険証など、いくつかの書類が整然と収められている。

「お前が内弟子に入った時点で、共済には加入させてある。手続きに必要なものはそこに揃っている。後日、協会に行きなさい」

「……はい。ありがとうございます」

 書類を戻し、通帳を手に取る。

 表紙には、自分の名前が記されていた。

「これは……?」

 ページを開く。

「積立金だ」

 淡々と告げられた言葉に、カルロスは記帳された数字を追った。

 内弟子に入った月から、途切れることなく入金が続いている。

 最後のページを見た瞬間、カルロスは目を見開いた。


「お前の親御さんから支払われていた月謝がベースだ」

「え? でもそれじゃ、師匠の取り分が……」

「気にするな。内弟子の月謝など、私には些細なものだ。それに通いの弟子の分は、きちんともらっている」

 クレメンスはそう言ったが、入金額は一定ではない。

 カルロスは首をかしげた。


 クレメンスはわずかに息をつくと、引き出しから分厚いノートを取り出した。

「これを見なさい」

 ページをめくる。

 そこには、日々の記録がびっしりと並んでいた。


 調理の回数。

 代理でこなした仕事。

 町内の手伝いに至るまで。


「家事の一部は、家賃や食費と相殺している」

「いや……師匠……」

「調理回数は当番表を基準にした。多少の誤差はあるだろうが、そこは目をつぶってほしい」

「いや、そうじゃなくて……もらえないっすよ」

 カルロスは首を振る。

 「正当な対価だ」

 その声は穏やかだが、拒絶を許さぬ硬さがあった。


「いや、でも……」

「師範取得後の私の弟子たちに対する指導料は、独立後に支払うつもりだ。それでいいか?」

「ちょ、待ってください」

 思わず両手を上げて制する。


「不服か?」

「不服っていうか……多すぎますよ、これ」


 本音を言えば、欲しい。

 喉から手が出るほどに。

 それでも、受け取ることはできない。

 カルロスは拒むように身を引いた。


「カルロス」

 クレメンスは静かに、諭すような声でカルロスの名を呼ぶ。

 カルロスは反射的に姿勢を正し、「はい」と返事をした。

「資金はな、足りなくて困ることはあっても、多すぎて困ることはない。尽きれば終わりだ」

 一旦、言葉を切り、カルロスの顔を見据える。

「魔術では、腹は満たされん」

「……」

 カルロスは目頭が熱くなるのを感じた。

「……ありがたく、頂戴いたします」

 少しの間の後、深々と頭を下げる。クレメンスは穏やかな笑みを浮かべた。

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