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女王転生  作者: のあ


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9/15

第九話 女王、買われることを拒む

 《月花亭》の営業が終わった深夜。


 店の扉を開けた麗華を待っていたのは、豪華な馬車と、その横に立つルシアンだった。


 月明かりの下でも目立つ淡い金髪に、上等な外套。伯爵家の人間が夜の歓楽街に立っているだけで、道を行く人々は何度も振り返っている。


「こんばんは、ルシアン様」


「麗華」


「今日は店には来なかったのに、こんな時間まで待ってたんです?」


「ああ。話がしたかった」


「店の中じゃ駄目だったんですか?」


「二人で話したかった」


「……」


 麗華は小さく息を吐いた。


 後ろではエルザやアリア、セリア、それからルナまで心配そうにこちらを見ている。


「長くなります?」


「いや。一つ聞きたいだけだ」


「じゃあ、ここで」


「馬車に乗らないのか?」


「乗りません」


「何もしない」


「そういう問題じゃないですよ」


 麗華は柔らかく笑う。


「私、何回も二人では出かけないって言いましたよね?」


「……ああ」


「なら、守ってください」


 ルシアンは何か言いかけたが、結局飲み込んだ。


「分かった」


「ありがとうございます。それで?」


「先日の商会の件だ」


「ああ」


「父に話した」


 麗華の表情が少し変わる。


「どうでした?」


「最初は怒られた」


「やっぱり」


「だが、お前に言われた通りに話した」


「私が?」


「『今までのやり方が悪い』ではなく、『父上がここまで大きくした商会を、さらに大きくするために試したい』とな」


 麗華は少し笑う。


「それで?」


「二店舗だけだが、許可が出た」


「よかったじゃないですか」


「……お前はそれだけか?」


「え?」


「もっと自分のおかげだという顔をするかと思った」


「だって、話したのはルシアン様でしょう?」


「案を出したのはお前だ」


「実際にお父様を説得したのはあなたですよ」


 麗華は当たり前のように言った。


「そこは自分の成果でいいと思います」


「……」


 ルシアンはしばらく麗華を見つめていた。


「本当に変な女だな」


「最近毎日誰かに言われてます」


「明日」


「?」


「店へ行く」


「普通のお客さんとして?」


「ああ」


 麗華は少しだけ目を細めた。


「なら、お待ちしてます」


 その言葉にルシアンは僅かに笑った。


 しかし。


 馬車へ乗り込んでいく男の背中を見ながら、麗華は小さく首を傾げる。


 何か。


 まだ終わっていない。


 そう感じた。


     ◇


 翌日の夜。


 ルシアンは宣言通り《月花亭》へ現れた。


「いらっしゃいませ」


「麗華」


「今日は本当に普通に来ましたね」


「俺を何だと思っている」


「最近ちょっと面倒なお客さん」


「本人に言うのか?」


「冗談ですよ」


「半分くらい本気だろう」


「どうでしょう」


 麗華が笑いながら席につく。


 今日はエドガーもいない。


 珍しくルシアン一人だった。


「何飲みます?」


「前と同じでいい」


「了解」


 酒を注ぐ。


 最初の数分は、本当に普通だった。


 商会の話。


 父親との会話。


 試験的に選んだ二店舗。


「それで」


 ルシアンは持ってきた資料をテーブルへ置いた。


「まだ二週間も経っていないが、すでに変化が出ている」


「早いですね」


「余計な輸送が減った」


 麗華が紙を見る。


「本当だ」


「一号店で不足した商品を工房へ追加発注する前に、二号店の在庫を確認させた。結果、同じ商品が十二着余っていた」


「十二着」


「ああ。今までなら新しく作らせていた」


「その分の材料と職人さんの時間が浮いた?」


「そうだ」


「良かったですね」


「さらに一部の布をまとめて仕入れたところ、仕入れ先が値引きを申し出てきた」


「やっぱり」


「なぜ分かった?」


「大量に買ってくれる客は逃したくないでしょう?」


 麗華は当然のように答える。


「それと、貴族街の店舗で高級品の割合を増やした。まだ期間は短いが、以前より客単価が上がっている」


「じゃあ、そのまま続けて様子見ですね」


「父も驚いていた」


「褒められた?」


「……少しだけな」


 ルシアンの口元が緩む。


 麗華はすぐ気づいた。


「嬉しかったんですね」


「何が」


「お父様に褒められたこと」


「別に」


「今ちょっと笑いましたよ」


「笑ってない」


「笑ってた」


「……」


 麗華が楽しそうに笑う。


「いいじゃないですか。嬉しいなら嬉しいで」


「子供じゃないんだぞ」


「何歳でも、認めてもらえたら嬉しいでしょう?」


 ルシアンは一瞬言葉を失い、それから諦めたように酒を飲んだ。


「……お前には隠し事ができそうにない」


「全部分かるわけじゃないですよ」


「十分だ」


「勝手に決めつけないようにはしてます」


「決めつけ?」


「顔や仕草を見て、こうかなって思っても、確定ではないから。だから最後は本人に聞く」


「……」


「人って結構勘違いしますからね」


 何気ない言葉だった。


 しかし、後になって思えば。


 その言葉は。


 ルシアンに一番聞いてほしかったものだったのかもしれない。


     ◇


「麗華」


 しばらくして、ルシアンが資料を片付けた。


「はい?」


「一つ提案がある」


「また食事?」


「違う」


「なら聞きます」


「……食事だったら聞かないのか」


「断るの分かってるでしょう?」


「分かっている」


「じゃあ誘わないでください」


「それも含めて話したい」


 麗華の目が少しだけ変わった。


「どうぞ」


「アルヴェール家へ来ないか」


「行きません」


「まだ説明してない」


「どうせ嫌なので」


「一度くらい聞け」


「……」


 麗華は少し考えてから、グラスをテーブルへ置いた。


「じゃあ聞きます」


「アルヴェール家付きの相談役として雇いたい」


「相談役?」


「ああ。今回の件で父もお前の能力を認めた。正式な役職を用意できる」


「へぇ」


「報酬は月に金貨――」


 提示された金額。


 麗華の眉が少し上がった。


「高いですね」


「当然だ。お前にはそれだけの価値がある」


「待遇は?」


「屋敷に部屋を用意する。食事、衣服、必要なものはすべてこちらで揃える。商会に関する資料も自由に見て構わないし、改善案があれば俺へ直接伝えればいい」


「かなりいいですね」


「だろう?」


「条件だけなら」


 ルシアンの表情が明るくなる。


「なら――」


「でも行きません」


「……」


「聞いてから断りましたよ」


「なぜだ?」


「別に働きたいと思わないから」


「今の生活より良い」


「何を基準に?」


「何?」


「お金?」


「それもある」


「住む場所?」


「ああ」


「食事?」


「当然だ」


「でも」


 麗華は少し首を傾げた。


「私、今の生活好きですよ」


「冒険者をやりながら夜はここで働く生活が?」


「うん」


「危険な依頼へ行く必要もなくなる」


「行きたいから行ってるの」


「この店で男たちに酒を注ぐ必要も――」


「それも好きでやってる」


 ルシアンの言葉が止まる。


 麗華は少しだけ彼の顔を見る。


「ルシアン様」


「何だ」


「その提案、本当に私のため?」


「当然だ」


「……半分くらい嘘ですね」


「何?」


「嘘って言い方悪かったかな」


 麗華は声を荒らげず、むしろ普段より穏やかに続けた。


「自分では、本当に私のためだと思ってるんでしょうけど」


「なら何が違う」


「聞いてもいい?」


「何だ」


「私が冒険者やってるの、嫌?」


「危険だからな」


「月花亭で働くのは?」


「気に入らない」


「どうして?」


「他の男に笑いかける」


「私が相談役になって、でも夜は今まで通りここで働くって言ったら?」


「認めない」


「ほら」


 麗華は小さく笑った。


「何がだ」


「私の才能が欲しいだけなら、ここを辞めさせる必要ないでしょう?」


「……」


「冒険者だって、仕事に支障がなければ続けてもいいはず」


「危険だと言っている」


「でも、それを決めるのは私じゃない?」


「……」


 麗華は少しだけ身体を前へ傾ける。


「私のために言ってるつもりでも、半分はルシアン様自身が嫌なんですよ」


「何が」


「私が自分の知らないところで生きてること」


 ルシアンが黙った。


「違います?」


「……」


「私が誰と話してるか分からない」


「……」


「どこへ行くかも分からない」


「……」


「自分以外の人に笑いかける」


「……」


「それが嫌だから、自分の屋敷に置いておきたい」


「そんな言い方をするな」


「じゃあ違う?」


 麗華は責めるようには言わない。


 ただ。


 答えを待つ。


 ルシアンは長く黙った。


「……全部が間違っているとは言わない」


「でしょう?」


「だが、お前の才能を評価しているのも本当だ」


「それは嬉しいです」


「なら」


「でも行かない」


「……」


「才能を評価してくれることと、私があなたの家へ行くことは別ですよ」


 ルシアンはまた黙り込んだ。


     ◇


 それから二日後。


 麗華が出勤して予約帳を見ると、異変に気づいた。


「……何これ」


 普段なら麗華の名前が何度か書かれている時間帯。


 全部。


 一つの名前。


 ルシアン。


 営業開始。


 中盤。


 後半。


 閉店まで。


「エルザ」


「何?」


「今日、私ずっとルシアン様?」


「そう」


「他のお客さんは?」


「別日に移ってもらった」


「何で?」


 エルザが少し困った顔をした。


「あなたの平均的な一晩分の売上より多く払うと言われたの」


「……」


 麗華はしばらく予約帳を見る。


「受けたんですね」


「一応、あなたへの指名としてね」


「怒ってないですよ」


「でも嫌そう」


「ちょっと」


「断ればよかった?」


「今回はいいです」


 麗華は顔を上げる。


「でも次からは断って」


「分かった」


「私の予約を全部消して一人で取るのは、本人に確認してから」


 エルザはすぐ頷いた。


「新しいルール?」


「私だけ」


「分かったわ」


 ちょうどそこへアリアが通りかかる。


「贅沢ね。一晩独占?」


「やめて、その言い方」


「普通の女なら喜ぶんじゃない?」


「私は普通じゃないらしいから」


「それは知ってる」


「失礼」


     ◇


「今日は二人だな」


 ルシアンはかなり機嫌が良かった。


「そうですね」


「嫌そうだな」


「ちょっと」


「なぜだ?」


「私、あなた以外のお客さんとも話したかったので」


「金なら払った」


 その瞬間。


 麗華の手が止まった。


 怒ったわけではない。


 まだ。


 ただ。


 少しだけ目が細くなる。


「ルシアン様」


「何だ」


「一個だけ、間違えないでくださいね」


「何を」


「今日、あなたがお金で買ったのは」


 麗華はテーブルを指先で軽く叩く。


「この席で、私と一緒に過ごす時間です」


「……」


「私が誰と話すか」


 一つ。


「どこで働くか」


 二つ。


「誰を好きになるか」


 三つ。


 指を折る。


「そこまでは買えてないですよ」


「……そんなつもりで言ったんじゃない」


「ならよかった」


 麗華はすぐ笑顔へ戻る。


「でも、言葉って大事だから」


「……」


「特に、お金持ってる人が『金は払った』って言うと、結構怖いですよ」


 ルシアンは何も言わなかった。


 麗華は彼を悪人だとは思っていない。


 今はまだ。


 むしろ今まで接した限りでは、部下へ横暴に当たるような人間でもなく、商会の問題に対しても真剣だった。


 頭もいい。


 分からないことを分からないと言える。


 家柄に胡坐をかいて何も考えない男でもない。


 だから余計に。


 勿体ない。


「麗華」


「はい?」


「俺なら、お前を幸せにできる」


「多分できますよ」


「……」


 ルシアンが目を見開く。


 予想していた答えと違ったのだろう。


「何?」


「なら」


「お金あるでしょう?」


「ああ」


「顔もいい」


「……」


「頭もいい。家柄もある。私に乱暴したいわけでもない」


「当然だ」


「だから、あなたと結婚したら生活に困ることは多分ないと思う」


「ならなぜ」


「好きじゃないから」


 麗華はあまりにも普通に言った。


 ルシアンが止まる。


「幸せにできる条件が揃ってることと」


「……」


「私があなたと一緒にいたいことは、別ですよ」


「……俺の何が駄目なんだ」


「別に駄目じゃない」


「それでは分からない」


「分からなくてもいいんですよ」


「なぜだ」


「恋愛って、条件揃えたら必ず成立するものじゃないから」


 麗華はグラスへ酒を注ぐ。


「顔がいいから好き。お金持ってるから好き。優しいから好き。もちろんそういう人もいると思う」


「……」


「でも、全部揃ってても好きにならないこともある」


「俺は納得できない」


「でしょうね」


「なぜ分かる」


「ずっと納得してない顔してるから」


 麗華は少し笑った。


 その笑みが、ルシアンには余計に遠く感じられた。


「お前を好きになる男は多いだろう」


「多かったですね」


「全員断ったのか?」


「ほとんど」


「なぜ」


「興味なかったから」


「……」


「前の仕事でも、客と恋愛する気なかったし」


「俺も客だからか?」


「それだけじゃないですよ」


「なら何だ」


 麗華は少し黙る。


「ルシアン様」


「何だ」


「前回の商会の話、覚えてます?」


「当然だ」


「私、何回も『相手を見る』って話したでしょう?」


「ああ」


「店によって客が違う。お父様へ話す時も、相手が何を大事にしてるのか見て言葉を変える」


「……」


「ルシアン様、それできるんですよ」


「何?」


「商売では」


 ルシアンの眉が僅かに動く。


 麗華はそのまま続けた。


「なのに恋愛になると」


「……」


「全然、私のこと見てないですよ」


 ルシアンの表情が初めて明確に変わった。


「俺はお前を見ている」


「見てます?」


「毎日でも会いたいと思っている。何が好きかも知りたい。お前がどれだけ賢いかも、どれだけ美しいかも――」


「それ」


 麗華が静かに遮る。


「ルシアン様が好きになった私ですよね」


「……何?」


「綺麗」


 麗華は自分を指す。


「頭がいい」


「……」


「自分に媚びない」


「……」


「手に入らない」


 最後。


 ルシアンの目が動く。


 麗華は気づく。


「その私が好きなんでしょう?」


「当然だ」


「でも」


 麗華は静かに首を横へ振る。


「私が何をしたいかは、全然聞かない」


「……」


「冒険者やめろ」


「……」


「店もやめろ」


「……」


「俺の屋敷へ来い」


「……」


「私、どれも好きだって言ってるのに」


 ルシアンは何も返せない。


「私のこと見てるなら」


 麗華は少しだけ寂しそうに笑った。


「私が嫌だって言ってることも、見てほしいな」


「……」


 静寂。


 店の音楽。


 遠くの笑い声。


 二人の席だけ。


 別の場所みたいに静かだった。


     ◇


「……俺は」


 長い沈黙のあと、ルシアンが言った。


「お前を好きだと思っている」


「うん」


「思っている、じゃない。好きだ」


「ありがとう」


「なのにお前は、俺が間違っていると言う」


「気持ちが間違ってるとは言ってないですよ」


「なら」


「やり方」


 麗華は即答した。


「好きなのは自由」


「……」


「私も止められない」


「なら――」


「でも、その好きを理由に私の選択を変えようとするのは違う」


「……」


「私が嫌だって言ってるのに、何回も食事に誘ったり、店の外で待ってたり、今日みたいに一晩全部取ったり」


 麗華は少し苦笑する。


「正直、困ってます」


「……そこまでか」


「うん」


 ルシアンの目が少し揺れる。


 麗華は嘘をつかない。


 ここで「全然迷惑じゃない」などと言えば、その場は傷つけずに済むかもしれない。


 でも。


 もっと期待させる。


 それは優しさではない。


「ルシアン様」


「……」


「一回、ちゃんと考えた方がいいですよ」


「何を」


「私が好きなのか」


 麗華は少し間を置く。


「それとも」


「……」


「手に入らない私が欲しいだけなのか」


 ルシアンの顔が硬くなった。


「……随分な言い方だな」


「ごめんなさい」


「俺の気持ちを偽物だと言うのか?」


「言ってない」


「同じだろう」


「違います」


 麗華は真っ直ぐ彼を見る。


「私には分からないから、ルシアン様自身が考えてって言ってるの」


「……」


「私が『あなたは執着してるだけ』って決めつけたら、それこそ私があなたを見てないでしょう?」


 ルシアン。


 黙る。


「だから」


 麗華は少し声を柔らかくする。


「自分で考えて」


「……」


「私は待たなくていいですけど」


「そこは待て」


「ふふ」


 少し。


 空気。


 緩む。


 でも。


 ルシアンは笑わなかった。


     ◇


「麗華」


 帰る少し前。


 ルシアンがもう一度名前を呼んだ。


「はい」


「もし俺が、お前を諦められなかったら?」


「困ります」


「……」


「でも」


 麗華は少し考える。


「まだ、あなたのこと嫌いじゃないですよ」


 ルシアンの顔が上がる。


「……本当か」


「うん」


「なら可能性は」


「そうやってすぐ恋愛に持っていくから駄目なの」


「……」


「客としてね」


 麗華は笑う。


「相談してくれた時のルシアン様、結構好きでしたよ」


「……!」


 分かりやすい反応。


 麗華はすぐ手を上げる。


「恋愛じゃないから」


「分かっている」


「本当に?」


「……多分」


「そこ自信持って」


 麗華は小さく笑いながら続ける。


「分からないことをちゃんと『分からない』って言えて、人の話を聞いて、考えて、自分で動いてたでしょう?」


「……」


「ああいう人は格好いいと思います」


 ルシアン。


 完全に黙る。


「今みたいに、私を手に入れることばっかり考えてるより」


「……酷いな」


「ごめんなさい」


「謝ればいいと思ってないか?」


「ちょっと」


「……」


 それでも。


 麗華の表情は優しい。


「だから」


「何だ」


「いい男に戻ってくれません?」


「……」


「元々いいところいっぱいあるんだから」


「それは褒めているのか?」


「かなり」


「なら、なぜ俺を好きにならない」


「また戻った」


「……」


「そういうとこ」


 ルシアンはとうとう小さく息を吐いた。


「お前と話してると、自分が馬鹿になった気がする」


「恋愛ってそういうものじゃない?」


「お前は随分余裕だな」


「私は今、恋してないから」


「……腹が立つ」


「ごめんなさい」


 でも。


 少しだけ。


 ルシアンも笑った。


     ◇


 翌日。


 ルシアンは来なかった。


「珍しい」


 アリアが予約帳を見る。


「ルシアン様いないわ」


「そうですね」


 麗華は普通に酒瓶を並べている。


「寂しい?」


「全然」


「即答」


「だって毎日来すぎなんですよ」


 二日目。


 来ない。


 三日目。


 来ない。


 セリアまで少し気になり始める。


「本当に諦めたんでしょうか」


「どうだろうね」


「麗華さん、気にならないんです?」


「考えてるなら、それでいいかな」


「戻ってきてほしい?」


「普通のお客さんとしてなら」


 そこへルナが近づく。


「……よかったです」


「何が?」


「最近ルシアン様来ないから」


 麗華がルナを見る。


「そんなに嫌だった?」


「麗華さん困ってたでしょう?」


「まあ」


「だから」


 ルナは少し頬を膨らませる。


「もっと早く諦めればよかったのに」


「あら」


 麗華の目が少し悪戯っぽくなる。


「妬いてたんじゃなくて?」


「なっ……!」


「違う?」


「違います!」


「本当に?」


「本当です!」


 麗華が一歩近づく。


 ルナも一歩下がる。


「麗華さん?」


「じゃあ」


 もう一歩。


「私が他の人に取られても平気?」


「……」


 ルナの背中が壁へ当たる。


 麗華は無理に詰めず、その手前で止まった。


 ただ。


 以前と同じように。


 そっと首の後ろへ手を回す。


「――っ」


 ルナの顔が一気に赤くなる。


「麗華さん!」


「平気?」


「……」


「ルナ?」


「……嫌です」


「何が?」


「麗華さんが」


 ルナは視線を逸らしたまま、小さく続ける。


「誰かに取られるの」


 麗華の口元が緩む。


「素直」


「麗華さんが言わせたんでしょう!」


「ふふ」


 麗華はそのまま、少しだけ首を傾げる。


「でも」


「?」


 今度はルナが麗華を見る。


「麗華さんは、誰のものでもないです」


「……」


「私のものでも、ルシアン様のものでもない」


「……」


「麗華さんは、麗華さんだから」


 麗華の表情が止まった。


 さっきまでのからかうような笑みではない。


 ほんの少し。


 柔らかい。


「……ありがとう」


 今度は。


 からかわなかった。


 首の後ろに回していた手を上へずらし、ルナの頭を軽く撫でる。


「やっぱり優しいね」


「……」


 ルナの顔。


 また赤い。


「でもそれも恥ずかしいです」


「じゃあやめる?」


「……それは」


「?」


「別に」


 麗華が笑う。


「可愛い」


「もう!」


     ◇


 同じ頃。


 アルヴェール伯爵家。


 広い屋敷の一室で、ルシアンは一人座っていた。


 机の上。


 商会の資料。


 二店舗の改善報告。


 そして。


 以前、麗華に贈ろうとして断られた青い宝石の首飾り。


「……」


『商売では相手を見るのに、恋愛になると全然私のこと見てないですよ』


 言葉。


 残る。


『ルシアン様が好きになった私ですよね』


 美しい。


 賢い。


 媚びない。


 手に入らない。


「……」


 ルシアンは額へ手を当てた。


 否定したい。


 自分は麗華を愛している。


 そう思う。


 だが。


『私が嫌だって言ってることも、見てほしいな』


 食事。


 断られた。


 贈り物。


 断られた。


 屋敷。


 断られた。


 冒険者。


 続けたい。


 月花亭。


 好きで働いている。


 すべて。


 聞いた。


 聞いていたはずだった。


 なのに。


 自分は。


 何一つ。


 受け入れていなかった。


「……くそ」


 ルシアンは小さく呟く。


 数日。


 考えた。


 もし。


 本当に麗華を大切にするなら。


 諦める。


 そうするべきなのかもしれない。


 彼女が嫌がっている。


 自分が苦しめている。


 理解。


 している。


 頭では。


「……」


 しかし。


 目を閉じる。


 浮かぶ。


 黒い髪。


 笑顔。


 商会の資料を見ながら次々問題を見つけていく姿。


『褒めても何も出ませんよ?』


『あなたがやったことですよ』


『いい男に戻ってくれません?』


「……」


 諦める。


 それが正しい。


 分かっている。


 分かっているのに。


 胸の奥。


 一つだけ。


 どうしても。


 消えない。


「……それでも」


 ルシアンは机の上に置かれた青い宝石へ触れる。


「欲しい」


 言葉。


 誰もいない部屋へ落ちた。


 そして。


 その瞬間。


 彼自身もまだ気づいていなかった。


 麗華に言われた通り。


 彼が考え始めていたのは、


 どうすれば麗華を幸せにできるかではなく。


 どうすれば。


 九条麗華を。


 ――自分のものにできるか。


 ということだった。


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