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女王転生  作者: のあ


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5/15

第五話 女王、異世界で客につく

 異世界に来て、二日目の朝。


 九条麗華は見知らぬ天井を眺めながら目を覚ました。


 木の天井と、窓から差し込む朝の光。外からは馬車の車輪が石畳を転がる音や、誰かが店先を掃いている音、人々の話し声が聞こえてくる。


「……そっか。異世界なんだ」


 ゆっくりと身体を起こしながら、昨日の出来事を思い返す。


 死んで、神に会い、転生した。その直後には黒牙熊を吹き飛ばし、冒険者になり、夜には《月花亭》という店へ行った。


 そこで女の子へ接客のお手本を見せ、ルナという女性を本気で照れさせた挙句、最後には貴族の男とまで話すことになった。


「……濃すぎるでしょ、一日目」


 麗華は両手で顔を覆いながら苦笑する。


 それだけ動き回ったというのに、身体は驚くほど軽かった。前世なら深夜まで働いた翌朝など、身体に酒が残り、足も重く、少しくらいは疲労があったものだ。


 今は何もない。


 むしろ、よく眠った日の朝より調子がいい。


「これも神様のせいか」


 世界最高峰の身体能力。


 ありがたいのは間違いないのだが、改めて考えるとやはり貰いすぎた気もする。


「……本当にやりすぎじゃない?」


 当然、返事はない。


 麗華はベッドから下り、窓を開けた。


 異世界の朝はすでに動き始めていた。野菜を積んだ荷車が通り、パンを運ぶ子供が走り、その向こうを武器を背負った冒険者が歩いている。


 昨日までは存在すら知らなかった世界。


 それでも、不思議と怖くはなかった。


「さて」


 麗華は長い黒髪をまとめると、鏡の前で軽く身支度を整えた。


「働こうかな」


     ◇


「薬草採取?」


 冒険者ギルドの依頼板の前で、麗華は一枚の紙を眺めていた。


「ああ。Fランクなら最初はその辺だな」


 隣に立つガイルが答える。


「昨日、黒牙熊と戦ったのに?」


「正確には、お前は黒牙熊を討伐したことになってない。それに冒険者としては、まだ一度も依頼を達成してないだろ」


「それはそうね」


 麗華はもう一度紙を見る。


 指定された薬草を十束採取。報酬は銅貨数十枚。


「……地味ね」


「不満か?」


「ううん。嫌いじゃない」


「そうなのか?」


「下から始めるの、結構好きだから」


 前世でも最初から歌舞伎町の女王だったわけではない。


 入店初日は指名ゼロ。


 誰も麗華の名前など知らなかった。


 そこから一人、また一人と客を増やしていった。


 積み上げていくこと自体は、昔から嫌いではない。


「俺たちは今日、別の依頼があるけど一人で大丈夫か?」


「薬草を摘むだけでしょう?」


「一応、森だから魔物もいるぞ」


 麗華がガイルを見る。


 ガイルも麗華を見る。


 数秒後、ガイルの方が視線を逸らした。


「……いや、お前に魔物の心配した俺が馬鹿だった」


「失礼ね」


     ◇


「これ?」


 森へ入り、麗華は足元に生えていた一株を摘み上げた。


 細長い葉に少し青みがかった茎、小さな白い花。


 先ほどガイルが一度だけ見本として教えた薬草だった。


「そう、それだ」


「じゃあ、この辺に多そうね」


「何で分かる?」


「さっき見つけた三本、全部少し湿った日陰に生えてたから」


「……一回見せただけだぞ?」


「十分でしょ」


「似たような草も多いんだが」


「でも、この薬草だけ葉の裏に白い筋がある」


 麗華は葉を裏返して見せる。


 ガイルが黙った。


「よく見てるな」


「仕事柄」


「またそれか」


「便利でしょう?」


 それから十五分ほどで、必要な薬草はすべて集まった。


「これで十束」


「早すぎる」


「まだ向こうにもあるけど」


「依頼分はもう十分だ」


「じゃあ帰りましょう」


 麗華は残っている薬草には手を出さず、そのまま立ち上がった。


 必要以上に取る理由もない。


 次に誰かが来るのなら、その人が取ればいい。


 そう考えながら帰ろうとした時、茂みの奥から低い唸り声が聞こえた。


「ん?」


 葉の隙間から、小さな狼に似た魔物が姿を現す。


 体格は普通の狼より一回り大きく、口から鋭い牙を覗かせていた。


「麗華」


 ガイルが剣へ手を伸ばす。


「大丈夫」


 魔物が地面を蹴り、麗華へ飛びかかる。


 麗華は指先へほんの少しだけ風を集め、そのまま軽く弾いた。


 ぽん、と間の抜けた音がして、魔物の身体が横へ転がる。


「……」


「気絶しただけ」


「殺さないのか?」


「必要ないでしょう?」


「襲ってきたぞ」


「だから止めたの」


 麗華は倒れている魔物を少し眺める。


「別に殺したいわけじゃないし」


 ガイルはそんな麗華を見て、苦笑した。


「お前、冒険者に向いてるのか向いてないのか分からんな」


「私もそう思う」


     ◇


「依頼達成です」


 ギルドへ戻ると、受付嬢が小さな袋を麗華へ渡した。


 中から硬貨の触れ合う音がする。


「……」


 麗華はしばらくその袋を眺めた。


「少ないですか?」


「ううん」


 顔を上げて笑う。


「この世界で初めて、自分で稼いだお金だから」


「……」


「ちょっと嬉しいだけ」


 受付嬢も柔らかく笑った。


「では、大切にしてくださいね」


「もちろん」


 神から最低限のお金は貰っている。


 けれど、それとは違った。


 自分で働き、自分で稼いだ。


 麗華にとっては、そのこと自体に意味があった。


     ◇


 夕方。


 麗華は再び《月花亭》の前に立っていた。


 扉を開けると、昨日と同じ甘い香りと、店内の準備をする人々の声が迎える。


「本当に来た」


 奥から現れたエルザが笑う。


「昨日のお話」


「決めた?」


「一日だけ、働いてみてもいい?」


「一日?」


「まずはね」


 エルザは麗華を見つめたあと、口元を緩めた。


「もちろん。ただ、一日で終わるとは思ってないけど」


「自信あるのね」


「二十年、人を見てるから」


「昨日も聞いた」


「覚えてた?」


「人の話は結構覚える方なの」


「それは接客業向きね」


「一応」


「一応?」


 エルザが笑う。


「じゃあ準備しましょうか」


     ◇


「……これ?」


 衣装室で、麗華は渡されたドレスを広げた。


 赤を基調にした衣装で、胸元はかなり深く開いており、丈も短い。


「そう。新人用」


 セリアが答える。


「嫌」


「即答!?」


「他ない?」


「ありますけど、これ絶対似合うと思いますよ?」


「似合うとは思う」


「自分で言うんですね」


「似合うものは似合うでしょう?」


「……強い」


「でも着たくない」


「どうして? 恥ずかしいとか?」


「全然」


「じゃあ何で?」


 麗華はドレスを眺めた。


「見せすぎ」


「でも、この店なら普通ですよ?」


「普通かどうかじゃなくて、私が嫌なの」


「身体見せるの嫌い?」


「身体を見せないと客が来ないなら考えるけど」


「……」


「見せなくても来るから」


 セリアが黙り込む。


「何?」


「すごい自信ですね」


「そう?」


「普通、そんなこと言えません」


「前も来たから」


「え?」


「何でもない」


 麗華は衣装棚を眺め、その奥にあった一着を取り出した。


 黒を基調としたロングドレス。


 胸元は開きすぎていないが、肩から鎖骨のラインだけは綺麗に見える。腰は細く絞られており、脚には歩きやすい程度のスリットが入っていた。


「これ」


「ちょっと地味じゃないですか?」


「そう?」


「この店だと」


「じゃあ着てみる」


 数分後。


「……」


 着替えて戻ってきた麗華を見て、セリアが黙った。


「どう?」


「……ずるい」


「何が?」


 黒い長髪に黒いドレス、白い肌。飾りは小さな銀色の耳飾りだけ。


 露出は他の女性たちより遥かに少ない。


 それなのに目が離せない。


「露出減ってるのに、何で昨日より色っぽいんですか」


「知らない」


「本当ずるい」


「さっきからそれしか言ってないよ」


「だって!」


 そこへ衣装室の扉が開く。


「麗華さん、準備――」


 入ってきたルナも途中で言葉を止めた。


「……」


「ルナ?」


「……今日もずるいです」


「あなたも?」


「何でそんなに綺麗なんですか」


「ありがとう」


 麗華はルナの髪へ視線を向ける。


「今日も髪留め似合ってるね」


「――っ」


 ルナが持っていた酒瓶を落としかけた。


「危ない」


「急に言わないでください!」


「昨日もしてたでしょう?」


「だからです!」


 セリアが横で笑う。


「完全に堕ちてる」


「セリア!」


     ◇


「あなたが麗華?」


 店へ出ると、一人の女性が声をかけてきた。


 銀色に近い金髪。


 二十三歳ほど。


 華やかな衣装を着ているが、派手なだけではなく、自分に何が似合うのか理解して選んでいるのが分かる。


 姿勢も視線も自然で、周囲の女性たちもどこか彼女を意識している。


「そうだけど」


「アリア」


 女性は自分を指した。


「この店で一番売れてる」


「そう」


「……それだけ?」


「何が?」


「No.1って聞いて、何かない?」


 麗華は改めてアリアを見る。


 髪。


 衣装。


 姿勢。


 爪。


 靴。


 歩き方。


「じゃあ」


 少し笑う。


「綺麗ね」


「……」


「自分に似合うもの分かってる人って好き」


「……何それ」


「褒めたの」


「そう」


 アリアも少しだけ笑った。


「昨日、ルナを落としたんですって?」


「お手本」


「今日一日、ずっとあなたの話してたけど」


「……ごめんなさい」


「謝らないでください!」


 遠くからルナの声。


 アリアがそちらを見る。


 麗華は笑った。


「面白い子ね」


「あなたが言うの?」


「だって面白いでしょう?」


「……まあ」


 アリアは改めて麗華を見る。


「楽しみにしてる」


「何を?」


「あなたの接客。噂ほどなのか」


「期待しすぎないで」


「そういう人に限って、期待以上だったりするのよ」


     ◇


「最初のお客」


 エルザが麗華の横へ来た。


「バルガス」


「どの人?」


「あそこ」


 視線の先には、一人の男がいた。


 四十代後半。


 大柄な体格。


 見るからに質のいい服。


 けれど顔には疲れが浮かんでいる。


「大商会の会頭」


「へぇ」


「金は持ってる。でも女の子たちからは人気ない」


「どうして?」


「何を聞いても『別に』『好きにしろ』『適当でいい』。ほとんど話さない」


「なるほど」


「嫌?」


「全然」


 麗華は男を少し眺める。


「むしろ最初にはちょうどいい」


     ◇


「こんばんは」


 麗華が席につく。


 バルガスは顔を上げ、麗華を見た瞬間だけ目を止めた。


「……新人か」


「今日だけ」


「そうか」


「九条麗華です」


「バルガス」


「よろしく」


「……」


 会話が終わった。


 普通なら焦るだろう。


 麗華は焦らない。


「酒」


「何がいい?」


「何でもいい」


「じゃあ、これにするね」


 麗華は香りの強すぎない酒を選び、グラスへ注いだ。


 それから隣に座る。


「……」


「……」


 何も言わない。


 一分。


 二分。


 三分。


 バルガスは酒を飲み、麗華も少しだけ自分のグラスへ口をつける。


 その間も、麗華は相手を見ていた。


 服はかなり高級だが、袖に少し皺がある。これだけの商人なら普段は身なりにも気を使うはずで、今日はそこまで気が回らなかったのだろう。


 目の下には薄い隈があり、寝不足にも見える。


 そして左手。


 何度も無意識に指輪へ触れている。


 古い金の指輪。


 高価ではあるが、それ以上に手入れが行き届いている。


 大切なもの。


 さらに胸元のポケットから、小さな布の端が見える。


 花の刺繍。


 上手とは言えない。


 どこか子供っぽい。


 ――家族。


 麗華はそう考えたが、何も聞かなかった。


 五分ほど経った頃、バルガスの方から口を開く。


「……お前」


「うん?」


「何も聞かんのか」


「聞いてほしい?」


「いや」


「じゃあ聞かない」


「……」


「嫌でしょう?」


「何が」


「疲れてる時に、知らない人から質問いっぱいされるの」


 バルガスの目が僅かに変わった。


「分かるのか」


「顔に出てる」


「そうか?」


「うん。すごく」


 麗華が笑う。


 バルガスの口元も、ごく僅かに動いた。


     ◇


 十分。


 十五分。


 それでも麗華は無理に話さない。


 やがて二杯目の酒を飲んだバルガスが、自分から言った。


「今日は酷い日だった」


「そう」


 麗華はそれだけ答える。


「……聞かんのか」


「話したいなら聞くよ。話したくないなら、黙って飲もう」


「変な女だな」


「よく言われる」


「普通ここにいる女は、『何があった』『大変だった』『聞かせろ』と食いついてくる」


「そうね」


「お前は違う」


「私は、聞かれたくないことまで聞くの嫌いだから」


「……そうか」


 また沈黙が落ちる。


 今度はバルガスの方から、その沈黙を破った。


「最近の若い奴は、人の話を聞かん」


 その瞬間。


 また指輪に触れた。


 麗華はその動きを見る。


「部下?」


「……」


 バルガスの指が止まる。


「何だ」


「その若い人って、部下の話じゃないでしょう?」


「何で分かる」


「今、指輪触ったから」


「……」


 バルガスは無意識に触れていたらしい手を離した。


 麗華はそれ以上聞かず、静かに待つ。


 やがて男の方から言った。


「娘だ」


「娘さん」


「ああ」


「いくつ?」


「十九」


「私より二つ下」


「……そうか」


「喧嘩した?」


「一方的に怒られただけだ」


 言葉は強い。


 けれど声は少し小さくなった。


 自分でも完全に正しいとは思えていないのだろう。


 麗華はそこを責めない。


「何で?」


「結婚だ」


「結婚」


「悪くない話を持ってきた。商会も安定するし、相手も悪い男ではない。それなのに、あいつは俺が金しか見てないと言って家を出た」


 グラスを少し強く置く。


「俺はあいつのために商会を大きくした。妻が死んでから一人で育てて、何不自由させたこともない。欲しいものも買ってやったし、教育だって受けさせた。それなのに……金しか見ていないと」


 麗華は途中で口を挟まなかった。


 相槌だけ。


 話を奪わない。


「……何だ」


「何?」


「何か言え」


「言っていい?」


「話させたのはお前だ」


「あなたが自分から話したの」


「……細かいな」


「大事だよ」


 麗華は少しだけ笑う。


「娘さんのこと、好きなんですね」


「当たり前だ!」


 即答だった。


 迷いがない。


 声も目も真っ直ぐ。


 嘘ではない。


「じゃあ、嫌われたいわけじゃないんですね」


「当たり前だろ」


「なら」


 麗華はグラスを置いた。


「伝え方、失敗しただけじゃない?」


「……」


 バルガスが黙る。


「あなた、娘さんを不幸にしたいわけじゃないでしょう?」


「当然だ」


「むしろ幸せにしたい。商会も、お金も、結婚も、全部娘さんを守る方法だと思ってる」


「……」


「でも娘さんは、お父さんに自分がどうしたいか聞いてほしかったんじゃない?」


「そんなこと――」


「分からないよ」


 麗華はすぐに言った。


「私、娘さんに会ったことないから」


「……」


「だから聞いてみたら?」


「俺が?」


「うん」


「今さら」


「今さらって」


 麗華は小さく笑う。


「十九でしょう?」


「……」


「まだ、いっぱい話せるじゃない」


 その言葉を口にした瞬間、自分の胸の奥が僅かに痛んだ。


 まだ話せる。


 自分には、もうできない。


 おばあちゃん。


 最後に見たメッセージ。


『明日何食べたい?』


 オムライス。


 結局、食べられなかった。


 麗華の表情がほんの一瞬だけ曇る。


 バルガスも商人だ。


 人を見ることには慣れている。


「お前」


「?」


「家族は」


 麗華の動きが僅かに止まる。


「……いました」


 過去形。


 それだけで、バルガスは察した。


「……そうか」


 それ以上聞かなかった。


 麗華は少しだけ笑う。


「ありがとう」


「何がだ」


「聞かなかったから」


「俺も商人だ。聞いていいことと悪いことくらい分かる」


「なら」


「?」


 麗華は柔らかく笑った。


「娘さんにも、それ使ってあげて」


「……」


 バルガスは数秒黙ったあと、初めて声を出して笑った。


「ははっ」


 少し離れた場所で、エルザとアリアがその様子を見ていた。


「……笑った」


 セリアも驚いたように呟く。


「バルガスさんが」


 アリアが視線を細める。


「一時間」


「何が?」


「麗華。高い酒、まだ一本も勧めてない」


「ええ」


「なのにバルガス、帰る気ない」


     ◇


「何か飲むか」


 しばらくしてバルガスが言った。


「今のあるから大丈夫」


「高い酒は頼ませないのか?」


「飲みたい?」


「いや」


「じゃあいらない」


「……」


「何?」


「お前、商売分かってるのか?」


「一応」


「高い酒を飲ませれば、お前の取り分が増えるんだろ」


「知ってる」


「なら」


「でも、私の売上のためだけに飲むならいらない」


「商人の俺に言うか」


「お金があるかどうかじゃないでしょう?」


 麗華はバルガスを見る。


「飲みたいかどうか」


 男は少し黙った。


「……変な女だ」


「今日二回目」


「なら三回言う」


「どうぞ」


 その後も会話は続いた。


 娘の話。


 商会の話。


 亡くなった妻の話。


「奥さんとはどうやって知り合ったの?」


「店だ」


「店?」


「俺がまだ丁稚だった頃、パン屋で働いてた」


「綺麗な人?」


「……街で一番だった」


 麗華は少し笑った。


「それは嘘ね」


「何!?」


「あなたの中ででしょう?」


「……」


「ふふ」


「生意気な女だな」


「でも、好きだったんだ」


 バルガスの目が少し柔らかくなる。


「……ああ」


 その一言で十分だった。


 麗華は、それ以上深く聞かなかった。


 しばらくするとバルガスが店員を呼ぶ。


「おい」


「はい?」


「一番高い酒を持ってこい」


 近くにいたセリアが目を丸くした。


 アリアも少し驚いた顔をする。


「無理しなくていいですよ」


 麗華が言う。


「金の話じゃない」


「じゃあ?」


 バルガスは少し笑った。


「今日は、もう少しここにいたい」


 麗華の表情も僅かに柔らかくなる。


「なら、一緒に飲みましょうか」


     ◇


 二時間後。


 席を立ったバルガスが麗華を振り返った。


「明日もいるか」


「分からない」


「……」


「今日だけのつもりだったから」


「普通は、いると言うところじゃないのか?」


「嘘になるでしょう?」


「商売下手だな」


「さっきも同じような話した気がする」


「……そうだったな」


 バルガスは少し笑い、そのまま帰ろうとする。


「バルガスさん」


「何だ」


「また会ったら」


 麗華は微笑んだ。


「娘さんとどうなったか聞かせて」


 男は数秒黙り、


「……ああ」


 とだけ答えて帰っていった。


 店内が少しざわつく。


「二時間……」


「バルガス様が?」


「しかも笑ってたよね」


「高級酒まで」


「何したの?」


 次の席へ案内されながら、麗華は平然と答えた。


「話しただけ」


     ◇


 二人目の客は若い冒険者だった。


「俺さ、S級冒険者と一緒に戦ったことあるんだ!」


 声が大きい。


 胸を張っている。


 普通なら「すごい」と返せばいい。


 だが麗華は、男の膝の上で握られている手を見た。


 S級と戦った。


 それ自体は本当だろう。


 でも、その武勇は自分だけのものではない。


 本人も、それを分かっている。


「その時」


「?」


「あなたは何してたの?」


「え?」


「S級の人じゃなくて、あなた」


 男が止まる。


「俺?」


「うん。何担当だった?」


「……斥候」


「じゃあ、あなたが先に敵を見つけたの?」


「……ああ」


「一番最初?」


「そうだ」


「怖くなかった?」


 男の顔が少し変わった。


「怖かったよ」


「でしょうね」


「死ぬと思った」


「でも知らせに戻った?」


「……ああ」


「じゃあ」


 麗華は少し笑う。


「S級と一緒に戦ったことより、そっちの方が凄いじゃない」


 男が完全に止まった。


「……初めて」


「?」


「そこ褒められた」


「そう?」


「皆、S級の話だけ聞くから」


「私はあなたと話してるから」


 男の頬が僅かに赤くなる。


 少し離れた場所でアリアがその様子を見ていた。


「……また変えた」


「何を?」


 エルザが聞く。


「接客。さっきの商人とは全然違う」


     ◇


 三人目。


 若い商人。


 服は新しいが、上着は少し着慣れていない。特に靴だけが真新しかった。


 そして財布を何度も確認している。


 ――慣れない金。


「お仕事帰り?」


「まあ」


「今日、大事な日だった?」


「……何で?」


「靴」


「靴?」


「新しいでしょう? でも上着は前から着てる。わざわざ靴だけ新しくしたなら、何かあったのかなって」


「……今日」


 男は少し照れながら言う。


「初めて大きい取引を任された」


「そうなんだ」


「成功した」


 麗華はグラスを少し持ち上げた。


「じゃあ今日はお祝いね」


「……」


「おめでとう」


 その一言で、男の顔が一気にほころんだ。


 きっと誰かに言いたかった。


 褒めてほしかった。


 でも自分から言うのは恥ずかしい。


 そういう顔をしている。


     ◇


 四人目は騎士だった。


「こんばんは」


「……ああ」


「何飲む?」


「水割り」


「分かった」


 酒を作る。


 それだけ。


 麗華は何も聞かなかった。


 一分。


 五分。


 十分。


 騎士は黙って飲み、麗華も静かに隣へいる。


 やがて二十分ほど経った頃。


「……喋らんのか」


「喋ってほしい?」


「いや」


「じゃあいいでしょう?」


「……変な女だ」


「今日三回目」


「?」


「色んな人に言われた」


「そうか」


 さらにしばらく。


 やがて騎士が立つ。


「帰る」


「ありがとう」


「……」


「?」


「また、来てもいいか」


「もちろん」


「……楽だった」


 それだけ言って帰っていった。


 アリアは遠くからその背中を見送る。


「……」


「どう?」


 エルザが聞く。


「ずるい」


「何が?」


「何もしてないように見える」


「そうね」


「でも全部見てる。声の高さも、座る距離も、話す量も、笑い方も、客によって全部変えてる」


 エルザが笑った。


「気づいた?」


「……」


「あなたも、やっぱりNo.1ね」


「褒めても何も出ないわよ」


「それ、誰かさんみたい」


     ◇


「麗華さん」


 ルナが酒を持ってくる。


「ありがとう」


「今日は忙しいですね」


「そうね」


 麗華はルナの髪を見る。


「髪、昨日と少し変えた?」


「……分かるんですか?」


「右側。髪留めが見えるようにしたでしょう?」


「……」


「似合ってる」


「――」


 酒瓶がぐらりと傾く。


「危ない」


 麗華が手を伸ばして支える。


「大丈夫?」


「……無理です」


「何が?」


「昨日から!」


 そこへアリアが来る。


「ちょっと」


「はい?」


「あんた昨日、何したの?」


「ルナに?」


「そう」


「お手本」


「それでこれ?」


 ルナはまだ頬を赤くしたまま俯く。


「もう聞かないでください……」


 麗華が笑う。


「ごめん」


「その笑顔もやめてください」


「どうして?」


「好きになります」


「もうなってるでしょう?」


 横からセリア。


「セリア!」


 周囲に笑い声が広がった。


     ◇


 少し離れた席。


 ロッドは、客へ笑いかけている麗華を眺めていた。


「ガイル」


「何だ」


「あれ、俺が好きな麗華だよな?」


「そうだな」


「何か別人なんだけど」


「仕事中なんだろ」


「俺」


「?」


「今まで相当あしらわれてたんだな」


 ガイルが呆れたように見る。


「今気づいたのか」


「……」


 ミナも笑う。


「麗華、ロッド相手だと全然本気じゃなかったね」


「分かってる!」


「でも」


 ロッドは再び麗華を見る。


「やっぱ好き」


「知ってる」


     ◇


 深夜。


 最後の客が帰り、女の子たちが片付けを始める。


 店の奥では、エルザが今日の売上を集計していた。


「……」


 隣にいるアリアが聞く。


「どう?」


「二位」


「誰が?」


「麗華」


「……」


 働いたのは一日。


 正確には、半日にも満たない。


 それでも二位。


 一位はアリア。


「……結構やるじゃない」


 その声を聞いた麗華が振り返る。


「二位なんだ」


「悔しい?」


「全然」


「……」


「今日初めてでしょう?」


「そうだけど」


「なら十分」


「……」


「それに」


 麗華はアリアを見る。


「一位の人がどんな接客するのか、まだちゃんと見てないから」


 アリアの目が少し細くなる。


「それ、挑発?」


「違う」


「本当に?」


「うん」


 アリアは数秒麗華を見たあと、笑った。


「面白い」


「よく言われる」


「次」


「?」


「私の席、見てていいわよ」


「いいの?」


「その代わり」


「?」


「あなたの接客も、もっと見せて」


 麗華も少し笑う。


「もちろん」


     ◇


「でも」


 エルザが別の帳簿を開く。


「本当に怖いのはこっち」


「?」


 予約帳。


 明日。


 バルガス――麗華指名。


 若い商人――麗華。


 騎士――麗華。


 さらに、今日一度も麗華の席につかなかった客からまで予約が入っている。


「……」


 アリアの表情が少し真剣になる。


「噂だけで?」


「ええ」


「もう」


 エルザは笑う。


「また会いたい女になってる」


 それは、麗華が前世で一番大切にしていたことだった。


 売上。


 高い酒。


 指名。


 全部、結果。


 その前にあるのは一つだけ。


 ――また会いたい。


 そう思ってもらうこと。


 それが、夜の世界で生きる女にとって一番大切だった。


     ◇


「麗華」


 片付けが終わった頃、エルザが呼んだ。


「はい」


「一日だけって言ったわね」


「言いました」


「どうだった?」


 麗華は少し考えた。


 店内を見る。


 セリアが楽しそうに片付けをしている。


 ルナは今でも時々こちらを見る。


 アリアは帳簿を確認している。


 エルザはこの店を守ろうとしている。


 そして思い出す。


 前世。


 歌舞伎町。


 華やかで、騒がしくて、辛いことも多かった。


 でも。


 嫌いではなかった。


 さらにもっと前。


 小さなバー。


 《灯》。


 カウンター八席。


『麗華、グラス拭いてくれる?』


『はいはい』


 おばあちゃん。


 麗華の目がほんの少し柔らかくなる。


「……楽しかった」


 本音だった。


 エルザが笑う。


「なら」


 一枚の紙を机へ置く。


「うちに来なさい」


 麗華は契約書を見る。


 けれど、すぐには手を伸ばさない。


「その前に」


「まだ条件?」


「あります」


 麗華は店内にいる女の子たちを見る。


 セリア。


 ルナ。


 アリア。


 昨日。


 ディオンに腕を掴まれ、怖がっていたセリア。


 止めたくても、貴族相手だから強く出られなかった店。


 エルザの苦い顔。


 麗華は忘れていない。


「女の子を守るルール」


「……」


 エルザの表情が変わる。


 麗華はまっすぐ彼女を見る。


「もう少し、ちゃんと作りません?」


 歌舞伎町の女王、九条麗華。


 異世界へ来て二日目。


 Fランク冒険者として最初の依頼を終え、《月花亭》では体験入店一日目にして売上二位。


 けれど麗華が本当に変えようとしているものは、売上でも順位でもない。


 夜の街で働く女たちが、自分の意思で笑って、自分の意思で客の隣へ座れる場所。


 そのために。


 九条麗華の二度目の夜が、ここから本当の意味で始まろうとしていた。


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