第四話 女王、異世界の夜を知る
「私の得意分野」
九条麗華がそう言ったあと、三人はしばらく何も言わなかった。
夕暮れから夜へ移り変わり始めたルーヴェルの街。その一角だけは、昼間とはまるで違う顔を見せている。
赤や橙色の魔石灯が軒先を照らし、開け放たれた酒場からは音楽と笑い声が漏れていた。通りを歩く男たちへ声をかける女、派手な衣装で踊る踊り子、酒樽を運ぶ店員。少し奥には賭場らしき建物もあり、そのさらに向こうには露出の多い女性が入口に立つ店も見える。
歌舞伎町とは違う。
ネオンもなければ、車もない。
高層ビルも、巨大な広告もない。
それでも麗華には、なんとなく分かった。
この空気。
昼間なら口にしないことを、酒を飲んだ夜だけ誰かに話したくなる人たち。
仕事。
金。
恋。
見栄。
孤独。
誰かに認めてほしい気持ち。
誰にも言えない愚痴。
世界が変わっても、人が夜に求めるものはそれほど変わらないのかもしれない。
「……得意分野って」
最初に口を開いたのはロッドだった。
「酒?」
「それもあるかな」
「踊れる?」
「普通には」
「歌は?」
「人並み」
「じゃあ何が得意なんだ?」
ガイルが尋ねる。
麗華は夜の通りを眺めながら、少しだけ笑った。
「人とお酒飲んで、お話すること」
「それだけ?」
ミナが首を傾げる。
「それだけ」
本当は、少し違う。
相手を見ること。
目線を見る。
声を聞く。
何を話したいのか、何を聞いてほしくないのか、何を褒めてほしいのか、何を隠したいのかを考える。
そして、その人が今夜、何を求めてこの場所に来たのかを見つける。
でも、それを言葉で説明したところで、今の三人には伝わりにくいだろう。
「じゃあさ」
ロッドが何か思いついたように手を叩いた。
「行ってみる?」
「どこに?」
「あそこ」
指を差した先には、二階建ての大きな建物があった。
濃紺の壁に、月と花を組み合わせた金色の看板。入口には派手すぎない灯りが並び、服装の整った男たちが次々と出入りしている。
「《月花亭》」
ガイルが言った。
「この辺じゃ結構有名な店だ」
「どんなお店?」
「酒を飲んで、女の子と話したり、歌や踊りを見たりするところだな」
麗華の目が少しだけ細くなる。
「へぇ」
「娼館とは別だからな」
「そうなんだ」
そこは大事だった。
「女の子と飲むだけ?」
「基本はな」
「なら」
麗華は少し考え、
「行ってみたい」
と答えた。
「よし」
ロッドが即答する。
「俺が奢る!」
「あら」
「今日助けてもらったし、それくらいさせてくれ」
麗華はロッドを見る。
嬉しそう。
分かりやすい。
「じゃあ、最初のお店だけお願いしようかな」
「任せろ!」
「その代わり」
「ん?」
「次があったら私が払う」
「いやいや、俺が――」
「ロッド」
「……はい」
「借り作ったままなの、あまり好きじゃないの」
「……分かった」
「ありがとう」
「でも飯くらいならいつでも奢るぞ」
「四人で?」
「……できれば二人」
「それはなし」
「即答やめてくれ!」
ミナが吹き出す。
「本当に諦め悪いね」
「好きになるのは自由って麗華が言ったからな」
「期待しないでとも言ったでしょう?」
麗華が振り返って笑う。
「……その顔で言うのずるくない?」
「知らない」
「絶対分かってるだろ!」
そんなやり取りをしながら、四人は《月花亭》へ向かった。
◇
「いらっしゃいませ」
扉を開けて最初に麗華が感じたのは、甘い香りだった。
花。
香油。
酒。
少しの煙。
店内は思っていたより広く、丸いテーブルが二十ほど並んでいる。その周囲には柔らかそうな長椅子があり、奥には小さな舞台まであった。
弦楽器を奏でる女性。
歌う女性。
踊り子。
壁際には色とりどりの酒瓶が並び、魔石灯の柔らかな光がその瓶を透かしている。
「……」
麗華は何も言わずに見る。
内装。
悪くない。
むしろ、かなりいい。
働いている女性たちも綺麗だった。
衣装も一人一人違い、それぞれに似合う色や形を選んでいるらしい。
「お客様、四名様ですね」
案内役の男が麗華を見る。
そして一瞬、固まった。
「……」
「四人です」
「あ、はい。失礼いたしました」
慌てて視線を戻し、席へ案内する。
麗華は慣れていた。
座る。
ガイル。
ロッド。
ミナ。
麗華。
すぐに二人の女性が席についた。
「こんばんは」
「今日は冒険者さん?」
明るい声。
一人は金髪。
もう一人は茶髪。
「そうそう」
ロッドが答える。
「今日は大変だったんだよ」
「えー、何があったの?」
「黒牙熊に――」
そこからロッドは嬉しそうに話し始めた。
麗華は黙ってその様子を見る。
ロッドの隣についている金髪の女性は、そこまで悪くない。
ロッドは自分の話を聞いてもらうのが好きだ。
冒険談をしたい。
驚いてほしい。
少しくらい格好つけたい。
「黒牙熊!?」
「そうなんだよ!」
「すごーい!」
「いや、俺が倒したわけじゃないんだけどな」
楽しそうだ。
一方。
ガイルの横では、茶髪の女性がほとんど同じ質問をしていた。
「あなたも冒険者なの?」
「ああ」
「何を倒したことある?」
「まあ、色々」
「一番強いのは?」
「さあな」
「ドラゴンとか?」
「ない」
「じゃあオーガ?」
「ある」
「すごい!」
「……そうか」
麗華はグラスへ口をつける。
ガイルは少し疲れている。
返事が短い。
身体も僅かに後ろへ引いていた。
もう十分話した。
今日は静かに飲みたい。
そのくらいは見れば分かる。
けれど女性は気づかず、さらに質問を続ける。
「それでね、私、前にオーガ倒した冒険者さんから聞いたんだけど――」
今度は自分の話を始めた。
ガイルの視線が少しだけ遠くなる。
――なるほど。
麗華はそれ以上何も言わない。
次にミナを見る。
女性客だからなのか、最初に飲み物を聞かれてから、ほとんど誰にも構われていない。
ミナ自身は気にしていないようだが、同じ料金を払うのであれば客は客だ。
男も女も関係ない。
さらに。
グラスが空いている。
誰も気づかない。
麗華は自分で酒を注いだ。
「あ、ごめんなさい!」
金髪の女性がようやく気づく。
「大丈夫ですよ」
「私がやるから!」
「ありがとう」
麗華は笑う。
悪い子ではない。
むしろ一生懸命だ。
だからこそ。
――勿体ない。
麗華はそう思った。
恐らく、この子たちは教えられていない。
喋れ。
笑え。
酒を勧めろ。
客を楽しませろ。
そのくらい。
でも。
どうすれば人が楽しいと感じるのか。
そこまで教わっていない。
「どう?」
ミナが小声で聞いてくる。
「何が?」
「さっき得意分野って言ってたじゃん」
「ああ」
「楽しい?」
「うん」
「本当に?」
「楽しいよ」
麗華は店内を見ながら、
「でも、勿体ない」
と呟いた。
「何が?」
「色々」
それ以上は言わなかった。
◇
しばらくして、席についていた女性たちが入れ替わった。
「し、失礼します!」
少し大きな声。
赤茶色の髪。
十九歳くらいだろうか。
可愛らしい顔をしているが、見るからに緊張している。
「セリアです!」
「よろしく」
麗華が笑う。
「よ、よろしくお願いします!」
座る。
姿勢が硬い。
膝の上で両手を握っている。
「え、えっと」
セリアはロッドを見る。
「冒険者さんですか!?」
「ああ」
「今日は何を倒したんですか!?」
「黒牙熊に襲われて」
「黒牙熊!?」
声が大きい。
「す、すごい!」
「いや俺が倒したわけじゃ」
「じゃあ誰が!?」
ロッドが麗華を見る。
セリアもつられて見る。
「彼女」
「え?」
「麗華が一発で」
「……」
セリアの顔が固まった。
麗華は笑顔で言う。
「忘れてください」
「無理ですよ!?」
さらに声が大きくなる。
周囲の客が少しだけ振り返った。
「す、すみません!」
「大丈夫」
麗華は笑ったまま、自分の隣を軽く叩いた。
「セリア」
「は、はい!」
「一回、座ろうか」
「え?」
「大丈夫」
麗華は柔らかく笑う。
「私たち逃げないから」
「……」
「ゆっくりでいいよ」
その一言で、セリアの肩から少し力が抜けた。
「……はい」
「緊張してる?」
「……分かります?」
「少しだけ」
本当はかなり。
「すみません」
「どうして謝るの?」
「私、話すの苦手で」
「そうなんだ」
「何話したらいいか分からなくて。でも黙ったら駄目って言われるから、何か話さなきゃって思うと余計分からなくなって……」
「誰に言われたの?」
「先輩に」
「そっか」
麗華はグラスを指先でゆっくり回す。
「じゃあさ」
「はい」
「話さなくてもいいよ」
「……え?」
「無理に」
セリアは目を丸くした。
「でも、お客さんを楽しませないと」
「そうね」
「だから喋らないと」
「どうして?」
「……え?」
「楽しませるって、ずっと喋ること?」
セリアが黙る。
「静かに飲みたい人もいるでしょう?」
「……はい」
「自分の話を聞いてほしい人もいる」
「はい」
「逆に、女の子の話を聞きたい人もいる」
「……はい」
「全部同じ?」
「違います」
「そう」
麗華が微笑む。
「だから、自分が何を話すかじゃなくて、相手を見ればいいの」
「相手を……」
「例えば」
麗華はロッドを見る。
「ロッド」
「俺?」
「この人は自分の話を聞いてもらうのが好き」
「否定できないけど、言い方!」
「だから質問一個でいい」
麗華がロッドへ視線を向ける。
「今日、黒牙熊に襲われた時、どうだった?」
「いや聞いてくれよ!」
すぐに食いついた。
「あれ本当にヤバかったんだぞ。最初は調査だけのつもりで森に入って、そしたら急に――」
喋る。
ガイルが前に出て。
ミナの魔力が切れかけて。
そこへ麗華が現れて。
数分経ってもまだ喋っている。
麗華はセリアを見る。
「ね?」
「……本当だ」
「おい」
ロッドが途中で止まる。
「俺で実演した?」
「分かりやすいから」
「またそれ!」
ミナが笑う。
「でも」
セリアがガイルを見る。
「ガイルさんは?」
「ガイルは逆」
「俺?」
「自分のことばっかり聞かれると疲れるでしょう?」
「……まあな」
「さっきもそうだった」
「見てたのか」
「少しだけ」
麗華は考える。
「ガイルには……そうね」
少し間を置く。
「この街で一番美味しいお酒って何?」
「酒?」
「うん」
ガイルの表情が少しだけ変わる。
「好みによるけど、甘いのなら南の醸造所の果実酒。強い酒なら北から来る蒸留酒だな」
「へぇ」
「あと、この店なら月香酒は悪くない」
「どんな味?」
「香草が入ってる。癖はあるけど」
自然に話している。
セリアが驚いた。
「さっきより喋ってる」
「そういうこと」
「本人の話じゃなくていいんですか?」
「いいの」
麗華は言う。
「相手が話しやすいところから入ればいい。その中で表情が変わったところだけ拾うの」
「表情……」
「例えば今」
麗華がガイルを見る。
「月香酒って、初めて飲んだのいつ?」
「……」
ガイルが少し考えたあと、表情を柔らかくした。
「初めてC級に上がった日だな」
「誰と?」
「こいつら」
ロッドとミナを見る。
「その時、ロッドが酔い潰れて」
「おい!」
「ミナに背負われて帰った」
「そこ言うな!」
「私より大きいのに重かったんだから!」
笑い声。
麗華は何もしていない。
ただ。
入口を作った。
相手が話したくなる扉を少しだけ開いた。
セリアはその様子をじっと見ていた。
「……すごい」
「何が?」
「でも」
セリアはまだ不安そうだった。
「分かっても、私にできるかな」
「じゃあ」
麗華が少し考え、
「お手本、もう少し分かりやすく見せようか」
「お手本?」
「うん」
麗華は店内を見回す。
そして、近くを通りかかった一人の女性店員へ軽く手を上げた。
「ねえ」
「はい?」
足を止めたのは、二十歳くらいの女性だった。
長い淡金色の髪を片側へ流し、青い瞳を持つ綺麗な女性。セリアより少し年上らしく、立ち振る舞いにも余裕がある。
「ルナ」
セリアが呼ぶ。
「知り合い?」
「同じ時期に入った子です」
ルナが首を傾げる。
「どうしました?」
「少しだけ付き合ってくれる?」
麗華が微笑む。
「私?」
「うん」
「もちろん」
ルナは麗華の向かいに座った。
その瞬間。
周囲の空気が少し変わる。
麗華はセリアへ目を向けた。
「セリア」
「はい」
「今から」
麗華は何でもないことのように言った。
「この子、堕としてみるね」
「……え?」
セリア。
ルナ。
ガイル。
ロッド。
ミナ。
全員が止まった。
「は?」
最初に声を出したのはロッド。
「何するって?」
「お手本」
「いや今、堕とすって」
「言った」
「相手女の子だぞ!?」
麗華は首を傾げる。
「関係ある?」
「……」
ロッドの口が閉じた。
ルナは少し頬を赤らめながら笑う。
「面白そう」
「いいの?」
「ええ。私、結構慣れてますよ?」
「あら」
麗華の目が少し細くなる。
「自信あるのね」
「それなりには」
ルナは人気のある女らしい。
客にどう見られているか分かっている。
美人だという自覚もある。
麗華はそんなルナをしばらく見つめた。
「……」
「何です?」
「ううん」
麗華はまず、何もしなかった。
「綺麗な髪ね」
「ありがとうございます」
ルナは慣れた笑顔で返す。
この程度。
毎日言われている。
響かない。
麗華はすぐ分かった。
「その髪留め」
「え?」
「自分で選んだ?」
ルナの表情が少し変わった。
髪の間。
小さな青い石の髪留め。
「……はい」
「やっぱり」
「どうして?」
「ドレスと色を合わせてるのに、石だけ少し濃いでしょう?」
麗華が軽く身を乗り出す。
「目の色に合わせたんだと思った」
「……」
ルナの笑顔が止まる。
今度は作ったものではない。
「よく分かりましたね」
「だって」
麗華はルナの目を見る。
「そっちの方が綺麗だもの」
「……」
一瞬。
ルナの頬が赤くなる。
ロッドが小さく呟く。
「え」
ガイル。
「もう違うぞ」
「何が?」
「ルナって子の顔」
ミナまで少し前のめりになっている。
麗華は気にせず続けた。
「好きな色?」
「青は……好きです」
「どうして?」
「昔、家の近くに湖があって」
「湖」
「子供の頃、よく母と行ってたんです」
出てきた。
麗華はすぐに乗らない。
「そっか」
それだけ。
ルナの方から続ける。
「今はもう、何年も帰ってないですけど」
「帰りたい?」
「……少し」
「じゃあ」
麗華は笑う。
「その髪留め、大事にした方がいいね」
「え?」
「きっと」
少しだけ。
声を柔らかくする。
「帰りたい場所、忘れないために選んだんでしょう?」
「……」
完全に。
ルナの表情が変わった。
さっきまで客に見せる笑顔だったのに。
今は。
ただの二十歳の女性。
「麗華さんって」
「麗華でいいよ」
「……麗華さん」
「ふふ、そこは変えないのね」
「だって」
ルナが少し困ったように笑う。
「なんか」
「?」
「年上みたい」
「一つしか変わらないと思うけど」
「そうじゃなくて」
「じゃあ何?」
「……余裕?」
麗華が笑う。
「そう見える?」
「見えます」
「嬉しい」
そこまで。
特別な言葉は使っていない。
褒めた。
質問した。
話を聞いた。
それだけ。
でも。
麗華は。
相手が自分でも気づいていない部分を拾う。
そして。
そこを。
綺麗に言葉へする。
ルナの目が。
もう。
麗華から離れない。
「これだけ?」
セリアが小声で呟く。
「まだ」
麗華は聞こえていた。
「え?」
「会話だけなら」
ルナへ視線を戻す。
「まだ半分」
「半分!?」
ロッドが小さく叫ぶ。
「静かにしてて」
「はい」
なぜか素直に黙る。
麗華はグラスへ手を伸ばした。
同時に。
ルナも酒瓶を取ろうとした。
「あ」
二人の手が触れる。
普通なら偶然。
でも。
麗華は。
すぐに離さなかった。
ルナの指先へ。
ほんの一瞬。
自分の指を軽く重ねる。
「ごめん」
「……いえ」
「手」
「え?」
「冷たいね」
麗華がルナの手を軽く包む。
「寒い?」
「だ、大丈夫です」
「本当に?」
「……はい」
顔。
赤い。
麗華はすぐに手を離した。
長すぎない。
一瞬だけ。
相手が。
――もう少し。
そう思うくらい。
ロッドが口を開けたまま固まっている。
「……」
ガイルも同じ。
ミナは両手で口元を隠した。
周囲。
近くの席にいた女の子たちまで。
ちらちら。
こちらを見始めている。
「何あれ」
「……麗華って人?」
「綺麗……」
「ルナ、顔真っ赤じゃない?」
小声。
麗華は全部聞こえている。
でも。
まだ。
終わらない。
「ルナ」
「は、はい」
「緊張してる?」
「……ちょっと」
「私に?」
「……」
「ふふ」
麗華は少し笑う。
からかいすぎない。
「ごめんね」
「いえ」
「嫌だった?」
「違います!」
即答。
ルナ自身が驚く。
「あ」
麗華の目が少し笑った。
「ならよかった」
「……」
「ルナって」
「はい」
「真面目なのね」
「私が?」
「うん」
「そんなこと言われたことないです」
「でも」
麗華の視線。
髪。
衣装。
爪。
靴。
「髪も綺麗にしてる」
「……」
「爪も」
「……」
「靴も傷少ない」
「……」
「多分」
麗華は言う。
「見えないところで結構頑張るタイプでしょう?」
「……」
ルナの目。
さらに。
揺れる。
「そういうの」
麗華が微笑む。
「好きだよ、私」
「――」
ルナの耳まで。
赤くなる。
ロッド。
「……ガイル」
「何だ」
「俺」
「言うな」
「まだ何も」
「どうせ俺と同じだ」
「新しい扉」
「言うな!」
ガイルまで少し顔が赤い。
ミナは。
「女同士って……」
と小声で呟きながら。
視線を逸らせなくなっている。
周囲にいた女の子たちまで。
何人か。
頬を染めている。
そして。
麗華は。
最後。
ルナを見る。
完全に。
目。
麗華だけ。
追っている。
呼吸。
少し早い。
顔。
赤い。
そこで。
麗華は。
ゆっくり。
右手を上げた。
「ルナ」
「……はい」
片手。
頬。
優しく。
触れる。
「――っ」
ルナの肩が僅かに跳ねた。
でも。
離れない。
むしろ。
麗華の手へ。
少しだけ。
頬を預ける。
麗華は。
余裕のある。
柔らかな笑顔。
歌舞伎町で。
何度も。
相手の心を掴んできた。
あの顔。
「そんなに可愛い顔するなら」
「……」
ルナの青い瞳。
麗華だけ。
映す。
「他の人に見せたくなくなるね」
「――――」
停止。
ルナ。
完全に。
停止。
数秒。
「……」
口。
動く。
声。
出ない。
「大丈夫?」
麗華が聞く。
「……む」
「む?」
「無理……」
「何が?」
「……好き」
「え?」
「好きになりそうです」
麗華が。
少しだけ。
目を丸くする。
「もう?」
「だって!」
ルナが顔を手で隠す。
「こんなの無理です!」
「何が?」
「全部!」
耳まで真っ赤。
「何なんですか麗華さん!」
「お手本?」
「これがお手本!?」
「うん」
「これお客さんにやったら全員好きになりますよ!」
周囲。
女の子たち。
何人か。
無言で頷いている。
「……」
ロッド。
ガイル。
呆然。
「ガイル」
「言うな」
「俺」
「言うなって」
「女同士も……」
「言うな!」
ミナまで真っ赤。
「麗華」
「何?」
「……すごい」
「何が?」
「何か」
ミナ。
自分でも何を言っているのか分からない顔。
「目覚めそう」
「何に?」
「分かんない」
麗華は。
吹き出した。
「ふふ」
その笑顔で。
また。
周囲。
女の子。
赤くなる。
「麗華さん」
セリア。
頬。
赤い。
「これ」
「うん?」
「私にできる気しません」
「あら」
「無理です!」
「ここまでやれとは言ってないよ」
「よかった!」
「これは」
麗華は。
まだ赤いルナを見る。
「分かりやすくしただけ」
「分かりやすすぎます……」
ルナが呟く。
麗華は。
そこで。
頬から手を離す。
そして。
少し。
距離を戻す。
「ルナ」
「……はい」
「ごめんね」
「え?」
「お手本だったから」
「……」
少し。
寂しそう。
そこも。
麗華は見逃さない。
「でも」
「?」
「言ったことは嘘じゃないよ」
「……」
「髪留めも」
「……」
「頑張ってるところも」
麗華。
優しく笑う。
「素敵だと思ったのは本当」
「……またそういうこと言う」
「ふふ」
「ずるいです」
「ごめん」
「……嫌じゃないです」
麗華は。
セリアを見る。
「今の」
「はい」
「何が大事か分かった?」
「……ボディタッチ?」
「違う」
即答。
「そこじゃない」
「え」
「触ればいいわけじゃないよ」
麗華は真剣に言う。
「相手が嫌なら、絶対触らない」
「……はい」
「距離」
「距離?」
「うん」
「近づいていい人」
「……」
「近づいたら嫌な人」
「……」
「触れられるのが好きな人」
「……」
「嫌いな人」
「……」
「全部違う」
麗華が言う。
「だから先に見るの」
「……」
「私がルナに触れたのは」
ルナ。
また赤くなる。
「その前の会話で、私を嫌がってないって分かったから」
「……」
「むしろ」
麗華が少し笑う。
「もう少し近づいてほしそうだったから」
「麗華さん!」
ルナ。
真っ赤。
「言わないで!」
「ごめん」
周囲。
笑い。
「それと」
麗華は続ける。
「言葉も同じ」
「甘いこと言えばいい?」
「違う」
「……」
「相手に合ってない言葉って」
麗華。
グラス。
指。
「薄いの」
「薄い?」
「誰にでも言える『可愛い』」
「……」
「誰にでも言える『綺麗』」
「……」
「悪くない」
麗華。
「でも」
ルナの髪留めを見る。
「その人にしか言えないことの方が残る」
「……」
「ルナなら」
「私?」
「髪留め」
「……」
「青が好きな理由」
「……」
「見えないところまでちゃんとしてること」
「……」
「それは」
麗華。
セリアを見る。
「ルナにしか言えないでしょう?」
「……はい」
セリア。
理解。
少しずつ。
顔。
明るく。
「だから」
麗華が笑う。
「相手を見るの」
「……」
「人を堕とすのって」
ロッドが。
「言い方怖いな」
「黙ってて」
「はい」
「ふふ」
麗華は言う。
「大袈裟なことしなくてもいい」
「……」
「ちゃんとその人を見て」
「……」
「その人が嬉しいことを」
「……」
「その人にしか通じない言葉で伝える」
一拍。
「それだけ」
セリア。
黙る。
そして。
「……すごい」
今度は。
さっきとは。
違う。
何となく。
ではない。
何が凄いのか。
少し。
分かった。
◇
その一部始終を、二階の手すりの向こうから見ている女性がいた。
四十代前半。
艶のある黒褐色の髪。
深い紫色のドレス。
派手ではない。
けれど、その女性が歩くだけで店員たちが自然と道を開ける。
「エルザさん」
店員の一人が近づく。
「下の黒髪の女性」
「ええ」
「ご存知ですか?」
「いいえ」
エルザ。
《月花亭》店主。
この歓楽街で二十年以上生きてきた女だった。
踊り子。
酒場。
接客。
経営。
ありとあらゆる客と女を見てきた。
「でも」
エルザは麗華を見る。
「面白いわね」
「何がです?」
「セリア」
「?」
「笑ってるでしょう」
「あ」
普段のセリアは客につけば緊張する。
失敗する。
焦る。
さらに喋る。
そしてまた失敗する。
そのセリアが今。
麗華の話を。
目を輝かせながら聞いている。
「それに」
エルザの目が。
ルナへ。
「ルナまで」
「……あれ」
「完全に落ちてるわね」
「女性ですよ?」
「だから何?」
「……」
店員。
黙る。
「人の心に」
エルザ。
麗華を見る。
「男も女もないわよ」
そして。
小さく。
笑う。
「九条麗華」
「知ってるんです?」
「さっき聞いた」
名前。
記憶。
「面白い子が来たわね」
◇
夜が深くなるにつれ、店内の客はさらに増えていった。
酒。
音楽。
笑い声。
麗華は座りながら。
色々見る。
商人。
冒険者。
役人。
貴族らしき者。
服。
酒。
金の使い方。
話す内容。
この店は。
歓楽街でも。
比較的。
上。
でも。
まだ。
接客そのものが。
技術として。
洗練されていない。
「麗華」
ロッド。
「何?」
「楽しんでる?」
「うん」
「ずっと人見てるけど」
「癖」
「仕事の?」
「そう」
ロッドは。
麗華の横顔を見る。
最初。
顔。
綺麗。
それだけ。
いや。
黒牙熊を。
吹き飛ばした。
強さ。
それも。
でも。
今。
違う。
セリアへ。
見返りもないのに。
教えた。
笑わせた。
馬鹿にしない。
否定しない。
できないと。
決めつけない。
そして。
人を。
よく見ている。
「……」
「何?」
麗華が見る。
「いや」
ロッド。
少し笑う。
「俺、最初」
「?」
「顔で惚れたと思ってた」
「あら」
「でも」
セリア。
ルナ。
見る。
「違ったかも」
麗華は。
少し。
困ったように笑う。
「それ」
「うん」
「もっと面倒じゃない?」
「俺もそう思う」
麗華は吹き出した。
◇
「セリア」
低い男の声。
空気が。
少し。
変わった。
麗華が見る。
入口。
高価な服。
二十代前半。
金髪。
宝石。
胸元には銀色の紋章。
後ろ。
二人。
護衛。
「ディオン様」
店員。
少し。
表情。
硬い。
「本日も――」
「セリアは?」
「……」
「呼べ」
「現在」
「呼べと言っている」
麗華。
セリアを見る。
さっきまで。
笑っていた。
でも。
手。
膝。
握る。
「知り合い?」
麗華。
小声。
「……常連です」
「そう」
「レイベル家の」
「?」
「次男」
「貴族?」
セリア。
頷く。
麗華。
ディオン。
見る。
周囲。
女の子たち。
少し。
避けている。
――怖がられてる。
「行かないと」
セリアが立つ。
「大丈夫?」
「はい」
笑おうとする。
失敗。
「大丈夫です」
麗華は。
何も言わなかった。
「行ってきます」
セリア。
席。
移る。
◇
最初は普通だった。
酒。
会話。
セリア。
注ぐ。
ディオン。
喋る。
しかし。
三十分。
酒。
増える。
声。
大きくなる。
「だから」
ディオンが言う。
「今夜は来い」
「……それは」
「何だ」
「店の外は」
「いつも断るな」
「申し訳ありません」
「俺がいくら使ってると思ってる」
「でも」
「金なら払う」
「そういう問題では」
ディオンがセリアの腕を掴む。
「――」
セリアの顔。
強張る。
ロッドがすぐに立ち上がろうとする。
「おい」
麗華は。
ロッドの袖。
軽く。
掴んだ。
「待って」
「でも」
「今殴ったら」
「……」
「こっちが悪くなる」
ロッドが止まる。
相手。
貴族。
この世界。
麗華はまだ。
権力関係も。
法律も。
何も。
詳しく知らない。
だから。
まず。
情報。
「ガイル」
「何だ」
「レイベル家って?」
小声。
「この辺の地方貴族だ。領主直属じゃないが、土地と商会をいくつか持ってる」
「力ある?」
「そこそこ」
「ディオンは?」
「次男。評判は……まあ」
「悪い」
「……そうだな」
「ありがとう」
十分。
麗華は立つ。
「麗華」
ミナ。
「大丈夫?」
「うん」
麗華は笑う。
「喧嘩しに行くわけじゃないから」
◇
「今日は来い」
「ディオン様」
「何だ!」
その間。
麗華が入る。
「少しだけ、いいですか?」
「……誰だ」
ディオンが麗華を見る。
止まる。
「……」
麗華には分かる。
初対面。
数秒。
目。
口。
返事。
遅れる。
――見惚れてる。
「こんばんは」
「……」
「大丈夫です?」
「あ、ああ」
ディオンが姿勢を正す。
分かりやすい。
「誰だ、お前」
「隣の席の客です」
「客?」
「はい」
「平民が俺に何の用だ」
少し声を強くする。
自分を取り戻そうとしている。
麗華は笑う。
「そうですね」
胸元。
紋章。
見る。
「その紋章」
「……」
「レイベル家の方ですよね?」
ディオンの顔。
変わる。
自尊心。
「分かるのか」
「ええ」
麗華。
微笑む。
「綺麗だから」
「……そうか」
「有名なお家なんですよね?」
「当然だ」
護衛。
少し。
誇らしげ。
――そこ。
「やっぱり」
「何がだ」
麗華は周囲を見る。
「皆さん、結構見てます」
「……」
ディオン。
初めて。
周りを見る。
商人。
冒険者。
店員。
女性。
皆。
ちらちら。
見ている。
「これだけ有名なお家の方なら」
麗華。
声。
少しだけ落とす。
「明日には」
「?」
「色んな人が知ってそうだなって」
「何を」
「今夜のこと」
空気。
少し。
冷える。
「……お前」
ディオンの目。
細く。
「俺を脅してるのか」
麗華は笑う。
「まさか」
「……」
「逆ですよ」
「何?」
「心配してるんです」
「何を」
「あなたの家名」
ディオン。
言葉。
詰まる。
「だって」
麗華。
周囲。
指す。
「商人」
「……」
「他領から来たらしい人」
「……」
「冒険者」
「……」
「旅人」
「……」
「皆さんお酒入ってるでしょう?」
「それが」
「こういう場所の話って」
一拍。
「広がるの、早いんですよ」
麗華。
知っている。
歌舞伎町。
何度も。
見た。
酒。
男。
地位。
家庭。
会社。
名誉。
人。
何を。
失いたくない。
分かれば。
怒鳴る必要。
ない。
「セリアさんとお店の外で会いたかった」
「……」
「それは」
麗華。
少し。
首。
傾ける。
「好きなら、仕方ないと思います」
ディオン。
少し。
気分。
良くする。
「でも」
麗華。
セリア。
見る。
「嫌がってる女の子を」
ディオン。
見る。
「無理やり連れていくのって」
微笑む。
「レイベル家の方には」
一拍。
「ちょっと似合わないかなって」
「……」
責めない。
むしろ。
「あなたはそんな人じゃないでしょう?」
そう。
置く。
人は。
そう言われると。
その人物。
演じたくなる。
「それに」
麗華は。
セリアを見る。
「無理に連れていくより」
「……」
「セリアさんの方から」
ディオンへ。
微笑む。
「会いたいって思わせた方が」
一拍。
「男として格好よくないですか?」
「……」
プライド。
壊さない。
使う。
麗華の目が。
腕。
掴んでいる手。
見る。
ディオン。
気づく。
数秒。
そして。
手。
離す。
「……ふん」
麗華。
何も言わない。
「今日は」
ディオン。
椅子。
戻る。
「酒が進みすぎただけだ」
「そうですよね」
麗華。
すぐ。
乗る。
「私もそう思いました」
「……」
「今日は」
笑う。
「ゆっくり飲んだ方がいいですね」
逃げ道。
残す。
「セリア」
「は、はい」
「酒」
「はい」
それで。
終わり。
謝罪。
求めない。
土下座。
させない。
目的は。
一つ。
セリアから。
手を離す。
それだけ。
麗華は戻ろうとする。
「待て」
ディオン。
「はい?」
「名前」
「私?」
「ああ」
麗華。
少し。
笑う。
「九条麗華」
「クジョウ・レイカ」
「はい」
「覚えておく」
「光栄です」
軽く。
頭。
下げる。
戻る。
◇
席。
三人。
黙っている。
「何?」
麗華は座る。
「……何した?」
ガイル。
「話しただけ」
「いや」
ロッド。
「あれ貴族だぞ」
「知ってる」
「怒らせたら」
「だから」
麗華はグラスを手に取る。
「怒らせないようにしたでしょう?」
「……」
ガイルが小さく息を吐いた。
「お前」
「何?」
「本当に」
「?」
「何してたんだ?」
前の世界で。
麗華は。
少し。
考える。
「お酒飲んで」
グラスを揺らす。
「人と話す仕事」
「それだけで」
「それだけ」
「……嘘だろ」
「本当」
ロッドが麗華を見る。
「麗華」
「何?」
「俺」
「うん」
「ますます好きになった」
「そう」
「反応薄くない!?」
「だって」
麗華は笑う。
「答え、もう言ったでしょう?」
「期待するな」
「正解」
「……」
「でも」
麗華は少しだけ優しく笑う。
「言ってくれるのは嬉しいよ」
「……」
「ありがとう」
ロッドの顔。
また赤くなる。
ミナが笑う。
「ロッド」
「何だよ」
「今のでまた惚れたでしょ」
「うるさい!」
「さっきルナの時には新しい扉開きそうになってたくせに」
「それはそれ! これはこれ!」
「認めた!」
ガイルが頭を抱える。
「今日は色々疲れるな……」
麗華は楽しそうに笑った。
◇
「あなた」
落ち着いた女の声。
麗華が振り返る。
紫色のドレス。
四十代前半。
大人びた目。
「はい?」
「少し話せる?」
ガイルが小声で言う。
「店主だ」
「そう」
麗華は立つ。
「もちろん」
「こっちへ」
案内されたのは店の奥にある小さな個室だった。
「エルザ」
女性が座る。
「この店をやってる」
「九条麗華です」
「知ってる」
「あら」
「さっき聞いたから」
「そうでした」
エルザは麗華をじっと見る。
「あなた」
「はい」
「どこで働いてたの?」
「遠いところ」
「酒場?」
「似たようなところ」
「似たような?」
「女の子がお酒を出して」
「うん」
「お客さんと話すお店」
「それだけ?」
「それだけ」
エルザの目が細くなる。
「あなた、かなり売れてたでしょう」
麗華が少しだけ驚いた。
「どうして?」
「分かる」
「何が?」
「二十年ここにいるから」
エルザは指を折る。
「客を見る目」
「……」
「話へ入るタイミング」
「……」
「引く場所」
「……」
「相手の面子の残し方」
「……」
「それに」
エルザが笑う。
「ルナ」
「?」
「あの子、結構人気なの」
「そうなんだ」
「男から甘い言葉なんて毎晩聞いてる」
「……」
「なのに」
エルザは肩をすくめた。
「女のあなたに完全に落とされてた」
「お手本です」
「恐ろしいお手本ね」
「ふふ」
「さっきの貴族も」
「ディオンさん?」
「普通なら怒鳴るか」
「はい」
「貴族だからと怯えるか」
「はい」
「どちらか」
「そうでしょうね」
「あなたは両方しなかった」
「怒らせたかったわけじゃないので」
「目的は?」
「セリアから手を離してもらう」
「それだけ?」
「それだけ」
「……」
エルザはしばらく麗華を見る。
そして。
「面白い」
と笑った。
「ありがとうございます」
「褒めたか分からないわよ」
「褒め言葉として受け取ります」
「そう」
エルザが少し身体を前へ寄せた。
「うちで働かない?」
「……」
麗華の目が少し変わる。
「私が?」
「ええ」
「今日、冒険者登録したばかりですよ」
「知ってる」
「何で?」
「冒険者の噂は早いの」
「……嫌な予感」
「Fランクの美人が実技試験で試験官の木剣を十メートル飛ばしたって」
「もう?」
「この街よ」
「怖い」
「で」
エルザが笑う。
「どう?」
麗華はすぐには答えなかった。
「一つ」
「何?」
「いくつか聞いていい?」
「もちろん」
麗華の顔。
少し。
仕事。
前世。
店。
選ぶ。
時。
店長。
契約。
給料。
ルール。
全部。
聞いた。
自分の人生を。
誰かへ丸投げ。
しない。
「お給料は?」
エルザが一瞬固まる。
そして笑った。
「一番最初そこ?」
「大事でしょう?」
「嫌いじゃないわ」
「よかった」
「基本給に加えて、客からの指名」
「指名?」
「女を指定して席につける制度」
麗華の目。
少し。
楽しそう。
「あるんだ」
「何?」
「こっちの話」
「それから、酒の売上に応じて一定額が女へ入る」
「高いお酒なら?」
「取り分も増える」
「なるほど」
麗華。
整理。
「営業時間は?」
「日没から深夜」
「休み」
「自由」
「冒険者と兼業」
「構わない」
「店外」
エルザの表情が少し変わる。
「客と?」
「うん」
「禁止はしていないわ」
「……」
「でも」
「?」
「本人が望んだ場合だけ」
「断れる?」
「当然」
「貴族でも?」
「建前上は」
「建前」
麗華。
今日。
思い出す。
「今日みたいなの?」
「……そう」
エルザの顔が少し苦くなる。
「止めたいわ」
「でも」
「この店を潰されたら」
「女の子たちが食べられない」
「そういうこと」
「なるほど」
麗華。
少し。
考える。
「最後」
「何?」
麗華の目が真剣になる。
「客と寝るのは?」
エルザは麗華を見る。
「それは」
「うん」
「うちの仕事じゃない」
「……」
「店の外で本人同士が何をするかまでは縛れない。でも」
「?」
「店が女の子へ身体を売れと言うことはない」
「……」
麗華は。
小さく。
息を吐いた。
「そう」
少し。
笑う。
「なら」
「?」
「悪くないですね」
「働く?」
「まだ」
麗華は笑った。
「考えさせて」
「即答じゃないのね」
「大事なことは、ちゃんと考えるようにしてるので」
「そう」
エルザも笑う。
「いいわ」
「ありがとう」
「でも」
「?」
「私は」
エルザ。
自信。
「あなたが来ると思ってる」
「どうして?」
「二十年」
「?」
「人を見てるから」
麗華は少しだけ目を細くした。
「じゃあ」
「?」
「外れたら?」
「酒一杯奢る」
「覚えておきます」
◇
店を出た頃。
ルーヴェルは完全に夜の街へ変わっていた。
「どうだった?」
ガイル。
「面白かった」
「働くのか?」
ミナ。
「まだ分からない」
ロッド。
「冒険者になったばっかりだぞ?」
「両方やればいいでしょう?」
「両方!?」
「昼は」
麗華は冒険者カードを指先で挟む。
「冒険者」
そして後ろ。
月花亭。
見る。
「夜は」
少し。
笑う。
「こっち」
「体力持つ?」
「多分」
世界最高峰。
身体。
持たない。
理由。
ほぼない。
「悪くないと思わない?」
三人。
麗華を見る。
「何?」
ロッドが言う。
「麗華」
「うん」
「絶対有名になると思う」
「どうして?」
「何となく」
麗華は夜空を見る。
「有名になるのは」
「?」
「もう一回やったから」
「どういう意味?」
「今度は」
少し。
懐かしそうに。
「のんびりでいいかな」
◇
その頃。
《月花亭》。
「セリア」
「はい!」
「七番席」
「私?」
「指名」
「……え?」
「あなたを」
セリア。
固まる。
「……私?」
「そう」
店員。
「前に一回来た商人さん」
「でも」
「ほら、行って」
「……はい」
席へ。
向かう。
男。
以前。
ついた。
でも。
ほとんど。
喋らなかった。
仕事。
疲れ。
静か。
なのに。
セリアは。
焦った。
質問。
質問。
質問。
今日。
麗華。
言葉。
思い出す。
『無理に話さなくてもいいよ』
『相手を見ればいい』
深呼吸。
「こんばんは」
「この前もいた子だね」
「はい」
「名前」
「セリアです」
「そう」
セリア。
酒。
注ぐ。
「お仕事帰りですか?」
「ああ」
「お疲れさまです」
それだけ。
黙る。
男。
少し。
驚く。
静か。
数分。
「……今日は」
男から。
口。
開く。
「大きな取引があってね」
「そうなんですか」
「三ヶ月かけた」
「三ヶ月」
「でも」
グラス。
見る。
「駄目だった」
セリア。
何か。
言わないと。
励ます?
楽しく?
でも。
思い出す。
――この人。
今。
何を。
求めてる?
「……それは」
セリア。
静か。
「悔しいですね」
「……」
男。
顔。
上げる。
「ああ」
そして。
話す。
仕事。
商売。
部下。
失敗。
悔しさ。
セリア。
聞く。
相槌。
たまに。
質問。
でも。
話。
奪わない。
一時間。
二時間。
男。
立つ。
「ありがとう」
「え?」
「少し楽になった」
「……」
「次も」
「?」
「君を指名していいか?」
「……」
セリアの目。
大きく。
「はい!」
声。
大きい。
「あ」
男。
笑う。
「はは」
「す、すみません!」
「いや」
「……」
「そのくらい元気な方がいい」
帰る。
セリア。
その場。
立つ。
「……」
初めて。
客。
自分。
選ぶ。
「麗華……」
名前。
呟く。
少し離れた場所。
ルナ。
まだ。
頬。
少し。
赤い。
「……麗華さん」
自分の頬へ。
手。
触れる。
「ずるい……」
二階。
エルザ。
その二人。
見る。
「九条麗華」
グラス。
一口。
「面白い女が来たものね」
異世界へ来て。
まだ。
一日。
九条麗華は。
剣で誰かを倒したわけでも。
魔法で何かを壊したわけでもない。
ただ。
一人の少女へ。
少しだけ。
言葉。
渡した。
一人の女へ。
ほんの少しだけ。
本気の接客。
見せた。
それだけ。
けれど。
その夜。
《月花亭》では。
一人の少女が初めて客の心を掴み。
一人の女性が。
女である麗華へ。
本気で胸を高鳴らせた。
剣でも。
魔法でもない。
九条麗華が。
一度。
歌舞伎町の頂点まで登った。
本当の武器。
その片鱗を。
異世界の夜が。
初めて。
知った。




