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女王転生  作者: のあ


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4/15

第四話 女王、異世界の夜を知る

「私の得意分野」


 九条麗華がそう言ったあと、三人はしばらく何も言わなかった。


 夕暮れから夜へ移り変わり始めたルーヴェルの街。その一角だけは、昼間とはまるで違う顔を見せている。


 赤や橙色の魔石灯が軒先を照らし、開け放たれた酒場からは音楽と笑い声が漏れていた。通りを歩く男たちへ声をかける女、派手な衣装で踊る踊り子、酒樽を運ぶ店員。少し奥には賭場らしき建物もあり、そのさらに向こうには露出の多い女性が入口に立つ店も見える。


 歌舞伎町とは違う。


 ネオンもなければ、車もない。


 高層ビルも、巨大な広告もない。


 それでも麗華には、なんとなく分かった。


 この空気。


 昼間なら口にしないことを、酒を飲んだ夜だけ誰かに話したくなる人たち。


 仕事。


 金。


 恋。


 見栄。


 孤独。


 誰かに認めてほしい気持ち。


 誰にも言えない愚痴。


 世界が変わっても、人が夜に求めるものはそれほど変わらないのかもしれない。


「……得意分野って」


 最初に口を開いたのはロッドだった。


「酒?」


「それもあるかな」


「踊れる?」


「普通には」


「歌は?」


「人並み」


「じゃあ何が得意なんだ?」


 ガイルが尋ねる。


 麗華は夜の通りを眺めながら、少しだけ笑った。


「人とお酒飲んで、お話すること」


「それだけ?」


 ミナが首を傾げる。


「それだけ」


 本当は、少し違う。


 相手を見ること。


 目線を見る。


 声を聞く。


 何を話したいのか、何を聞いてほしくないのか、何を褒めてほしいのか、何を隠したいのかを考える。


 そして、その人が今夜、何を求めてこの場所に来たのかを見つける。


 でも、それを言葉で説明したところで、今の三人には伝わりにくいだろう。


「じゃあさ」


 ロッドが何か思いついたように手を叩いた。


「行ってみる?」


「どこに?」


「あそこ」


 指を差した先には、二階建ての大きな建物があった。


 濃紺の壁に、月と花を組み合わせた金色の看板。入口には派手すぎない灯りが並び、服装の整った男たちが次々と出入りしている。


「《月花亭》」


 ガイルが言った。


「この辺じゃ結構有名な店だ」


「どんなお店?」


「酒を飲んで、女の子と話したり、歌や踊りを見たりするところだな」


 麗華の目が少しだけ細くなる。


「へぇ」


「娼館とは別だからな」


「そうなんだ」


 そこは大事だった。


「女の子と飲むだけ?」


「基本はな」


「なら」


 麗華は少し考え、


「行ってみたい」


 と答えた。


「よし」


 ロッドが即答する。


「俺が奢る!」


「あら」


「今日助けてもらったし、それくらいさせてくれ」


 麗華はロッドを見る。


 嬉しそう。


 分かりやすい。


「じゃあ、最初のお店だけお願いしようかな」


「任せろ!」


「その代わり」


「ん?」


「次があったら私が払う」


「いやいや、俺が――」


「ロッド」


「……はい」


「借り作ったままなの、あまり好きじゃないの」


「……分かった」


「ありがとう」


「でも飯くらいならいつでも奢るぞ」


「四人で?」


「……できれば二人」


「それはなし」


「即答やめてくれ!」


 ミナが吹き出す。


「本当に諦め悪いね」


「好きになるのは自由って麗華が言ったからな」


「期待しないでとも言ったでしょう?」


 麗華が振り返って笑う。


「……その顔で言うのずるくない?」


「知らない」


「絶対分かってるだろ!」


 そんなやり取りをしながら、四人は《月花亭》へ向かった。


     ◇


「いらっしゃいませ」


 扉を開けて最初に麗華が感じたのは、甘い香りだった。


 花。


 香油。


 酒。


 少しの煙。


 店内は思っていたより広く、丸いテーブルが二十ほど並んでいる。その周囲には柔らかそうな長椅子があり、奥には小さな舞台まであった。


 弦楽器を奏でる女性。


 歌う女性。


 踊り子。


 壁際には色とりどりの酒瓶が並び、魔石灯の柔らかな光がその瓶を透かしている。


「……」


 麗華は何も言わずに見る。


 内装。


 悪くない。


 むしろ、かなりいい。


 働いている女性たちも綺麗だった。


 衣装も一人一人違い、それぞれに似合う色や形を選んでいるらしい。


「お客様、四名様ですね」


 案内役の男が麗華を見る。


 そして一瞬、固まった。


「……」


「四人です」


「あ、はい。失礼いたしました」


 慌てて視線を戻し、席へ案内する。


 麗華は慣れていた。


 座る。


 ガイル。


 ロッド。


 ミナ。


 麗華。


 すぐに二人の女性が席についた。


「こんばんは」


「今日は冒険者さん?」


 明るい声。


 一人は金髪。


 もう一人は茶髪。


「そうそう」


 ロッドが答える。


「今日は大変だったんだよ」


「えー、何があったの?」


「黒牙熊に――」


 そこからロッドは嬉しそうに話し始めた。


 麗華は黙ってその様子を見る。


 ロッドの隣についている金髪の女性は、そこまで悪くない。


 ロッドは自分の話を聞いてもらうのが好きだ。


 冒険談をしたい。


 驚いてほしい。


 少しくらい格好つけたい。


「黒牙熊!?」


「そうなんだよ!」


「すごーい!」


「いや、俺が倒したわけじゃないんだけどな」


 楽しそうだ。


 一方。


 ガイルの横では、茶髪の女性がほとんど同じ質問をしていた。


「あなたも冒険者なの?」


「ああ」


「何を倒したことある?」


「まあ、色々」


「一番強いのは?」


「さあな」


「ドラゴンとか?」


「ない」


「じゃあオーガ?」


「ある」


「すごい!」


「……そうか」


 麗華はグラスへ口をつける。


 ガイルは少し疲れている。


 返事が短い。


 身体も僅かに後ろへ引いていた。


 もう十分話した。


 今日は静かに飲みたい。


 そのくらいは見れば分かる。


 けれど女性は気づかず、さらに質問を続ける。


「それでね、私、前にオーガ倒した冒険者さんから聞いたんだけど――」


 今度は自分の話を始めた。


 ガイルの視線が少しだけ遠くなる。


 ――なるほど。


 麗華はそれ以上何も言わない。


 次にミナを見る。


 女性客だからなのか、最初に飲み物を聞かれてから、ほとんど誰にも構われていない。


 ミナ自身は気にしていないようだが、同じ料金を払うのであれば客は客だ。


 男も女も関係ない。


 さらに。


 グラスが空いている。


 誰も気づかない。


 麗華は自分で酒を注いだ。


「あ、ごめんなさい!」


 金髪の女性がようやく気づく。


「大丈夫ですよ」


「私がやるから!」


「ありがとう」


 麗華は笑う。


 悪い子ではない。


 むしろ一生懸命だ。


 だからこそ。


 ――勿体ない。


 麗華はそう思った。


 恐らく、この子たちは教えられていない。


 喋れ。


 笑え。


 酒を勧めろ。


 客を楽しませろ。


 そのくらい。


 でも。


 どうすれば人が楽しいと感じるのか。


 そこまで教わっていない。


「どう?」


 ミナが小声で聞いてくる。


「何が?」


「さっき得意分野って言ってたじゃん」


「ああ」


「楽しい?」


「うん」


「本当に?」


「楽しいよ」


 麗華は店内を見ながら、


「でも、勿体ない」


 と呟いた。


「何が?」


「色々」


 それ以上は言わなかった。


     ◇


 しばらくして、席についていた女性たちが入れ替わった。


「し、失礼します!」


 少し大きな声。


 赤茶色の髪。


 十九歳くらいだろうか。


 可愛らしい顔をしているが、見るからに緊張している。


「セリアです!」


「よろしく」


 麗華が笑う。


「よ、よろしくお願いします!」


 座る。


 姿勢が硬い。


 膝の上で両手を握っている。


「え、えっと」


 セリアはロッドを見る。


「冒険者さんですか!?」


「ああ」


「今日は何を倒したんですか!?」


「黒牙熊に襲われて」


「黒牙熊!?」


 声が大きい。


「す、すごい!」


「いや俺が倒したわけじゃ」


「じゃあ誰が!?」


 ロッドが麗華を見る。


 セリアもつられて見る。


「彼女」


「え?」


「麗華が一発で」


「……」


 セリアの顔が固まった。


 麗華は笑顔で言う。


「忘れてください」


「無理ですよ!?」


 さらに声が大きくなる。


 周囲の客が少しだけ振り返った。


「す、すみません!」


「大丈夫」


 麗華は笑ったまま、自分の隣を軽く叩いた。


「セリア」


「は、はい!」


「一回、座ろうか」


「え?」


「大丈夫」


 麗華は柔らかく笑う。


「私たち逃げないから」


「……」


「ゆっくりでいいよ」


 その一言で、セリアの肩から少し力が抜けた。


「……はい」


「緊張してる?」


「……分かります?」


「少しだけ」


 本当はかなり。


「すみません」


「どうして謝るの?」


「私、話すの苦手で」


「そうなんだ」


「何話したらいいか分からなくて。でも黙ったら駄目って言われるから、何か話さなきゃって思うと余計分からなくなって……」


「誰に言われたの?」


「先輩に」


「そっか」


 麗華はグラスを指先でゆっくり回す。


「じゃあさ」


「はい」


「話さなくてもいいよ」


「……え?」


「無理に」


 セリアは目を丸くした。


「でも、お客さんを楽しませないと」


「そうね」


「だから喋らないと」


「どうして?」


「……え?」


「楽しませるって、ずっと喋ること?」


 セリアが黙る。


「静かに飲みたい人もいるでしょう?」


「……はい」


「自分の話を聞いてほしい人もいる」


「はい」


「逆に、女の子の話を聞きたい人もいる」


「……はい」


「全部同じ?」


「違います」


「そう」


 麗華が微笑む。


「だから、自分が何を話すかじゃなくて、相手を見ればいいの」


「相手を……」


「例えば」


 麗華はロッドを見る。


「ロッド」


「俺?」


「この人は自分の話を聞いてもらうのが好き」


「否定できないけど、言い方!」


「だから質問一個でいい」


 麗華がロッドへ視線を向ける。


「今日、黒牙熊に襲われた時、どうだった?」


「いや聞いてくれよ!」


 すぐに食いついた。


「あれ本当にヤバかったんだぞ。最初は調査だけのつもりで森に入って、そしたら急に――」


 喋る。


 ガイルが前に出て。


 ミナの魔力が切れかけて。


 そこへ麗華が現れて。


 数分経ってもまだ喋っている。


 麗華はセリアを見る。


「ね?」


「……本当だ」


「おい」


 ロッドが途中で止まる。


「俺で実演した?」


「分かりやすいから」


「またそれ!」


 ミナが笑う。


「でも」


 セリアがガイルを見る。


「ガイルさんは?」


「ガイルは逆」


「俺?」


「自分のことばっかり聞かれると疲れるでしょう?」


「……まあな」


「さっきもそうだった」


「見てたのか」


「少しだけ」


 麗華は考える。


「ガイルには……そうね」


 少し間を置く。


「この街で一番美味しいお酒って何?」


「酒?」


「うん」


 ガイルの表情が少しだけ変わる。


「好みによるけど、甘いのなら南の醸造所の果実酒。強い酒なら北から来る蒸留酒だな」


「へぇ」


「あと、この店なら月香酒は悪くない」


「どんな味?」


「香草が入ってる。癖はあるけど」


 自然に話している。


 セリアが驚いた。


「さっきより喋ってる」


「そういうこと」


「本人の話じゃなくていいんですか?」


「いいの」


 麗華は言う。


「相手が話しやすいところから入ればいい。その中で表情が変わったところだけ拾うの」


「表情……」


「例えば今」


 麗華がガイルを見る。


「月香酒って、初めて飲んだのいつ?」


「……」


 ガイルが少し考えたあと、表情を柔らかくした。


「初めてC級に上がった日だな」


「誰と?」


「こいつら」


 ロッドとミナを見る。


「その時、ロッドが酔い潰れて」


「おい!」


「ミナに背負われて帰った」


「そこ言うな!」


「私より大きいのに重かったんだから!」


 笑い声。


 麗華は何もしていない。


 ただ。


 入口を作った。


 相手が話したくなる扉を少しだけ開いた。


 セリアはその様子をじっと見ていた。


「……すごい」


「何が?」


「でも」


 セリアはまだ不安そうだった。


「分かっても、私にできるかな」


「じゃあ」


 麗華が少し考え、


「お手本、もう少し分かりやすく見せようか」


「お手本?」


「うん」


 麗華は店内を見回す。


 そして、近くを通りかかった一人の女性店員へ軽く手を上げた。


「ねえ」


「はい?」


 足を止めたのは、二十歳くらいの女性だった。


 長い淡金色の髪を片側へ流し、青い瞳を持つ綺麗な女性。セリアより少し年上らしく、立ち振る舞いにも余裕がある。


「ルナ」


 セリアが呼ぶ。


「知り合い?」


「同じ時期に入った子です」


 ルナが首を傾げる。


「どうしました?」


「少しだけ付き合ってくれる?」


 麗華が微笑む。


「私?」


「うん」


「もちろん」


 ルナは麗華の向かいに座った。


 その瞬間。


 周囲の空気が少し変わる。


 麗華はセリアへ目を向けた。


「セリア」


「はい」


「今から」


 麗華は何でもないことのように言った。


「この子、堕としてみるね」


「……え?」


 セリア。


 ルナ。


 ガイル。


 ロッド。


 ミナ。


 全員が止まった。


「は?」


 最初に声を出したのはロッド。


「何するって?」


「お手本」


「いや今、堕とすって」


「言った」


「相手女の子だぞ!?」


 麗華は首を傾げる。


「関係ある?」


「……」


 ロッドの口が閉じた。


 ルナは少し頬を赤らめながら笑う。


「面白そう」


「いいの?」


「ええ。私、結構慣れてますよ?」


「あら」


 麗華の目が少し細くなる。


「自信あるのね」


「それなりには」


 ルナは人気のある女らしい。


 客にどう見られているか分かっている。


 美人だという自覚もある。


 麗華はそんなルナをしばらく見つめた。


「……」


「何です?」


「ううん」


 麗華はまず、何もしなかった。


「綺麗な髪ね」


「ありがとうございます」


 ルナは慣れた笑顔で返す。


 この程度。


 毎日言われている。


 響かない。


 麗華はすぐ分かった。


「その髪留め」


「え?」


「自分で選んだ?」


 ルナの表情が少し変わった。


 髪の間。


 小さな青い石の髪留め。


「……はい」


「やっぱり」


「どうして?」


「ドレスと色を合わせてるのに、石だけ少し濃いでしょう?」


 麗華が軽く身を乗り出す。


「目の色に合わせたんだと思った」


「……」


 ルナの笑顔が止まる。


 今度は作ったものではない。


「よく分かりましたね」


「だって」


 麗華はルナの目を見る。


「そっちの方が綺麗だもの」


「……」


 一瞬。


 ルナの頬が赤くなる。


 ロッドが小さく呟く。


「え」


 ガイル。


「もう違うぞ」


「何が?」


「ルナって子の顔」


 ミナまで少し前のめりになっている。


 麗華は気にせず続けた。


「好きな色?」


「青は……好きです」


「どうして?」


「昔、家の近くに湖があって」


「湖」


「子供の頃、よく母と行ってたんです」


 出てきた。


 麗華はすぐに乗らない。


「そっか」


 それだけ。


 ルナの方から続ける。


「今はもう、何年も帰ってないですけど」


「帰りたい?」


「……少し」


「じゃあ」


 麗華は笑う。


「その髪留め、大事にした方がいいね」


「え?」


「きっと」


 少しだけ。


 声を柔らかくする。


「帰りたい場所、忘れないために選んだんでしょう?」


「……」


 完全に。


 ルナの表情が変わった。


 さっきまで客に見せる笑顔だったのに。


 今は。


 ただの二十歳の女性。


「麗華さんって」


「麗華でいいよ」


「……麗華さん」


「ふふ、そこは変えないのね」


「だって」


 ルナが少し困ったように笑う。


「なんか」


「?」


「年上みたい」


「一つしか変わらないと思うけど」


「そうじゃなくて」


「じゃあ何?」


「……余裕?」


 麗華が笑う。


「そう見える?」


「見えます」


「嬉しい」


 そこまで。


 特別な言葉は使っていない。


 褒めた。


 質問した。


 話を聞いた。


 それだけ。


 でも。


 麗華は。


 相手が自分でも気づいていない部分を拾う。


 そして。


 そこを。


 綺麗に言葉へする。


 ルナの目が。


 もう。


 麗華から離れない。


「これだけ?」


 セリアが小声で呟く。


「まだ」


 麗華は聞こえていた。


「え?」


「会話だけなら」


 ルナへ視線を戻す。


「まだ半分」


「半分!?」


 ロッドが小さく叫ぶ。


「静かにしてて」


「はい」


 なぜか素直に黙る。


 麗華はグラスへ手を伸ばした。


 同時に。


 ルナも酒瓶を取ろうとした。


「あ」


 二人の手が触れる。


 普通なら偶然。


 でも。


 麗華は。


 すぐに離さなかった。


 ルナの指先へ。


 ほんの一瞬。


 自分の指を軽く重ねる。


「ごめん」


「……いえ」


「手」


「え?」


「冷たいね」


 麗華がルナの手を軽く包む。


「寒い?」


「だ、大丈夫です」


「本当に?」


「……はい」


 顔。


 赤い。


 麗華はすぐに手を離した。


 長すぎない。


 一瞬だけ。


 相手が。


 ――もう少し。


 そう思うくらい。


 ロッドが口を開けたまま固まっている。


「……」


 ガイルも同じ。


 ミナは両手で口元を隠した。


 周囲。


 近くの席にいた女の子たちまで。


 ちらちら。


 こちらを見始めている。


「何あれ」


「……麗華って人?」


「綺麗……」


「ルナ、顔真っ赤じゃない?」


 小声。


 麗華は全部聞こえている。


 でも。


 まだ。


 終わらない。


「ルナ」


「は、はい」


「緊張してる?」


「……ちょっと」


「私に?」


「……」


「ふふ」


 麗華は少し笑う。


 からかいすぎない。


「ごめんね」


「いえ」


「嫌だった?」


「違います!」


 即答。


 ルナ自身が驚く。


「あ」


 麗華の目が少し笑った。


「ならよかった」


「……」


「ルナって」


「はい」


「真面目なのね」


「私が?」


「うん」


「そんなこと言われたことないです」


「でも」


 麗華の視線。


 髪。


 衣装。


 爪。


 靴。


「髪も綺麗にしてる」


「……」


「爪も」


「……」


「靴も傷少ない」


「……」


「多分」


 麗華は言う。


「見えないところで結構頑張るタイプでしょう?」


「……」


 ルナの目。


 さらに。


 揺れる。


「そういうの」


 麗華が微笑む。


「好きだよ、私」


「――」


 ルナの耳まで。


 赤くなる。


 ロッド。


「……ガイル」


「何だ」


「俺」


「言うな」


「まだ何も」


「どうせ俺と同じだ」


「新しい扉」


「言うな!」


 ガイルまで少し顔が赤い。


 ミナは。


「女同士って……」


 と小声で呟きながら。


 視線を逸らせなくなっている。


 周囲にいた女の子たちまで。


 何人か。


 頬を染めている。


 そして。


 麗華は。


 最後。


 ルナを見る。


 完全に。


 目。


 麗華だけ。


 追っている。


 呼吸。


 少し早い。


 顔。


 赤い。


 そこで。


 麗華は。


 ゆっくり。


 右手を上げた。


「ルナ」


「……はい」


 片手。


 頬。


 優しく。


 触れる。


「――っ」


 ルナの肩が僅かに跳ねた。


 でも。


 離れない。


 むしろ。


 麗華の手へ。


 少しだけ。


 頬を預ける。


 麗華は。


 余裕のある。


 柔らかな笑顔。


 歌舞伎町で。


 何度も。


 相手の心を掴んできた。


 あの顔。


「そんなに可愛い顔するなら」


「……」


 ルナの青い瞳。


 麗華だけ。


 映す。


「他の人に見せたくなくなるね」


「――――」


 停止。


 ルナ。


 完全に。


 停止。


 数秒。


「……」


 口。


 動く。


 声。


 出ない。


「大丈夫?」


 麗華が聞く。


「……む」


「む?」


「無理……」


「何が?」


「……好き」


「え?」


「好きになりそうです」


 麗華が。


 少しだけ。


 目を丸くする。


「もう?」


「だって!」


 ルナが顔を手で隠す。


「こんなの無理です!」


「何が?」


「全部!」


 耳まで真っ赤。


「何なんですか麗華さん!」


「お手本?」


「これがお手本!?」


「うん」


「これお客さんにやったら全員好きになりますよ!」


 周囲。


 女の子たち。


 何人か。


 無言で頷いている。


「……」


 ロッド。


 ガイル。


 呆然。


「ガイル」


「言うな」


「俺」


「言うなって」


「女同士も……」


「言うな!」


 ミナまで真っ赤。


「麗華」


「何?」


「……すごい」


「何が?」


「何か」


 ミナ。


 自分でも何を言っているのか分からない顔。


「目覚めそう」


「何に?」


「分かんない」


 麗華は。


 吹き出した。


「ふふ」


 その笑顔で。


 また。


 周囲。


 女の子。


 赤くなる。


「麗華さん」


 セリア。


 頬。


 赤い。


「これ」


「うん?」


「私にできる気しません」


「あら」


「無理です!」


「ここまでやれとは言ってないよ」


「よかった!」


「これは」


 麗華は。


 まだ赤いルナを見る。


「分かりやすくしただけ」


「分かりやすすぎます……」


 ルナが呟く。


 麗華は。


 そこで。


 頬から手を離す。


 そして。


 少し。


 距離を戻す。


「ルナ」


「……はい」


「ごめんね」


「え?」


「お手本だったから」


「……」


 少し。


 寂しそう。


 そこも。


 麗華は見逃さない。


「でも」


「?」


「言ったことは嘘じゃないよ」


「……」


「髪留めも」


「……」


「頑張ってるところも」


 麗華。


 優しく笑う。


「素敵だと思ったのは本当」


「……またそういうこと言う」


「ふふ」


「ずるいです」


「ごめん」


「……嫌じゃないです」


 麗華は。


 セリアを見る。


「今の」


「はい」


「何が大事か分かった?」


「……ボディタッチ?」


「違う」


 即答。


「そこじゃない」


「え」


「触ればいいわけじゃないよ」


 麗華は真剣に言う。


「相手が嫌なら、絶対触らない」


「……はい」


「距離」


「距離?」


「うん」


「近づいていい人」


「……」


「近づいたら嫌な人」


「……」


「触れられるのが好きな人」


「……」


「嫌いな人」


「……」


「全部違う」


 麗華が言う。


「だから先に見るの」


「……」


「私がルナに触れたのは」


 ルナ。


 また赤くなる。


「その前の会話で、私を嫌がってないって分かったから」


「……」


「むしろ」


 麗華が少し笑う。


「もう少し近づいてほしそうだったから」


「麗華さん!」


 ルナ。


 真っ赤。


「言わないで!」


「ごめん」


 周囲。


 笑い。


「それと」


 麗華は続ける。


「言葉も同じ」


「甘いこと言えばいい?」


「違う」


「……」


「相手に合ってない言葉って」


 麗華。


 グラス。


 指。


「薄いの」


「薄い?」


「誰にでも言える『可愛い』」


「……」


「誰にでも言える『綺麗』」


「……」


「悪くない」


 麗華。


「でも」


 ルナの髪留めを見る。


「その人にしか言えないことの方が残る」


「……」


「ルナなら」


「私?」


「髪留め」


「……」


「青が好きな理由」


「……」


「見えないところまでちゃんとしてること」


「……」


「それは」


 麗華。


 セリアを見る。


「ルナにしか言えないでしょう?」


「……はい」


 セリア。


 理解。


 少しずつ。


 顔。


 明るく。


「だから」


 麗華が笑う。


「相手を見るの」


「……」


「人を堕とすのって」


 ロッドが。


「言い方怖いな」


「黙ってて」


「はい」


「ふふ」


 麗華は言う。


「大袈裟なことしなくてもいい」


「……」


「ちゃんとその人を見て」


「……」


「その人が嬉しいことを」


「……」


「その人にしか通じない言葉で伝える」


 一拍。


「それだけ」


 セリア。


 黙る。


 そして。


「……すごい」


 今度は。


 さっきとは。


 違う。


 何となく。


 ではない。


 何が凄いのか。


 少し。


 分かった。


     ◇


 その一部始終を、二階の手すりの向こうから見ている女性がいた。


 四十代前半。


 艶のある黒褐色の髪。


 深い紫色のドレス。


 派手ではない。


 けれど、その女性が歩くだけで店員たちが自然と道を開ける。


「エルザさん」


 店員の一人が近づく。


「下の黒髪の女性」


「ええ」


「ご存知ですか?」


「いいえ」


 エルザ。


 《月花亭》店主。


 この歓楽街で二十年以上生きてきた女だった。


 踊り子。


 酒場。


 接客。


 経営。


 ありとあらゆる客と女を見てきた。


「でも」


 エルザは麗華を見る。


「面白いわね」


「何がです?」


「セリア」


「?」


「笑ってるでしょう」


「あ」


 普段のセリアは客につけば緊張する。


 失敗する。


 焦る。


 さらに喋る。


 そしてまた失敗する。


 そのセリアが今。


 麗華の話を。


 目を輝かせながら聞いている。


「それに」


 エルザの目が。


 ルナへ。


「ルナまで」


「……あれ」


「完全に落ちてるわね」


「女性ですよ?」


「だから何?」


「……」


 店員。


 黙る。


「人の心に」


 エルザ。


 麗華を見る。


「男も女もないわよ」


 そして。


 小さく。


 笑う。


「九条麗華」


「知ってるんです?」


「さっき聞いた」


 名前。


 記憶。


「面白い子が来たわね」


     ◇


 夜が深くなるにつれ、店内の客はさらに増えていった。


 酒。


 音楽。


 笑い声。


 麗華は座りながら。


 色々見る。


 商人。


 冒険者。


 役人。


 貴族らしき者。


 服。


 酒。


 金の使い方。


 話す内容。


 この店は。


 歓楽街でも。


 比較的。


 上。


 でも。


 まだ。


 接客そのものが。


 技術として。


 洗練されていない。


「麗華」


 ロッド。


「何?」


「楽しんでる?」


「うん」


「ずっと人見てるけど」


「癖」


「仕事の?」


「そう」


 ロッドは。


 麗華の横顔を見る。


 最初。


 顔。


 綺麗。


 それだけ。


 いや。


 黒牙熊を。


 吹き飛ばした。


 強さ。


 それも。


 でも。


 今。


 違う。


 セリアへ。


 見返りもないのに。


 教えた。


 笑わせた。


 馬鹿にしない。


 否定しない。


 できないと。


 決めつけない。


 そして。


 人を。


 よく見ている。


「……」


「何?」


 麗華が見る。


「いや」


 ロッド。


 少し笑う。


「俺、最初」


「?」


「顔で惚れたと思ってた」


「あら」


「でも」


 セリア。


 ルナ。


 見る。


「違ったかも」


 麗華は。


 少し。


 困ったように笑う。


「それ」


「うん」


「もっと面倒じゃない?」


「俺もそう思う」


 麗華は吹き出した。


     ◇


「セリア」


 低い男の声。


 空気が。


 少し。


 変わった。


 麗華が見る。


 入口。


 高価な服。


 二十代前半。


 金髪。


 宝石。


 胸元には銀色の紋章。


 後ろ。


 二人。


 護衛。


「ディオン様」


 店員。


 少し。


 表情。


 硬い。


「本日も――」


「セリアは?」


「……」


「呼べ」


「現在」


「呼べと言っている」


 麗華。


 セリアを見る。


 さっきまで。


 笑っていた。


 でも。


 手。


 膝。


 握る。


「知り合い?」


 麗華。


 小声。


「……常連です」


「そう」


「レイベル家の」


「?」


「次男」


「貴族?」


 セリア。


 頷く。


 麗華。


 ディオン。


 見る。


 周囲。


 女の子たち。


 少し。


 避けている。


 ――怖がられてる。


「行かないと」


 セリアが立つ。


「大丈夫?」


「はい」


 笑おうとする。


 失敗。


「大丈夫です」


 麗華は。


 何も言わなかった。


「行ってきます」


 セリア。


 席。


 移る。


     ◇


 最初は普通だった。


 酒。


 会話。


 セリア。


 注ぐ。


 ディオン。


 喋る。


 しかし。


 三十分。


 酒。


 増える。


 声。


 大きくなる。


「だから」


 ディオンが言う。


「今夜は来い」


「……それは」


「何だ」


「店の外は」


「いつも断るな」


「申し訳ありません」


「俺がいくら使ってると思ってる」


「でも」


「金なら払う」


「そういう問題では」


 ディオンがセリアの腕を掴む。


「――」


 セリアの顔。


 強張る。


 ロッドがすぐに立ち上がろうとする。


「おい」


 麗華は。


 ロッドの袖。


 軽く。


 掴んだ。


「待って」


「でも」


「今殴ったら」


「……」


「こっちが悪くなる」


 ロッドが止まる。


 相手。


 貴族。


 この世界。


 麗華はまだ。


 権力関係も。


 法律も。


 何も。


 詳しく知らない。


 だから。


 まず。


 情報。


「ガイル」


「何だ」


「レイベル家って?」


 小声。


「この辺の地方貴族だ。領主直属じゃないが、土地と商会をいくつか持ってる」


「力ある?」


「そこそこ」


「ディオンは?」


「次男。評判は……まあ」


「悪い」


「……そうだな」


「ありがとう」


 十分。


 麗華は立つ。


「麗華」


 ミナ。


「大丈夫?」


「うん」


 麗華は笑う。


「喧嘩しに行くわけじゃないから」


     ◇


「今日は来い」


「ディオン様」


「何だ!」


 その間。


 麗華が入る。


「少しだけ、いいですか?」


「……誰だ」


 ディオンが麗華を見る。


 止まる。


「……」


 麗華には分かる。


 初対面。


 数秒。


 目。


 口。


 返事。


 遅れる。


 ――見惚れてる。


「こんばんは」


「……」


「大丈夫です?」


「あ、ああ」


 ディオンが姿勢を正す。


 分かりやすい。


「誰だ、お前」


「隣の席の客です」


「客?」


「はい」


「平民が俺に何の用だ」


 少し声を強くする。


 自分を取り戻そうとしている。


 麗華は笑う。


「そうですね」


 胸元。


 紋章。


 見る。


「その紋章」


「……」


「レイベル家の方ですよね?」


 ディオンの顔。


 変わる。


 自尊心。


「分かるのか」


「ええ」


 麗華。


 微笑む。


「綺麗だから」


「……そうか」


「有名なお家なんですよね?」


「当然だ」


 護衛。


 少し。


 誇らしげ。


 ――そこ。


「やっぱり」


「何がだ」


 麗華は周囲を見る。


「皆さん、結構見てます」


「……」


 ディオン。


 初めて。


 周りを見る。


 商人。


 冒険者。


 店員。


 女性。


 皆。


 ちらちら。


 見ている。


「これだけ有名なお家の方なら」


 麗華。


 声。


 少しだけ落とす。


「明日には」


「?」


「色んな人が知ってそうだなって」


「何を」


「今夜のこと」


 空気。


 少し。


 冷える。


「……お前」


 ディオンの目。


 細く。


「俺を脅してるのか」


 麗華は笑う。


「まさか」


「……」


「逆ですよ」


「何?」


「心配してるんです」


「何を」


「あなたの家名」


 ディオン。


 言葉。


 詰まる。


「だって」


 麗華。


 周囲。


 指す。


「商人」


「……」


「他領から来たらしい人」


「……」


「冒険者」


「……」


「旅人」


「……」


「皆さんお酒入ってるでしょう?」


「それが」


「こういう場所の話って」


 一拍。


「広がるの、早いんですよ」


 麗華。


 知っている。


 歌舞伎町。


 何度も。


 見た。


 酒。


 男。


 地位。


 家庭。


 会社。


 名誉。


 人。


 何を。


 失いたくない。


 分かれば。


 怒鳴る必要。


 ない。


「セリアさんとお店の外で会いたかった」


「……」


「それは」


 麗華。


 少し。


 首。


 傾ける。


「好きなら、仕方ないと思います」


 ディオン。


 少し。


 気分。


 良くする。


「でも」


 麗華。


 セリア。


 見る。


「嫌がってる女の子を」


 ディオン。


 見る。


「無理やり連れていくのって」


 微笑む。


「レイベル家の方には」


 一拍。


「ちょっと似合わないかなって」


「……」


 責めない。


 むしろ。


「あなたはそんな人じゃないでしょう?」


 そう。


 置く。


 人は。


 そう言われると。


 その人物。


 演じたくなる。


「それに」


 麗華は。


 セリアを見る。


「無理に連れていくより」


「……」


「セリアさんの方から」


 ディオンへ。


 微笑む。


「会いたいって思わせた方が」


 一拍。


「男として格好よくないですか?」


「……」


 プライド。


 壊さない。


 使う。


 麗華の目が。


 腕。


 掴んでいる手。


 見る。


 ディオン。


 気づく。


 数秒。


 そして。


 手。


 離す。


「……ふん」


 麗華。


 何も言わない。


「今日は」


 ディオン。


 椅子。


 戻る。


「酒が進みすぎただけだ」


「そうですよね」


 麗華。


 すぐ。


 乗る。


「私もそう思いました」


「……」


「今日は」


 笑う。


「ゆっくり飲んだ方がいいですね」


 逃げ道。


 残す。


「セリア」


「は、はい」


「酒」


「はい」


 それで。


 終わり。


 謝罪。


 求めない。


 土下座。


 させない。


 目的は。


 一つ。


 セリアから。


 手を離す。


 それだけ。


 麗華は戻ろうとする。


「待て」


 ディオン。


「はい?」


「名前」


「私?」


「ああ」


 麗華。


 少し。


 笑う。


「九条麗華」


「クジョウ・レイカ」


「はい」


「覚えておく」


「光栄です」


 軽く。


 頭。


 下げる。


 戻る。


     ◇


 席。


 三人。


 黙っている。


「何?」


 麗華は座る。


「……何した?」


 ガイル。


「話しただけ」


「いや」


 ロッド。


「あれ貴族だぞ」


「知ってる」


「怒らせたら」


「だから」


 麗華はグラスを手に取る。


「怒らせないようにしたでしょう?」


「……」


 ガイルが小さく息を吐いた。


「お前」


「何?」


「本当に」


「?」


「何してたんだ?」


 前の世界で。


 麗華は。


 少し。


 考える。


「お酒飲んで」


 グラスを揺らす。


「人と話す仕事」


「それだけで」


「それだけ」


「……嘘だろ」


「本当」


 ロッドが麗華を見る。


「麗華」


「何?」


「俺」


「うん」


「ますます好きになった」


「そう」


「反応薄くない!?」


「だって」


 麗華は笑う。


「答え、もう言ったでしょう?」


「期待するな」


「正解」


「……」


「でも」


 麗華は少しだけ優しく笑う。


「言ってくれるのは嬉しいよ」


「……」


「ありがとう」


 ロッドの顔。


 また赤くなる。


 ミナが笑う。


「ロッド」


「何だよ」


「今のでまた惚れたでしょ」


「うるさい!」


「さっきルナの時には新しい扉開きそうになってたくせに」


「それはそれ! これはこれ!」


「認めた!」


 ガイルが頭を抱える。


「今日は色々疲れるな……」


 麗華は楽しそうに笑った。


     ◇


「あなた」


 落ち着いた女の声。


 麗華が振り返る。


 紫色のドレス。


 四十代前半。


 大人びた目。


「はい?」


「少し話せる?」


 ガイルが小声で言う。


「店主だ」


「そう」


 麗華は立つ。


「もちろん」


「こっちへ」


 案内されたのは店の奥にある小さな個室だった。


「エルザ」


 女性が座る。


「この店をやってる」


「九条麗華です」


「知ってる」


「あら」


「さっき聞いたから」


「そうでした」


 エルザは麗華をじっと見る。


「あなた」


「はい」


「どこで働いてたの?」


「遠いところ」


「酒場?」


「似たようなところ」


「似たような?」


「女の子がお酒を出して」


「うん」


「お客さんと話すお店」


「それだけ?」


「それだけ」


 エルザの目が細くなる。


「あなた、かなり売れてたでしょう」


 麗華が少しだけ驚いた。


「どうして?」


「分かる」


「何が?」


「二十年ここにいるから」


 エルザは指を折る。


「客を見る目」


「……」


「話へ入るタイミング」


「……」


「引く場所」


「……」


「相手の面子の残し方」


「……」


「それに」


 エルザが笑う。


「ルナ」


「?」


「あの子、結構人気なの」


「そうなんだ」


「男から甘い言葉なんて毎晩聞いてる」


「……」


「なのに」


 エルザは肩をすくめた。


「女のあなたに完全に落とされてた」


「お手本です」


「恐ろしいお手本ね」


「ふふ」


「さっきの貴族も」


「ディオンさん?」


「普通なら怒鳴るか」


「はい」


「貴族だからと怯えるか」


「はい」


「どちらか」


「そうでしょうね」


「あなたは両方しなかった」


「怒らせたかったわけじゃないので」


「目的は?」


「セリアから手を離してもらう」


「それだけ?」


「それだけ」


「……」


 エルザはしばらく麗華を見る。


 そして。


「面白い」


 と笑った。


「ありがとうございます」


「褒めたか分からないわよ」


「褒め言葉として受け取ります」


「そう」


 エルザが少し身体を前へ寄せた。


「うちで働かない?」


「……」


 麗華の目が少し変わる。


「私が?」


「ええ」


「今日、冒険者登録したばかりですよ」


「知ってる」


「何で?」


「冒険者の噂は早いの」


「……嫌な予感」


「Fランクの美人が実技試験で試験官の木剣を十メートル飛ばしたって」


「もう?」


「この街よ」


「怖い」


「で」


 エルザが笑う。


「どう?」


 麗華はすぐには答えなかった。


「一つ」


「何?」


「いくつか聞いていい?」


「もちろん」


 麗華の顔。


 少し。


 仕事。


 前世。


 店。


 選ぶ。


 時。


 店長。


 契約。


 給料。


 ルール。


 全部。


 聞いた。


 自分の人生を。


 誰かへ丸投げ。


 しない。


「お給料は?」


 エルザが一瞬固まる。


 そして笑った。


「一番最初そこ?」


「大事でしょう?」


「嫌いじゃないわ」


「よかった」


「基本給に加えて、客からの指名」


「指名?」


「女を指定して席につける制度」


 麗華の目。


 少し。


 楽しそう。


「あるんだ」


「何?」


「こっちの話」


「それから、酒の売上に応じて一定額が女へ入る」


「高いお酒なら?」


「取り分も増える」


「なるほど」


 麗華。


 整理。


「営業時間は?」


「日没から深夜」


「休み」


「自由」


「冒険者と兼業」


「構わない」


「店外」


 エルザの表情が少し変わる。


「客と?」


「うん」


「禁止はしていないわ」


「……」


「でも」


「?」


「本人が望んだ場合だけ」


「断れる?」


「当然」


「貴族でも?」


「建前上は」


「建前」


 麗華。


 今日。


 思い出す。


「今日みたいなの?」


「……そう」


 エルザの顔が少し苦くなる。


「止めたいわ」


「でも」


「この店を潰されたら」


「女の子たちが食べられない」


「そういうこと」


「なるほど」


 麗華。


 少し。


 考える。


「最後」


「何?」


 麗華の目が真剣になる。


「客と寝るのは?」


 エルザは麗華を見る。


「それは」


「うん」


「うちの仕事じゃない」


「……」


「店の外で本人同士が何をするかまでは縛れない。でも」


「?」


「店が女の子へ身体を売れと言うことはない」


「……」


 麗華は。


 小さく。


 息を吐いた。


「そう」


 少し。


 笑う。


「なら」


「?」


「悪くないですね」


「働く?」


「まだ」


 麗華は笑った。


「考えさせて」


「即答じゃないのね」


「大事なことは、ちゃんと考えるようにしてるので」


「そう」


 エルザも笑う。


「いいわ」


「ありがとう」


「でも」


「?」


「私は」


 エルザ。


 自信。


「あなたが来ると思ってる」


「どうして?」


「二十年」


「?」


「人を見てるから」


 麗華は少しだけ目を細くした。


「じゃあ」


「?」


「外れたら?」


「酒一杯奢る」


「覚えておきます」


     ◇


 店を出た頃。


 ルーヴェルは完全に夜の街へ変わっていた。


「どうだった?」


 ガイル。


「面白かった」


「働くのか?」


 ミナ。


「まだ分からない」


 ロッド。


「冒険者になったばっかりだぞ?」


「両方やればいいでしょう?」


「両方!?」


「昼は」


 麗華は冒険者カードを指先で挟む。


「冒険者」


 そして後ろ。


 月花亭。


 見る。


「夜は」


 少し。


 笑う。


「こっち」


「体力持つ?」


「多分」


 世界最高峰。


 身体。


 持たない。


 理由。


 ほぼない。


「悪くないと思わない?」


 三人。


 麗華を見る。


「何?」


 ロッドが言う。


「麗華」


「うん」


「絶対有名になると思う」


「どうして?」


「何となく」


 麗華は夜空を見る。


「有名になるのは」


「?」


「もう一回やったから」


「どういう意味?」


「今度は」


 少し。


 懐かしそうに。


「のんびりでいいかな」


     ◇


 その頃。


 《月花亭》。


「セリア」


「はい!」


「七番席」


「私?」


「指名」


「……え?」


「あなたを」


 セリア。


 固まる。


「……私?」


「そう」


 店員。


「前に一回来た商人さん」


「でも」


「ほら、行って」


「……はい」


 席へ。


 向かう。


 男。


 以前。


 ついた。


 でも。


 ほとんど。


 喋らなかった。


 仕事。


 疲れ。


 静か。


 なのに。


 セリアは。


 焦った。


 質問。


 質問。


 質問。


 今日。


 麗華。


 言葉。


 思い出す。


『無理に話さなくてもいいよ』


『相手を見ればいい』


 深呼吸。


「こんばんは」


「この前もいた子だね」


「はい」


「名前」


「セリアです」


「そう」


 セリア。


 酒。


 注ぐ。


「お仕事帰りですか?」


「ああ」


「お疲れさまです」


 それだけ。


 黙る。


 男。


 少し。


 驚く。


 静か。


 数分。


「……今日は」


 男から。


 口。


 開く。


「大きな取引があってね」


「そうなんですか」


「三ヶ月かけた」


「三ヶ月」


「でも」


 グラス。


 見る。


「駄目だった」


 セリア。


 何か。


 言わないと。


 励ます?


 楽しく?


 でも。


 思い出す。


 ――この人。


 今。


 何を。


 求めてる?


「……それは」


 セリア。


 静か。


「悔しいですね」


「……」


 男。


 顔。


 上げる。


「ああ」


 そして。


 話す。


 仕事。


 商売。


 部下。


 失敗。


 悔しさ。


 セリア。


 聞く。


 相槌。


 たまに。


 質問。


 でも。


 話。


 奪わない。


 一時間。


 二時間。


 男。


 立つ。


「ありがとう」


「え?」


「少し楽になった」


「……」


「次も」


「?」


「君を指名していいか?」


「……」


 セリアの目。


 大きく。


「はい!」


 声。


 大きい。


「あ」


 男。


 笑う。


「はは」


「す、すみません!」


「いや」


「……」


「そのくらい元気な方がいい」


 帰る。


 セリア。


 その場。


 立つ。


「……」


 初めて。


 客。


 自分。


 選ぶ。


「麗華……」


 名前。


 呟く。


 少し離れた場所。


 ルナ。


 まだ。


 頬。


 少し。


 赤い。


「……麗華さん」


 自分の頬へ。


 手。


 触れる。


「ずるい……」


 二階。


 エルザ。


 その二人。


 見る。


「九条麗華」


 グラス。


 一口。


「面白い女が来たものね」


 異世界へ来て。


 まだ。


 一日。


 九条麗華は。


 剣で誰かを倒したわけでも。


 魔法で何かを壊したわけでもない。


 ただ。


 一人の少女へ。


 少しだけ。


 言葉。


 渡した。


 一人の女へ。


 ほんの少しだけ。


 本気の接客。


 見せた。


 それだけ。


 けれど。


 その夜。


 《月花亭》では。


 一人の少女が初めて客の心を掴み。


 一人の女性が。


 女である麗華へ。


 本気で胸を高鳴らせた。


 剣でも。


 魔法でもない。


 九条麗華が。


 一度。


 歌舞伎町の頂点まで登った。


 本当の武器。


 その片鱗を。


 異世界の夜が。


 初めて。


 知った。


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