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女王転生  作者: のあ


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3/15

第三話 女王、異世界の街へ

 九条麗華の姿が、白い光の向こうへ消えた。


 神はしばらく、その場所を見つめていた。


「…………」


 静寂。


 先ほどまであれほど賑やかだった白い空間が、嘘のように静まり返っている。


 神はゆっくりと目を閉じた。


 そして。


「……とんでもない女を送ってしまった」


 ぽつりと呟いた。


 これまで幾千、幾万という魂を見てきた。


 死を受け入れられず泣き叫ぶ者。


 もう一度だけ生きたいと願う者。


 富を求める者。


 名声を求める者。


 異性に好かれる力を求める者。


 そして。


『世界最強にしてください』


 そう願った転生者も、一人や二人ではない。


 九条麗華も。


 与えられた能力だけを見れば、その部類に入るだろう。


 神が片手を上げる。


 何もなかった空間に、一冊の巨大な本が現れた。


 白い表紙。


 金色の縁。


 世界を渡った魂について記録するための書物。


 ――《転生者記録》。


 神が指先を動かす。


 白紙だった頁に、文字が刻まれていった。


 ――氏名。


 九条麗華。


 ――年齢。


 二十一歳。


 ――死因。


 刺殺。


 ――転生先。


 アルヴェリア。


 そして。


 次の項目で、神の指が止まった。


 ――付与特典。


「……」


 神は改めて数える。


「全属性最高適性」


 一つ。


「超越魔力」


 二つ。


「超越身体」


 三つ。


「武神の才」


 四つ。


「完全制御」


 五つ。


「完全耐性」


 六つ。


「無限収納」


 七つ。


「隠蔽」


 八つ。


 その他にも細かな調整。


 言語理解。


 肉体構成。


 環境適応。


「……一つだったはずなのだが」


 神は遠い目をした。


 なぜこうなったのか。


 途中から。


 自分でもよく分からなかった。


『せっかく魔法を使えるのに魔力がなかったら意味ないですよね?』


『転生初日に死んだら、神様も困るでしょう?』


『力が強いなら、制御できない方が危なくないですか?』


 一つ一つ。


 理屈だけを聞けば。


 間違っていない。


 間違っていないからこそ。


 気づいた時には、とんでもないことになっていた。


「……」


 だが。


 神は、麗華の言葉を思い出す。


『大切なものを守れないのは、もう嫌なんです』


『使うつもりはありません』


『保険ですよ』


 世界を征服したいわけではない。


 誰よりも偉くなりたいわけでもない。


 勇者にも。


 英雄にも。


 王にも。


 興味がない。


 ただ。


 二度目の人生を。


 誰にも奪われず。


 自分の意思で生きたい。


 そのためだけに。


 絶対的な力を欲した。


「ならば……」


 神は筆を取った。


 そして。


 特典欄へ。


 一行。


 こう記した。


 ――《不自由なく生きるための力》。


「……」


 神はそれを見つめる。


「間違ってはいない」


 むしろ。


 麗華の願いを一番正確に表しているのかもしれない。


「世界を壊すだけの力を持ちながら」


 神が小さく笑う。


「本人が一番嫌がるのが世界征服とはな」


 思い出す。


『世界征服って一番忙しい仕事じゃないですか。絶対嫌です』


「……くっ」


 神は思わず笑った。


 転生者記録を閉じる。


「まあ」


 白い空間の向こう。


 新たな世界を見る。


「あの女自身が何かを望まなくとも」


 神の表情が少しだけ変わった。


「周囲が放っておくとは思えんがな」


 美貌。


 言葉。


 観察眼。


 そして。


 圧倒的な力。


「さて」


 神は小さく息を吐いた。


「どうなることやら」


     ◇


「……やっぱり」


 森。


 九条麗華は、数百メートル先へ吹き飛んだ巨大な黒牙熊を眺めながら呟いた。


「力で解決するの、向いてないわ」


「いやいやいやいや!」


 すぐ横から声が飛んできた。


「何ですか?」


「何ですかじゃねぇよ!」


 剣を持った男が叫ぶ。


 二十五歳前後。


 短い茶髪。


 革鎧。


 肩には黒牙熊につけられた大きな傷。


「今の何だ!?」


「《風弾》ですけど」


「風弾で黒牙熊があんな飛び方するか!」


「私もそう思います」


「撃った本人が言うな!」


「困ったわね」


「何でそんな落ち着いてんだよ!」


 麗華は首を傾げる。


「騒いでも戻ってこないでしょう?」


「そういう問題じゃねぇ!」


 その後ろ。


 地面に座り込んでいた金髪の青年が麗華を見ていた。


「……」


 ずっと。


 見ている。


 麗華が視線に気づく。


「何?」


「……いや」


「?」


「すごいなって」


「魔法?」


「それもだけど」


 青年は少し頬を掻いた。


「君」


 麗華が瞬きをする。


「あら」


「え?」


「魔法より先にそっち?」


「いや、その」


 青年が焦る。


「だって、こんな……」


 言いかけて。


 言葉に詰まる。


 麗華はすぐ理解した。


 ――ああ。


 この人。


 そういう感じね。


 昔から。


 何度も見てきた。


 目。


 声。


 距離。


 麗華に興味を持った男が。


 最初に見せる反応。


「ロッド!」


 後ろから女性の声。


「何ぼーっとしてるの!」


「あ、悪い!」


 桃色がかった髪の少女が。


 傷を負った男へ駆け寄る。


「ガイル、座って!」


「大丈夫だ」


「大丈夫じゃない!」


 少女が傷へ手を当てる。


「《ヒール》」


 淡い光。


 傷を包む。


「……っ」


 だが。


 すぐに少女の身体が揺れた。


「ミナ!」


「魔力が……」


 息が荒い。


「ほとんど残ってない」


 麗華は。


 会話を止めた。


 そして。


 男――ガイルの傷を見る。


「それ」


「?」


「かなり深いですよね」


「まあな」


「見ても?」


「え?」


「傷」


「あ、ああ」


 麗華が近づく。


 ガイルは。


 一瞬。


 固まった。


「……」


「どうしました?」


「いや」


 近い。


 麗華の顔。


 真正面。


 ガイルまで。


 僅かに視線が泳ぐ。


 ロッドが。


「な?」


 小声。


「分かるだろ?」


「うるせぇ」


「男二人で何してるんです?」


「何でもない!」


 麗華は気にせず傷を見る。


 三本。


 深く裂かれている。


「このままだと?」


 麗華はミナに聞いた。


「血は止めたい」


「でも魔力が足りない?」


「うん」


「回復魔法って難しい?」


「え?」


「使い方」


 三人が麗華を見る。


「……まさか」


 ガイル。


「はい?」


「お前」


 遠くの黒牙熊を見る。


「さっき魔法使ったよな?」


「使いましたね」


「回復魔法は?」


「使ったことありません」


「……」


「風魔法は?」


「さっきが初めて」


「…………」


 ロッドがゆっくり手を上げた。


「ガイル」


「何だ」


「俺、黒牙熊に殴られて幻覚見てんのかな」


「安心しろ」


「うん」


「俺も同じもの見てる」


「じゃあ二人とも幻覚?」


「違う!」


 麗華が笑う。


「一度見せてもらえます?」


「回復魔法を?」


「はい」


「一度で?」


「多分」


 ミナが不安そう。


「普通、一度見ただけじゃ……」


「大丈夫」


 麗華が笑う。


「失敗しそうならやめます」


 その声。


 表情。


 不思議と。


 ミナは安心してしまった。


「……分かった」


 小さな傷へ。


「《ヒール》」


 光。


 麗華は。


 じっと見る。


 魔力の動き。


 身体から。


 傷へ。


 どう流れ。


 何を修復しているのか。


「なるほど」


「え?」


「分かった」


「もう?」


「多分」


 麗華が手を伸ばす。


「じゃあガイル」


「お、おう」


「ちょっとだけ動かないでね」


「……」


「どうしたの?」


「いや」


 ガイルが目を逸らす。


「何でもない」


「?」


 ロッドが。


 後ろから。


「ガイルもか」


「黙れ」


 麗華は二人を無視した。


 魔力。


 ほんの少し。


 先ほどとは比較にならないほど。


 少なく。


「《ヒール》」


 淡い緑。


 ガイルの肩。


 傷が。


 ゆっくり。


 閉じていく。


「……」


 数秒。


 完全に。


 消えた。


「どう?」


 麗華が聞く。


「……痛くない」


「よかった」


 麗華が安心したように笑う。


「今度は吹き飛ばなかった」


「人に風弾撃つつもりだったのか!?」


「違いますよ」


「比較対象がおかしい!」


「冗談です」


 ミナだけが。


 治った傷を見つめている。


「……骨も」


「?」


「骨の傷まで治ってる」


「そうなの?」


「私でも」


 ミナが顔を上げる。


「こんなに綺麗には……」


「ミナの真似しただけですよ」


「一回見ただけで!?」


「はい」


「……」


 ミナ。


 ガイル。


 ロッド。


 三人が麗華を見る。


「何?」


 三人。


「おかしい」


 声が揃った。


「失礼ね」


     ◇


「それで」


 しばらくして。


 ガイルが遠くの黒牙熊を見る。


「あいつをどうするかだな」


「殺すんですか?」


 麗華が聞いた。


「本来は討伐依頼だからな」


「討伐」


「ああ」


「この辺りに出るのは珍しい?」


 麗華が。


 何気なく聞いた。


「珍しいどころじゃない」


 ガイルが答える。


「普通、黒牙熊はもっと森の奥だ」


「じゃあ」


 麗華が黒牙熊を見ながら。


「わざわざ人の多い街道近くまで来る理由があった?」


 ガイルの表情が変わる。


「……かもしれないな」


「例えば?」


「縄張り争い」


 麗華は黙って聞く。


 ガイルが続ける。


「黒牙熊より強い魔物が奥に入ってきて、追い出されたとか」


「最近」


 麗華が柔らかく続ける。


「森で何か変わった?」


「そういや」


 ガイルが考える。


「ここ数週間、奥から逃げてくる魔物が増えたって話はあったな」


「へぇ」


「今回もその調査の一環だ」


「なるほど」


 麗華は黒牙熊へ近づく。


 腹。


 古い傷。


 背中。


 新しい噛み跡。


「これ」


「傷だな」


「街道でついた傷じゃないですよね?」


「……確かに」


 ガイルがしゃがみ込む。


「かなりでかい魔物だ」


「じゃあ」


 麗華が静かに言う。


「やっぱり追われてきた可能性が高いのね」


「そうだな」


「なら殺さなくても?」


 ガイルは少し考えた。


「街道から離れた場所へ移せるなら」


「分かった」


 麗華が黒牙熊の前へ行く。


「おい」


「?」


「何する気だ」


「運ぶ」


「誰が」


「私」


「……」


 しゃがむ。


 両手。


 黒牙熊の身体へ。


「ちょっ――」


 ふわり。


 巨大な黒牙熊が浮いた。


「……」


「……」


「……」


 麗華が。


 熊を抱えたまま。


「どっち?」


 ロッドが。


 口を開けたまま。


「……綺麗な人って」


「?」


「普通、巨大熊を持ち上げないよな」


「綺麗かどうか関係あります?」


「いや」


 ロッドは麗華を見る。


 そして。


 また。


 少し見惚れる。


「……やっぱすげぇな」


「何が?」


「全部」


「あら」


 麗華は笑った。


「褒めても何も出ませんよ」


「じゃあ飯くらい一緒に?」


 すぐ来た。


 麗華は。


 歩き出しながら。


 さらり。


「四人でなら」


「二人は?」


「なし」


「即答!?」


「期待させたら悪いでしょう?」


 ロッドが固まる。


 麗華は。


 笑顔のまま。


「誘ってくれるのは嬉しいけど」


「……」


「私、そういうつもりはないの」


「あー……」


「だから」


 麗華が少し首を傾ける。


「お友達なら」


「……」


 ロッド。


 数秒。


 そして。


「それ、断られてるのに嬉しいのずるくない?」


「そう?」


「その笑顔やめてくれ」


「どうして?」


「諦めにくくなる」


「あら」


 麗華は少し困ったように笑う。


「じゃあ見ない方がいいですよ」


「無理だろ!」


 ミナが吹き出した。


「ロッド、完全に遊ばれてる」


「遊んでません」


「絶対ちょっと遊んでる!」


「ふふ」


 麗華は。


 これ以上。


 期待させるような言葉を使わなかった。


 優しく。


 でも。


 明確に。


 線を引く。


 前世でも。


 何百回とやってきたことだった。


     ◇


 黒牙熊を森の深い場所へ移したあと。


 四人は街道へ戻った。


「ルーヴェルまで行くんだよな?」


 ガイルが聞く。


「はい」


「俺たちも戻る」


「なら一緒に行ってもいい?」


「もちろん」


 麗華は素直に笑った。


「助かります」


「一人でも余裕そうだけどな」


 ロッドが言う。


「強さと道を知ってるかは別でしょう?」


「……確かに」


「私」


 麗華が少し困った顔。


「こっちのこと、本当に何も知らないから」


 これが。


 一番自然だった。


 知識がない。


 だから。


 相手が教えてくれる。


 麗華は。


 最初から質問を並べるようなことはしなかった。


「ガイルって」


「ん?」


「冒険者長い?」


「七年くらいだな」


「七年」


 麗華が少し感心したような声を出す。


「じゃあ、かなり詳しいんですね」


「まあ、人並みには」


「よかった」


「何が?」


「私」


 麗華が小さく笑う。


「変な人に聞かなくて済みそう」


「変な人って何だよ」


「初心者騙す人とかいるでしょう?」


「……いるな」


 ガイルの顔が少し真面目になる。


「新人に高難度の依頼押し付けたり」


「やっぱり」


「装備を相場より高く売る奴もいる」


「へぇ」


 麗華は。


 そこで止める。


 聞きたい。


 もっと。


 でも。


 すぐには聞かない。


 少し歩く。


 すると。


 ガイルの方から。


「ギルド使うなら」


「?」


「最初は受付に聞いた方がいい」


「どうして?」


「受付は基本的に中立だ。新人向けの依頼も教えてくれる」


「なるほど」


「あと」


 ガイルが続ける。


「冒険者にはランクがある」


 麗華は内心。


 ――来た。


 でも。


 表には出さない。


「ランク?」


「ああ」


 ここから。


 ガイル自身が説明し始める。


 F。


 E。


 D。


 C。


 B。


 A。


 S。


「ガイルたちは?」


「C級」


「七年でC」


 麗華は考えるように言う。


「それって」


 一拍。


「結構すごい?」


「まあ」


 ガイルが少しだけ照れ臭そう。


「平均よりは早い」


「やっぱり」


「何で?」


「さっき」


 麗華が言う。


「黒牙熊の前で逃げずに仲間を守ってたから」


「……」


「経験ある人なんだろうなって」


 ガイルは。


 少し言葉に詰まる。


 褒め方。


 麗華は。


 結果ではなく。


 相手自身が大切にしている部分を褒める。


 ガイルの場合。


 強さより。


 仲間を守ること。


 そこを。


 麗華は見ていた。


「まあ」


 ガイルが少し照れながら。


「そのくらいはな」


「じゃあ」


 麗華は自然に続ける。


「私みたいな初心者が死なないために、一番気をつけるなら?」


「……そうだな」


 ガイルが考える。


 そして。


 自分から。


 詳しく話し始めた。


 自分のランク以上の依頼を受けない。


 一人で森へ入らない。


 知らない魔物を追わない。


 報酬だけで依頼を選ばない。


 依頼人の情報も確認する。


 麗華は。


「うん」


「なるほど」


「それは怖いですね」


 と。


 必要なところだけ相槌を打つ。


 遮らない。


「あと身分証は?」


 麗華は。


 話が一区切りした時。


 初めて聞いた。


「持ってない?」


「なくして」


 麗華は曖昧に答える。


「それならギルドカードが使える」


「ギルドカード?」


「冒険者登録すれば発行される」


「それって国を越えても?」


「大体の国で使えるな」


 麗華の目が。


 僅かに細くなる。


 欲しかった情報。


 自分の身分。


 金を稼ぐ手段。


 国を跨げる。


「便利ね」


「冒険者になる気か?」


「少し」


「登録自体は簡単だぞ」


「お金は?」


「初回は銀貨一枚」


「宿代と比べると?」


「安宿一泊が銅貨七十枚くらい」


 通貨。


 麗華は。


 まだ聞いていない。


 でも。


 ガイルが自分から金額を出した。


 そこで。


「銀貨一枚って」


 麗華が少し申し訳なさそうに聞く。


「銅貨だと?」


「百枚」


「じゃあ」


 指を折る。


「銅貨百枚で銀貨一枚?」


「ああ」


「銀貨百枚で?」


「金貨一枚」


「分かりやすい」


 これで。


 通貨。


 入手。


 麗華は。


 少し笑う。


「ガイル」


「ん?」


「説明上手ですね」


「そうか?」


「うん」


「そんなこと言われたことねぇな」


「勿体ない」


 麗華が言う。


「人に教えるの向いてると思う」


「……そうか?」


「私」


 麗華が笑う。


「すごく助かってる」


 すると。


 ガイルは。


 さらに話す。


 初心者向けの宿。


 武器屋。


 冒険者ギルド。


 治安の悪い地区。


 市場。


 王国。


 貴族。


 ルーヴェルの領主。


 気づけば。


 麗華が知りたかった最低限の情報が。


 ほとんど揃っていた。


     ◇


「……あれ?」


 しばらく歩いた頃。


 ガイルが止まる。


「どうしたの?」


「俺」


「うん」


「めちゃくちゃ喋ってないか?」


 ロッドが笑う。


「やっと気づいたか」


「俺こんな喋る方じゃないぞ」


「そうなの?」


 麗華が不思議そうにする。


「そうだよ」


 ミナが言う。


「ガイルって必要なことしか話さない」


「あら」


 麗華がガイルを見る。


「じゃあ今日はサービス?」


「……お前だよ」


「私?」


「何か」


 ガイルが考える。


「話しやすい」


「それはよかった」


「聞かれてる感じがしないんだよな」


 麗華の目が少し笑う。


 それ。


 歌舞伎町でも。


 よく言われた。


『俺、こんなこと誰にも話したことないんだけど』


『何で麗華ちゃんには喋っちゃうんだろうな』


 そう言いながら。


 男たちは。


 自分から話していた。


 麗華が無理に聞き出したことなどない。


 ただ。


 相手が話したい入口を。


 少し開けるだけ。


「きっと」


 麗華はガイルへ言う。


「ガイルが話したかったんですよ」


「俺が?」


「人に教えるの」


「……」


「嫌いじゃないでしょう?」


「……まあ」


「ほら」


 麗華が笑う。


「やっぱり」


 ロッドが麗華を見る。


「麗華」


「何?」


「君さ」


「うん」


「絶対、普通の女の子じゃないだろ」


 麗華が。


 少しだけ止まる。


「どうして?」


「人の扱い上手すぎる」


「扱ってません」


「俺、さっきから完全に転がされてる気がする」


「ロッドは分かりやすいから」


「やっぱり転がしてるじゃん!」


 ミナが笑う。


 麗華も笑う。


「昔」


 麗華が言う。


「お酒を出す店で働いてたの」


「酒場?」


「似たようなところ」


 ロッドが目を輝かせる。


「じゃあ酒も作れる?」


「一応」


「料理は?」


「簡単なものなら」


「やっぱ結婚――」


「しません」


「まだ言ってない!」


「言おうとしたでしょう?」


「……」


「顔に出てる」


「無理だ!」


 ロッドが頭を抱える。


「この人に隠し事無理だ!」


 麗華は。


 楽しそうに笑った。


     ◇


 森を抜けた。


「……」


 麗華の足が止まる。


 その先。


 巨大な城壁。


 石造り。


 何十メートルもの高さ。


 大門。


 馬車。


 商人。


 兵士。


 冒険者。


 そして。


「……耳」


 麗華が小さく呟く。


 頭の上。


 猫。


 犬。


 狐。


 様々な獣の耳。


「獣人?」


 ミナが聞く。


「珍しい?」


「かなり」


「この辺だと普通だよ」


「へぇ」


 さらに。


 尖った耳。


「エルフ」


 麗華の黒い瞳が。


 ほんの少し。


 輝く。


「本当にいるんだ」


「麗華」


「何?」


「今」


 ミナが笑う。


「ちょっと子供みたい」


「失礼ね」


「だって」


 ミナが楽しそう。


「ずっと余裕そうだったから」


「私だって驚きますよ」


「黒牙熊を一発で吹き飛ばすくせに」


「それ忘れて」


「無理」


 麗華は小さく笑った。


 そして。


 門を潜る。


     ◇


 ルーヴェル。


 初めての異世界の街。


 石畳。


 露店。


 武器。


 果物。


 焼いた肉。


 聞いたことのない楽器。


 魔道具。


 馬車。


 麗華は。


 さりげなく。


 全てを見る。


 価格。


 服装。


 人の流れ。


 店。


 警備。


 兵士。


 標識。


 それと同時に。


 周囲から。


 視線。


 一つ。


 二つ。


 十。


 二十。


 増えていく。


「……」


 麗華は。


 すぐに気づいた。


「またか」


「何が?」


 ロッド。


「視線」


 周囲。


 男。


 女。


 子供。


 皆。


 麗華を見る。


「そりゃ見るだろ」


 ロッドが言う。


「何で?」


「自覚ない?」


「ありますよ」


「あるんだ」


「慣れてるだけ」


 ロッドは。


 麗華の横顔を見る。


「……ほんと綺麗だもんな」


 麗華が見る。


「ロッド」


「はい」


「さっき言ったでしょう?」


「分かってる」


「ならいいです」


「惚れるくらい自由だろ?」


 麗華は。


 少しだけ。


 考える。


 そして。


「そうね」


「!」


「好きになるのは自由」


「じゃあ――」


「でも」


 麗華が微笑む。


「私が応えるかも自由でしょう?」


「……」


「だから」


 少しだけ。


 優しく。


「期待はしないでね」


「……強いなぁ」


「何が?」


「断り方まで」


「傷ついた?」


「ちょっと」


「ごめんなさい」


「でも嫌じゃない」


「ならよかった」


 麗華は。


 それ以上。


 引っ張らない。


 恋愛感情を利用すれば。


 もっと簡単に。


 ロッドから。


 いくらでも情報を取れる。


 でも。


 麗華は。


 それをしなかった。


 前世でも。


 必要以上に。


 人の気持ちを弄ぶことは。


 好きではなかった。


     ◇


「ここだ」


 ガイルが止まる。


 大きな建物。


 剣と盾。


 交差する紋章。


 ――冒険者ギルド。


「本物」


 麗華が呟く。


「何が?」


「独り言」


 扉を開ける。


 中。


 受付。


 掲示板。


 酒場。


 大勢の冒険者。


 ガイルたちを見る者。


 そして。


 すぐに。


 麗華を見る。


「……誰だ?」


「すげぇ美人」


「貴族か?」


 麗華は。


 気にしない。


 受付へ。


 向かおうとした。


 その時。


「姉ちゃん」


 声。


 麗華が止まる。


 大柄な男。


 四十代。


 髭。


 酒杯。


「冒険者になるのか?」


「そのつもりです」


「やめとけ」


 男が言う。


「そんな綺麗な顔」


 麗華を見る。


「傷つくぞ」


 ロッドが前へ出ようとする。


 だが。


 麗華が。


 僅かに手を出す。


 止めた。


「……」


 男を見る。


 服。


 装備。


 剣。


 左腕。


 大きな傷。


 隣。


 空席。


 その前に。


 使われていない酒杯。


 男の目。


 麗華を見る目に。


 侮蔑はない。


 むしろ。


 苦い。


「心配してくれてるんですか?」


「……は?」


「ありがとうございます」


「……」


「でも」


 麗華が少しだけ笑う。


「私」


 一拍。


「死ぬつもりないので」


 男が。


 麗華を見る。


「……そうかよ」


 杯を持つ。


「なら好きにしろ」


「はい」


「無茶はするな」


「ありがとうございます」


 麗華が頭を下げる。


 そのまま。


 受付へ。


 ロッドが追いつく。


「何で分かった?」


「何が?」


「あいつが心配してたって」


 麗華は。


 後ろを見る。


 空席。


 二つの酒杯。


「隣の席」


「?」


「誰も座ってないのに、お酒が二つあった」


「……」


「剣にも」


 麗華が言う。


「二本分の手入れ跡」


「……」


「多分」


 少しだけ。


 声を落とす。


「昔、仲間亡くしたんじゃないかな」


 ロッドが。


 黙る。


「新人か」


 麗華は続ける。


「年下」


「……」


「だから」


 麗華は前を向く。


「同じことになってほしくないだけ」


「……すげぇな」


「何が?」


「君」


 麗華が。


 少し笑った。


「よく見れば分かりますよ」


 ロッドは。


 その横顔を見ながら。


 さらに。


 深く。


 惹かれていった。


     ◇


「冒険者登録ですね」


「はい」


 受付嬢。


 若い女性。


「お名前を」


「九条麗華」


「クジョウ……レイカ」


「九条が姓です」


「珍しいですね」


「よく言われます」


「年齢は?」


「二十一」


「出身地」


 麗華。


 一瞬。


 止まる。


「遠いところです」


「国名は?」


 麗華は。


 すぐ答えない。


「それって」


 受付嬢を見る。


「必ず必要ですか?」


「え?」


「例えば」


 麗華が。


 自然に聞く。


「戦争で故郷がなくなった人とか」


「はい」


「小さな村出身で、正確な領地が分からない人もいるでしょう?」


「ええ」


「そういう人は?」


「あ」


 受付嬢が頷く。


「出身不明として登録できます」


 麗華が微笑む。


「なら」


「出身不明で?」


「お願いします」


 嘘を。


 必要以上に。


 つかない。


 相手に。


 選択肢を。


 自分から提示してもらう。


 それだけ。


「では」


 受付嬢が水晶を出す。


「魔力量の測定です」


「はい」


 麗華は。


 後ろを見る。


 三人。


 何とも言えない顔。


「何?」


 ガイル。


「頼む」


「?」


「壊すな」


「失礼」


「黒牙熊」


「忘れて」


「無理だ」


 麗華は。


 水晶へ手を置く。


 道中。


 既に。


 魔力の相場は。


 ガイルから。


 自然に聞き出している。


 新人。


 三十から百。


 百五十なら優秀。


 二百以上。


 魔法職として期待。


 五百。


 一流。


 なら。


「百五十くらいでいいかな」


「何か?」


「独り言です」


 隠蔽。


 完全制御。


 魔力を。


 ほんの一部だけ。


 水晶。


 光る。


 ――152。


「おお」


 受付嬢が言う。


「かなり高いですね」


「そうなんです?」


「新人としては十分優秀です」


「よかった」


 後ろ。


 ロッド。


 小声。


「絶対嘘」


 麗華が振り返る。


「ロッド」


「はい」


「何か?」


「何もありません」


 即答。


 麗華が笑う。


     ◇


「最後に簡単な実技試験です」


「戦う?」


「模擬戦です」


 麗華。


 少しだけ嫌そう。


「必要?」


「冒険者ですので」


「ですよね」


 訓練場。


 試験官。


 ダルク。


 三十代。


 木剣。


「武器経験は?」


「ありません」


「剣は?」


「初めて」


「本当に?」


「はい」


 木剣を受け取る。


「まず」


 ダルクが構える。


「こうだ」


 麗華が見る。


 足。


 腰。


 肩。


 手。


「……」


 真似する。


 ダルクの顔が変わる。


「経験」


「ないです」


「……そうか」


 模擬戦。


「始め!」


 踏み込み。


 剣。


 麗華。


 避ける。


 再び。


 避ける。


 三度。


 避ける。


「攻撃しろ!」


「え?」


「俺に一撃入れろ!」


「でも」


「何だ!」


「痛そう」


「模擬戦だ!」


「そうですけど」


「いいから打て!」


「分かりました」


 麗華が。


 少し困ったように。


「じゃあ」


 一歩。


「失礼します」


 コン。


 木剣。


 軽く。


 触れただけ。


 試験官の剣が。


 飛ぶ。


 空。


 十メートル先。


 地面へ。


 突き刺さる。


「……」


「……」


「……」


 麗華。


「……あ」


 ガイル。


 顔を覆う。


「抑えろって言ったよな」


「抑えました」


「もっとだ!」


「難しいですね」


 試験官。


 飛んでいった木剣を見る。


 麗華を見る。


「……合格」


「いいんです?」


「いい」


「でも」


「十分だ」


「ありがとうございます」


 ダルクは。


 それ以上。


 何も言わなかった。


     ◇


「こちらを」


 受付嬢。


 一枚のカード。


 麗華が受け取る。


 ――九条麗華。


 二十一歳。


 そして。


 ――Fランク。


「F」


「全員、最初はそこからです」


「いいですね」


「え?」


「下からの方が」


 麗華がカードを見る。


「上がる楽しみがあるでしょう?」


 歌舞伎町でも。


 そうだった。


 最初。


 指名。


 ゼロ。


 名前。


 誰も知らない。


 そこから。


 一つずつ。


 積み上げた。


「Fランク」


 麗華が笑う。


「悪くないわね」


     ◇


 外へ出る。


 夕方。


 街の色が。


 少しずつ。


 変わっていく。


「麗華」


 ガイル。


「このあと宿?」


「そのつもり」


「《渡り鳥亭》まで案内する」


「ありがとう」


 ロッドも。


「俺も行く」


 ミナが笑う。


「ロッド」


「何だよ」


「分かりやすい」


「うるさい」


 麗華は。


 何も言わず。


 楽しそうに笑った。


 四人。


 街を歩く。


 そして。


 一本の通り。


 麗華の足が。


 止まった。


「……」


 赤い灯り。


 黄色。


 紫。


 酒場。


 音楽。


 踊り子。


 華やかな服。


 笑い声。


 客引き。


 賭場。


 男。


 女。


 欲。


 金。


 酒。


 香り。


「そこ」


 ガイルが言う。


「歓楽街だ」


「歓楽街」


 麗華が。


 その言葉を。


 ゆっくり。


 繰り返す。


「酒場?」


「ああ」


「踊り子?」


「いる」


「女の子と飲める店も?」


「あるけど」


 ガイルが首を傾げる。


「興味あるのか?」


「……」


 麗華。


 夜の通りを見る。


 ネオンはない。


 車もない。


 高層ビルもない。


 歌舞伎町とは。


 何もかも。


 違う。


 なのに。


 分かる。


 空気。


 人間が。


 昼間には隠しているものを。


 夜にだけ。


 少しだけ外へ出す場所。


 寂しさ。


 欲。


 見栄。


 夢。


 愚痴。


 誰かに聞いてほしい言葉。


「……へぇ」


 麗華の顔が。


 少しだけ。


 変わった。


 それまで。


 Fランク冒険者だった女が。


 ほんの一瞬。


 別の顔になる。


 ロッドが。


 それを見て。


 思わず。


 息を止めた。


「麗華?」


 ミナが聞く。


「この世界にもあるんだ」


「何が?」


 麗華が。


 静かに。


 微笑んだ。


 かつて。


 たった一年で。


 歌舞伎町の頂点に立った女。


 何千人もの男を見て。


 声を聞き。


 欲を読み。


 誰にも身体を許さず。


 それでも。


 また会いたいと思わせ続けた女。


「私の」


 一拍。


「得意分野」


 ロッドは。


 まだ知らない。


 ガイルも。


 ミナも。


 この世界の誰も。


 まだ知らない。


 今。


 目の前で笑った女が。


 剣でも。


 魔法でもなく。


 人の心と言葉だけで。


 一度。


 夜の街の頂点まで登ったことを。


 そして。


 この夜。


 九条麗華が。


 異世界で。


 自分が最もよく知る世界を。


 初めて見つけた。


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