第十二話 女王、初めて人を頼る
ルシアンが自分の知らないところで冒険者の依頼へ干渉している。
そう疑い始めてから三日。
麗華は、まだ本人を問い詰めていなかった。
南街道の護衛依頼。
北街道。
討伐依頼。
自分がルシアンにだけ話した翌朝、受注条件が変わった依頼。
三度重なれば、偶然で片づけるには少し苦しい。
それでも麗華は、疑いだけで相手を責めるのが嫌いだった。
自分が人を見るのが得意だからといって、必ず正しいわけではない。
だからこそ確かめる。
それが、歌舞伎町にいた頃から変わらない麗華のやり方だった。
◇
「九条さん、今日は珍しいですね」
朝の冒険者ギルド。
受付嬢が少し驚いたように麗華を見る。
「何が?」
「三日連続で依頼板だけ見て帰ってるので」
「怪しい?」
「かなり」
「失礼ね」
麗華は笑いながら依頼板の前へ立った。
以前なら、面白そうな依頼があればすぐにでも手を伸ばしていた。
しかし今日は違う。
探しているのは、自分が受けたいものではない。
「これってどう?」
麗華が指差したのは、東部の森に現れた魔獣を追い払う討伐補助だった。
「こちらですか? Dランク以上推奨ですが、上位冒険者と同行ならFでも参加できますよ」
「危険?」
「そこまでではないですね。相手は群れからはぐれた灰角鹿で、討伐より森の奥へ追い返すのが目的です」
「へぇ」
麗華は依頼書を眺める。
「今日登録しないんですか?」
「まだ」
「またです?」
「うん」
「何をしてるんですか、本当に」
「実験」
「怖い言い方しないでください」
麗華は笑ってギルドを出た。
その日の夜。
「今日は何してた?」
ルシアンが聞く。
いつもの《月花亭》。
いつもの席。
いつもの果実酒。
麗華はグラスへ酒を注ぎながら、何気なく答えた。
「明後日、東の森に行こうかなって」
「依頼か?」
「うん。灰角鹿を追い返すやつ」
「危険は?」
「そんなに」
「ならいい」
ルシアンはそれ以上何も言わなかった。
麗華も話題を変える。
「そういえば職人さんの名前入れる案、どうなりました?」
「父が試験的に許可した」
「早い」
「前回数字が出たからな。最近は俺の話を少し聞くようになった」
「よかったじゃないですか」
「ああ」
ルシアンが小さく笑う。
その顔。
以前と比べれば本当に穏やかだった。
だからこそ。
麗華は少しだけ残念に思う。
もし。
本当に。
裏で。
余計なことをしているのなら。
◇
翌朝。
「九条さん」
「うん」
受付嬢の顔を見ただけで分かった。
「また?」
「……はい」
「何が変わったの?」
「灰角鹿の依頼ですが、依頼主側から参加条件がCランク以上へ変更されました」
「理由は?」
「昨夜、別の魔獣の痕跡が見つかったため、安全を優先すると」
「別の魔獣?」
「まだ種類は分からないそうです」
「そっか」
麗華は依頼書を見る。
昨日。
確かにFでも参加できた。
「いつ連絡来た?」
「閉館間際です」
「夜?」
「はい」
麗華は軽く頷いた。
「ありがとう」
「九条さん」
「ん?」
「何かあるんですか?」
「まだ分からない」
「……」
「分かったら教える」
麗華は笑ってギルドを出た。
四つ目。
自分がルシアンに話した依頼。
翌日、条件変更。
「……」
石畳を歩きながら、麗華は少し考える。
それでも。
これだけでは。
ルシアン本人が直接指示しているとまでは言えない。
アルヴェール商会の人間。
部下。
父親。
偶然、彼の周囲が勝手にやっている可能性も、理屈の上ではある。
麗華はそこで一度足を止めた。
「じゃあ」
小さく呟く。
「もう一個だけ」
◇
「麗華さん」
午後。
《月花亭》の裏口。
ルナが麗華を見つける。
「今日、早いですね」
「ちょっとエルザに話があって」
「何かありました?」
「まだ何も」
麗華はそう答えながら、ルナを見る。
今日も青い髪留め。
「……」
「何です?」
「いや」
「?」
「最近それ毎日つけてるなって」
「気に入ってますから」
「私が褒めたからじゃなく?」
「違います」
「即答」
「元から好きです!」
「そっか」
麗華は笑う。
ルナは少し頬を赤くする。
「……でも」
「ん?」
「麗華さんが似合うって言ってくれたのは、嬉しかったです」
「じゃあ半分は私?」
「……少しだけ」
「ふふ」
「また笑う」
「可愛いから」
「もう」
そんなやり取りをしながら店内へ入る。
エルザは帳簿を整理していた。
「エルザ」
「何?」
「ちょっとお願い」
「珍しいわね」
「何が?」
「あなたが人にお願いするの」
麗華は少しだけ止まった。
「そんなに?」
「大体自分でやるでしょう?」
「……まあ」
「で、何?」
麗華は声を少し落とす。
「今日、もしルシアン様が来たら」
「ええ」
「私が帰った後、誰かと話すか見ててほしい」
「……」
エルザの目が変わる。
「何かされた?」
「まだ確認中」
「麗華」
「大丈夫」
麗華はすぐ笑う。
「ただ、勝手に決めつけたくないから」
「……分かった」
「ありがとう」
その日の麗華は、いつもより少し早く店を上がった。
もちろん。
本当に帰ったわけではない。
裏手。
店の二階。
倉庫として使われている小部屋。
気配を隠しながら窓から外を見る。
「……」
自分で思って。
少し嫌になる。
「何してるんだろ、私」
前世。
歌舞伎町。
客。
ストーカー。
危ない相手。
同じようなことを何度も経験した。
その時は。
証拠。
録音。
店。
黒服。
警察。
使えるものを全部使った。
でも。
今。
異世界。
魔法。
最強。
その気になれば、誰かに尾行されても全員撒けるし。
襲われても。
何百人いようが。
問題ない。
だからこそ。
麗華は少し迷っていた。
自分だけなら。
何も怖くない。
でも。
今回は。
自分だけの話で終わらない気がする。
◇
一時間後。
ルシアンが店を出た。
いつも通り。
一人。
麗華は二階からその姿を追う。
馬車。
数分。
その直後。
路地の奥から男が一人現れた。
服装。
派手ではない。
ただ。
靴。
仕立て。
腰の剣。
普通の冒険者ではない。
男は店から少し離れたところでルシアンの馬車に近づき、短く何かを話した。
そして。
紙。
渡す。
「……」
麗華の目が細くなる。
距離がある。
内容までは聞こえない。
だが。
ルシアンが紙を受け取ったあと。
視線。
《月花亭》。
向く。
ほんの一瞬。
麗華。
見ている。
馬車は去った。
「なるほど」
小さく。
麗華。
呟く。
下へ降りる。
「エルザ」
「見た?」
「うん」
「誰だったの?」
「多分、ルシアン様の人」
「多分?」
「確認する」
エルザは麗華の顔を見た。
「怒ってる?」
「まだ」
「まだ、ね」
「うん」
◇
翌日。
麗華は敢えて何もしなかった。
依頼も。
ルシアンへの探りも。
普通に《月花亭》へ出勤。
そして。
閉店間際。
「麗華」
「はい?」
ルシアンがグラスを置く。
「明日は冒険者の仕事か?」
「どうして?」
「少し気になっただけだ」
「特に予定ないですよ」
「そうか」
「ルシアン様は?」
「商会だ」
「忙しいですね」
「最近はな」
何でもない会話。
麗華も笑う。
そして。
「ルシアン様」
「何だ?」
「一個、聞いてもいい?」
「もちろん」
「私の冒険者の依頼に、何かしてます?」
ルシアンの目が。
止まった。
一瞬。
本当に一瞬だけ。
「……何の話だ」
「最近、私が受けようとした依頼ばっかり条件変わるんですよ」
「偶然だろう」
「そう?」
「ああ」
「私があなたに話した翌日に?」
「……」
麗華は責めるような口調ではない。
むしろ。
いつもの接客。
穏やかな声。
「四回」
「何がだ」
「あなたに話した依頼が、次の日に条件変わった回数」
「……」
「四回って偶然かな」
「あり得なくはない」
「うん」
麗華は頷く。
「だから聞いてるの」
「俺がやった証拠でもあるのか?」
「ないですよ」
「なら」
「だから聞いてるんです」
ルシアン。
黙る。
麗華はグラスへ酒を注ぐ。
「ルシアン様」
「……」
「私、嘘つかれる方が嫌です」
指。
ルシアン。
少し。
動く。
「……俺は」
長い。
沈黙。
「危険を減らしただけだ」
麗華の手。
止まる。
「やっぱり」
「麗華」
「はい」
「聞いてくれ」
「聞いてます」
「俺はお前に冒険者をやめろとは言っていない」
「うん」
「安全な依頼なら受けられるようにしている」
「……」
「何が問題なんだ?」
麗華。
一度。
目を閉じる。
息。
吐く。
まだ。
怒らない。
「私、お願いしました?」
「何を」
「危険な依頼受けられないようにしてって」
「それは」
「お願いした?」
「……していない」
「ですよね」
「だが」
「ルシアン様」
麗華が静かに遮る。
「私が受ける依頼を決めるのは誰です?」
「お前だ」
「うん」
「だが危険を理解していないなら――」
「理解してます」
「なら何故わざわざ危険なものを選ぶ」
「やりたいから」
「その答えが俺には理解できない」
「理解できなくてもいいんですよ」
麗華は少しだけ眉を下げた。
「理解できないからって、代わりに決めないでください」
「死んだらどうする」
「死にません」
「そんな保証がどこにある」
「……」
ある。
この世界では。
普通の冒険者が遭遇する程度の危険なら。
ほぼ。
死なない。
でも。
それを説明するわけにはいかない。
「少なくとも」
麗華は続ける。
「あなたよりは、自分の実力知ってます」
「俺は心配しているだけだ」
「うん」
「それの何が悪い」
「心配することじゃないです」
「なら」
「勝手に私の仕事を変えること」
ルシアン。
止まる。
「心配なら言ってください」
「……」
「『危ないから行かないでほしい』って」
「それでお前はやめるのか?」
「多分やめない」
「なら意味がない」
「意味ありますよ」
「何が」
「私はあなたの気持ちを聞ける」
麗華。
まっすぐ。
見る。
「それで、最後に決めるのは私」
「……」
「それじゃ駄目?」
ルシアン。
答えない。
「ルシアン様」
「……」
「この前、ちゃんと変わったと思ったんですよ」
少しだけ。
本音。
「嬉しかった」
「……」
「普通に話せるようになって」
「俺だって」
「でも」
麗華の目。
少し。
寂しい。
「表でやめろって言うのをやめて、裏でやめさせるようになっただけなら」
「……」
「前より悪いですよ」
言葉。
刺さる。
ルシアンの顔。
硬くなる。
「俺は悪意でやったわけではない」
「知ってます」
「なら」
「悪意がなければ何してもいいわけじゃないでしょう?」
「……」
「一番怖いんですよ」
麗華は少しだけ笑う。
「『あなたのため』って言いながら、本人に聞かない人」
ルシアン。
視線。
落とす。
「……分かった」
「本当に?」
「もう依頼には手を出さない」
麗華はしばらく見つめる。
声。
呼吸。
目。
今のところ。
嘘ではない。
「分かりました」
「信じるのか」
「一回は」
「……」
「次はないですよ」
麗華は笑う。
ただ。
その笑顔。
以前より。
少しだけ。
距離。
あった。
◇
ルシアンは言葉通り、その後数日間、麗華の冒険者依頼へ干渉しなかった。
討伐。
護衛。
採取。
普通に受けられる。
麗華も。
「ちゃんとやめたんだ」
と少し安心した。
でも。
別のところで。
変化。
始まる。
◇
「エルザ」
「何?」
夕方。
《月花亭》。
エルザが一通の手紙を握っていた。
「酒の納入先から?」
「ええ」
「何て?」
「来月から値段を上げるって」
「どれくらい?」
「三割」
「高いね」
「それだけじゃないの」
別の紙。
「こっちの果実酒の商会は、一部商品の納品自体を止めたいって」
「急に?」
「急に」
麗華。
見る。
「理由は?」
「他の大口取引先を優先するから、だって」
「大口」
「ええ」
アリアが近づく。
「うち、そんな小さい店じゃないでしょう?」
「夜の店としてはね。でも商会全体から見れば小口よ」
麗華は何も言わない。
「どこの商会?」
名前。
聞く。
一つ。
二つ。
知らない。
ただ。
「……アルヴェール商会と関係ある?」
エルザが顔を上げる。
「どうして?」
「ちょっと気になって」
「調べる?」
「お願い」
◇
翌日。
「麗華」
エルザ。
顔。
険しい。
「二つとも、アルヴェール商会と直接取引してる」
「……」
「片方は布。片方は輸送」
「なるほど」
麗華は小さく息を吐く。
「また?」
アリアが聞く。
「多分」
「ルシアン様?」
ルナ。
すぐ。
反応。
麗華はルナを見る。
「まだ分からない」
「でも」
「大丈夫」
「……」
「怖くないよ」
それは本当だった。
ルシアン。
伯爵家。
何をしても。
物理的には怖くない。
でも。
「面倒」
麗華が呟く。
アリア。
「その顔で言うと怖いのよ」
「どんな顔?」
「笑ってるのに目が笑ってない」
「……そんな顔してる?」
「してる」
麗華は自分の頬へ手を当てた。
「やだな」
「で、どうするの?」
エルザ。
聞く。
麗華は少し考える。
「すぐ別の取引先探す」
「ルシアン様には?」
「まだ言わない」
「何で?」
「もし本当に彼なら」
麗華。
静か。
「私が困るの待ってる気がするから」
◇
三日後。
新しい酒の仕入れ先。
見つかった。
少し遠い。
値段。
以前より一割高い。
でも。
問題ない。
「これなら営業続けられる」
エルザ。
安堵。
「良かった」
麗華。
「あなたのお客さんに聞いてくれたおかげよ」
「私だけじゃないよ」
「でも商人の常連三人に聞いたでしょう?」
「相談しただけ」
「それを人脈って言うの」
「……」
麗華。
少し。
考える。
「人脈」
「そう」
前世。
歌舞伎町。
自分も。
人脈。
使った。
社長。
弁護士。
店。
警察。
借金取り。
でも。
あの時。
麗華にとって人脈は。
守るために作った。
道具。
だった。
この世界。
違う。
バルガス。
ガイル。
アリア。
ルナ。
エルザ。
ただ。
話して。
笑って。
助けて。
助けられて。
気づけば。
周りに人がいた。
「……」
「麗華?」
「何でもない」
麗華。
少し。
笑う。
◇
その夜。
ルシアン。
来た。
「最近、店が少し大変らしいな」
麗華の目。
止まる。
「何の話?」
「酒だ」
「……詳しいですね」
「商会をやっていれば情報は入る」
「そう」
「困っているなら」
「大丈夫ですよ」
「俺ならすぐ元に戻せる」
麗華。
笑う。
「やっぱり」
「何が」
「あなたなんですね」
「……」
「酒」
「俺が直接止めさせたわけではない」
「じゃあ何したの?」
「少し話をしただけだ」
「誰に?」
「商会だ」
「何て?」
「今後アルヴェール家との取引を拡大する可能性がある、と」
「それだけ?」
「……」
「その代わりに月花亭との取引減らしてほしいって?」
「明言はしていない」
麗華。
少し。
笑う。
「ずるいですね」
「麗華」
「自分は命令してない」
「……」
「相手が勝手に忖度しただけ」
「そういうことでは」
「同じですよ」
麗華の声。
まだ。
冷静。
「何がしたいの?」
「お前に苦労してほしくない」
「じゃあどうして店困らせるの?」
「お前がここにいるからだ」
空気。
僅かに。
変わる。
「私が?」
「ああ」
「私がいなくなったら?」
「元に戻る」
「……」
麗華。
目。
細くなる。
「それって」
ゆっくり。
「脅し?」
「違う」
「何が違うの?」
「お前を迎えたいだけだ」
「どこに?」
「俺の側へ」
「だから行かないって言ってるでしょう?」
「何故そこまでこの店に拘る」
「好きだから」
「ならもっと良い店を用意する」
「そうじゃない」
「何が違う」
「全部」
麗華の声。
少しだけ。
低くなる。
「エルザがいて」
「……」
「アリアがいて」
「……」
「セリアがいて」
「……」
「ルナがいる」
ルシアン。
ルナ。
名前。
少し。
反応。
麗華。
気づく。
「私、この店が好きなんです」
「同じ環境を作ればいい」
「作れない」
「なぜ」
「人が違うから」
即答。
「店って建物じゃないでしょう?」
「……」
「私が好きなのは」
一拍。
「ここにいる人たちです」
ルシアン。
黙る。
「ルシアン様」
「……」
「これ以上」
麗華。
笑顔。
消えない。
でも。
目。
冷たい。
「私の周りに手を出さないでください」
「手を出してなど」
「出してます」
「……」
「私の仕事」
一つ。
「店」
二つ。
「次は何?」
ルシアン。
答えない。
麗華は少しだけ身を乗り出す。
「友達?」
「……」
「ルナ?」
その名前。
出した瞬間。
ルシアン。
僅かに。
目。
動く。
麗華。
止まる。
「……ルシアン様」
「何だ」
「ルナのこと調べました?」
「……」
「答えて」
「お前と親しい人間は、一通り」
麗華。
数秒。
何も。
言わない。
「何を?」
「名前と」
「うん」
「家族」
「……」
「出身」
「……」
「お前との関係」
「……」
麗華。
笑う。
笑った。
けれど。
アリア。
遠くから。
その顔を見て。
背筋。
冷える。
「それ」
麗華。
静か。
「誰が頼みました?」
「麗華」
「私?」
「……」
「ルナ?」
「……」
「誰も頼んでないですよね」
「俺はただ」
「知ろうとした」
「……そうだ」
「私を?」
「ああ」
麗華。
小さく。
息。
吐く。
「前に言いましたよね」
「何を」
「私のこと見てないって」
「だから」
「だから勝手に調べた?」
ルシアン。
黙る。
「違うよ」
麗華。
初めて。
敬語。
少し。
消える。
すぐ戻す。
「違いますよ、ルシアン様」
「何が」
「人を知るって」
麗華。
ルシアン。
目を見る。
「その人が自分から話してくれるのを待つことも含むんです」
「……」
「話してくれないなら」
「……」
「話したくないことなのかもしれない」
「……」
「私、接客で何百人も相手にしてきましたけど」
ルシアン。
聞く。
「相手が隠してること、気づくことだってありました」
「……」
「でも」
麗華。
静か。
「だからって全部暴いていいわけじゃない」
目。
冷たい。
「人には、隠しておきたいこともあります」
「お前のことを守るために必要だった」
「またそれ?」
ほんの少し。
声。
刺さる。
「あなたのため」
麗華。
苦笑。
「便利ですね、その言葉」
「……」
「何しても正しい気になれる」
ルシアン。
顔。
固まる。
「今日は帰ってください」
「麗華」
「帰って」
声。
低くない。
怒鳴らない。
でも。
今まで。
一番。
拒絶。
強い。
「……分かった」
ルシアン。
立つ。
「また来る」
「今は来ないで」
「いつまで」
「私がいいって言うまで」
「……」
「それくらい」
麗華。
見る。
「待てますよね?」
ルシアン。
何も言わず。
店を出た。
◇
「麗華さん」
扉。
閉まる。
ルナ。
すぐ近づく。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫」
「でも」
「私より」
麗華。
ルナを見る。
「ごめん」
「え?」
「勝手に調べられてた」
「麗華さんが謝ることじゃ」
「私が原因だから」
「違います」
ルナ。
珍しく。
強い声。
「麗華さんが悪いわけじゃないです」
「……」
「私」
ルナ。
少し。
迷う。
「嫌です」
「何が?」
「麗華さんが、そうやって自分のせいにするの」
「……」
「ルシアン様が勝手にしたんでしょう?」
「うん」
「なら」
ルナ。
麗華の手。
軽く。
握る。
「麗華さんが謝らないでください」
麗華。
少し。
驚く。
「……ルナ」
「はい」
「格好いいね」
「今それですか?」
「うん」
「本当に……」
ルナ。
少し笑う。
「でも」
麗華。
握られた手。
見る。
「ありがとう」
ルナ。
少し。
赤い。
「……はい」
◇
三日。
ルシアンは来なかった。
その間。
店。
仕入れ。
少しずつ。
回復。
麗華も。
普通に冒険者。
依頼。
受ける。
そんなある日。
《月花亭》へ。
一通。
豪華な封筒。
届く。
「麗華」
「何?」
エルザ。
渡す。
「あなた宛て」
「私?」
封蝋。
紋章。
アルヴェール家。
「……」
麗華。
開ける。
中。
厚い紙。
『アルテリア王国西部有力者親交晩餐会』
高位貴族。
有力商人。
ギルド上層。
役人。
集まる。
大規模な社交会。
「何これ」
アリア。
覗く。
「……随分大きい会ね」
「知ってる?」
「聞いたことあるわ。年に一度くらい、上の人間が集まるって」
「行きたくない」
「即答」
「絶対面倒でしょう」
封筒。
もう一枚。
ルシアン。
手紙。
『先日の件については謝罪する。もう無理に何かをするつもりはない。ただ、この会だけは来てほしい。お前の知識と商会への助言を、父や他の者にも正式に紹介したい』
麗華。
読む。
「……」
何か。
違和感。
「どうしたの?」
エルザ。
「何か変」
「何が?」
「分からない」
招待状。
見る。
名前。
『九条麗華』
だけ。
普通。
ただ。
席次。
添付。
アルヴェール伯爵家。
近い。
かなり。
近い。
「何で私ここ?」
「相談役だからじゃない?」
セリア。
「いや」
アリア。
覗く。
「これ、家族席に近すぎない?」
「家族?」
「ほぼ親族と重要客の位置よ」
麗華。
目。
細くなる。
「……」
そこへ。
店の扉。
開く。
「エドガー様?」
珍しい。
昼。
営業前。
エドガー。
入る。
「麗華いるか?」
「ここ」
麗華。
手。
上げる。
「ちょうどよかった」
エドガーの顔。
少し。
真剣。
「招待状、来たか?」
「今」
「行くのか?」
「まだ決めてない」
「なら」
一度。
周囲。
見る。
「少し話せるか?」
◇
店奥。
四人。
麗華。
エルザ。
アリア。
エドガー。
「最近、ルシアンが妙なことを言ってる」
「妙?」
「正式には何も発表していない」
「うん」
「だが一部の貴族へ」
エドガー。
顔。
険しい。
「『近いうちに伴侶を紹介する』と」
麗華。
止まる。
「……伴侶?」
「ああ」
エルザ。
「まさか」
アリア。
麗華。
見る。
麗華。
招待状。
見る。
「私?」
「可能性は高い」
「婚約した覚えないけど」
「知ってる」
「本人にも何回も断った」
「それも知ってる」
「じゃあ」
「多分」
エドガー。
ゆっくり。
「大勢の前で発表するつもりだ」
麗華。
沈黙。
「……」
「貴族社会では」
エドガー。
続ける。
「大勢の前で、家同士の祝いとして発表された婚約を、その場で女側が否定するのはかなり難しい」
「何で?」
「相手の家へ恥をかかせるからだ」
「……」
「もちろん正式な契約がなければ法的には婚約じゃない。ただ」
「周りにそう思わせる」
「ああ」
「あとから否定しても」
「『喧嘩した』『女が心変わりした』『既に話は進んでいた』と言える」
「……」
麗華。
招待状。
指。
叩く。
一度。
二度。
「それで」
声。
静か。
「私が人前でルシアン様を恥かかせるようなことしないと思ってる?」
「恐らく」
エドガー。
苦い顔。
「お前は、相手の逃げ道を残すからな」
「……」
麗華。
笑う。
「よく見てるね」
「ルシアンよりはな」
アリア。
少し笑いそうになる。
でも。
空気。
重い。
「行かないって選択は?」
エルザ。
「ある」
麗華。
「でも」
「?」
「行かなかったら」
麗華。
招待状。
見る。
「多分、勝手に話される」
エドガー。
「俺もそう思う」
「『本人は体調が悪くて』とか」
「ああ」
「それで後から既成事実」
「可能性はある」
「……面倒」
麗華。
天井。
見る。
「本当に面倒」
◇
その日の営業。
少し。
空気。
違う。
麗華。
普通に接客。
でも。
頭。
ずっと。
考える。
ルシアン。
何を考えている。
招待状。
家族席。
伴侶。
大勢。
逃げ道。
その時。
「麗華」
「はい?」
バルガス。
いつもの席。
「酒が空だ」
「あ、ごめんなさい」
「珍しいな」
「何が?」
「お前が客のグラス見落とすの」
麗華。
止まる。
「……本当だ」
「何かあったか?」
「ちょっと」
「話したくないなら聞かん」
バルガス。
それ以上。
何も。
聞かない。
麗華。
酒。
注ぐ。
その姿。
見る。
ふと。
思う。
この人。
最初。
娘。
悩み。
相談。
今。
月花亭。
常連。
だけど。
よく考えれば。
大きい商会の会頭。
「バルガスさん」
「何だ」
「一個聞いていい?」
「珍しいな。今日は質問が多い」
「バルガス商会って」
「ああ」
「どれくらい大きいの?」
バルガス。
止まる。
「……お前」
「何?」
「知らなかったのか?」
「何を?」
隣。
エルザ。
遠く。
アリア。
同時。
見る。
「……」
「何?」
バルガス。
額。
押さえる。
「俺は王国三大商会の一つ、《バルガス商会》の会頭だ」
「三大?」
「……」
アリア。
「麗華」
「何?」
「本当に知らなかったの?」
「うん」
「嘘でしょう?」
「何で?」
エルザ。
笑う。
「逆にどうして知らずに接客できたのよ」
「だって聞いてないし」
バルガス。
「お前、俺の相談には偉そうに乗っていたな」
「偉そう?」
「『娘さんとちゃんと話したら?』とな」
「……」
麗華。
少し。
考える。
「だって必要だったでしょう?」
「そういうところだ」
「何が?」
バルガス。
大きく。
笑う。
「まさか俺の肩書き知らずに、あれだけ好き勝手言ってたとはな」
「知ってても言うけど」
「だろうな」
麗華。
少し笑う。
でも。
次。
真剣。
「三大商会って」
「何だ」
「貴族より強い?」
店。
近くにいた何人か。
少し。
静か。
バルガス。
目。
細くなる。
「何があった」
「先に答えて」
「相手による」
「伯爵家」
「家にもよるが」
バルガス。
酒。
一口。
「金と物流の話なら、並の伯爵家より俺の方が強い」
「……」
「王国内の食料、布、鉱石、輸送、融資。全部に手を出している。敵に回したい貴族は少ない」
「そっか」
「だから何があった」
麗華。
少し。
黙る。
いつもなら。
自分で。
考える。
自分で。
片づける。
その方が。
早い。
人に頼る。
苦手。
前世。
祖母。
借金。
自分がやる。
自分が稼ぐ。
自分が守る。
『麗華ちゃんまで無理しなくていいのよ』
『大丈夫』
ずっと。
そう。
だった。
でも。
この世界。
『友達なんだから当たり前でしょう?』
アリア。
『麗華さんが謝らないでください』
ルナ。
エルザ。
ガイル。
ミナ。
ロッド。
そして。
目の前。
バルガス。
麗華。
ゆっくり。
口。
開く。
「バルガスさん」
「何だ」
「お願いがあります」
バルガス。
目。
僅かに。
見開く。
「……お前が?」
「そんな驚く?」
「驚く」
「失礼」
「人の相談には何でも口を出すくせに、自分のことはほとんど話さんだろ」
「……」
「何だ」
声。
真剣。
「話せ」
麗華。
少し。
笑う。
「力を貸してください」
◇
営業後。
《月花亭》。
奥の席。
バルガス。
麗華。
エルザ。
念のため。
二人。
事情。
全部。
話す。
ルシアン。
依頼。
監視。
店。
仕入れ。
ルナ。
そして。
招待状。
伴侶。
婚約。
バルガス。
一度も遮らない。
最後まで。
聞く。
「……」
「以上」
「お前」
「はい」
「随分我慢したな」
「そう?」
「俺ならもっと早く殴っている」
「私は殴らないので」
「知ってる」
バルガス。
深く。
息。
吐く。
「アルヴェールの坊主か」
「知ってる?」
「当然だ」
「やっぱり」
「アルヴェール織商会は大きい。だが」
バルガス。
少し。
目。
冷たい。
「俺のところから見れば取引先の一つだ」
麗華。
止まる。
「……そんな差あるの?」
「ある」
「知らなかった」
「お前は何を知っているんだ」
「人柄?」
「肩書きを知れ」
「必要になったら」
「今必要になっただろ」
「うん」
バルガス。
少し。
呆れる。
でも。
笑う。
「で」
「?」
「俺に何をしてほしい」
麗華。
招待状。
テーブル。
置く。
「パーティーに連れていってください」
「俺の同伴で?」
「ううん」
「?」
「ルシアン様の招待客じゃなくて」
麗華。
バルガス。
見る。
「私自身の立場で参加したい」
バルガス。
数秒。
黙る。
そして。
口元。
上がる。
「なるほど」
「できる?」
「できる」
「本当?」
「むしろ遅い」
「何が?」
「お前に肩書きを渡す話だ」
麗華。
眉。
寄る。
「嫌な予感」
「《バルガス商会・会頭直属特別顧問》」
「長い」
「第一声がそれか」
「偉そう」
「実際偉い」
「嫌なんですけど」
「今回必要なんだろ」
「……」
麗華。
少し。
考える。
「何するの?」
「今までと同じだ」
「同じ?」
「俺が困った時に話を聞く」
「それだけ?」
「時々、商会の数字を見る」
「……仕事増えた」
「給料は出す」
「いくら?」
金額。
聞く。
麗華。
目。
少し。
上がる。
「高い」
「お前なら安いくらいだ」
「怖」
「嫌なら断れ」
麗華。
少し。
考える。
「……受けます」
「決まりだ」
バルガス。
手。
差し出す。
麗華。
見る。
一瞬。
そして。
握る。
「お願いします」
「任せろ」
その一言。
麗華。
少し。
胸。
軽くなる。
人に。
任せる。
こんなに。
変な感じ。
「何だその顔」
「いや」
「?」
「人に頼るの、慣れてなくて」
「見れば分かる」
「そんなに?」
「酷い」
「……」
麗華。
苦笑。
「でも」
少し。
真面目。
「助かります」
バルガス。
麗華を見る。
「前に娘のことで助けてもらった」
「私は話しただけ」
「俺が娘と話せたのは、お前が背中を押したからだ」
「……」
「今度は俺の番だ」
麗華。
少し。
黙る。
「……ありがとう」
◇
帰り。
《月花亭》。
ルナ。
入口。
待っていた。
「まだいたの?」
「麗華さん待ってました」
「どうして」
「気になったので」
「……」
麗華。
笑う。
「大丈夫」
「本当です?」
「うん」
「何話したんですか?」
「パーティー行くことにした」
「ルシアン様の?」
「違う」
「?」
「バルガスさんと」
ルナ。
目。
丸い。
「バルガス会頭?」
「やっぱり知ってる?」
「当たり前じゃないですか!」
「……私だけ?」
「多分」
「恥ずかしい」
ルナ。
少し笑う。
「でも」
「?」
「麗華さんが誰かに頼るの、珍しいですね」
麗華。
また。
そこ。
言われる。
「そんなに?」
「はい」
「……」
ルナ。
一歩。
近づく。
「いいと思います」
「何が?」
「頼って」
麗華。
見る。
「全部一人でやらなくても」
「……」
「私たちだって」
少し。
恥ずかしそう。
「麗華さんの味方なので」
麗華。
しばらく。
何も言わない。
そして。
そっと。
ルナの肩。
抱く。
「――っ」
「ありがとう」
「……」
「嬉しい」
ルナ。
真っ赤。
でも。
離れない。
「……こういう時だけずるいです」
「何が?」
「分かってないならいいです」
「分かってるかも」
「じゃあもっと駄目です」
麗華。
笑う。
◇
翌日。
バルガス商会から。
一着。
届いた。
大きな箱。
「何これ」
アリア。
覗く。
「パーティー用?」
「多分」
開ける。
黒。
ドレス。
漆黒。
余計な装飾。
ほとんど。
ない。
でも。
生地。
明らか。
違う。
光。
角度。
僅か。
艶。
「……高そう」
セリア。
「高いわよこれ」
アリア。
触る。
「王都の職人じゃない?」
麗華。
カード。
見る。
『顧問として恥をかかない格好をしろ。代金は給料から引く』
「……」
「何て?」
ルナ。
「給料から引くって」
「優しくないですね」
「バルガスさんらしい」
麗華。
ドレス。
持つ。
その夜。
試着。
「……」
部屋。
静か。
アリア。
セリア。
ルナ。
エルザ。
全員。
止まる。
黒。
長い。
ドレス。
露出。
多すぎない。
首元。
白い肌。
細い肩。
腰。
黒髪。
同じ黒。
重なる。
装飾。
銀。
ほんの少し。
それだけ。
麗華自身。
完成。
している。
「……何?」
麗華。
鏡。
見る。
「変?」
「変じゃない」
アリア。
「むしろ腹立つくらい綺麗」
「何で怒るの」
「本当に女神みたいです」
セリア。
「言いすぎ」
「言いすぎじゃないです」
ルナ。
ぽつり。
麗華。
振り返る。
「ルナ?」
「……」
ルナ。
顔。
赤い。
「すごく」
「うん」
「綺麗です」
麗華。
少し。
柔らかく。
笑う。
「ありがとう」
そして。
机。
昨日買った。
白い花。
香油。
手。
伸ばす。
「それ」
ルナ。
気づく。
「うん」
首元。
少し。
香り。
「ルナが選んでくれたやつ」
「……」
「合う?」
「はい」
ルナ。
笑う。
「すごく」
麗華。
鏡。
自分。
見る。
黒いドレス。
黒髪。
白い花の香り。
そして。
テーブル。
二通。
招待状。
一つ。
ルシアン・アルヴェールから。
もう一つ。
《バルガス商会》から。
麗華。
ルシアンの招待状。
指。
軽く。
触れる。
「……」
今まで。
何度も。
逃げ道。
残した。
嫌いになりたくない。
いい男でいて。
普通の客。
戻って。
それでも。
ルシアンは。
自分で。
越えてきた。
まだ。
最後。
終わり。
ではない。
麗華は、できるなら。
あの場でも。
話して。
終わらせたい。
それでも。
もし。
大勢の前で。
自分の意思まで。
奪おうとするなら。
「……」
麗華。
鏡。
見る。
いつもの。
柔らかい笑顔。
少しだけ。
消える。
「先に言っておきますね、ルシアン様」
誰もいない。
本人。
聞こえない。
声。
「私」
一拍。
「人前だからって、黙ってあげるほど優しくないですよ」
黒いドレスの女は。
この世界へ来て。
初めて。
自分の力ではなく。
誰かから借りた力を持って。
貴族たちの世界へ。
足を踏み入れようとしていた。




