耀遺
『彼』は『耀遺』の観測を担当している。
だが、彼自身が観測所にいる事はほぼない。
『彼』自身が耀遺の人間として、現地に赴いているからだ。
そのため、基本的に耀遺の観測報告は彼の下に就いている補助観測員により行われている。
『彼』は定期的に衡理に戻っては観測報告に目を通し、また耀遺へと帰るという生活を送っている。
――以下、記憶抜粋――
アストリオ中央回廊で、彼とすれ違った。
耀遺から戻った直後だったと思う。
彼のお気に入りの白衣には、耀遺特有の匂いを感じた。
「あれ、戻ってたんだ」
「ああ、ついさっきね。向こうの研究が面白くて、予定よりちょっと遅れちゃったよ」
『彼』は僕の問いに軽く答えた。
『彼』は他の観測者と比較しても少し……いや、かなり変わった観測者だ。
ある時突然、
「ちょっと向こうに住んでみることにするよ」
そう言われた時には、流石にアルヴェラと慎重な話し合いをする事となった。
「今回の観測報告はまだ目を通してないよね?」
「これからだよ。今回はどんなものか、楽しみだねえ」
『彼』はある種、とても熱心な観測者である。
耀遺で研究を行う傍ら、たまに帰って補助観測者の観測報告を確認している。
今回の報告を『彼』が見ていないことは明白だった。
『彼』が目を通して手直しされた報告書は、衡理での観測だけでは得られない『人々の生活の息づかい』が感じられる。
今回の仮提出された報告書にはそれが一切感じられなかったので、今回は帰って来なかったのかと思っていた。
「こっちで得られる情報は、向こうの比じゃないからねえ――勿論約束は守ってるよ」
彼は笑いながらそう答えた。
僕とアルヴェラが、彼の耀遺での生活を許した条件は二つ。
『衡理の存在を明かさない事』
『衡理で得られた情報で世界を動かさない事』
精一杯の譲歩だと僕達は思っていた。
ノルンのように手を加えたいと思うなら、これだけは守ってもらわねばと思って提案したその条件に『彼』は、
「なんだ、そんな事でいいのか!」
大笑いをしながらそう言った。
「そんな事するわけないでしょ?何のために向こうに行くと思ってんのさ?」
「何のためって……介入でしょ?」
「違うよ」
「じゃあ、何のために?」
「さてね――それを探しに向こうに行くんだから」
彼の行動原理は理解出来ない部分が多い。
だが、条件を守るのならば断る事もない。
僕達は定期的に衡理へ帰ってくる事を条件に足して、彼を耀遺へと送り出した。
「そういえば、最近補助してる子たちが向こうの世界に興味持っちゃってさ。『自分も行きたいです!』なんて言ってきてるんだよねえ」
「それは……許可できないかも」
遊天のような衡理からの介入は別として。
実際に世界を渡る事はリスクが多い。
『彼』一人ならとあの時は許したが、複数人となると流石に容認出来ない。
そう思っていると、『彼』は笑って言葉を続けた。
「まっ、そっちの許可が降りても僕は絶対に許さないけどね」
意外だ。
研究には多大な時間と、それを補助する人員が必要なはずだ。
『彼』の事情を知っている者が手伝うのなら、尚更都合がいいのではと思うのだけれど。
「……研究を手伝ってくれる人が増えて助かるんじゃないの?」
また一つ『彼』を知れるきっかけになるかもしれない。
僕はそう思ってあえて質問をすると、『彼』は途端に苦い顔を浮かべ、
「……なんで僕の楽しみを奪う人を受け入れなきゃいけないのさ?絶対に嫌だね、ぜっったいに」
それだけ言って去っていった。
「……分からないな、相変わらず」
今を持って、彼の行動原理は理解出来ない部分が多い。
だが、それも観測の幅を広げるという意味ではいい事なのかもしれない。
彼が去った後、残った耀遺の匂いを感じながらそんな事を思った。




