scene1
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初めて参列した葬儀は姉を送るためのものだった。白い花に囲まれて立つ姉の写真は、笑っているのにどこか寂しそうだ。
人が死ぬ、その意味がわからないほど子供であるつもりはない。だが、その理由はわからなかった。何故姉は死んだのだろう。もしかすると、あの時自分が怒鳴ってしまったのがいけなかったのだろうか。それなら姉が自殺したのは自分のせいだ。自分が姉を死に追いやった。自分さえいなければ姉は今も生きていた。
ごめんなさい。少年は掠れた声で呟く。ごめんなさい。本当は怒ってなんかいなかった、俺は姉ちゃんの事が心配だっただけなんだ。ごめんなさい。
突然俯いて謝罪を始めた息子の姿に父は驚くが、わけを聞くと父は涙を浮かべながら息子を抱きしめた。あの子が死んだのはお前のせいなんかじゃない。すべてあの十人のせいだ。そう怨嗟のこもった声で言い聞かせて。
すまなかった。男は震える声で囁く。すまなかった。お前がいじめられている事は薄々気づいていたのに、俺は何もできなかった。すまなかった。
すでにここにはいない娘に向けて、父は訥々と謝罪の言葉を述べる。しかし、彼は何もしていないわけではなかった。もっとも、よその土地から移り住んできた彼が地元の名士を相手にできる事など何もなかったのだが。
娘をいじめていた十人のうち、一人はこの町の有力者の息子だった。そのせいで娘のいじめを学校に訴えてもあっさりともみ消され、それどころかこの事を表ざたにすれば二度とこの町で暮らしていけなくなるぞ、職を失う事になっても構わないのかと遠回しに脅された。若かりしころ、上司の泥を被せられる形の左遷によってこの町に飛ばされた男にとって、この町は最後の砦だ。ローンの残る家と育ちざかりの二人の子供、そして病気がちな妻を抱えているのに仕事を失うわけにはいかない。
狭い社会で権力を振りかざす田舎の権力者の姿は滑稽だが厄介だった。井の中の蛙は大海を知らないが、外の世界を知らなければ蛙にとっての海は井戸の中だ。井戸の外の世界がどれだけ広かろうと、井戸の中に住む者達にとっては関係がない。井戸を統べる蛙の王に逆らえば、その先に待つのは死だけだった。
焼香の順を待つ列に、三十人ほどの学生服の集団があった。どうやら彼らは姉のクラスメイトらしい。父が言っていたのは、姉をいじめていたのは、姉を死に追いやったのは、あの中にいるのだろうか。
少年は昏い瞳で彼らを見つめる。自分から姉を奪った鬼達の姿を、網膜にしっかりと焼きつけるかのように。
* * *
一階の図書室の片隅で、昴は本棚にもたれるようにして座っていた。少女に見つかる事を恐れたため、懐中電灯の電源は切ってある。
鉈を持った謎の少女が現れた事で気が動転したものの、昇降口へは辿り着けた。しかし脱出口であるはずの昇降口は施錠されていて、実力行使に出てもびくともしない。その後合流した尚忠とともに仕方なく上の階へと逃げたのだが、結局尚忠とは別行動になってしまっている。心細いどころの騒ぎではない。
あのとき少女に立ち向かっていれば、あるいは無理にでも昇降口を破っていたら。できない事とわかっていても自分を責めるのをやめられないまま、昴は時間が経つのをひたすらに待っていた。
ここは圏外だ。連絡手段がない以上、外部に助けを求める事もできない。だが昴は、今日この廃校に行く事を上京してからできた友人に告げていた。山奥の廃校で中学の同窓会だ、もし一日経っても帰ってこなかったら探しに来てくれよ、なんて冗談めかして言いながら。
友人が昴の軽口を本気にするとは思えない。しかし、帰ってこない昴に対して何らかの違和感は覚えるだろう。もしかしたら助けに来るかもしれない。そんな希望的観測を胸に抱き、昴は押し寄せてくる恐怖から耐えていた。
それでも暗闇というのは人の不安と恐怖心を煽るものだ。抑えきれなかった恐怖は脳裏に京香の死体を描く。中学時代、密かに惹かれていた少女との五年ぶりの再会はひどいものだった。
顔は綺麗なままだったから本人確認は容易だったものの、一目で死んでいるとわかるほど首から下の損傷が激しかったのだ。臓物を引きずり出されてなお生きていられる人間を、昴は寡聞にして知らなかった。
「うっ……」
こみあげてくる吐き気をこらえ、昴は荒い息を吐きだす。今もあの時嗅ぎ取った死臭が漂っている気がした。
京香を手にかけたのはあの少女だろう。彼女の正体はわからないが、恐らくこの近所に住んでいる頭のおかしい女だ。地元とはいえ五年もこの町を離れていたし、自分が東京で暮らしている間に地元で起こった変化などはまったくわからない。自分の知らないうちに、ああいったおかしな女がこの町で生活し始めていた可能性は十分にあった。
考えれば考えるほど、名前も知らない少女に対する怒りと憎しみが募る。だが、相手が凶器を持っているという事を失念するほど昴は単細胞ではなかったし、恐怖を忘れて憤怒と憎悪に身を任せながら突撃するような蛮勇の持ち主でもなかった。学生時代は多少の無茶もしたが、すでに成人した今はもうある程度の思慮と分別を持ち合わせているのだ。
あの少女をどうにかしたいという気概はもちろんある。だが、いくら相手が少女とはいえ、彼女は鉈を持っているのだ。凶器を持った相手にたった一人で立ち向かうなどぞっとしない。せめて尚忠か洋祐がいなければ、少女と相対する事すらできないだろう。
最初に遭遇した時に少女を取り押さえられればよかったが、あの時はそこまで気が回らなかった。突如現れた不気味な不審者に対する恐怖が一瞬にして全身を駆け巡ったせいで、立ち向かうという選択肢が思い浮かばなかったのだ。あの時自分達が選べたのは逃げる事だけだった。
侑奈と洋祐はどうなったのだろう。尚忠とは途中まで一緒に逃げていたので、彼も一応無事に少女から距離を取れたとは思うのだが、自分達の背後にいたあの二人についてはわからない。きっと彼らも無事に逃げ切れたと信じたいのだが、その確証はなかった。
弾け飛ぶように逃げ出した雫と千尋の事も気がかりだ。教室からは逃げられたかもしれないが、後からやってきた少女に追いつかれたかもしれない。
それに、姿を見せない三人の事も気になる。正輝は今も無事なのだろうか。瑛士と悟朗はもう校舎内にいるのだろうか。
(……行くか)
希望的観測に縋る時間は終わりだ。ここで待っていても状況が変わる見込みは低い。昴はよろよろと立ち上がる。少女に立ち向かうにしろここから逃げ出すにしろ、一度全員と合流を果たしたかった。
もちろんどこに行けば全員と会えるのかはわからない。だが、行くあてはあった。裏門だ。窓がすべて鎧戸で塞がれているせいで、出入口は昇降口か裏門ぐらいしかあてがない。そして昇降口は閉ざされている。となると、残る道は裏門だ。
もしかしたらすでに何人かは脱出を果たしているかもしれないし、脱出を試みようと裏門に向かっている者もいるかもしれない。自分も彼らの後に続かなければ。
正輝達も車で来たかもしれないが、少なくともバンの鍵を持っているのは自分だ。自分が外に行かなければ、他の者達はこんな夜中に徒歩で下山する羽目になるかもしれない。だが、夜の山を軽装で歩くなんて危険すぎる。謎の少女から一刻も早く距離を取りたいと思う者もいるかもしれないし、車で下山した方が安全だろう。
これは他の連中のためだと自らに言い聞かせ、昴は図書室扉を目指して本棚伝いに移動を始める――――しかし彼は、裏門に行く事はもちろん図書室から一歩出る事すら叶わなかった。
かちゃり。昴が図書室の扉を開けると、闇に慣れた双眸は目の前に立っていた何かを映した。どうやら扉の前に誰か立っていたらしいが、彼あるいは彼女が邪魔で廊下に出られそうにない。
立っていたのは小柄な少女だった。赤黒く汚れたセーラー服が闇の中で翻った。ざんばら髪の隙間から覗く顔には生気の欠片もなかった。にたりと笑う唇は、不気味なほどに鮮烈な赤色をしていた。
昴が叫ぶより早く、少女は凶器を振り下ろす。鉈が柔らかい肉を捉える鈍い音が、夜の図書室に響いた。




