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scene1

「どうしよう……」


 誰もいない理科室で、尚忠は一人途方に暮れていた。千尋と正輝はすでにどこかに行ってしまっている。こんな事なら外の様子にもっと気を配ればよかったと思うのだが、恐怖と孤独感が鬩ぎ合っていたので二人の会話に耳をそばだてる余裕がなかったのだ。結果、尚忠は出遅れてしまったし二人がどこに行ったのもわからなかった。

 だが、いつまでも一人でここにいるわけにはいかない。先ほどここに来たのは千尋と正輝だったが、いつハギノが来るかもわからないのだ。一人でずっとここに隠れているというのも心細い。千尋達の声を聞いたせいか、たった一人でここにいるという事に途方もない不安が生まれてしまったようだ。

 自分の知らない間に、自分以外の全員がハギノに殺されていたらどうしよう。そんな馬鹿な事があるわけないと思いつつ、頭の片隅ではそれを確かな現実としてとらえている自分がいた。理科室を出ていったあの二人も、既にハギノに襲われてしまったのではないだろうか。

 そう考えると居てもたってもいられなくなった。震える腕を引き戸に伸ばし、覚悟を決めて勢いよく扉を開ける。廊下をさっと懐中電灯で照らすが、人の姿は見当たらなかった。

 このまま二階を進むかそれとも三階への階段に向かうか、どちらにするか迷ったが、尚忠は深く考えずに廊下を歩きはじめる。ほんの偶然とはいえ、彼のその判断は間違いではなかっただろう。仮に三階を目指していた場合、彼はハギノが旧友を殺す瞬間を目撃していたかもしれないのだから。

 壁に手を当てながら、尚忠は恐る恐る足を前に進める。昴や雫といった、『一年一組』で散り散りになって逃げてからは行方のわからない友人達の事が気がかりだった。彼らを探すためにも、一度一階まで戻ったほうがいいかもしれない――――そう思った矢先の事だ。

 突然どこからか絹を裂いたような悲鳴が響いた。尚忠は一瞬身体を硬直させ、ぎこちなく後ろを振り返る。今のは女の声だった。千尋か雫、あるいは侑奈のものだろう。

 悲鳴の主と彼女を襲った出来事について知るには、来た道を引き返さなければいけない。だが、そうする勇気は尚忠になかった。ぎゅっと目をつぶった尚忠は、来た道を戻るのではなく前へ進む事を選択する。どこに逃げれば助かるかなどわからなかった。それでも彼は少しでも悲鳴の聞こえた場所から遠ざかろうと、ひたすらに走り続ける。懐中電灯を落とさなかった事が奇跡のようにも思えた。

 角を曲がり、目についた教室の引き戸を開ける。教室内を懐中電灯で照らすより先に、尚忠は何も考えずに中に駆けこんだ。閉める余裕はなかったため、引き戸は開け放たれたままだ。

 色々なものにぶつかりながらも尚忠は教室の真ん中まで進む。そこでようやく我に返り、尚忠は足を止めた。額の汗を拭い、ゆっくりと教室内を懐中電灯で照らす。どこかに隠れる場所はないだろうか。

 教室内にはコンロのついた大きな机が何台も並べられている。どうやらここは家庭科室らしい。机の下には調理器具を入れておくための収納スペースがあるはずだ。家庭科室も理科室と同じく調理器具は撤去されているだろうから、そこに隠れればなんとかなるかもしれない。

 いつまで隠れればいいのか、何から隠れればいいのか、結局孤立したままになるがそれでもいいのか、そんな事を考える余裕はなかった。

 隠れる場所が見つかった安堵感から、尚忠はふらふらと机の一つに近寄る。だが、何か妙な違和感があった。


「……?」


 懐中電灯で室内をぐるりと照らした時に、奇妙な物が混じり込んでいたような気がしたのだ。

 一瞬ちらりと視界に入っただけだから、あれが何だったのかはわからない。だが、あれの正体が掴めないままでは落ち着いて隠れる事もできないだろう。隠れているうちに気になってきて、感じなくてもいい不安感に苛まれてしまうかもしれない。そんなものはごめんだった。

 尚忠はおずおずと振り返り、改めて慎重に家庭科室を照らす。異物はすぐに見つかった。

 とある机の上に何かが載せられているのだ。尚忠はごくりと息を呑み、早まる鼓動を抑えつけてその机に近寄る。見なければよかったと後悔したのがその数秒後だ。


「う、げぇっ……!」


 思わず尚忠は床に膝をつけて激しくえずく。床にべちゃりと吐瀉物が撒き散らされた。嫌な臭いが鼻を突くが、そんな不快感も今はまったく気にならない。

 なぜもっと早く気づかなかったのだろう。考えなしにこの教室に飛び込んだ自分を責めながら、尚忠はごしごしと口元をこすった。だが、吐き気はいつまで経っても収まらない。

 京香の死体を見たのは一瞬だったし、すぐ傍に昴がいた。だからなんとか平常心を保てたのだが、今回は無理だ。一人でこんなものを直視してしまい、あまつさえ同じ空間を共有しているなど、考えたくもなかった。

 今すぐにでも家庭科室を出ていきたい。だが、腰が抜けてしまったのか立てそうになかった。がたがたと震える身体を抱きしめ、尚忠は涙さえ浮かべながらかちかちと歯を鳴らす。

 机に乗っていたのは大柄な青年の死体だった。ぱっと見ると知らない男のようだが、顔立ち自体はどこかで見た記憶がある。恐らく瑛士か悟朗だろう。京香の時と同じように、顔は綺麗なのに腹は斬り裂かれて臓物を引きずり出されている。絶命している事は明白だった。


 ――――ぺたり。


 青年の死体を震えながら見上げていると、そんな音が尚忠の耳に届いた。あまりの恐怖にひゅっと喉を鳴らし、尚忠は錆びついたブリキのような動きで音のするほうを見る。家庭科室の入り口に立っていたのは、彼が最も恐れていた存在だった。

 薄汚れたセーラー服は闇に浮いているようだった。ざんばら髪から垣間見える瞳はまっすぐに自分を見つめていた。赤い唇は嗜虐的に歪んでいた。彼女の手に握られた赤黒い鉈は、一体何人の命を奪ってきたのだろうか。

 尚忠はハギノの姿を懐中電灯で照らす事しかできない。逃げようと思えば逃げられたかもしれないが、恐怖ですっかり頭が麻痺してしまっていた。まるで全身が石になってしまったかのように、反応しようとしてもうまく身体が動かない。これも脳が凍りついている影響だろうか。

 凄惨な笑みを浮かべたハギノが一歩一歩近づいてくる。すべてがコマ送りのように感じた。振り下ろされた鉈から身を守る事もせず、尚忠は呆然と彼女を見つめる。


(……()()()()()?)


 もちろん自分だって、葛原萩乃の事を正確に覚えているわけではない。それどころか意図的に記憶に蓋をしてきたのだから、彼女の事などすっかり忘れていた。だが、蘇ってきた記憶の中にある気弱ないじめられっ子と、目を爛々と輝かせる悪霊の顔がどうにも重ならない。

 土気色の顔と乱れた長い黒髪のせいで、今までその顔立ちははっきりとわからなかった。自分達に恨みを抱いて死んだのだから、相応の邪悪なモノへと変貌を遂げていてもおかしくなかった。だが、本当に――――()()()()()()()()()()()()()()


 何かがおかしい。どこかが噛み合わない。しかしその違和感の正体に辿り着く前に、裁きの時が訪れる。

 きらり、と。その瞬間、ハギノの袖の中で何かが光ったような気が――――

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