【第4話】Paints of dreams②
「帰ってくれ。そんな得体の知れない連中に心配される筋合いはない。第一、俺の身体に異常なんてない。ただ、少し疲れているだけだ!」
使用人の佐藤に通され、居間のソファで依頼人の一ノ瀬と対面したのも束の間。玲奈と透が自己紹介を終えた次の瞬間には、一ノ瀬の口から手厳しい拒絶の言葉が飛び出した。
「でしたら旦那様、せめて病院に行って一度検査だけでも...」
見た目からして50代だろうか。おばさんとも呼べる年齢である佐藤は、自分の息子ぐらいの年齢に当たる一ノ瀬に泣きそうな声で頼み込む。
「佐藤さん、何回も言っているが病院に行く気はない。俺は...このままでいいんだ。何回もこの話をする気はない。」
それだけを冷たく吐き捨て、一ノ瀬はソファから立ち上がり、足早に居間から立ち去ってしまった。残された玲奈と透は、ただ互いの顔を見合わせることしかできなかった。
「申し訳ありません。遥々来ていただいたにもかかわらず...旦那様は昔から少々気難しく、人付き合いも苦手な方でしたので...」
二人に深々と頭を下げて謝罪する佐藤を見ながら、ソファに座る透が意味ありげに呟いた。
「本当に、それだけかなぁ...」
「え?」
「あ、いや。大丈夫ですよ、気にしないでください。代わりに、佐藤さんから話を聞かせてもらえませんか?どうぞ、座ってください。」
透に促され、佐藤はおずおずとソファに腰を下ろした。
「私で良ければ...ただ、私の知っていることはすべて手紙に書きました。それ以上のことは何も...」
「大丈夫です。一応、確認も含めて。半年前から寝る時間が増え始めたとのことだが、何かきっかけになるような出来事はありましたか?」
いつの間にか透はサングラスを外していた。その奥にある切れ長の瞳は驚くほど真剣で、前のめりに質問を重ねていく。
初めて見る透のプロの顔に、玲奈は心の中で小さく目を見張った。
「どうでしょう...きっかけと言えるようなことは、特に思い当たりません...」
「では、その時期に何かいつもと違うことや、妙な出来事は起きませんでしたか?」
「うーん...」
佐藤は記憶を遡るように眉をひそめた。
「そういえば、旦那様に仕えて10年近く経ちますが、半年前に一度だけ、旦那様宛てに小包が届いたことがあります。旦那様は絵を描くこと以外には興味が無い方で、荷物やプレゼントを送ってくるような友人も知り合いもいません。ですから、その時は不思議に思ったのをよく覚えています。」
「その荷物の中身は?」
「申し訳ありません。中身についてお尋ねしたのですが、はぐらかされてしまって...」
佐藤は申し訳なさそうに首を横に振った。
「大丈夫ですよ。一ノ瀬さんの身体についてですが、最近、何か体調に変化は?」
「日に日にやつれていっています。何度か目眩で倒れたこともあって...」
佐藤の言葉を聞きながら、玲奈は先ほどの一ノ瀬の姿を思い出した。
パッと見の印象だけなら、40代後半にも見えるほど衰えていた。髪はボサボサで、肌は土気色。一日の半分以上を寝て過ごしているはずなのに、その目の下には、まるで何日も徹夜を続けているかのような、どす黒い隈が張り付いていた。
「病院にはどうしても行ってくださらないので、せめて...悪いものが憑いているのではないかと、そう思いまして。」
「それでうちに。」
なるほどと言わんばかりに透は小さくうなずく。
「はい...私、霊感はありませんが、小さい頃に幽霊を見たことがあって、そういう類のものは信じているんです。旦那様にはよく『スピってる』なんて言われますが...」
そこまで言うと佐藤は小さく笑った。
「だから専門の方に頼もうと思ったんです...それで?旦那様と話して、何か分かりそうですか?」
「うーん...まだなんとも言えないですね。」
透はいつもの飄々としたトーンに声を戻し、顎に手を当てた。
3人の間に沈黙が流れる。
「そうですか...」
佐藤は目に見えて落胆したようだった。
「でも、まだ諦めるのは早いですよ、佐藤さん。本人に何かなかったとしても、身の回りにある物とかが悪さしてる場合もあります。なのでもう少し探してみましょう。」
「そうですね...分かりました。お願いします!」
透の言葉に佐藤は少し元気を取り戻したようだった。
「あっ、もうこんな時間!食事の準備をしなければ。お二人の分もご用意しますので、良ければ召し上がっていってください。」
「おっ、本当ですか?じゃあお言葉に甘えちゃおうかな。あと、その間に屋敷の中を少し見回っても大丈夫ですか?」
「ええ、好きに見ていただいて構いません。ただ、この時間は別館のアトリエにだけは立ち入らないようお願いします。旦那様が創作をされていますので...」
二人は「分かりました」と頷き、佐藤が席を外したのを見届けてから、洋館の調査を始めた。
建物自体は随分と年季が入っているようで、歩くたびに足元の床がギィ、と微かにきしむ。壁紙には経年による細かいひび割れがあり、壁に付けられているランプスタンドも鈍いヴィンテージの光を放っていた。
だが、それだけ古い建物であるにもかかわらず、埃っぽさが微塵も感じられない。
床や壁、窓枠の隅々まで掃除が行き届いている。使用人の佐藤が、この広大な屋敷をどれほど丁寧に維持し続けているかが、一目で伝わってくるようだった。
「へぇ、古いけどピッカピカ。佐藤さん、めちゃくちゃ仕事のできる人じゃん。うちの事務所の掃除にも来てほしいな〜。物置とか結構やばいからねぇ。」
透は感心したように天井を見上げた。
「本当ですね...これだけの広さを一人で掃除いるなんて。」
玲奈も同意しながら、壁に目を向けた。そこには一ノ瀬が全盛期に描いたという絵画の数々
が飾られていた。
「玲奈ちゃん、今回の依頼、どう思う?」
廊下を歩きながら、透が不意に声を潜めて訊ねてきた。
「どうって....今のところは、何がなんだかさっぱりです。」
「さっき本人と会った時さ、幻力の残滓を感じたんだよね。すごく微かだけど。だから、ただの病気じゃないってことは確定かなぁ。幻力の量からして幻体に憑かれているってことはないけど、憑依物がこの屋敷内にあるのは間違いないよ。」
「本当ですか!?私、全然気づきませんでした...」
「まだまだだねぇ、玲奈ちゃん。でも、だからこそ、なおさらキナ臭いんだよねぇ。」
「それは、どういう...」
「だってさ、一日に16時間も寝ちゃったら、絵を描く仕事にも支障が出るわけじゃん?普通なら『早く治したい』って焦るのが普通でしょ?それなのに病院を頑なに拒否するってのは、ちょっと不自然じゃない?」
「ただ単に、病院が嫌いなだけかもしれませんよ?」
「ハハハ!確かにその可能性もあるね。でもさ、なんだかあの人治したくないように感じるんだよねぇ。」
「...え?」
「理由はないけどね。ただの直感。ま、そんなわけで、あとはその原因になってる憑依物を取り除くだけだね。」
「何か、心当たりがあるんですか?」
「ああ。」
そう返事すると、透は立ち止まり目の前の扉を指さす。
「この中だね。すごく小さいけど、この中から幻力の源を感じる。」
「ここって...」
玲奈が扉を見上げると、それは別館であるアトリエに通じる扉だった。
「このアトリエの中に...でもどうやって入るんですか?一ノ瀬さんが許してくれるとは思えないんですけど...」
玲奈は先ほどの一ノ瀬の姿を思い出す。
招かれざる客とは言え、使用人が身体を心配して、わざわざ呼んだ2人を話も聞かずに追い返そうとする気難しい性格の人が、自分の仕事場を調査させてくれるとは思えなかったのだ。
「こっそり入るんだよ。あの人寝たら全然起きないんでしょ?だったら寝たころに、ね?」
「でもっ!」
「大丈夫大丈夫、これも本人の身体のためだから。」
透は悪びれもせずウィンクしてみせた。
「まあ、腹がってはなんとやら。とりあえず佐藤さんのご飯を食べに行こう。ついでに佐藤さんにも作戦を伝えようか。」




