【第4話】Paints of dreams①
「はぁ...はぁ...まだ、ですか?もう結構歩きましたよ、透さん。」
「あと30分くらいかなぁ?もうちょっとだけ頑張ろ、玲奈ちゃん。」
「それ、30分前も聞きました!」
「あれ、そうだっけ?」
透はの首を傾げながら、ハハハと気の抜けた声で笑う。
山道にはおよそ不釣り合いな白い髪をラフに散らし、カラーレンズのサングラスを指先でくいっと上げる。
その仕草は、どこからどう見ても駅前で女の子をナンパしているチャラいお兄さんそのものだ。
身に纏っているのも、ストリート系のゆるいパーカーにスニーカーというあまりにもカジュアルな服装。これから依頼に向かうという緊張感は、微塵も感じられない。
二人は事務所がある街を遠く離れ、鬱蒼とした緑に囲まれた山奥に住むという依頼主の元へと向かっていた。舗装すらされていない険しい山道は、容赦なく玲奈の体力を削っていく。
「にしても、こんな山奥に引きこもって暮らすなんてさ。芸術家って人は、何を考えてるか分からないねぇ。」
サングラス越しにへらへらと笑う透を見上げながら、玲奈は昨日の出来事を思い出していた。
前日の朝に事務所のポストへ投函されていた一通の手紙からこの依頼は始まった。
「...つまり、寝る時間がどんどん長くなってるってことっすか?ただの成長期だったりして!」
ソファに深く腰掛けた日向が、Diから手渡された手紙を読みながら、冗談っぽく笑い飛ばした。
「本当に幻素災害なんっすかね?」
「確かにただの病気の可能性もあるな。まあ、それを白黒はっきりさせるのが俺たちの仕事だ。」
れおはいつもと変わらない様子で社長席の椅子に深く腰掛け、頬杖をつきながら日向と玲奈に向かって言った。
「でも、誰が行くんすか?自分とDiちゃんは、これから別の依頼っすよ。今事務所にいるのは、あとボスと玲奈ちゃんだけっすけど...もしかして、ボスが行くんすか!?」
日向はソファから思い切り身を乗り出し、期待に目をキラキラと輝かせた。
「えっ、れおって自分から現場に行くことあるんですか?てっきり、ずっと事務所でサボっ...」
「おい、今サボってるって言おうとしただろ。」
れおが眉をひそめて睨むと、その横に立っていたDiが冷ややかな声で鋭く切り返した。
「あながち間違いじゃないのではないでしょうか?」
「うっ...」
やはり、れおはDiに頭が上がらないらしい。
「そうそう!ボスは憑依者じゃないっすけど、めちゃめちゃ強いんすよ!幻力での身体能力強化と体術だけで敵をなぎ倒すあの感じ、見ててマジで最高に爽快っす!」
日向はソファから飛び起きると、拳を突き出してブンブンと楽しそうにシャドーボクシングをしてみせた。向かいに座っている玲奈は、信じられないという目でれおの顔を見つめる。
「なんだよその目は...あー、そうだ。ちょうど今日、透が戻ってくるな。あいつには申し訳ないが、また遠出を頼もう。玲奈、透との顔合わせも兼ねて、お前も一緒についていけ。」
――そんな話をしていた日の午後、事務所のドアを開けて戻ってきたのが、例の白い髪の青年だった。
「おつかれさまでーっす。いや〜、今回の出張マジできつかったわ〜。」
両手をポケットに突っ込み、おそらくお土産が入ってるであろう紙袋を指先に引っ掛け、軽い足取りで室内に滑り込んできた。
「あ、透っちお帰りっす!もしやそれは土産っすか!?」
「さすが日向ちゃん、お目が高いね!これ、海外ブランドのチョコレート。みんなで食べてね。おっ、れお、この子が電話で言ってた新人ちゃん?」
透はソファに座っていた玲奈を見るなり、サングラスを少しずらして、悪戯っぽく目を細めた。
いかにも女の子の扱いに慣れていそうな距離感の近さに、玲奈の防衛本能が作動する。
「ああ、九段玲奈だ。」
「へえ〜。」
透は声を弾ませて玲奈の正面に回り込むと、じっと顔を覗き込んできた。
「よろしくね、玲奈ちゃん。俺は千代紙透。透って呼んで。まぁ、困ったことがあったら何でもこのお兄さんに頼ってよ。あっ、連絡先交換しとく?」
「あ、いえ、結構です...」
初対面でデリカシーなく踏み込んでくるチャラい雰囲気に、玲奈は思わず身体を引いた。
(あ、この人、ちょっと苦手なタイプかも...)
心の中でそっとため息をつく。
「透、戻って早々で悪いが、明日からまた遠出してもらう。玲奈の顔合わせも兼ねて、この手紙の依頼を二人で当たってくれ」
れおの言葉に、透は「ええ〜!?」と情けない悲鳴を上げた。
「俺、今戻ったばっかりだよ!?鬼!悪魔!ブラック企業!」
――そんなことを経て、玲奈は今、このチャラそうな白髪の青年と山道を登っている。
ただ、文句を言いつつも、透が自分の遅い歩調にさりげなく合わせて歩いてくれていることには気づいていた。案外、ただのチャラ男ではないのかもしれない。
「ねえ、玲奈ちゃん。」
前を歩く透が、サングラスの位置を直しながら振り返った。
「そういえば、今回の依頼主って結構な有名人だったんだよね?」
「あ、はい。」
玲奈は乱れた呼吸を整えながら、下調べした記憶を思い出す。
「依頼主の名前は、一ノ瀬蓮。三十代半ばの画家です。二十代の頃は『新時代の天才』ってあちこちのメディアで騒がれていて、彼が描いた抽象画は、どれも信じられないような高値で取引されていたみたいです。」
透は感心したように口笛を吹いたが、サングラスの奥の瞳はどこか冷めているようにも見える。玲奈はそのまま言葉を続けた。
「でも...2年前を境に、突然まったく筆が振るわなくなりました。批評家からも才能が枯れたって叩かれ始めて、今ではすっかり名前を聞かなくなってしまいました。それからは、この山奥のアトリエに引きこもるようになったそうです。」
「なるほどねぇ。天才の挫折ってわけか。」
透はスニーカーの先で小さな石ころを蹴飛ばした。
「そんな落ちぶれた元天才の画家さんは、なんでわざわざうちに依頼してきたの?ええと、寝る時間が長くなったんだっけ?」
「はい。ただ、依頼をしてきたのは一ノ瀬さん本人ではなく、彼のお世話をしている佐藤さんという方なんです。一ノ瀬さん自身は、なぜか頑なに病院に行きたがらないらしくて...」
「本人は拒否、ねぇ...」
「はい。一ノ瀬さんは以前まで、毎日6時間睡眠の規則正しい生活を送っていたそうなんです。それがここ半年で徐々に睡眠時間が長くなっていって、今では一日の半分以上……16時間近く眠っているそうで。」
「16時間?確かにちょっと異常だね。」
「しかも手紙によると、一度眠りにつくと、何があっても起きないそうなんです。」
玲奈の声が、自然と少し低くなる。
「隣で大声で呼びかけても、身体を揺らしてもまったく起きる気配がないって...」
「ふーん。ま、考えても始まらないし、本人に直接聞くのが一番。っと、噂をすれば見えてきたよ」
透が足を止め、前方を指差した。
鬱蒼とした木々の隙間から、ひっそりと佇む大きな洋館が顔を覗かせている。
木造の洋館風の建物で、壁には蔦が絡まっていた。
「それじゃあ玲奈ちゃん、元天才画家のご機嫌伺いにいってみようか。」
透はいつもの軽い調子に戻ると、長い足を動かして洋館の門へと進んでいった。玲奈はごくりと息を呑み、その後ろ姿を追いかけた。




