第8話 山籠宿へと入る
――夕刻。
鴉が、間もなく宵が訪れると鳴き喚く。
赤く照らされた宿場の町にうっすらと懸かるのは、町の彼方此方から涌き出る温泉からの湯気。
常ならば、旅人達で賑わうはずの通りには、人影が見えず、しん……と静まり返っていた。
「ここが、山籠宿か……」
宿場町の入口にてソウケンが、足を止め中を伺う。
同じようにソウケンと並ぶダッキが鼻を鳴らすと顔をしかめた。
「ん……鼻が曲がりそうでありますねぇ」
その言葉にリッカも鼻を引くつかせてみる。
「……硫黄の匂い」
「皆、鼻が良いのだな。拙者には全く臭わん。まぁ、ここは温泉が湧くと聞くから、その匂いでござろう。行けるか、ダッキ?」
「はいな」
「リッカ殿も大丈夫か?」
「ええ。問題はない」
二人の了解を得て、ソウケンは一歩宿場の中へと足を踏み入れた。
街道を沿うように詰めて立ち並ぶ旅籠の店先には屋号を示す提灯がぶら下がっているが、どれも火が入っていない。
それどころか、戸に貼られた障子は破れ、暖簾が破かれた店さえある。
その雰囲気はどこか棄てられた町を思わせた。
「す、少し……ぶ、不気味であるな?」
少しだけ腰の引けたソウケンを他所にリッカが、すたすたと町の中心を目掛け歩いていく。
「ソウケンは、オバケが嫌い?」
「い、いや……そういう訳では……ひぃっ!!」
風で転がる桶にソウケンが飛び上がって驚く。
「ただの桶。ソウケンには、リンがいるのにオバケが怖いのは不思議……」
リッカの言う通り、ソウケンの打刀『散椿国光』にはこの国でも有数の呪いが籠められ、更にはリンという怨霊までもが、付いているのだ。
それなのに、たかだか不気味なだけの町を何を怖がることがあるのか……。
「リ、リンは、拙者の知り合いにござるが……。ほ、他の幽霊は、どこの誰とも知らぬ者たちなのだ。な、何を考えておるのか分からんではないかぁ〜。それに奴等には触れることも出来ず、青白い顔で立っておるのだぞ? うぅ……考えただけで、気味が悪い」
震える声でソウケンは自分の心の内を説明するのだが、リッカには理解できないようで「変」と言う一言でソウケンの恐怖心を叩き切ってみせた。
「フフフ。お可愛い事。ソウ様は私の後について参ると良いでしょう。今回は私がソウ様を御守りする番でありましょうなぁ」
豊かな毛量を誇る尻尾を振り、嬉しそうにダッキがソウケンの前に躍り出た。
「な、何を申すか。拙者、ヤマト男に生まれし者ぞ。婦女子に守られては武士の名折れにござる。み、皆こそ拙者についてまいるが……よ、良い」
ソウケンは己を鼓舞するかのように大声を出し、大股に一歩を踏み出すと、ダッキとリッカに並んで歩く。
しかし、見るからにその顔には恐怖の色が浮かんで見えた。
――その時である。
「あのう……」
宿場の中でも一際大きな宿の中から声が掛かった。
「うわっ!! な、何奴っ!!」
ソウケンは一度、驚き身を引いてしまうが、何とか不屈の精神でその場に踏みとどまった。しかし、情けない事に腰は引けに引けている。
しかし、ソウケンよりも驚いているのは声を掛けた者の方だ。
「うわわわ……」
ソウケンの気迫に声の主は、慌てて宿の中へと引っ込んでしまった。
そこで冷静に状況を見ていたリッカがソウケンを窘める。
「ソウケン、落ち着いて。オバケじゃない、普通の人」
「ほへ?」
ダッキのさも可笑しそうに笑う声とともに、おそるおそる宿の戸が開かれる。
その中から現れたのは、小柄ではあるが恰幅の良い壮年の男性。年のころは四十か。
長羽織りを着こなし、衣服は見るからに小ぎれいで高価なものだと分かる。
男の前掛けには、大きく白地で一文字『宿』と書かれていた。
「お、驚かせてしまってすみません。私、山籠宿を《《一応》》取り仕切らせてもらっておる、この宿の主人の勘助と言います。お侍様方は、ススガ・ソウケン様とリッカロッカ様とお見受けいたしますが、間違いありませんか?」
見知らぬ男に、ぴしゃりと名前を言い当てられ、ソウケンとリッカはお互いの顔を見合わせた。
「あ、ああ。拙者がそのススガ・ソウケンで間違いない……のだが?」
ソウケンの返事を聞くと男、カンスケは安堵の表情を浮かべた。
「ようござんした。コノエ様より、この事態を収める事が出来る御仁が来られると言われて待っておったとこでごぜえやす。ささ、どうぞこちらへ」
そう言ってカンスケは、宿の中へとソウケン達を招き入れた。
一応、狐姿のダッキを外に残し、ソウケン達は宿へと入る。
宿の中は小奇麗に整えられており、カンスケに促されるまま玄関入ってすぐの板の間に腰を下ろすことになった。
「今、手伝いの者たちは出払っておりまして……何もお構いできんのですが」
そう言いつつもカンスケは、ソウケンとリッカの前に湯呑に入った温かい茶を出した。
「かたじけない」
「ありがとう」
二人は礼を言ってから、湯気の昇る茶を啜り、同じタイミングで湯呑を床に置いた。
ソウケン達が一息ついたのを見計らい、カンスケも二人の前に座る。
「ススガ様、リッカロッカ様。この度は、この宿場のため御尽力いただける事、この山籠宿に住む者を代表してお礼を言わせていただきとうございます。誠に……誠に、ありがとうございます」
そう言うと板間に額を擦り付ける勢いで頭を下げた。
「……お礼は、ダンジョンを閉じてからで良い。私たちは、まだ何も成してない」
「うむ。リッカ殿の言う通りにござる。拙者たちはまだ何も成しておらん。カンスケ殿、どうか頭を上げてくれ」
「……へい。すいません、こんなみっともない所をお見せして……」
顔を上げたカンスケの目には涙が溢れていた。それを自分の上着の袖でぐしぐしと拭う。
「いいや、少しも恥じることはござらんよ。それだけ主人がこの宿場を思っておるという事だ」
ソウケンの言葉に再びカンスケは涙を流し、己の前掛けで「ちぃんっ」と勢いよく鼻をかんで見せた。
「うう……すみません。今に涙を止めますので……ぐすっ」
カンスケが落ち着く頃合いを見て、ソウケンはカンスケに町の現状を尋ねる。
「この宿場、今は人がおらんように見受けるのだが、他の者は建物の中に隠れておるのだろうか?」
「いいえ。町人たちはシラヌイ様の御厚意によりほとんどの者が城下へ避難しておるのです。此処に残っておるのは私を含め、ごくわずか……」
それを聞いていたリッカの顔色が僅かに変わる。
「カンスケ」
見目が年下の女性に名を呼び捨てにされたことにカンスケは目を丸くするが、流石の商売人。それを咎めることなくリッカと向き合う。
「なんでございましょ?」
「町の人が避難していると言うことは、モンスターがこの町に出現してる?」
「……ええ、ええ。その通りにございます。日中は大丈夫なのですが、夜になると、だんじょんより這い出た化け物が往来を闊歩し始めるのです。口惜しいかな……奴らに捕まって命を落とした者も少なくありません」
カンスケが悔しそうに下唇を噛み締めるが、リッカの質問は続く。
「いつから? それはいつから始まった?」
「そうですね……。始まりは、半月ほど前からでしょうか? 最初は噂程度だったのです。幽霊が夜な夜な町中を彷徨っているとか、化物の影を見たとか……。しかし、それが嘘ではないと分かったのは、すぐの事でした。向かいの西田屋の女将を皮切りに死人がどんどん増えて……。今じゃ夜の往来は、奴らの方が数が多い」
悔しそうにカンスケは唇をかんだ。
「リッカ殿……」
「うん。思ったよりもダンジョンの足が速いみたい……。こんなに急成長するのは野干ヶ森のダンジョンと似てる……。ううん、野干ヶ森よりも成長が早い。カンスケ、ダンジョンはどこ?」
「ここより北に見える山があるんですが。そこに早雲寺ってぇ、寺がありまして。そこの裏にある墓地がダンジョンになっているって話なんですが……。もしかしてお二人さん、これからダンジョンに向かわれるおつもりで!?」
カンスケの問いに、リッカは間髪入れずに頷く。
「そのために来た」
「おやめなさい。今時分、化物は元気に歩き回ります。せめて今日は旅の疲れを癒して……」
カンスケの制止を振り切るようにリッカは立ち上がり、玄関まで歩き出すのだが、その背に向かい声がかかった。
「リッカロッカさん。相変わらずですね」




