第26話 魔王
「あ、あれが……」
その姿を見てソウケンは、坊主の日記を思い出した。
其は女性。
肌襦袢だけを身に付けた、その豊満な体に長く腰まで伸びた髪は稲穂を思わせる黄金色。
その美しく長い髪を掻き分けるように頭頂部には狐を思わせる耳が生え、その背後には八本の尾が仏像の光背を思わせるように並んでいた。
しかし、その顔は日記に書かれていた美貌は無く、ただ憎悪に歪んだ半獣半人といった様相を呈していた。
その怒りに満ち満ちた金色に輝く瞳がソウケン達を貫く。
金毛九尾の姿を見たリッカの口から、その正体が明かされた。
「魔王……ダッキ?」
その言葉に反応したのは、この場の中で魔王の存在を知っているスクザのみ。
彼だけが驚愕の声を上げた。
「ま、まさかあれが魔王ですとっ!?」
「うん。昔見た事がある」
確信を得たリッカの言葉にスクザは緊張から、ごくりと唾を飲み込み、冷や汗がだらりと額に伝った。
しかし、肝心の魔王と呼ばれる存在がどのような者かを知らぬソウケンは二人に問うた。
「二人は、あの者を知っておるのか?」
「ああ……かつて大陸中を恐怖に陥れた魔族の頂に立った女傑の一人よ。たしか古い伝説では勇者たちに討ち取られたと伝えられていたのだが……それが、まさかヤマトの国に逃げ延びていたとは……」
その話を聞いてソウケンの刀を持つ手に力が入る。
各々が諸悪の根源たるダッキに向かい臨戦態勢を取るのだが、依然として動きを見せない魔王。
それは余裕からなのか……
ただただ巨石の前に立ち尽くし、ソウケン達に憤怒の表情を投げかけるだけであった。
「……おかしい」
ダッキの挙動に違和感を感じ、リッカは一度剣から手を離した。
しかし、それとは逆に好戦的なスクザは、大地を蹴りダッキに向かって一直線に前進する。
「ガハハハ!! 先手必勝じゃ!!」
スクザの鍛え抜かれた大腿筋から下腿三頭筋が爆発的な推進力を生み、瞬く間にダッキとの間合いを詰める。
それは、アカツナとの御前試合で見せた、いやそれ以上の威力を含んだ突進からの大ぶりの一撃。
――崩天地壊。
スクザ必殺の技を前にしてもダッキは微動だにしない。
「ガハハハハ! 我が戦斧の塵と成れい!!」
振り下ろされた戦斧が地面を叩き割り、ソウケン達の立つ場所にまで地割れが届く。
いくら魔王の名を冠する者と言えど無傷では済まぬ一撃に思われた。
しかし、ダッキは濛々《もうもう》と上がる土煙の中、先ほどと寸分たがわぬ姿で立っているでは無いか……
いや、スクザの戦斧は確かにダッキの足元の地面に突き刺さっている。
突き刺さっているのだが、ダッキの体は、それを透過して立っているのだ。
スクザは地面に刺さった戦斧を持ち上げ、ダッキを見る。
「幻覚魔法なの……か?」
その手ごたえのなさに魔法の存在を疑うが、ぎろりとスクザを睨むその目には確かな怨嗟の念がこもって見える。
今度はダッキの存在を確かめるようにスクザは戦斧を横に薙いだ。すさまじい風圧を伴った戦斧は、やはり間違いなくダッキの体を素通りしてしまう。
その瞬間、ダッキから強烈な殺気が放たれる。
身の危険を感じたスクザは一足飛びにリッカの元へ戻った。
それでも、ダッキの体はその場に縫い付けられたかのように動くことはない。予想だにしない状況に百戦錬磨たるスクザもお手上げの様子でリッカに助言を求める。
「先生!! これは一体どういうことなんじゃ!?」
リッカにも現状がどうなっているのか分からず、スクザの問いに頭を振って答える。
「わからない。でも、たしかにダッキの気配はこの場所からする。油断はしないで……」
スクザだけでなく、この場にいる者たちへリッカは注意を促した。それに答える形で、皆が再びダッキと向き合う。
……が、一人だけダッキに向かって悠々、歩を進める者がいた。
「ア、アカツナ様?」
「止まれ! 止まるんじゃ、アカツナ!! その女は危険じゃ!!」
皆が口々にアカツナを止めようとするのだが、それでもアカツナの歩みは進んだ。
いや、それどころかアカツナはソウケン達に笑いかける始末であった。
「ハハハハハ。皆さま方、ご安心召されい。この女に悪さをする力など残ってはおらんよ」
ついぞ、女の目の前まで進み出るアカツナ。彼が言う通りダッキは、ただただ牙を剝き出しにアカツナを睨みつけるだけ。
それを挑発するかのようにアカツナは、ダッキの体を透過して歩いて見せた。
「ど、どうして……アカツナ様がその事を?」
ソウケンの問いにアカツナは答えず、突如自分語りを始めた。
「私はな……悔しかったのだ。お前のような若造に手柄を譲られ」
それが先の大戦での武功の事だと、ソウケンは理解した。
手柄が欲しく戦ったわけではなかったソウケンは、戦で上げた武功のいくつかをアカツナに譲っていたのだ。
アカツナは、その事が腸が煮えくり返るほど悔しかったのだ。
「しかし、それ以上にソウケンには憧れを抱いておったのだよ。あの戦場での鬼神の如き強さ……まさにあれこそが武士の極み」
不穏な空気が辺りを包む。
依然としてアカツナはダッキの事を小馬鹿にするかのような動きを見せた。
そのダッキの姿をどうしても哀れに思うソウケンに、ダッキの怒りに満ちた目線が合う。
すると途端に怒りにたぎっていた瞳から涙が堰を切ったように溢れ出し、言葉が漏れ聞こえる。
「た、助けて、た……もれ……。く、苦しい……のじゃ……」
ソウケンには、ダッキのその言葉に欺きの色は一切見えなかった。しかし、アカツナはダッキの様子に嘲笑を浮かべる。
「あははは。かつては魔王と呼ばれたものも哀れよなぁ。見てみよ、泣いておるぞ。狐女のくせにコンとは泣かんのだなぁ」
悪趣味なことに涙に暮れる女性の顔を覗き込むアカツナに、再びダッキに怒りの火が灯った。
それを意に介すことなくアカツナは話し続ける。
「おっと話が逸れてしまったな。うぅむ、どこまで話したか……。おお、そうだ。そうだ。私がソウケンにずっと憧れておったと言う話しであったな。いやはや、この齢にして、ずっと考えておったのだよ。どうすれば私もソウケンのように強くなれるのか……どうすれば、ソウケンと同じ高みに至れるのかを……そこで思い至ったのが、この場所よ」
ソウケン達の方を振り向いたアカツナの瞳は、深い深い井戸のような真っ黒な闇だけが映っていた。
「いやぁ、この狐女をこの場で打ち取った侍はな……何を隠そう我が先祖なのだ。その話を昔、どこぞの坊主に聞かせてやったら、喜び勇んで森の中に入りおっての。その時に、坊主からここの事を聞かされておったのだがな、ついぞ最近まで忘れておったのだ……」
話しながらアカツナは注連縄が巻かれた巨石へ近づき、岩肌を愛おしそうに撫でた。
「私はな欲しくて欲しくてたまらなかったのだ、ソウケンが使うその刀が……長き歳月によって幾重にも重ねられた強い強い怨嗟の念により呪物と成ったその刀。それさえあれば……それさえあれば私もソウケンと同じように……」
岩肌を撫でていたアカツナの指がピタリと止まる。
そこには、なぜか脇差が一本突き刺さっていた。
その脇差を見て驚愕の声を上げたのはヤギュウの門弟ヤマギシであった。
「な、なぜですか、先生!? なぜヤギュウ家の家宝の『不変金打』がそんな所にあるのですかっ!!?」




