第23話 祝席転じて呪席と成る
ソウケンが別れのためリンの部屋に立っていた、あの時――
リンは襖を隔て、声を出すこと無く、涙を流していた。
本来ならば、部屋から飛び出し「無事に戻ってきて」と抱き締めたかった。それも叶わぬのなら、一目でも彼を見たかった。
しかし、それすら父親であるシゲクニに止められていたため、ただただ部屋で静かにソウケンの無事を祈り涙を流す事しか出来なかったのだ。
しばらくすると玄関の戸が閉まる音が聞こえた。
もう堪えることが出来ずリンは急いでソウケンの部屋に向かった。
内弟子の為の小さな部屋。
その中にあるのは丁寧に畳まれた布団と、申し訳なさそうに部屋の隅に置かれたソウケンの僅かな私物。
そして、ソウケンがここで暮らした匂いだけ。
あの夕立の中、間近で香ったソウケンの匂い。
あの幸せだった短き日の思い出がリンの頭の中を駆け巡る。
頬を伝う涙は途切れることを知らず、誰にも気付かれないよう嗚咽を抑え泣いた。
文机に置かれた、ソウケンの『貴女を迎えに行きます』と書かれた手紙を胸に抱いて……。
◇◇◇
時は昨日に戻る。
ソウケンが道場にて合戦への参加を了承した時より後の事。
リンがシゲクニの部屋を訪れていた。
リンの内には、ソウケンと婚儀を結ぶと言う善き報せを受けた印象が強く残っており、何か再び吉報でもあるのかと意気揚々とシゲクニの前に座った。
しかし、其処で受けたのはソウケンの戦への参加の報せであった。
武家の、それも剣術の道場を開く武士の娘であるリンは、少しばかり狼狽えはしたものの、それが武士の勤めであると理解していた。
「わかりました」
兄を失ったばかりだというのにリンは気丈に振る舞い、部屋を後にしようとした。
向かうのは将来の夫の元。これから身支度を共にしようとしたのだが、シゲクニがそれを止めた。
「ソウケンの元へは行ってはならん」
「どうしてですか、お父様?」
リンの問いにシゲクニは何とも言えない渋く厳しい表情を浮かべた。
「……未婚の女が、男の元へ向かうなど不仕鱈である!!」
「……な、何を言っているのですか? ソウと私は……」
シゲクニの裏切りにもとれる発言にリンは動揺を隠せない。
「あの話は消えたのだ。お前にはもっと良い縁組が来ておる。お前は、そちらと結婚し、子を成すのだ」
「何を言っているんですか? 私は、私は、ソウの事を……」
「それ以上言ってはならん。良いか、トウジョウ様に仕える筆頭家老がコマツ様の甥に当たられる方が、是非お前を嫁に欲しいと言っておられるのだ。これほど名誉な事は無いなのだぞ?」
アサダ家は代々トウジョウ家の処刑役と言われる役職を得てはいるものの、身分で言えば浪人と同じであった。
常々、城内ではそれを揶揄するような者達もおり、常にアサダの家はそのことに強い劣等感を抱いていたのだ。
しかし、先日行われたシゲアキの葬儀に参列したコマツの甥が、リンを見初め、縁組を無理に捩じ込んできたのだった。
リンとコマツの甥が結婚すればアサダの家の地位の向上は約束されたも同義であり、天秤にかけずとも、どちらが重要な事かなど分かりきった事であった。
「あ、跡継ぎは……跡継ぎはどうするのです?」
リンは混乱する頭を必死に働かせて、どうにかソウケンとの結婚を守ろうとした。
「そこは、向こう方とも相談済みだ。お前が子を二人成せば一方を此方が引き取る事になっている」
その言葉を聞いて、リンは理解した。
目の前にいる男は、私から愛しい人も、そして赤子すらも取り上げようとしているのだと……
「どうして……どうして、私に希望など持たせたのですか……?」
「それは、すまないことをしたと思っておる。束の間、良い夢を見たと思うて、その事は忘れなさい」
シゲクニの言葉にリンは深い深い絶望を覚えた。
あの時間が夢?
ならば、今この苦しく切なく、己の全てが消え失せてしまったと思うこの時が現実なのか……
この地獄のような思いをこの先もずっと抱えて生きていかねばならないのか……
そんな考えが、リンの頭の中を支配した。
リンはゆっくりと幽鬼のように静かに立ち上がり、そのままシゲクニの部屋を後にした。
部屋の戸を締め切る寸前、「地獄に落ちろ」と呟く声を聞いたのは、床の間に飾られた刀、散椿国光のみであった。
そこから婚儀までは、あっという間に行われた。
それは、何も知らぬソウケンへの後ろめたさがあったからやも知れぬ。
未だ戦地で戦うソウケンには知られず、一月のうちに、祝言を行うまでに進んでいた。
普通なら婿の家で祝言を行うのが通例であったが、シゲクニの肝いりでアサダの屋敷で執り行うこととなっていた。
その日は朝から屋敷の中は忙しく回っていた。
祝言に参列する相手方は家老コマツの親族。粗相がないよう女中や手伝いに来た者達に厳しくクニシゲの檄が飛んだ。
そして、いよいよ祝言の時。
シゲクニの部屋を開放し、お互いの親族一同が顔を合わせた。
参列した者の前に赤飯や尾頭付きの鯛が並ぶ祝い膳に朱色の盃、酒が置かれ、床の間を背にした花婿と花嫁を讃えていた。
白無垢姿のリンは終始うつむき、虚ろな瞳で手に持つ鈴を転がして遊んでいた。
その様子をシゲクニが小声で嗜めるが、リンは一向に気にする素振りなく事は進んで行った。
そして、日がとっぷりと沈んだ晩。
外では鈴虫が鳴いているのだが、酔った者達のどんちゃん騒ぎでその声はかき消されていた。
俯くリンの頭の中には、あの呪詛を吐いた日より、ずっと囁く声が住み着いていた。
其は「我を抜け……我を抜け……我を抜け……」そう繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返しリンの頭の中で囁くのだ。
リンが面を上げて、周りを見る。
そこには嬉しそうに笑い声をあげる者達が……父が……婿がいた。
「そんなに私の悲しみが嬉しいか? そんなに私の苦しみが楽しいか? そんなに私の涙が旨いのか? そんなに私の愛が憎いのか?」
そう呟きながら、リンはゆっくりと立ち上がる。
「お! 花嫁から直々のお酌かな?」
呑気に声をあげるのはコマツ家の面々。リンはその声に反応することなく、すう……っと床の間に飾られた散椿を手にした。
「な、何をする気だ、リン!?」
異変にいち早く気付いたシゲクニが、リンの元へと駆けつける。
ごとり……
畳の上をシゲクニの首が転がった。
それを婿が拾い上げる。
「なっ、なんだ、これ……ぐがぁっ!!」
ごとり……
次は婿の首が落ちた。
その光景を目の当たりにした祝言の参列者は、悲鳴を上げた。
しかし、彼らは一様に悲鳴を上げるだけで、その場から動くことが出来ないでいた。
しかも、それだけでなく目に見えぬ何者かの力により強制的に徐々に体を前傾にされ、首を垂れる形にされていく。
奇しくもそれは、処刑を待つ罪人のよう……
リンは淡々と差し出された首を散椿で刎ねてゆく。
「ぎゃぁああああ」
「三つ……」
「ひっ! た、助けて……助けてくれぇええ!」
「四つ……」
阿鼻叫喚の地獄絵図の中、リンは刎ねた首を数えながら刀を振るった。
ごとり……ごとり……ごとり……
部屋の中は、首が落ちるにつれ静かになっていった。
最後の一人であるギンジは、為す術もなく、すすり泣きだけを残して首を刎ねられた。
こうして静まり返ったアサダの屋敷には、りりりぃ……と鈴虫の鳴き声だけが鳴り響くのだった。




