第22話 別れの朝
口づけを交わしたあの日から数日、二人の密かな恋人関係は続いた。
それは、ソウケンとリンの二人にとって幸せで充実した日々であった……。
朝稽古と勉強のわずかな合間がリンとソウケンの逢引の時間。
それはソウケンの部屋。台所の裏。人目に付かぬところで、二人は逢瀬を重ねていた。
しかし、それを引き裂く出来事が起こる。
それは、とある日の午後の事であった。
その日も同じように、稽古終わりソウケンの自室で仲睦まじく逢瀬を楽しんでいたのだが、屋敷の門から大きな声がかかった。
「先生!! 先生は、何処か!?」
その緊迫した声に二人は慌てて玄関先に回る。
二人が駆け付けると、そこにいたのは額から血を流し、肩に矢が刺さったままの男であった。
男は今にも倒れそうな体を門柱にもたれかかるよう預けていた。
ソウケンはその姿をみるや大急ぎで男に駆け寄り肩を貸す。
「ギンジ殿!?」
「ソ、ソウケンか……せ、先生は?」
彼の名は雛形銀二と言い、ソウケンの兄弟子であり、アサダ家長男シゲアキと共に合戦に向かった一人であった。
「先生は中におられます。それよりも傷の手当を……」
介抱しようとするソウケンを押しのけギンジは庭先の方、シゲクニの部屋へと向かって歩き出した。
アサダ家当主シゲクニもこの騒ぎを聞きつけ、縁側から外へと出向こうとしていたところだったらしく、ギンジと庭で鉢合わせした。
「す、すみませぬ!!」
ギンジは、シゲクニを見るや、重傷を押して、その場にひれ伏し謝った。
「ま、まことに、まことに私の不徳の致すところでありますっ!!」
「あ……あぁ……あああ……まさか、まさかっ!!」
それだけで事態を読んだシゲクニは狼狽え始める。
「戦は我らの勝ちで終わったのですが……アカギが……道中アカギの軍勢が裏切って……」
その先は言わずも誰もが理解した。
シゲクニの長男、シゲアキが戦死したのだ。
それも味方であったアカギ軍の謀反によって。
七十を超える老体から発せられるとは思えぬ慟哭が武家町中に響き渡り、アサダの家には暗い影を落とすこととなったのだった。
アサダの門弟のほとんどが、シゲアキと同じようにアカギの軍勢に後ろから攻められる形で死に絶えていた。
しかし、不幸中の幸いか……
禍福は糾える縄の如しと言うのか……。
東軍の殿を務めたアサダ・シゲアキ含む多くのアサダの門弟が大将である東條軍を救ったと過分な誉れを殿から頂戴する事となった。
アサダは、遺体無き葬儀を早々に執り行い、不気味な程に静かな日常を送っていた。
前以上に静まり返った道場に一人、一心不乱に刀を振るソウケン。
いつから振っていたのか床には手から流れ出る血と、滝のような汗がまじりあい水たまりを作っていた。
リンも、この先どうなるのか気がかりでソウケンと会うことは少なくなっていた。
◇◇◇
シゲアキの葬儀から十日ほど経ったある日、ソウケンはシゲクニから道場へ呼ばれた。
道場へ一礼し中へと踏み入る。
しんと静まり返った道場にシゲクニが胴着を着て立っていた。
何をするのかは、会話を交わさなくても分かる。
ソウケンは壁に掛けられた木刀を手にとり、シゲクニと対峙した。
お互い構えは同じ、正眼。
見合うこと暫し。
先に仕掛けたのはシゲクニであった。
間合いを縮めんと僅かに体を前方に傾ける。
その隙を狙いソウケンが動いた。
まさに電光石火の一撃。
シゲクニの木刀を打ち落とし、そのまま首筋に木刀をピタリと止めた。
あまりの見事な一本に、負けたはずのシゲクニは思わず笑ってしまう。
ソウケンはすぐさま木刀を下げ、シゲクニへ深く頭を下げた。
「御教授、ありがとうございました」
「いやはや、参った参った。ソウケンよ。お前ならこの国……いや、世界で一番の剣豪にでもなれそうだの」
それは世辞ではなくシゲクニの本心からの言葉だった。
「いえ、自分はまだまだです。これからもシゲクニ様の元、精進させていただきます」
「ハハハ。もう、主に教えられることも少ない。それよりもな、ソウケンよ。先程上様からの使者がワシの元を訪れておった。話の内容は、アカギ討伐の遠征の報せだ」
その言葉を聞き、ソウケンから僅かな殺気が放たれる。
それを抑えるようシゲクニが柔らかく語りかけた。
「そう急くでない。上様はウチからも兵を出してほしいとの事だった。しかし、ワシは見ての通り、年老いてしまった。そこで、主にこの大役を願いたいと思っておるのだが、どうだ?」
問われたソウケンはその場に正座をして頭を下げる。
「はっ! 謹んでお受けしとうございます。シゲアキ様の無念、このソウケンが必ずや果たして参ります」
「うむ、それは実に心強い言葉。本来なら主の初陣じゃ。もう少し容易いものを選ぶべきなのだが……」
「いえ、構いません。武士として生きるからには剣にて死ぬ覚悟は出来ております」
ソウケンの瞳は真っ直ぐにシゲクニを捉えていた。
一瞬だがシゲクニはその目から逃れるように視線を泳がせる。
「で、では頼んだぞ。出立は明朝。準備は、こちらでする故、今日はゆるりと過ごせよ」
やはり何処か後ろ暗いものがあるのか、シゲクニは逃げるように道場から出ていった。
しばし、その場に伏せていたソウケンであったが一人、自室へと戻っていく。
内心は、リンに一目会いたいと想いが燻り続けていたが、今会ってしまえば恐らく歯止めがかからないことを自分でも理解していた。
ソウケンは寝食を忘れ、文机に向かった。
何枚も何枚も半紙にリンをどれほど想っているのかを書くのだが、どの言葉も紙に写せば紛い物のようになってしまう。
気に入らず、書いた側から丸めては捨てを繰り返す。
最後の一枚となった半紙には、ただ『貴女を迎えに行きます』とだけ書いて紙を残した。
気付けば早朝。
ソウケンは、帰ることができなかった時のため自分の荷物を纏めて部屋の隅に置き、世話になった部屋に一礼をして出て行く。
部屋の外には、アサダの家紋の入った陣笠と黒塗りの簡素な甲冑、そして風呂敷に入った僅かな兵糧が置かれていた。
それらを手早く身に付け、最初に向かうのはシゲクニの部屋。
襖は開けず「行ってまいります」とだけ告げると、その場を去った。
そして次は、リンの寝所。
やはり襖を開けることはせず、そして言葉も掛けず、ただ一呼吸するだけで玄関へ向かった。
誰も送り出す者がいない中、ソウケンは城へと向かう。
そこで他の兵達と合流して、戦場へと向かう手筈になっているのだ。
胸に秘めたる想いは、愛しいリンの笑顔。
再び彼女に会うため、決して死ぬまいと心に誓い戦場へと旅立った。




